第36話 「宴と砂の記憶」
――ゼロバレット臨時拠点《HANGAR–13》。
地下格納庫の空気は冷えていた。
鉄骨剥き出しの天井。
薄暗い非常灯。
潮風混じりの換気音。
分厚い隔壁の向こうでは、波が岩壁を叩いている。
ここは“帰る場所”というより、巨大な棺桶に近かった。
だが今だけは、その冷たい空間に人の声があった。
補給倉庫の片隅。
弾薬箱を並べた即席テーブル。
缶詰。
乾パン。
冷えたコーヒー。
栄養バー。
食事と呼ぶには、あまりにも質素だった。
それでも、誰も文句を言わない。
戦場から生きて帰った直後なら、それだけで十分“ご馳走”だった。
ネロが缶コーヒーを開ける。
プシュッ――。
「……っはぁ。やっと人間に戻った気分だ」
カサンドラが冷めた目を向ける。
「三十分前まで地下炉で撃ち合ってた人間の台詞とは思えないわね」
「だからだよ。死にかけた後のコーヒーは美味ぇんだ」
「味覚が壊れてるだけじゃない?」
「否定できねぇ」
アシュレイが笑った。
「お前ら、普段からこんな感じなのか?」
ネロが肩をすくめる。
「もっと酷ぇぞ」
「夢壊すなよ」
「夢見てたのか?」
「精鋭特殊部隊っぽいの想像してた」
「残念だったな。ここは精鋭の皮を被った限界職場だ」
「辞表出していいか?」
「されない」
ソフィアが即答した。
アシュレイは天井を見上げる。
「この組織、返事が早すぎる」
その時だった。
ガチャリ――。
格納庫の扉が勢いよく開いた。
「よっしゃぁぁぁ!! 生還者どもに!! 特製カイン飯を届けに来たぜぇぇぇッ!!」
騒音みたいな声。
油の匂い。
そして、褌姿。
軍用サンダル。
上半身裸。
筋肉。
汗。
両腕には酒瓶と巨大鍋。
カインだった。
数秒、沈黙。
アシュレイがゆっくり口を開く。
「……なんだこいつ」
ネロが即答する。
「うちのヘリ操縦士兼料理係」
「嘘だろ」
「残念ながら本当だ」
ソフィアが眉間を押さえる。
「……それ、何回目だと思ってるの?」
「十七回目!」
カインは誇らしげに胸を張った。
「戦場のストレスは酒と笑いでしか抜けねぇ!! あと裸は正義!!」
リリスが医療箱を閉じながら苦笑する。
「正義というより、通報案件よね」
「通報する暇があったら食え! 飲め! 笑え!」
ネオンが端末から目を上げる。
「地下施設で褌一丁の男が鍋持って走ってくる組織、普通に嫌なんだけど」
「安心しろ」
ネロが真顔で言った。
「俺も嫌だ」
「じゃあ止めなさいよ」
「止まらねぇんだよ、こいつ」
「誰にも止められないの?」
「前にカサンドラが撃った」
アシュレイが振り返る。
「待て、怖ぇな!?」
カサンドラは平然としていた。
「肩を少し」
「少しで済む話か!?」
カインは豪快に笑いながら鍋を置いた。
「気にすんな新入り! 死ななきゃセーフだ!」
「この組織、倫理観どこ置いてきた?」
「戦場」
ソフィアが静かに答えた。
アシュレイは乾いた笑みを浮かべる。
「……入る組織間違えたかもしれねぇ」
「今さらね」
カサンドラが言う。
「もう登録されたわ」
「俺の同意は?」
「さっきしたでしょ」
「酔ってなかったぞ俺」
「なおさら有効ね」
ネロが笑う。
「諦めろ。ここは一度入ったら抜けられねぇ」
「傭兵契約じゃなくて呪いじゃねぇか」
◆
やがて、即席の宴が始まった。
缶詰。
乾燥肉。
乾パン。
密造酒。
市場で買った怪しい瓶。
そして、カイン特製の得体の知れない鍋。
ネオンが鍋を覗き込み、顔をしかめる。
「……これ何?」
「肉」
「何の?」
「そこ大事か?」
「大事よ」
「食えるからヨシ!」
「絶対ダメなやつじゃない……」
リリスが匂いを嗅ぐ。
「薬品臭しない?」
「気のせいだ」
「気のせいじゃなかったら?」
「胃袋が鍛えられる」
「人体実験しないで」
カインがスプーンを突き出す。
「じゃあまず新入りから!」
「なんで俺だよ」
アシュレイが即座に後ずさる。
「歓迎だ」
「処刑の間違いだろ」
ノアが静かに鍋を見た。
「……毒ではない」
全員がノアを見る。
アシュレイが眉をひそめる。
「お前、なんで分かるんだよ」
「匂い」
「匂いで毒判定すんな」
「戦場では必要だった」
「説得力が嫌すぎる」
カインが笑いながら鍋をかき混ぜる。
「ほら見ろ! ノアのお墨付きだ!」
ネオンがぼそりと言う。
「ノアの基準、普通じゃないから信用できない」
「失礼だな」
「あなた、前に消毒液の匂いだけで抗生剤の種類当てたでしょ」
「必要だった」
「だから普通じゃないのよ」
ネロが酒を注ぐ。
「まぁ飲め。死ななきゃ全部思い出話だ」
グラスが鳴った。
乾いた金属音。
その音だけが、この冷えた地下空間で妙に人間らしく響いた。
アシュレイは缶詰をつまみながら、苦笑する。
「……戦地の灰よりはマシだな。味は薄いけど、生きてる感じはする」
「お前にしては詩的なこと言うじゃねぇか」
ネロがにやつく。
「詩とか言うな。鳥肌立つ」
その時。
ノアが、小さく笑った。
ほんの少しだけ。
だが、確かに。
ネロが目を丸くする。
「……お前、そんな顔できたんだな」
「失礼だな」
「いや、割と本気で驚いた」
アシュレイが吹き出す。
「分かる。こいつ戦場じゃずっと無表情だからな」
「笑わないわけじゃない」
「年一回くらいだろ」
「そんな少なくない」
「半年に一回?」
「微妙に増やすな」
リリスがくすりと笑う。
「いいじゃない。生還祝いらしくなってきたわ」
カインが突然、手を叩いた。
「そうだ! 祝いといえばデザートだ!」
その言葉に、ノアの肩がわずかに動いた。
本当に、わずかに。
だが、ソフィアは見逃さなかった。
「……ノア?」
「なに?」
「今、反応したわね」
「してない」
アシュレイが目を細める。
「いや、したな」
「してない」
ネロがにやりと笑う。
「お前、デザート好きだったのか?」
「普通だ」
「普通の反応じゃなかったぞ」
カインが鍋の横から小さな包みを取り出す。
「前回、俺が持ってきた保存菓子にハチミツかけただろ? あれ、ノアが初めて食って固まってたやつ」
リリスが目を輝かせる。
「ああ、あれね。すごく静かに驚いてた」
「静かに驚くって何だよ」
アシュレイが笑う。
ネオンが端末を操作しながら言う。
「ログ残ってるわよ。摂取後、ノアの心拍が一瞬だけ上がってた」
「そんなもの記録するな」
「面白かったから」
カサンドラが淡々と続ける。
「そのあと、食料庫のハチミツだけ減りが早くなったわ」
沈黙。
全員の視線がノアへ向く。
ノアは無表情だった。
だが。
わずかに目を逸らした。
ネロが吹き出す。
「おいおいおい」
アシュレイが身を乗り出す。
「まさかお前、市場で買ってたのか?」
「……」
「ノア」
「……必要物資だ」
ソフィアが口元を押さえた。
「ハチミツが?」
「糖分は戦闘後の回復に有効だ」
ネオンがすかさず言う。
「理屈は合ってるけど、個人用に三瓶買う必要はないわ」
「三瓶!?」
アシュレイが爆笑した。
「お前、そんなに気に入ったのかよ!」
「備蓄だ」
「好きって言えよ」
「備蓄だ」
カインが腹を抱えて笑う。
「いいじゃねぇか! ハチミツが好きな暗殺少年! 可愛いだろ!」
「可愛いと言うな」
リリスが微笑む。
「でも、好きなものができるのはいいことよ」
カサンドラが静かに頷く。
「そうね。兵器は嗜好品を隠して買わないもの」
ノアが少しだけ眉を寄せる。
「……隠してはいない」
ネロが追撃する。
「じゃあ出せ」
「何を」
「ハチミツ」
「ない」
ネオンが端末を見る。
「ノアの装備バッグ、重量が市場前より一・五キロ増えてる」
「お前ら全員敵か」
アシュレイが笑いすぎて缶詰を落としかける。
「やべぇ……お前の弱点、初めて見つけたかもしれねぇ」
「弱点ではない」
「ハチミツで釣れる?」
「釣れない」
「本当か?」
「……条件による」
場が爆笑に包まれた。
ノアは無表情を保っていた。
だが耳が少し赤い。
ソフィアはそれを見て、ほんのわずかに笑った。
戦場では決して聞けない音だった。
ノアが笑う。
アシュレイが笑う。
ネロが茶化す。
カインが騒ぐ。
カサンドラが呆れる。
ネオンが文句を言う。
リリスがそれを見て笑う。
そこにあったのは、組織ではなく――仲間の時間だった。
ソフィアは小さくグラスを持ち上げる。
「……まるで、ずっと一緒にいたみたいね」
カサンドラも頷く。
「呼吸の合い方が自然すぎる。長年の戦友みたい」
アシュレイの目が、わずかに細くなった。
「長年ってほどじゃねぇよ」
一拍。
「……ただ、昔ちょっとな」
その瞬間。
カインが食いついた。
「来たァ!! それだよそれ!!」
「うるせぇな」
「俺が聞きたかったのはそこだ!」
酒瓶を片手に、カインが身を乗り出す。
「お前らが“顔も知らねぇまま共闘してた”あの戦争!! ガリレア砂漠戦線!! 《無音の夜》!! 伝説の地獄!!」
空気が少し変わった。
ネオンの指が止まる。
リリスが静かに顔を上げる。
ネロも茶化すのをやめた。
カサンドラの瞳が細くなる。
「……そんな昔話、よく覚えてるわね」
カインはにやりと笑う。
「俺の血液、半分くらい酒だからな。酔ってる方が記憶は冴える」
「アル中の言い訳じゃねぇか」
ネロが呆れる。
「違う。これは生き様だ」
「同じだろ」
だが、ソフィアだけは笑わなかった。
静かにグラスを置く。
「……ガリレア砂漠」
銀の瞳が、ノアとアシュレイを見る。
「あなたたちが《無音の夜》を生き延びた理由。聞かせてもらえるかしら」
格納庫が静まった。
さっきまでの笑い声が、すっと遠ざかる。
発電機の低音だけが残った。
ノアはカップを置いた。
ゆっくりと立ち上がる。
「……あれは、夜でも昼でもない場所だった」
アシュレイも煙草の火を消した。
「風も音もねぇ。息するだけで砂が喉を削った」
ノアは少しだけ目を伏せる。
「――あれが、俺たちの始まりだ」
カインが酒を注ぎ足す。
さっきまでの騒がしさは消えていた。
「……語れ」
一拍。
「今夜は、誰も寝かせねぇ」
ノアは静かに息を吸った。
「二年半前」
低い声。
「俺は“イレヴン・ユニット”の指揮下にいた。任務は簡単だった」
一拍。
「砂嵐下での捕虜救出」
アシュレイが続ける。
「だが実際は、罠だった」
彼の声も低い。
「俺たちは互いの存在を知らないまま、同じ地獄へ放り込まれた」
その時。
格納庫の照明が一つ落ちた。
パチ……ッ。
薄暗くなる地下空間。
誰も動かない。
ノアの声だけが、静かに響く。
「――あの日」
一拍。
「世界から、“音”が消えた」
低い唸り。
遠くで鳴る波のような残響。
照明がちらつく。
まるで過去の砂漠が、この地下へ染み出してくるみたいだった。
「風は止み、通信は絶たれ、銃声すら吸い込まれた」
ノアの瞳が、暗い砂色を帯びる。
「――それが、《無音の夜》の始まりだった」
静寂。
そして――
物語は、ゆっくり過去へ沈んでいく。
――次回更新:明日17:30公開予定
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『ゼロバレット』続編、第37話「砂の境界線 ― 第零戦術班」――
をお楽しみに。




