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第2話 「銀の護衛と白の秤」

――バチッ。


焼けた弾丸が、瓦礫の上を転がった。


まだ熱を残した薬莢が、血溜まりの縁で小さく跳ねる。

夜風が吹き抜け、焦げた鉄と硝煙の匂いを運んでいく。


死体の山。


赤黒く染まった地面。


崩れた高架道路。


砕けた壁。


その中心で、ノアは立っていた。


そして、その前に――ソフィア・ヴァレンタインがいる。


銀色の髪を夜風になびかせ、黒いドレスコートの裾を揺らしながら、彼女は静かにノアを見ていた。


つい先ほどまで、ノアはただ“終わらせるだけ”の存在だった。


だが今。


ソフィアは言った。


――あなたの“空白”は、私が埋めてあげる。


その言葉が、まだ胸の奥に残っている。


理解はできない。


信じたわけでもない。


けれど。


その声だけは、銃声よりも深く残った。


ノアはソフィアの差し出した手を見つめていた。


白い手。


血に染まった戦場の中で、その手だけが異様に綺麗だった。


その時だった。


カツン。


乾いた足音が、夜の底に落ちた。


ノアの視線が動く。


カツン、カツン、カツン……。


廃墟の奥から、誰かが歩いてくる。


迷いのない足音。


死体を避けるでもなく、血を嫌がるでもなく。


ただ、そこを通るのが当然だと言わんばかりの歩み。


ソフィアは振り返らなかった。


まるで、最初から分かっていたように。


「遅かったわね」


そう言った。


瓦礫の影から、ひとりの青年が姿を現した。


銀髪。


白のリネンシャツ。


第三ボタンまで外された胸元に、夜風が滑り込んでいる。


袖は無造作にまくられ、片手はポケットに突っ込まれている。


気だるげ。


退屈そう。


戦場よりも、深夜の酒場の方が似合いそうな男だった。


だが。


ノアは一瞬で理解した。


――違う。


この男は、軽くない。


空気が変わった。


死体の山も。


血の匂いも。


焦げた鉄の臭いも。


その男が現れた瞬間、背景になった。


彼の瞳は静かだった。


眠る獣。


いや。


眠っているように見せているだけの獣。


視線がノアへ向いた瞬間、空気が薄く軋んだ。


「……戦場の匂いが変わったと思ったら」


低い声。


乾いていて、どこか冷たい。


「ソフィア。また妙な拾い物をしたな」


「拾い物じゃないわ」


ソフィアは微笑んだ。


「出会いよ」


男は鼻で笑った。


「都合のいい言葉だ」


ソフィアは楽しげに肩をすくめる。


「紹介するわ。ノア」


彼女は男を指し示した。


「エンデン・ネロ。私の護衛で、ゼロバレットの第二席」


第二席。


その言葉の意味は分からない。


けれど、ノアには分かった。


この男は、ただの護衛ではない。


ネロの視線が、ノアを測る。


身長。


体重。


傷。


呼吸。


重心。


指先。


血のつき方。


ノアが何人殺したかではない。


どう殺したかを見ている。


「……十二歳くらいか」


ネロが呟く。


「それでこの数をやったなら、確かに拾う価値はある」


ノアは無言だった。


視線は逸らさない。


ネロの目が、ほんの少しだけ細くなる。


「いい目だ」


一歩。


ネロが近づく。


死体の腕を踏み、足元の薬莢を蹴る。


カラン、と音が鳴った。


「怖がらねぇのか」


ノアは答えた。


「怖がる理由がない」


ネロの口元がわずかに歪む。


「理由があれば怖がるのか?」


ノアは少しだけ考えた。


「……分からない」


その答えに、ネロは一瞬だけ黙った。


それから、短く笑う。


「ソフィア」


「なに?」


「こいつ、壊れてるぞ」


ソフィアはノアの横に立ち、優しく言った。


「だから拾うのよ」


その声は静かだった。


だが、軽くはなかった。


ネロはそれ以上言わない。


ただ、ノアを見ていた。


まるで。


この少年が、どこまで壊れているのかを確かめているように。


その時。


コツ、コツ、コツ……。


もうひとつの足音が近づいてきた。


ヒールではない。


硬く、正確な足音。


月明かりの中から、白い影が現れる。


白のスーツ。


整えられた長い髪。


胸元で揺れる、天秤のペンダント。


冷ややかな美貌。


感情を映さない瞳。


その女が現れた瞬間、場の温度が少し下がった気がした。


ソフィアが微笑む。


「カサンドラ」


女――カサンドラは、死体の山を見渡し、次にノアを見た。


「また拾ってきたの?」


「ええ」


「今度は猫じゃなくて、人間なのね」


「猫も人間も、拾う時は拾うわ」


ネロが横から呟く。


「おかげで俺の仕事が増える」


ソフィアは楽しげに笑った。


「頼りにしてるわ」


ネロはため息を吐く。


カサンドラはノアの前に立った。


その視線は、刃ではない。


秤だった。


冷たく。


正確で。


余計な感情がない。


「私はカサンドラ」


静かに告げる。


「“白き天秤”」


ノアは見上げる。


カサンドラは続けた。


「裏切りと不正を秤にかける女よ」


一歩、近づく。


「あなたがゼロバレットに来るなら、一つ覚えておきなさい」


ノアは何も言わない。


「ソフィアは命を拾う」


カサンドラの声は冷たい。


「でも私は、危険を切る」


空気が張り詰める。


「あなたが仲間なら守る。荷物なら運ぶ。敵なら殺す」


一拍。


「裏切り者なら――処分する」


ノアはその目を見返した。


恐怖はない。


怒りもない。


ただ、言葉の意味を理解している。


「……なら」


小さく口を開く。


「裏切らなければいい」


沈黙。


ネロがわずかに眉を上げる。


カサンドラの目が細くなる。


「簡単に言うのね」


「簡単なことだと思う」


「人間は、簡単なことほど守れないのよ」


ノアは少しだけ考えた。


そして言う。


「俺は、まだ人間か分からない」


その言葉に、カサンドラの表情がほんのわずかに変わった。


冷たさの奥で、何かが揺れる。


ソフィアは何も言わず、ノアを見ていた。


ネロも黙っている。


夜風だけが、血の匂いを運んでいく。


やがてカサンドラは、小さく息を吐いた。


「……言うじゃない」


そして、ほんの少しだけ口角を上げた。


「嫌いじゃないわ」


ソフィアが軽く手を叩く。


パンッ。


「さて。挨拶は済んだわね」


ネロが周囲を見る。


「長居は危険だ」


「ええ。迎えを呼んであるわ」


ソフィアが言った直後。


遠くから重低音が響いた。


ドドドドドド……!


夜空を裂くローター音。


瓦礫の影が揺れ、砂埃が舞い上がる。


黒塗りの軍用ヘリが、廃墟の上空へ姿を現した。


機体側面には、空の天秤を模した銀の紋章。


ゼロバレット。


その印が、月光を受けて鈍く光る。


ノアは無言で見上げた。


ヘリ。


移動。


この戦場から離れる。


それだけは理解できた。


ソフィアはノアの横に立つ。


「行きましょう」


ノアは一度、死体の山を振り返った。


何も感じない。


それでも。


さっきまで自分がいた場所が、少し遠くなった気がした。


ネロがヘリへ向かいながら言う。


「ガキ」


ノアが見る。


「乗るなら、自分の足で乗れ」


ノアは頷いた。


そして、一歩踏み出した。


死体の山から。


血の海から。


意味のない夜から。


――


夜明け。


ヘリは、砂煙を巻き上げながら中継市場へ着陸した。


そこは、戦場とは別世界だった。


人の声。


荷車の軋む音。


油の弾ける音。


焼きたてのパンの匂い。


香辛料。


汗。


布。


古びた木箱。


赤い果物。


安物の酒。


壊れかけのスピーカーから流れる陽気な音楽。


ノアはヘリから降りて、立ち止まった。


耳が、情報を拾いすぎている。


多すぎる。


戦場の音とは違う。


銃声でもない。


悲鳴でもない。


爆発でもない。


なのに、騒がしい。


「……にぎやか」


思わず呟いた。


ソフィアが隣で微笑む。


「そうね」


「ここは?」


「中継市場。拠点に向かう前の最後の補給地点よ」


市場の人々は、ゼロバレットの一行を見て距離を取る。


恐れている。


だが、完全には逃げない。


慣れているのだ。


武器商人。


傭兵。


逃亡者。


情報屋。


負傷兵。


ここは、そういう人間たちが通る場所だった。


ネロが周囲を一瞥する。


「……長居はできねぇな」


カサンドラも頷く。


「視線が多い」


ソフィアはそれでも穏やかに笑っている。


「買うものだけ買いましょう。水、燃料、医療品。それから――」


足元から、小さな声がした。


ミャァ……。


ノアの視線が下がる。


木箱の中。


布の隙間で、二匹の子猫が震えていた。


痩せている。


汚れている。


片方は白。


もう片方は黒。


ソフィアは迷わずしゃがみ込んだ。


「まぁ……」


そっと手を伸ばす。


子猫は怯えて後ずさる。


だが、ソフィアの手は止まらない。


優しく、逃げ道を塞がず、待つように近づける。


やがて白い子猫が、その指先に鼻を寄せた。


ソフィアの表情が柔らかくなる。


「大丈夫よ」


ネロが後ろで頭を抱えた。


「……またか」


カサンドラが冷静に言う。


「これで何匹目?」


「三匹目ね」


「世話は誰がするの?」


ソフィアは当然のように答える。


「みんなで」


ネロが深いため息を吐いた。


「俺はやらねぇぞ」


「そう言って、前の子にも餌あげてたじゃない」


「うるせぇ」


ノアは、その光景を見ていた。


血と煙の世界しか知らなかった。


拾うという行為は、武器を拾うことだった。


弾を拾う。


銃を拾う。


使えるものを拾う。


生き残るために。


だが、ソフィアは違う。


弱いものを拾っている。


戦えないもの。


役に立たないもの。


守らなければ死ぬもの。


それが、ノアには分からなかった。


だが。


嫌ではなかった。


胸の奥が、少しだけ変な感じがする。


痛くはない。


苦しくもない。


ただ、知らない感覚だった。


「……どうして拾う?」


ノアが聞いた。


ソフィアは子猫を抱き上げたまま、微笑む。


「そこにいたから」


「それだけ?」


「ええ」


白い子猫が、小さく鳴く。


ソフィアはその頭を撫でる。


「理由なんて、あとからつければいいのよ」


ノアは黙った。


その言葉が、妙に引っかかった。


理由はあとから。


意味も、あとから。


なら。


自分の意味も、あとから見つかるのだろうか。


その時。


風が変わった。


市場の匂いに混じって、鉄の匂い。


銃油。


火薬。


そして、殺意。


ノアの視線が、ゆっくりと上がる。


屋根。


布の影。


壊れた看板。


風向き。


角度。


三人。


いや、五人。


さらに奥に二人。


「……いる」


ネロの目が細くなる。


「早ぇな」


カサンドラは子猫を抱えるソフィアの前へ出た。


「来たわね」


ソフィアは穏やかなまま、子猫を抱きしめる。


「やっぱり――終わっていなかった」


ノアは市場のざわめきの中で、ひとつの音だけを拾った。


ガチャリ。


引き金が、引かれる前の音。


その瞬間。


ノアの瞳から、わずかな温度が消えた。


さっきまで見ていた子猫も。


パンの匂いも。


ソフィアの言葉も。


全部が遠のく。


身体が戦場へ戻る。


先に動く。


先に読む。


先に終わらせる。


ノアは、静かに一歩前へ出た。


「伏せて」


その声は小さかった。


だが、ソフィアには届いた。


次の瞬間。


市場の屋根から、銃口が光った。



――次回更新:明日17:30公開予定


ここまで読んでいただきありがとうございます。

少しでも面白いと感じていただけたら、ブックマーク・評価・感想で応援していただけると嬉しいです。


『ゼロバレット』続編、第3話「白き影と金の刃」――


をお楽しみに。


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