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第34話 「選択と秤」

――上空三千メートル。


 ゴォォォォ……。


 輸送ヘリが、灰色の雲海を裂いて進んでいた。


 巨大なローターが空気を叩くたび、機体全体が低く震える。


 金属の軋み。


 固定ワイヤーの鳴る音。


 エンジンの唸り。


 そのすべてが、戦場帰りの者たちにとっては妙に心地よい“生還の音”だった。


 機内には、火薬と鉄と血の匂いが残っている。


 焦げた配線。


 焼けた布。


 乾き始めた血。


 冷えた空気。


 それらが混ざり合い、誰も言葉にしない“さっきまで死地にいた”という事実を漂わせていた。


 後部ハッチ付近では、ネロが黒いSUVを固定していた。


 ワイヤーロック。


 磁気固定。


 車体下部の締結確認。


 最後に工具を乱雑に放り込み、煙草を咥える。


「……毎回思うが、なんで俺が車まで積まなきゃなんねぇんだ」


 操縦席から、カインの声が返る。


『お前しかできねぇからだろ』


「便利屋扱いかよ」


『戦えて、運転できて、整備もできて、態度が悪い。貴重な人材だぞ』


「最後いらねぇだろ」


『事実だ』


「給料上げろ」


『ソフィアに言え』


「却下」


 即答だった。


 ソフィアは座席に腰を預けたまま、視線すら向けない。


「今月、弾薬費が予算を超えているの。ネロの煙草代まで面倒見きれないわ」


「組織の待遇終わってんな」


「死なないだけホワイトよ」


 カサンドラが淡々と返す。


 ネロが煙を吐いた。


「それ言えるの、この組織くらいだろ」


 アシュレイが小さく笑う。


「加入初日から労働環境に不安しかねぇな」


「安心しろ」


 ネロが工具箱に腰を下ろす。


「不安はそのうち日常になる」


「最悪のフォローだな」


 機内に、わずかな笑いが流れた。


 だが。


 それでも空気の奥には、まだ緊張が残っていた。


     ◆


 ノアは窓際に座っていた。


 外では、崩壊した港湾区が少しずつ遠ざかっていく。


 灰。


 瓦礫。


 黒煙。


 折れたクレーン。


 焼け落ちた高層群。


 地下炉跡からは、まだ赤い煙が立ち上っていた。


 まるで街そのものが、深い傷口から血を流しているみたいだった。


 ノアはそれを、静かに見つめていた。


 隣では、アシュレイが足を投げ出している。


 左腕には簡易包帯。


 頬には裂傷。


 服は煤だらけ。


 それでも口元には、いつもの皮肉げな笑みが残っていた。


「……ったく。正式加入前に死ぬかと思ったぞ」


 ノアが小さく返す。


「死ななかった」


「お前、“結果論”で全部片付けるタイプだよな」


「生きてるなら問題ない」


「怖ぇよ、その思考」


「死んでたら問題だった」


「だから怖ぇって言ってんだよ」


 アシュレイが苦笑する。


 その横顔には疲労が濃く残っている。


 だが、不思議と暗くはない。


 戦場を越えた者同士にだけある、奇妙な安心感。


 生き残った。


 それだけで、今は十分だった。


 対面には、ソフィア。


 その隣にカサンドラ。


 少し離れて、ネロ。


 機体の振動が床から伝わる。


 誰も急いで話さない。


 誰も無駄に騒がない。


 しかし、その沈黙は空白ではなかった。


 全員が、次に必要な言葉を待っていた。


 やがて。


 ソフィアが静かに口を開いた。


「アシュレイ・ケイン」


 低く、澄んだ声。


 アシュレイが片目を開ける。


「……また尋問か?」


 一拍。


「血液。指紋。虹彩。DNA。ついでに睡眠不足まで提出したぞ」


「形式確認じゃないわ」


 ソフィアは真っ直ぐ彼を見る。


「聞きたいのは、“理由”よ」


「理由?」


「あなたが、ゼロバレットに加わる理由」


 機体が小さく揺れる。


 窓の外で、灰の雲が流れていく。


 アシュレイは少し黙った。


 軽口を返すこともできた。


 茶化すこともできた。


 だが、しなかった。


 彼は窓の外へ視線を向ける。


「……数年前の戦争で、俺はある部隊にいた」


 声が変わった。


 いつもの軽薄さが消えていた。


「前線で、ゾンビみたいに押し寄せる敵兵と撃ち合ってた。食料も足りねぇ。弾薬も足りねぇ。寝床は瓦礫の影。隣には死体。朝起きたら、昨日まで喋ってた奴の頭が無かった」


 ネロが煙を吐く。


「懐かしい時代だな」


「懐かしむなよ」


 アシュレイが苦笑する。


「こっちは割と本気で地獄だったんだぞ」


「俺らも似たようなもんだ」


「違いねぇ」


 短いやり取り。


 だが、その裏にあるものは軽くない。


 アシュレイは続けた。


「その時、何度も俺の命を拾ったガキがいた」


 ノアは動かない。


 ただ視線だけが、わずかに下がる。


「弾切れでも前へ出る。包囲されても戻ってくる。爆撃の中でも平然と歩いてる。こいつの周りだけ、戦場のルールが違って見えた」


 ネロが笑う。


「容易に想像できるな」


「だろ?」


 アシュレイが肩をすくめる。


「最初見た時、化け物かと思った」


 ノアが小さく息を吐く。


 返答まで0.5秒遅れる


「……否定はしない」


「する気もねぇのかよ」


 機内に小さな笑いが流れる。


 だが、アシュレイはすぐ真顔に戻った。


「でもな。化け物みたいだったのは、“強さ”じゃねぇ」


 一拍。


「あいつ、何回死にかけても、他人を見捨てなかった」


 ノアの瞳が、わずかに揺れた。


「普通、戦場じゃ自分が最優先だ。仲間を見捨てることもある。助けようとして全員死ぬくらいなら、切る。それが正しい場面もある」


 アシュレイの声が低くなる。


「でも、こいつは違った。戻ってくるんだよ。撃たれても、燃えても、血を吐いても。まるで、自分の命だけ秤に乗せ忘れてるみたいにな」


 カサンドラが静かに視線を上げる。


「……それは美談じゃないわ。欠陥よ」


「分かってる」


 アシュレイは笑った。


「だから、目が離せなかった」


 一拍。


「気づいたら俺は、ノアの後ろで狙撃してた。こいつが前へ出るなら、俺がその背中を抜かせない。そう決めてた」


 ソフィアが目を細める。


「あなたを変えたのが、ノアだった?」


「変えたってほど綺麗なもんじゃねぇよ」


 アシュレイは肩をすくめる。


「ただ、“信じてもいい奴”だと思った。それだけだ」


 沈黙。


 ローター音だけが響く。


 ノアが小さく口を開いた。


「俺の記憶だと逆だ」


「ん?」


「お前の狙撃がなかったら、俺は何度も死んでた」


 一拍。


「……お互い様だ」


 アシュレイが少しだけ笑った。


「そう言える奴、案外少ねぇんだよな」


「事実だ」


「ほんと、可愛げねぇな」


「必要ない」


「そこは必要あるだろ」


 ネロが笑う。


「いいコンビじゃねぇか」


 カサンドラが端末を見ながら呟く。


「厄介なコンビ、の間違いね」


     ◆


 空気が少し柔らかくなった。


 だが。


 ソフィアは表情を崩さなかった。


「戦友。信頼。命の貸し借り」


 静かな声。


「それは理解した」


 一拍。


「でも、それだけでゼロバレットに入れるほど、世界は甘くない」


 空気が少し冷える。


 アシュレイも真顔に戻った。


「……だろうな」


「あなたは、“何のために”ここへ来たの?」


 ソフィアの視線は、逃げ道を許さなかった。


「ノアがいるから。昔の借りがあるから。背中を信じているから。それだけなら、あなたはただの戦友よ」


 一拍。


「ゼロバレットに必要なのは、戦友ではない」


 アシュレイの表情がわずかに変わる。


 ソフィアは続けた。


「選べる人間よ」


「選べる?」


「ええ」


 ソフィアは静かに言った。


「撃てと言われて撃つだけの兵士はいらない。命令を待つだけの傭兵もいらない。秤が傾いた時、自分の意思で引き金を引ける人間が必要なの」


 アシュレイは黙って聞いていた。


「だからもう一度聞くわ」


 ソフィアの銀の瞳が、まっすぐ彼を射抜く。


「あなたは、何を選ぶためにここへ来たの?」


 長い沈黙。


 ローター音。


 機体の振動。


 アシュレイは、ゆっくりと息を吐いた。


「……俺は、正義なんて信じてねぇ」


 一拍。


「国も、軍も、企業も、神様も、綺麗な言葉を吐く奴ほど、だいたい後ろで誰かを殺してる」


 ネロが小さく笑う。


「だいぶ偏ってんな」


「戦場育ちなんでな」


 アシュレイは続けた。


「でも、背中は嘘をつかねぇ」


 ノアが彼を見る。


「ノアがここにいる。こいつがこの組織を選んだ。なら、俺はその選択を見届ける価値があると思った」


 一拍。


「それに――」


 彼は窓の外を見た。


 崩壊した街。


 赤い煙。


 焼けた世界。


「あの戦争で、俺たちは“人間の秩序”を失った。勝つためなら何でもやる奴らばかりになった。神兵も、ENDも、その延長だ」


 アシュレイの声が低くなる。


「だから、取り戻す」


 ソフィアが静かに問う。


「何を?」


「人間が、人間のまま選べる世界だ」


 沈黙。


 ネロが煙草を口から外す。


 カサンドラの指が端末の上で止まる。


 ノアが静かに目を伏せた。


 ソフィアは、しばらくアシュレイを見ていた。


 そして。


 小さく息を吐く。


「……いいわ」


 銀の瞳が細くなる。


「あなたの意思は確認した」


 一拍。


「正式登録は後で処理する」


 アシュレイが肩をすくめる。


「仮採用通ったか」


「ただし」


 ソフィアの声が低くなる。


 機内の空気が変わった。


「勘違いしないで」


 一拍。


「ゼロバレットは、“正義の組織”じゃない」


 ネロも煙草を止める。


 カサンドラも無言になる。


 ソフィアだけが静かに続けた。


「私たちは英雄じゃない。救世主でもない。世界を救うために戦っているわけでもない」


 アシュレイが目を細める。


「じゃあ何だ?」


「均衡を保つために、“秤”を動かしているだけ」


 一拍。


「救うこともある。殺すこともある。売ることもある。奪うこともある。全部、同じ秤の上よ」


 アシュレイは静かに笑った。


「バランス、ね」


「ええ」


「……気に入ったよ」


 彼は目を閉じる。


「あの戦争で、俺たちはそれを失ったからな」


 ノアが静かに言う。


「神でも兵器でもない。“人間の秩序”を取り戻す」


 ネロが鼻で笑った。


「相変わらず真面目だなお前」


「悪いか」


「いや」


 一拍。


「嫌いじゃねぇ」


 カサンドラが小さく呟く。


「秤は、綺麗事では動かない」


 ソフィアが頷く。


「だから私たちが動かすの」


 アシュレイが苦笑する。


「怖ぇ組織だな」


「今さらよ」


     ◆


 その時。


 カインの声が通信に割り込んだ。


『お前ら、そろそろ降下ポイントだ』


 機体がわずかに減速する。


 雲の下。


 霧に包まれた都市区画が見え始めた。


『市場区・第三区。補給と偽装ルート確保する。あと、着陸後に変な揉め事起こすなよ』


 ネロが笑う。


「それ、新入りに言っとけ」


「俺かよ」


 アシュレイが顔をしかめる。


『お前だよ。顔が揉め事っぽい』


「操縦席から見えてねぇだろ」


『声で分かる』


「ひでぇな」


 ソフィアが短く言う。


「了解。降下準備」


 ネロが立ち上がる。


「ほら新入り。働け」


「加入初日から?」


「ブラック企業だからな」


「辞表出していい?」


「却下」


 カサンドラが即答する。


「早すぎるわ」


「検討すら無しかよ」


 ネロが笑う。


「歓迎されてんな」


「これ歓迎か?」


「この組織じゃかなり温かい方だ」


「基準終わってんな」


 機内にまた小さな笑いが起きた。


 ノアがヘルメットを手に取る。


 そして、静かにアシュレイを見た。


「……ようこそ、ゼロバレットへ」


 短い言葉。


 だが、その声には確かな重みがあった。


 アシュレイは少しだけ目を細める。


 かつて戦場で見た背中。


 今も変わらない少年。


 ただ、昔よりも少しだけ、“選ぶもの”が増えている。


 アシュレイは笑った。


「……ああ」


 一拍。


「これからよろしくな、相棒」


 ノアは少しだけ間を置いた。


「相棒?」


「嫌か?」


「……悪くない」


 アシュレイが笑う。


「なら決まりだ」


 ヘリが降下する。


 ローター風が灰を巻き上げた。


 雲が割れ、朝日が差し込む。


 崩壊した港湾区が、黄金色に染まっていく。


 そこは、壊れた世界だった。


 だが。


 その光の中で。


 新しい“秤”が、静かに動き始めていた。




――次回更新:明日17:30公開予定


ここまで読んでいただきありがとうございます。

少しでも面白いと感じていただけたら、ブックマーク・評価・感想で応援していただけると嬉しいです。


『ゼロバレット』続編、第35話「灰の市場 ― 一時の休息」――


をお楽しみに。


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