第37話 「砂の境界線 ― 第零戦術班」
――ガリレア砂漠前線基地。
午後16時42分。
空が、焼けていた。
赤銅色の太陽。
地平線の果てまで続く砂。
揺れる陽炎。
乾き切った熱風が、肌へ貼りつくみたいに吹き抜ける。
息を吸うだけで喉が焼けた。
汗は流れる前に蒸発する。
遠くでは砲撃音が鳴っている。
だが、その音すら砂嵐に削られ、鈍い残響にしか聞こえなかった。
基地。
ガリレア砂漠東域に存在する、最後の前線補給拠点。
ここを抜かれれば、東部戦線は崩壊する。
だから――
この場所には、“化け物”が集められていた。
◆
基地中央。
砂まみれの滑走路脇。
黒装甲の大型車両が並んでいる。
重装輪装甲車。
兵員輸送トラック。
電子戦支援車。
どれも弾痕だらけだった。
そして、その前。
八人の人影が立っていた。
《特殊介入部隊・第零戦術班》。
通称――“ゼロ班”。
所属隊員、全員が世界戦闘ランク100位以内。
軍。
傭兵。
諜報。
暗殺。
国家直属。
出身も経歴もバラバラ。
だが共通しているものがある。
“最も人を殺せる者だけが選ばれる”。
それだけだった。
その空気だけで、周囲の兵士たちは近づけない。
視線すら合わせない。
まるで、“人間の形をした災害”を見るみたいに。
そして――
その中に、一人の少年が立っていた。
ノア。
当時十五歳。
世界戦闘ランク29位。
異常な戦場適応力と反射神経を持つ、“突然変異”。
だが、このゼロ班では最年少だった。
そして同時に――
経験も、指揮権も、仲間との信頼も――まだ足りない。
ランクだけでは測れない意味で、ノアは一番“未完成”だった。
◆
「ノア。
装備の最終確認は?」
低い声が飛ぶ。
戦術班長――バルド・レーガン。
世界ランク18位。
二メートルを超える巨躯。
防弾コートの下には、鋼みたいな筋肉が詰まっている。
“弾丸の雨を歩いて越える男”。
それが、戦場での異名だった。
ノアは即答する。
「済んでます」
「返答は?」
「……了解」
「よし」
バルドは不器用に笑った。
怖い。
誰よりも怖い。
だが同時に、誰よりも“仲間を死なせない男”だった。
彼はノアの胸部プレートを叩く。
ゴン、と重い音。
「角度ズレてる。
狙撃受けたら心臓抜かれるぞ」
ノアが視線を落とす。
「……すみません」
「謝るな。
死ぬな」
一拍。
「お前はまだ、“死ぬ側”の目をしてる」
ノアは少しだけ目を伏せた。
「……了解」
バルドはそれ以上言わなかった。
ただ、少年の肩を一度だけ強く叩いた。
◆
「心拍高いわね」
白衣の女が、ノアの腕へ小型モニターを当てる。
イリヤ・フェルドマン。
世界ランク81位。
通信・医療担当。
“戦場で殺せる医者”。
それが彼女の異名だった。
白衣の下には大量の注射器。
薬品。
メス。
そして拳銃。
治療もする。
殺しもする。
ノアが視線を向ける。
「問題ありません」
「問題ある時に“問題ない”って言うの、兵士の悪い癖よ」
イリヤはモニターを見る。
「アドレナリン濃度上昇。
体温微増。
瞳孔反応正常」
一拍。
「……怖い?」
ノアは少し考えた。
「分かりません」
「嘘ね」
イリヤが笑う。
「あなた、“怖い”を理解する前に戦場へ放り込まれたタイプだもの」
ノアは何も言わなかった。
イリヤが額を軽く小突く。
「死ぬなら許さないわよ」
「理由は?」
「治療面倒だから」
「雑ですね」
「医者なんてそんなもんよ」
イリヤは注射器を一本見せる。
「あと、もし腕吹っ飛んでも安心しなさい。
三割くらいなら繋げられる」
「三割なんですね」
「今日は調子悪いの」
「怖ぇよイリヤ先生……」
横でグレンが苦笑した。
◆
上空では、小型ドローンが旋回している。
その映像を同時に見ている双子。
レオンとミア。
世界ランク64位と65位。
二人で一人の索敵兵。
互いの視界を共有できる異常者。
レオンが端末を見たまま言う。
「今日の風向き、最悪だ」
ミアも続ける。
「熱源反応が砂と混ざる。
狙撃支援は不安定」
レオンがノアを見る。
「お前の突撃、いつもより読みにくくなるぞ」
「感謝します」
ミアが少し笑った。
「……やっぱり変わってない」
「?」
「冷静すぎるのよ。
十五歳の顔じゃない」
ノアは少し黙った。
「そういう顔しか、知らないので」
ミアの目が、一瞬だけ揺れる。
レオンが空気を変えるみたいに笑った。
「でも助かる。
普通の十五歳なら三分で泣く」
「俺は五分くらい持ちます」
「冗談言えるじゃねぇか」
「最近覚えました」
「成長してるな」
◆
「なぁノア」
煙草を噛みながら男が声をかける。
グレン・マードック。
世界ランク51位。
ゼロ班専属スナイパー。
精密射撃では世界トップクラス。
ただし、アシュレイみたいな“芸術性”は無い。
徹底した、“実務の狙撃手”。
「お前の動き、照準合わせづれぇんだよな」
「止まったら死ぬので」
「だよなぁ」
グレンは笑う。
「できればもう少し真っ直ぐ突っ込んでくれ。
俺が楽できる」
「却下します」
「冷てぇなぁ」
一拍。
「……でも、お前が前走ると生存率上がるんだよ」
煙を吐く。
「期待してるぜ。
最年少」
ノアが小さく頷く。
「了解」
「返事だけは優等生だなお前」
「返事はタダなので」
グレンが吹き出した。
「最近ちょっと面白くなってきたな」
◆
その横では、大量の武器を分解している男がいた。
ジャド・カーター。
世界ランク92位。
整備・重火器担当。
“壊れた武器を十秒で殺しの道具へ戻す男”。
彼がレンチを投げる。
ノアが空中で受け取った。
「反応は良し」
ジャドが笑う。
「今日の君の銃、完璧だ。
壊したら怒るからな」
「壊す前に倒します」
「うん。
その返答好き」
彼はノアのライフルへ触れる。
「でもな。
武器ってのは、“生きて帰る奴”の手にある時だけ価値がある」
一拍。
「帰って来いよ」
ノアは静かに頷いた。
「……了解」
ジャドは少しだけ笑みを消す。
「ゼロ班はな。
“強い奴”より、“戻って来る奴”が偉いんだ」
その言葉だけ、妙に重かった。
◆
そして最後の一人。
大量の地図を広げる女。
サーシャ・ヴェイル。
世界ランク33位。
ゼロ班戦術参謀。
前線へ出ない唯一の“非戦闘員”。
だが――
彼女の指揮下では死亡率が半分になる。
だから誰も逆らわない。
サーシャが地図から目を離さず言う。
「ノア。
敵集中地点は三つ」
ペン先が動く。
「このルートは地雷。
こっちは狙撃帯。
あなたが生き残るには、私の指示を絶対守って」
「了解」
「返答が早すぎるわね」
一拍。
「……その癖、嫌いじゃないけど」
ノアは少し首を傾げた。
「褒められてますか?」
「半分」
「残り半分は?」
「無茶しそう」
「努力します」
「努力で治るなら苦労しないわ」
サーシャは小さく息を吐く。
「あなた、“死線の向こう側”へ踏み込みすぎるのよ」
ノアは静かに答えた。
「行かないと、皆が死ぬので」
サーシャの手が、一瞬止まった。
だが彼女は何も言わない。
ただ、地図へ新しいルートを書き足した。
◆
そして――ノア。
世界ランク29位。
十五歳。
天才。
異常者。
怪物。
そう呼ばれていた。
だが彼自身は、自分をそう思っていない。
ただ、“戦場へ適応してしまっただけ”だった。
◆
バルドが大きく手を叩く。
パンッ――。
全員の視線が集まった。
「聞け」
低い声。
「今回の任務はガリレア東域突破」
一拍。
「だが実質――俺たち八人で戦局をひっくり返す任務だ」
ジャドが鼻で笑う。
「相変わらず無茶苦茶だな」
イリヤがため息をつく。
「補給不足。
支援薄い。
死亡率最悪。
上層部、本当に私たちを人間だと思ってる?」
グレンが煙草を噛む。
「思ってたらゼロ班なんて作らねぇよ」
ミアが静かに呟く。
「……でも、私たちが行かなきゃ前線は崩れる」
レオンも続ける。
「他の部隊はもう限界だ」
沈黙。
砂嵐の音だけが響く。
バルドが全員を見る。
「いいか」
一拍。
「俺たちゼロ班が前に出る時ってのは、“他が全部壊れた時”だ」
低い声。
「今回も例外じゃねぇ」
ノアは静かに頷いた。
「了解。
俺たちがやります」
その言葉に、全員が少しだけ笑った。
「相変わらず即答だな」
「迷いがねぇ」
「若いって怖ぇ」
「でも嫌いじゃない」
そんな空気だった。
◆
夕日が沈む。
空が赤から黒へ変わっていく。
装甲トラックの後部ハッチが開いた。
ゴォン――。
重い音。
エンジン始動。
砂が巻き上がる。
ゼロ班八名が、それぞれの席へ座っていく。
サーシャが通信機へ触れた。
「全車両、前進開始」
車列が動き始める。
窓の外には、死んだみたいな砂漠。
だが、その奥には戦場がある。
まだ銃声は聞こえない。
けれど確実に、“地獄”が待っていた。
ノアは胸ポケットへ手を入れる。
小さな紙切れ。
戦死した兵士が残したメモ。
『死ぬ時は、前だけ見ろ』
ノアは静かに目を閉じた。
その言葉を、深く飲み込む。
装甲車が揺れる。
バルドが隣で口を開いた。
「ノア」
「はい」
「お前は世界29位だ」
一拍。
「だが、この班じゃ最年少だ」
「分かっています」
バルドは少し笑った。
「なら――俺たちの背中、ちゃんと見ておけ」
ノアは静かに頷いた。
「……了解」
装甲車列は、夜の砂漠へ消えていく。
まだ誰も知らない。
この車列に乗った八人のうち、
夜明けの砂を踏める者が、何人いるのか。
そして――
あの《無音の夜》が、どれほど世界を狂わせるのかを。
――次回更新:明日17:30公開予定
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『ゼロバレット』続編、第38話「ゼロ班・第一次交戦」――
をお楽しみに。




