第31話 「帰還 ― 崩落する街にて」
――港湾区・旧動力炉跡地下。
赤い警告灯が、断続的に明滅していた。
ガコン。
ガコン。
薄暗い通路を、不気味な赤が何度も塗り潰す。
地下炉は、限界を迎えていた。
壁面が軋む。
鉄骨がねじ曲がる。
天井の配管から火花が散り、蒸気が白く噴き出した。
まるで地下施設そのものが、“死にかけている”みたいだった。
ノアは崩れた床へ片膝をつき、肩で息をしていた。
肺が焼ける。
視界がわずかに霞む。
《Prototype-05/END》との戦闘は、想像以上に神経を削っていた。
それでも。
蒼白の瞳だけは、まだ冷えている。
「……アシュレイ」
低い声。
「立てるか」
少し離れた場所で、アシュレイが壁へ背中を預けながら笑った。
「問題ねぇよ」
だが息は荒い。
肩には煤。
頬には裂傷。
左腕からは血が流れている。
「……まだ足ついてる。
上等だろ」
「その腕でか?」
「利き手じゃねぇ」
「強がる余裕あるなら大丈夫だな」
「お前こそ」
アシュレイが苦笑する。
「顔、死人みてぇだぞ」
ノアは返事をしなかった。
その背後。
巨大な冷却炉心。
かつて《Prototype-05/END》が収められていた球体が、ゆっくりと崩壊していく。
赤い神経光。
蒸気。
電磁ノイズ。
内部で何かが脈打つたび、空間そのものが微かに揺れた。
ドクン。
ドクン。
まだ、完全には死んでいない。
そんな気配が残っている。
アシュレイが顔をしかめた。
「……気味悪ぃな。
倒したあとも、“見られてる”感じがする」
「ENDは、“観測”そのものだ」
ノアが立ち上がる。
「完全停止するまで、近づかない方がいい」
「つまり?」
「死体じゃない。
“残響”だ」
「うわ、最悪だな」
その瞬間。
地下全体が大きく揺れた。
ゴォォォォン――!!
天井が軋む。
鉄骨が落下する。
アシュレイが即座にノアを突き飛ばした。
直後。
轟音。
崩落した鉄骨が、さっきまでノアがいた場所へ突き刺さる。
「っ……!」
「ボサッとしてんな!」
「助かった」
「今ので貸し一な」
「高くつきそうだ」
「当然」
アシュレイが笑う。
だが、その笑みの奥にある疲労は隠し切れていなかった。
ノアは手首端末を起動した。
「……ネオン。
聞こえるか」
ザザッ――。
激しいノイズ。
数秒遅れて、通信が繋がる。
『――入った!!
二人とも無事!?』
「なんとかな」
『よかった……!』
珍しく、ネオンの声に感情が滲んでいた。
『地下炉が完全崩壊寸前よ!
出口B-12だけ辛うじて生きてる!
北側通路から向かって!』
「了解」
『急いで!!
あと三分で第十二層ごと沈む!』
「三分?」
アシュレイが乾いた笑いを漏らす。
「毎回ギリギリだな、おい」
「文句言う暇あるなら走れ」
「はいはい」
二人は同時に駆け出した。
崩壊する地下通路。
赤い警告灯。
吹き出す蒸気。
落下する鉄骨。
熱を帯びた空気が肺を焼く。
だが、ノアの足取りは止まらない。
アシュレイも続く。
背後で、何かが崩れる音が響いた。
アシュレイが一瞬だけ振り返る。
そこには、《END》の残骸があった。
赤い神経光。
砕けた肉片。
崩壊した機械骨格。
だが。
その断片が、まだ微かに脈打っている。
ドクン。
ドクン。
「……おい」
アシュレイの声が低くなる。
「まだ動いてるぞ」
ノアは振り返らない。
「放っておけ」
「いいのか?」
「もう“体”じゃない」
一拍。
「……あれは、“情報”だ」
アシュレイが顔をしかめる。
「相変わらず気味悪ぃ表現するな、お前」
「事実だ」
ノアの声には、わずかに迷いが混じっていた。
ENDは壊した。
だが。
本当に終わったのか。
あの“神経模倣体”は、何を見ていたのか。
何を学習したのか。
そして。
なぜ、自分を模倣したのか。
その答えは、まだどこにもない。
ゴォォォォォ――!!
再び大きな揺れ。
通路の天井が崩落した。
「伏せろ!!」
ノアがアシュレイを引き倒す。
轟音。
粉塵。
爆風。
熱風が通路を吹き抜けた。
数秒後。
視界が晴れる。
アシュレイが咳き込んだ。
「ゲホッ……っ。
マジで死ぬかと思った」
「まだ死ぬな」
「そのセリフ、お前にだけは言われたくねぇ」
「安心しろ」
ノアが立ち上がる。
「俺もまだ死ぬ気はない」
「……はっ」
アシュレイが笑う。
「そういうとこだよ。
化け物扱いされんの」
やがて。
通路の先に、巨大な金属扉が見えた。
B-12。
最後の出口。
ノアがパネルへ手を叩きつける。
認証ランプが赤く点滅した。
【緊急隔壁解除】
【地上接続通路、開放】
ギィィィィ――!!
老朽化したロックが悲鳴を上げながら開いていく。
次の瞬間。
冷たい風が吹き込んだ。
地上の空気。
灰と煙の匂い。
だが。
“生きている世界”の空気だった。
◆
――地上。
崩壊した港湾区。
灰色の空。
瓦礫。
焼けたコンテナ。
遠くで燃え続ける炎。
静かな世界だった。
だが地下とは違う。
ここには、“空”がある。
アシュレイがヘルメットを脱ぎ、大きく息を吐いた。
「っはぁ……。
やっと外か」
風が汗を冷やす。
「地獄みたいな匂いだな」
「実際、地獄だった」
「違いねぇ」
ノアは無言で空を見上げる。
曇天。
流れる灰。
その向こう。
黒い影が近づいてくる。
ローター音。
軍用ヘリ。
アシュレイが笑った。
「……来たか」
ノアも小さく口元を緩める。
「カインの奴。
タイミングだけはいい」
「それ以外ダメみたいに言うなよ」
通信機から声が響く。
『聞こえてんぞコラ』
アシュレイが吹き出した。
「ははっ、マジで聞いてたのか」
『お前ら地下で通信開きっぱなしなんだよ。
心配して損した』
「迎え来てくれた時点で優しいだろ」
『俺は優しいんだよ』
「自分で言うな」
ヘリが低空旋回する。
サーチライトが二人を照らした。
『――こちらカイン。
二人とも、生きてるな?』
「ぎりぎりな」
『地下信号途絶えた時、ネオンが顔真っ青だったぞ』
「……マジ?」
『マジ』
アシュレイがニヤつく。
「へぇ。
あの鉄仮面みたいな女が」
『お前あとで殺されるぞ』
「生きて帰ったら褒めてくれって言っとけ」
『いや報告書地獄が先だ』
「最悪だ」
ワイヤーが降下する。
ノアが先に掴む。
アシュレイも続いた。
上昇。
崩壊した街が遠ざかっていく。
地下炉跡から、赤い煙が噴き出していた。
まるで街そのものが、まだ血を流しているみたいに。
◆
――アルディナ拠点・作戦指令室。
ネオンがヘッドセットを外し、深く息を吐いた。
「……生還確認。
二名とも収容完了」
その瞬間。
室内の空気が少し緩む。
リリスが小さく笑った。
「よかった。
今回は本当に危なかったわね」
「毎回危ない」
ネオンが疲れた声で返す。
「でも今回は、種類が違った」
ルアンはモニターを見つめたまま呟く。
「05は完全停止していない」
ネオンの目が細くなる。
「……断片データか」
「転送されている。
しかも広域ネットワーク経由だ」
「どこへ?」
「不明」
一拍。
「だが、“神の意志”はまだ動いている」
モニターの赤い波形が、静かに脈打っていた。
ドクン。
ドクン。
◆
――ヘリ内部。
振動。
ローター音。
薄暗い機内で、カインが操縦席越しに振り返った。
「で?
今度は何と戦ってきたんだ」
アシュレイがシートへ深く沈み込む。
「神様の失敗作」
「ざっくりしすぎだろ」
「しかもノアのコピー機能付き」
「……は?」
カインが真顔になる。
「待て待て待て。
それ俺聞きたくないタイプの話だぞ」
「俺も戦いたくなかった」
アシュレイが笑う。
「でも安心しろ。
本物のノアの方が怖かった」
「やめろ」
「褒めてんだよ」
「褒め方終わってる」
カインが苦笑する。
「相変わらずだなお前ら」
その横で。
ノアは窓の外を見ていた。
灰色の雲。
崩壊した街。
遠ざかる地下炉跡。
そして。
胸の奥に残る、あの鼓動。
ドクン。
《蒼白の天秤》が、わずかに脈打つ。
ENDは消えた。
だが。
本当に終わったのか。
ノアは静かに呟く。
「……まだ終わってない」
アシュレイが横目で見る。
「終わらせりゃいい」
一拍。
「俺たちでな」
ヘリが雲を抜けた。
その瞬間。
朝日が差し込む。
灰色の世界を、淡い光が照らした。
長い夜を越えた者だけが見ることのできる――
静かな、“始まり”の光だった。
――次回更新:明日6:30公開予定
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『ゼロバレット』続編、第32話「取引の影 ― 灰の市場にて」――
をお楽しみに。




