第7話 朝のざわめきと白い息
――サク、サク、サク。
包丁が刻む規則的な音が、朝の静けさに輪郭を与えていた。
キッチンには湯気が満ちている。
ベーコンの脂が弾け、ハーブの香りが柔らかく空間を包む。
その中心に立つのは――カイン。
褌一丁のまま、フライパンを軽やかに振っている。
「火加減よし、塩よし、タイミングよし……」
ジュウッ、と音が弾ける。
「今日も戦場は平和だな」
◆◆◆
テーブルでは、ソフィアが新聞を広げていた。
白いシャツの袖を軽くまくり、コーヒーを一口。
「おはよう、みんな。……この光景、嫌いじゃないわ」
紙面をめくる。
「帰ってきた、って感じがする」
ネロが対面で気だるそうに肩を預ける。
白いリネンシャツの第三ボタンまでが無造作に開いている。
「だな……。騒がしくて、落ち着く」
「だろ?」
カインが満足げに頷いた。
◆◆◆
リリスがキッチンの縁に寄りかかる。
淡い笑み。だが視線は鋭く、観察するように動く。
「私、好きよ。その格好」
「だろうな!」
カインは胸を張る。
次の瞬間。
――むに。
遠慮なく掴まれる。
「ん゛ッ……!?」
肩が跳ねる。
だが包丁は止まらない。
フライパンの火も乱れない。
リリスは指先の圧を微妙に変えた。
「反応良し。筋緊張、許容範囲」
ほんのわずか、目が細くなる。
「神経伝達も問題なし」
カインが歯を食いしばる。
「……やめろ、今は“火加減”の時間だ……!」
「大丈夫。崩れない」
リリスは小さく笑った。
「今日は――“戦える日”」
ネロがコーヒーを啜る。
「尻でコンディション測るな」
ソフィアが新聞越しに微笑む。
「全員の状態が一目で分かるなら、合理的ね」
◆◆◆
ノアは静かに席につく。
皿の上にはスクランブルエッグ。湯気がゆらぐ。
「……これ、俺の分?」
「当たり前だろ」
カインがもう一皿置く。
「お前の成長期は俺が管理する」
ノアはスプーンを入れる。
柔らかく、温かい。
一口。
「……うまい」
その言葉は短い。
だが確かだった。
キッチンの空気が、ほんの少しだけ緩む。
カインが笑う。
「だろ」
◆◆◆
窓辺では猫たちが丸くなっている。
白猫、三毛猫、黒猫。
朝日を浴びて、静かに呼吸している。
「この子たちも、すっかり拠点の顔ね」
ソフィアが目を細める。
ネロがぼそり。
「人間より馴染むの早ぇな」
リリスが髪をかき上げる。
「“安全だ”って分かってるのよ」
一拍。
「本能で」
◆◆◆
ノアはその言葉に、わずかに視線を落とした。
――安全。
その言葉に、まだ慣れていない。
だが。
さっき食べた温かさが、確かに残っている。
◆◆◆
その時だった。
――ピピッ。
小さな電子音。
それだけで、世界が切り替わる。
◆◆◆
音が消える。
笑いが止まる。
包丁のリズムが途切れる。
全員が、無言で“戦場側”へ戻る。
◆◆◆
ソフィアが新聞を閉じる。
ゆっくりと立ち上がる。
「……任務ね」
廊下の奥から足音。
カサンドラが現れる。白いスーツが静かに揺れる。
「緊急要請、三件。同時発生」
デバイスの光が、冷たく反射する。
「灰港周辺。治安崩壊の兆候あり」
◆◆◆
ネロがカップを置く。
「いいタイミングだな」
もう眠気はない。
◆◆◆
ソフィアが全員を見る。
一人ずつ、確認するように。
「分隊は二つ。現地合流」
「ノアはネロと」
「カイン、リリスは後方支援」
一拍。
「無理はさせない」
リリスが小さく笑う。
「無理はさせないけど」
指先で自分の首元を軽く叩く。
「限界は引き上げる」
カインが肩を回す。
「それでいい」
◆◆◆
ノアが立ち上がる。
その目に、光が戻る。
朝の温もりは、消える。
代わりに宿るのは――
戦場の光。
◆◆◆
外へ出る。
冷たい空気。
白い息が、ゆっくりと溶ける。
◆◆◆
ネロが隣で呟く。
「戦場の朝ってのは、こうでなくちゃな」
◆◆◆
ジープのエンジンがかかる。
――ゴウン。
◆◆◆
さっきまでの食卓の温もりは、もう遠い。
焚き火のような朝は消え、
硝煙の匂いが、世界を塗り替えていく。
◆◆◆
――その日常が、
どれだけ脆いものか。
そして同時に、
どれだけ価値があるものかを。
ノアは、まだ知らない。
――次回更新:明日17:30公開予定
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『ゼロバレット』続編、第8話「硝煙の朝 — 前編」――
をお楽しみに。




