第33話 「灰の契約 ― 天秤の上で」
――港湾区外れ、旧輸送倉庫D群。
夜明け前。
空はまだ、灰色だった。
雲が低い。
潮風が吹き抜けるたび、焼けた鉄と火薬の臭いが鼻を刺す。
遠くでは、崩壊した港湾区から黒煙が立ち上っていた。
まるで街そのものが、まだ燃え続けているみたいだった。
静かな世界。
だが、その静けさは平穏じゃない。
“戦いのあと”の静寂だった。
ガリ……。
濡れたアスファルトをタイヤが擦る。
黒いSUVが、霧を裂きながらゆっくり倉庫街へ滑り込んだ。
ライトは消えている。
余計な音もない。
まるで“影”そのものみたいに、車体が停止した。
数秒後。
運転席のドアが開く。
最初に降りてきたのはネロだった。
白いリネンシャツ。
第二ボタンまで開いた襟元。
気怠げな立ち姿。
だが、その瞳だけは獣みたいに鋭い。
煙草を咥え、火をつける。
カチッ――。
小さな火が、霧の中で揺れた。
「……静かすぎんな」
紫煙を吐きながら、周囲を見渡す。
屋上。
鉄塔。
コンテナ影。
射線確認。
逃走経路。
全部を数秒で頭に叩き込む。
「狙撃無し。
監視も無し。
逆に気味悪ぃ」
助手席から、カサンドラが降りる。
白いコート。
銀髪。
冷え切った横顔。
手元では、青白い端末光が揺れていた。
「周辺熱源反応、ゼロ。
追跡ドローンも確認できない」
一拍。
「……綺麗すぎるわね」
「掃除済みってことか?」
「あるいは、“見られてる”か」
ネロが小さく笑った。
「最近そのパターン多いな」
最後に、後部座席からソフィアが降り立つ。
漆黒のスーツ。
銀色の長髪。
濡れた地面をブーツが鳴らす。
コツ。
コツ。
その瞬間。
場の空気が変わる。
誰も声を上げていないのに、“支配者”が来たと分かる。
ソフィアは海の方を見た。
崩壊した港湾区。
灰。
煙。
燃え続ける残骸。
「……派手に壊したわね」
カサンドラが端末を閉じる。
「ノアたちは地下から脱出済み。
カインが先に回収してるはずだったけど……」
ネロが煙草を咥え直す。
「途中で寄り道してんだろ。
あいつら毎回ボロボロで帰ってくるしな」
「生きて帰るだけ優秀よ」
ソフィアが静かに返す。
一拍。
「今回の相手は、“神経模倣体”だったんだから」
風が吹く。
霧が流れる。
その向こう。
二つの影が現れた。
ノア。
そしてアシュレイ。
二人とも服は煤だらけだった。
裂傷。
血。
火薬汚れ。
地下炉での戦闘がどれだけ熾烈だったか、一目で分かる。
だが。
目だけは死んでいない。
戦場を越えてきた人間の目だった。
アシュレイが片手を上げる。
「……よぉ。
迎えとは優しいじゃねぇか」
ネロが鼻で笑う。
「死体回収班だよ」
「ひでぇな」
「生きてるだけマシだろ」
ノアが静かに言う。
「……遅くなった」
ソフィアは彼を真っ直ぐ見た。
「無事ならそれでいい」
だが、その瞳には安堵より、“確認”の色があった。
本当にノア本人か。
模倣体ではないか。
そのレベルで警戒している。
ノアも、それを理解していた。
「地下炉は崩壊した。
ENDの中枢も破壊済み」
「“破壊済み”、ねぇ」
カサンドラが静かに返す。
「完全停止ではない?」
アシュレイが苦笑する。
「鋭ぇな、お姉さん」
一拍。
「あれ、“死んでる”感じじゃなかった。
むしろ――学習終わって、次へ行った感じだ」
ネロの目が細くなる。
「気持ち悪ぃ言い方しやがる」
「実際気持ち悪かったんだよ」
アシュレイが煙草を一本取り出す。
だが折れていた。
「……チッ」
ネロが無言で一本投げる。
アシュレイが受け取った。
「気が利くじゃねぇか」
「貸しだ」
「覚えとく」
火をつける。
紫煙。
疲労混じりの呼吸。
「地下炉は、“工場”だった」
ノアが低く呟く。
「人格。
感情。
神経。
全部を複製するための場所だ」
ソフィアの瞳がわずかに細くなる。
「……ザラキエルは、“神”を作ってるんじゃない」
一拍。
「“人間を素材にした神”を量産してる」
沈黙。
海風だけが吹いた。
そして。
ソフィアが、一歩前へ出る。
「……アシュレイ・ケイン」
呼ばれた瞬間。
空気が変わった。
アシュレイの目が細くなる。
「なんだ?」
ソフィアは真っ直ぐ彼を見つめる。
そこに感情はない。
ただ、“決定を下す者”の目だけがある。
「拠点へ戻る前に――決めなければならないことがある」
ネロが煙を吐いた。
カサンドラは無言。
ノアだけが静かにソフィアを見ている。
アシュレイが苦笑した。
「嫌な前振りだな」
「ええ。
実際、重い話よ」
ソフィアの声は静かだった。
「あなたを、このまま“連れて帰るかどうか”」
沈黙。
風が止まる。
アシュレイの右手が、自然にホルスター近くへ落ちた。
ネロの視線も動く。
カサンドラはすでに指を引き金へ置いていた。
だが。
ノアが短く言う。
「落ち着け」
一拍。
「……これは手順だ」
アシュレイが小さく息を吐く。
「なるほど。
部外者チェックってわけか」
「ゼロバレットの拠点は、国家レベルで秘匿されてる」
ネロが低く言った。
「簡単に他人を入れられる場所じゃねぇ」
「お前は作戦中、内部情報を見すぎた」
カサンドラが続ける。
「戦闘記録。
END。
神経模倣。
ザラキエル関連」
一拍。
「もし漏れれば、数千人単位で死ぬ」
ソフィアが静かに告げる。
「だから選びなさい」
灰色の空。
冷たい風。
崩壊した街。
その中心で、ソフィアの声だけが響く。
「――仲間になるか」
一拍。
「ここで終わるか」
アシュレイが笑った。
だが、その笑みは薄い。
「……脅しにしちゃ、上品だな」
「確認よ」
ソフィアは一歩も引かない。
「あなたに、この秤へ乗る資格があるか」
沈黙。
長い静寂。
やがて。
アシュレイはゆっくり銃を抜いた。
ネロの目が細くなる。
カサンドラの銃口がわずかに上がる。
だが。
アシュレイは、その銃を逆手へ持ち替え――
地面へ落とした。
カラン――。
乾いた金属音が響く。
「この銃で、散々人を殺してきた」
低い声。
「命令されて。
金を貰って。
敵を撃って」
一拍。
「……でも、もう飽きた」
彼は顔を上げる。
「もしお前らが、本気で“人間の秩序”を取り戻すつもりなら――」
灰色の空を背に、笑った。
「俺は、その引き金を引く」
静寂。
そして。
ソフィアが、小さく息を吐いた。
「なら、今からあなたはゼロバレット暫定所属」
ネロがニヤつく。
「仮採用かよ」
「試用期間は?」
アシュレイが返す。
「死ぬまで」
「ブラック企業だな」
「自由を与える代わりに、命を預けてもらうだけよ」
ソフィアが言う。
「指揮系統は私を通す。
勝手な行動は禁止。
裏切れば処分」
「処分って?」
「死ぬより重いわ」
アシュレイが苦笑した。
「怖ぇ女」
「今さら?」
カサンドラが小さく笑う。
やがて。
アシュレイはゆっくり頷いた。
「……いいだろ。
乗った」
その瞬間。
空気が少しだけ軽くなる。
ネロが煙を吐いた。
「また面倒なの増えたな」
「類友でしょ」
カサンドラが返す。
「違いねぇ」
ノアが静かに呟く。
「……これで、ようやく形になる」
その時。
上空でローター音が響いた。
カインのヘリだ。
『おーい。
感動シーン終わったかー?』
通信越しの軽い声。
アシュレイが笑う。
「台無しだな」
『うるせぇ。
寒いんだよこっちは』
ヘリが下降する。
風圧。
灰が舞う。
朝日が、ゆっくり港湾区を照らし始めていた。
ソフィアがアシュレイの横を通り過ぎる。
そして、小さく言った。
「歓迎するわ。
――今日からあなたも、“ゼロバレット”よ」
アシュレイが短く笑う。
「軽くねぇ歓迎だ」
ヘリのローターが回転を上げる。
灰が空へ舞い上がる。
ノア。
ソフィア。
アシュレイ。
ネロ。
カサンドラ。
灰の世界で、新しい“均衡”が静かに結ばれていた。
――次回更新:今日17:30公開予定
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『ゼロバレット』続編、第34話「選択と秤」――
をお楽しみに。




