第1話 「空白(Blank)」
――ザァァァァ……。
風が、死を撫でていた。
瓦礫の隙間を縫うように吹き抜ける夜風が、乾きかけた血溜まりを揺らす。
焼け焦げた鉄骨が軋む。
崩れた高架道路の残骸が、重たく唸る。
遠くでは、どこかの街がまだ燃えていた。
赤い炎が夜空を滲ませ、黒煙が雲と混ざり合っている。
戦争。
この世界では、それが日常だった。
誰かが国境を奪い、誰かが奪われる。
誰かが金のために撃ち、誰かが信念のために死ぬ。
そして、その全部の裏側には必ず――武器商人がいる。
だが。
今、この場所にあるのは、そんな“戦争”ですらなかった。
そこに転がっていたのは、死体だった。
夥しい数の。
いや。
“転がっている”という言葉では足りない。
積み重なっている。
折り重なり、崩れ、血と泥と肉片が地面へ沈み込み、戦場の地形そのものを変えてしまっていた。
数は――分からない。
五十。
いや、もっと。
視界に入るだけでも数十。
瓦礫の陰まで含めれば、それ以上は確実にいる。
装備は統一されていた。
黒灰色の戦闘服。
右肩の部隊章。
軽装兵、重装兵、狙撃兵、索敵担当。
前衛と後衛の配置も完璧だった。
明らかに“対人制圧用”の編成。
しかも配置は円形。
逃走経路を完全に潰す包囲陣形。
普通なら、終わりだ。
どれだけ優秀な兵士でも、この数、この配置、この連携。
突破など不可能。
だが。
その全員が、死んでいた。
喉。
心臓。
脳。
急所のみ。
無駄のない一撃。
無駄のない動線。
無駄のない時間。
そして何より――
反撃の痕跡が、ほとんど存在しなかった。
壁には弾痕がある。
地面には薬莢が散っている。
だが、それだけだ。
撃ち合った形跡が薄すぎる。
まるで。
戦闘が始まる前に終わっていたかのようだった。
薬莢の数も異常だった。
少ない。
この人数に対して、あまりにも少なすぎる。
つまり。
撃っていない時間の方が長い。
それでも、全員が死んでいる。
理解できない。
理解したくない。
だが、結果だけは変わらない。
そこには、“圧倒的な何か”だけが残されていた。
そして――
その中心に。
ひとりの少年が座っていた。
死体の山の上。
偶然ではない。
演出でもない。
ただ、そこにいる。
年齢は十二歳ほど。
小柄な体躯。
細い腕。
戦場には似つかわしくないほど整った顔立ち。
だが。
その少年だけが、生きている。
風が吹く。
少年の黒髪が、静かに揺れた。
瞳は、異様なほど静かだった。
恐怖がない。
興奮もない。
達成感すらない。
ただ。
“終わった”
という事実だけを受け入れている。
彼の名は、ノア。
裏社会では、こう呼ばれていた。
――《空白(Blank)》。
彼が現れた戦場には、何も残らない。
命も。
抵抗も。
戦意も。
意味すら。
カチ……。
まだ熱の残る拳銃が、小さな音を立てた。
ノアは無言で、それをホルスターへ戻す。
足元の死体が沈む。
肉が潰れる感触。
骨が軋む感触。
だが、彼は眉ひとつ動かさない。
血の匂いにも慣れていた。
硝煙にも慣れていた。
死にも慣れていた。
それが当たり前だったから。
物心ついた頃には、もう戦場にいた。
名前も知らない国。
知らない兵士。
知らない言葉。
昨日まで隣にいた人間が、今日には死体になっている。
そんな場所で育った。
泣き方も。
笑い方も。
教わらなかった。
あるのは、生き残る方法だけ。
撃つ。
隠れる。
殺す。
先に動く。
先に読む。
先に終わらせる。
それだけだった。
だから。
ノアには分からなかった。
なぜ自分だけが、生きているのか。
死体の山を見下ろす。
誰も動かない。
全員、終わっている。
それを見ても、何も感じない。
感情が欠けているわけじゃない。
最初から、存在しないだけだった。
――静寂。
風が止まる。
その瞬間。
コツン。
乾いた音が響いた。
ヒール。
コツン、コツン、コツン……。
静かな足音が、死体の山を縫うように近づいてくる。
ノアは視線だけを動かした。
月光の下。
ひとりの女が立っていた。
銀色の長髪。
漆黒のドレスコート。
白磁の肌。
血のように紅い唇。
戦場には似合わない。
だが。
不思議と、この場所に最も馴染んでいる。
彼女は周囲を見渡した。
死体。
血。
破壊。
完全壊滅した部隊。
その全てを見ても、眉ひとつ動かさない。
むしろ。
ほんの少しだけ、楽しそうだった。
「……随分と派手にやったじゃない」
甘い声。
だが、その奥には刃のような冷たさがある。
「子供とは思えないわね」
ノアは何も答えない。
女は、ゆっくりと死体を踏み越えながら近づいてきた。
革靴が血を踏む。
だが、気にしない。
まるで赤い絨毯でも歩くように。
「これ、全部あなたがやったの?」
「ちなみにこの部隊、昨日まで一個小隊を三つ潰してた精鋭よね」
問いは軽い。
だが、その意味は重い。
普通の人間なら否定する。
怯える。
逃げる。
だがノアは沈黙した。
そして、その沈黙だけで十分だった。
女は目を細める。
そして――笑った。
「いいわ」
カチリ。
銀色のライターが鳴る。
小さな炎が、血の海を照らした。
「気に入った」
炎の奥で、彼女の瞳が妖しく揺れる。
「私はソフィア・ヴァレンタイン」
パチン、とライターを閉じる。
「武器商人よ」
武器商人。
その言葉に、ノアの瞳がわずかに動いた。
ソフィアはそんな反応すら楽しむように微笑む。
「今日からあなたの雇い主になる女だと思ってちょうだい」
ノアは初めて、少しだけ眉を寄せた。
「……どうして俺を?」
声は低い。
擦れている。
長い間、必要最低限しか喋ってこなかった声。
ソフィアはゆっくりと歩み寄る。
距離を詰める。
死体の山のすぐ前まで。
そして。
ノアを見下ろした。
「理由?」
微笑む。
「簡単よ」
一歩。
「あなたは、この世界で最も危険で――」
さらに一歩。
「そして、最も美しい“弾丸”だから」
遠くで爆撃音が響いた。
ドオォォン……。
空が赤く染まる。
だが。
ノアの意識は、その言葉に止まっていた。
弾丸。
初めてだった。
自分をそんな風に呼んだ人間は。
兵器。
化け物。
災害。
死神。
そういう呼び名なら聞いたことがある。
だが、“美しい”と言われたのは初めてだった。
理解はできない。
だが。
妙に、その言葉だけが残った。
ソフィアは静かに手を差し出す。
白い指先。
血に染まった戦場の中で、その手だけが妙に綺麗だった。
「――来なさい、ノア」
静かな声。
「あなたの“空白”は、私が埋めてあげる」
ノアは動かない。
ただ、その手を見ていた。
温度のない人生だった。
意味のない戦場だった。
生きる理由も。
死ぬ理由も。
何もなかった。
ただ、終わらせ続けるだけ。
空っぽのまま。
だが。
その時、初めて。
ほんの少しだけ。
“知りたい”と思った。
この女は何者なのか。
なぜ自分を見て笑っているのか。
なぜ、自分に手を差し伸べるのか。
ノアはゆっくりと立ち上がる。
死体の山から降りる。
そして。
差し出された手を取った。
その瞬間。
風が吹いた。
血の匂いが流れていく。
東の空が、わずかに白み始める。
長い夜が終わる。
そして。
ただ“終わらせるためだけ”に生きていた少年は、
初めて、“意味”へ触れた。
――ゼロから放たれた弾丸。
それは今、静かに動き始めた。
――次回更新:明日17:30公開予定
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『ゼロバレット』続編、02話「銀の護衛と白の秤」――
をお楽しみに。
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