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第3話 「白き影と金の刃」

――ガチャリ。


引き金に、指が掛かった。


その音を。


ノアだけが聞いていた。


市場の喧騒。

子供の泣き声。

商人の怒鳴り声。

油の弾ける音。

遠くのエンジン音。


その全部の奥。


ほんの僅かに混じった、“殺意の金属音”。


ノアの瞳から、温度が消える。


さっきまで見ていた子猫。

パンの匂い。

ソフィアの言葉。


全部が遠ざかった。


身体だけが、戦場へ戻る。


先に読む。


先に動く。


先に終わらせる。


「――伏せて」


小さな声。


だが、その瞬間。


ノアの身体はもう動いていた。


――ドンッ!!


乾いた銃声が、市場の空気を切り裂いた。


一瞬。


世界が止まる。


次の瞬間――


悲鳴。


「きゃああああッ!!」

「撃たれてるぞ!!」

「伏せろ!!」

「逃げろォ!!」


人が崩れる。


屋台が倒れる。


果物が転がる。


ガラス瓶が砕け、赤い酒が石畳を流れた。


さっきまで笑い声に包まれていた市場が、一瞬で地獄へ変わる。


だが。


ノアだけは冷静だった。


弾道。


角度。


風向き。


距離。


射線。


全部が見える。


いや――感じ取れる。


(屋根上……三)


違う。


(四)


さらに奥。


(支援役が二人)


ネロが一歩前へ出る。


その瞬間、空気が変わった。


「……追ってきやがったな」


低い声。


気怠そうなのに、重い。


彼が立っただけで、場の空気が沈む。


カサンドラはすでに上を見ていた。


「東側屋根に三。給水塔裏に一。

 ……奥に監視役」


ソフィアは子猫を抱き寄せたまま、静かに目を細める。


「標的は、私たちね」


彼女だけは、少しも慌てていなかった。


まるで。


こうなることを最初から知っていたみたいに。


「――来る」


ノアが言った瞬間。


ドドドドドドッ!!


連続銃撃。


木箱が吹き飛ぶ。


屋台の柱が裂ける。


パンが宙を舞い、人々が悲鳴を上げて散っていく。


だが。


その頃にはもう、ノアはいなかった。


跳ぶ。


荷台。


踏み切る。


屋台の天幕。


滑る。


看板。


蹴る。


壁。


走る。


一直線ではない。


最短でもない。


“撃たれない軌道”だけを選んでいる。


狙撃手の照準が追いつかない。


「なっ――速ッ……!」


屋根の上。


狙撃兵の視界に、ノアが映る。


小柄な少年。


だが。


速すぎる。


照準を合わせる前に、消える。


「どこ――」


遅い。


ドン。


一発。


狙撃兵の額が跳ねる。


身体が崩れ、屋根から落ちた。


「一人やられた!!」


残り三。


だが、その時点で終わっていた。


ノアはもう、次へ動いている。


屋根から屋根へ。


視界から視界へ。


影から影へ。


音がない。


気配もない。


まるで“空白”そのものが動いているようだった。


二人目の狙撃兵が振り返る。


「後ろ――」


ドン。


喉。


血飛沫。


崩落。


「クソッ!! どこだ!!」


三人目がフルオートをばら撒く。


ドドドドドドドッ!!


瓦が砕ける。


木片が飛ぶ。


煙が上がる。


だが。


当たらない。


ノアはもう、その射線にいない。


真横。


距離、ゼロ。


「――っ!?」


カチ。


拳銃の銃口が、男のこめかみに触れる。


ドン。


沈黙。


最後の一人だけが、息を呑んだ。


「化け物……!」


逃げようとする。


だが。


遅い。


ノアはすでに背後にいた。


「――終わり」


ドン。


静寂。


市場の屋根の上に、風だけが残った。


ノアは立っていた。


息ひとつ乱れていない。


血を浴びても。


死体の隣にいても。


ただ静かだった。


下から、ネロが口笛を吹く。


「……やるじゃねぇか」


「……今の、俺でも追い切れねぇな」


カサンドラは腕を組み、淡々と分析する。


「視線誘導。

 重心移動。

 遮蔽物利用。

 想像以上ね」


ソフィアはノアを見上げていた。


その瞳だけが、少し楽しそうだった。


「やっぱり――」


夜風が、銀髪を揺らす。


「あなたは“弾丸”ね」


ノアは答えない。


ただ。


遠くを見る。


まだいる。


見ている者が。


給水塔のさらに奥。


気配。


殺意。


だが――動かない。


逃げた。


「追うか?」


ネロが聞く。


ノアは首を振った。


「……必要ない」


「理由は?」


「今追えば、市場が巻き込まれる」


ネロが少しだけ目を細める。


「へぇ」


カサンドラが静かに言った。


「戦場以外も見えてるのね」


ノアは返事をしない。


市場では、まだ混乱が続いていた。


泣き声。


怒号。


逃げる足音。


だが。


少しずつ、人々は戻り始めている。


ここは戦場に近い。


銃声に慣れている。


死にも慣れている。


それでも、生きるために店を開ける。


◆◆◆


数分後。


ソフィアが手を叩いた。


「――急ぐわよ」


空気が切り替わる。


「補給を終わらせる。拠点までは二日。

 ここで止まれば、次はもっと大きいのが来るわ」


ノアは黙ってついていく。


市場の奥。


補給区画。


乾燥肉。


缶詰。


水袋。


保存食。


薬品。


弾薬。


ネロがマガジンを確認している。


カチ、カチッ。


「粗悪品が混じってる」


店主が青ざめる。


「ま、待ってくれ! そりゃ他所から――」


「嘘つくな」


ネロの声が落ちた瞬間。


店主の顔色が変わる。


「……す、すまねぇ」


ネロは鼻で笑い、使える弾だけ抜き取った。


「命に関わる商売で誤魔化すな」


ノアは、その横顔を見る。


乱暴そうに見える。


だが。


仕事は異様に正確だった。


カサンドラは帳簿を確認している。


「積載重量、ギリギリね」


「減らすか?」


ネロ。


「いいえ。医療品は削れない」


「食料は?」


「ノアが食べる量少ないから問題ないわ」


「……俺?」


カサンドラがノアを見る。


「痩せすぎ」


ノアは少しだけ黙った。


「必要ない」


「必要よ」


ソフィアが割って入る。


「生きるためには食べるの」


その言い方が妙に優しかった。


ノアは視線を逸らす。


薬屋。


古びた瓶が並ぶ。


ソフィアが慣れた手つきで薬品を選んでいく。


「止血剤。

 抗生剤。

 解熱剤。

 あとは――」


小さく笑う。


「猫用のミルクも」


「……猫用」


ノアが呟く。


ネロが吹き出した。


「お前より優先順位高いぞ、それ」


「それは困る」


ノアが小さく返した瞬間。


ネロが笑う。


カサンドラも、わずかに口元を緩めた。


ソフィアだけが嬉しそうだった。


その空気が。


ノアには不思議だった。


戦場じゃない。


殺し合いでもない。


なのに、妙に落ち着かない。


胸の奥が、少しだけ騒ぐ。


知らない感覚だった。


◆◆◆


夕暮れ。


市場が赤く染まる。


荷物を積み終えた車両が並んでいた。


大型輸送車。


装甲ジープ。


補給コンテナ。


車体には、“空の天秤”の紋章。


ゼロバレット。


ノアはそのマークを見つめる。


ソフィアが隣に立った。


「好き?」


「……まだ分からない」


ソフィアは笑う。


「そのうち分かるわ」


ネロが運転席へ乗り込む。


「出るぞ」


カサンドラが最後の確認を終える。


「燃料問題なし。

 ルート確保済み」


ソフィアは子猫を抱えたまま、車へ乗り込む。


「行きましょう」


ノアは最後に市場を振り返った。


喧騒。


人。


灯り。


パンの匂い。


そして、少し前までの銃撃。


全部が混ざっている。


それでも。


不思議と嫌じゃなかった。


「……」


ノアは静かに目を閉じる。


そして開く。


前を見る。


進む。


その瞬間。


遠くの屋根の上。


誰かが、こちらを見ていた。


黒い外套。


片目だけ光るスコープ。


「……見つけた」


低い声。


その男は、静かに笑った。


「空白(Blank)」


夕暮れの風が吹く。


車列が動き出す。


そして――


ゼロバレットの旅が、本格的に始まった。



――次回更新:明日17:30公開予定


ここまで読んでいただきありがとうございます。

少しでも面白いと感じていただけたら、ブックマーク・評価・感想で応援していただけると嬉しいです。


『ゼロバレット』続編、第4話「二日間の道程」――


をお楽しみに。


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