第15話 「紅き影の鍛錬 ― 崩れた均衡」
――ガンッ!
鋼の床を蹴る音が、訓練場に響いた。
赤いライトが壁を染め、薄暗い空間に二つの影を伸ばしている。
床には白いライン。
壁際には武器ラック。
空気には、金属と汗の匂いが混じっていた。
「もう一度!」
カリナが模擬刃を握り直す。
額に汗が滲んでいた。
けれど、その目は笑っている。
「今度は、少し本気でいくわよ」
ノアは正面に立ったまま、静かに頷いた。
「……構わない」
次の瞬間。
カリナの足が床を叩いた。
――ガンッ!
踏み込みは速い。
体勢は低く、刃は右下から斜めに跳ね上がる。
風が裂けた。
ノアは動かない。
いや、動いた。
ほんの数センチ。
首を傾け、肩を落とし、刃の軌道から身体を外す。
刃先が頬のすぐ横を通り抜けた。
赤い光の中で、銀の線だけが残る。
「……っ!」
カリナは即座に刃を返す。
一撃目を避けられるのは想定内。
だから二撃目が本命。
踏み込んだ足を軸に、腰を回す。
刃が横薙ぎに走る。
ノアは半歩だけ下がった。
靴底が床を擦る。
それだけで、刃は届かない。
「はっ……!」
カリナの口元が上がる。
届かないなら、届かせる。
さらに一歩。
さらに一撃。
斬り上げ。
横薙ぎ。
突き。
回転からの逆袈裟。
刃が赤い光を拾い、訓練場にいくつもの線を描いた。
だが、ノアには当たらない。
大きく避けているわけではない。
派手に跳んでいるわけでもない。
ただ、そこにいない。
刃が通る場所から、ほんの少しだけ外れている。
「……なんで、当たらないのよ」
カリナの声に、初めて苛立ちが混じった。
ノアは答えない。
視線はカリナの刃ではなく、肩、膝、足裏、呼吸の間を見ていた。
カリナが息を吸う。
その直前に、ノアの足が動く。
カリナが踏み込む。
その前に、ノアの身体はもうずれている。
「っ!」
カリナは奥歯を噛む。
――読まれてる。
そう思った瞬間、攻撃が鈍る。
その一瞬を、ノアは逃さなかった。
カリナの視界から、少年の姿が消えた。
「……え?」
遅れて、背中に気配。
首筋に、冷たい金属が触れる。
模擬刃の刃先。
「……終わりだ」
声は低い。
勝ち誇る響きはない。
ただ、結果だけを告げる声だった。
カリナはゆっくりと息を吐いた。
「……いつ、入ったの?」
ノアは刃を下ろす。
「二撃目のあと」
「二撃目?」
「足が前に出すぎた。戻るより先に、背後へ回れる」
カリナは一瞬黙った。
そして、小さく笑う。
「……見えてたのね。私の攻撃じゃなくて、私の失敗が」
ノアは首を横に振った。
「失敗じゃない。癖だ」
「癖?」
「踏み込む前に、右肩が少し沈む。次に来る方向が分かる」
カリナの笑みが薄くなる。
「……そこまで見てるの」
「戦場では、動いてから見たら遅い」
ノアは淡々と言った。
「動く前に、空気が変わる」
その言葉に、訓練場が少し静かになった。
カリナは模擬刃を肩に乗せ、ノアを見つめる。
少年の顔に熱はない。
戦いに酔っている様子もない。
相手を倒した興奮もない。
ただ、生き残るための動きだけがある。
「……なるほどね」
カリナは息を整えた。
「私が戦ってる間に、あなたはもう終わらせてるってわけ」
「終わらせるのが仕事だから」
その答えに、カリナは一瞬だけ目を細めた。
そして、笑った。
「そういうの、嫌いじゃないわ」
彼女は刃を下げる。
今度は構えが変わった。
低く、静かに。
踏み込みの気配を消す。
呼吸も浅い。
肩も揺らさない。
さっきまでの勢い任せではない。
本気で、ノアを捉えにきていた。
「もう一回」
「構わない」
二人の間に、沈黙が落ちる。
赤いライトが点滅する。
遠くでモニターの電子音が鳴る。
カリナの足が、わずかに床を滑った。
一歩。
ノアは動かない。
二歩。
まだ動かない。
三歩目。
カリナの姿勢が沈む。
――来る。
次の瞬間、刃が走った。
速い。
さっきよりも、明らかに速い。
だがノアの反応は、それよりも早かった。
刃が届く寸前、ノアの左手がカリナの手首に触れる。
握ったのではない。
添えただけ。
それなのに、カリナの刃の軌道がわずかにズレた。
「っ!」
カリナの身体が流れる。
その流れに逆らわず、ノアは一歩踏み込む。
肩を入れる。
腰を回す。
カリナの重心が浮く。
視界が反転した。
――ドンッ!
背中が床に叩きつけられる。
一瞬、息が止まる。
天井の赤いライトが滲んで見えた。
ノアはカリナの手首を離し、半歩下がる。
追撃はしない。
ただ、立っている。
「……また負けた」
カリナは床に寝たまま、乾いた笑いを漏らした。
「しかも、今のは……力じゃないわね」
「力で投げたら、壊れる」
「優しいじゃない」
「訓練だから」
「本番なら?」
ノアは少しだけ間を置いた。
「……立たせない」
カリナは声を出して笑った。
「やっぱり化け物ね、あなた」
彼女は上体を起こし、乱れた髪をかき上げる。
頬には汗。
口元には笑み。
負けた悔しさよりも、もっと別の感情があった。
高揚。
久しぶりに、“本物”と向き合った戦士の顔だった。
「世界ランキング十二位……伊達じゃないわね」
ノアは首を横に振る。
「ランキングは関係ない」
「じゃあ何?」
「生き残った数だ」
カリナの笑みが、少しだけ静かになる。
「……重いこと言うわね」
ノアは答えない。
カリナは立ち上がり、模擬刃を拾った。
「いいわ。今日は私の負け」
そして、ノアへ刃先を向ける。
「でも次は勝つ」
「……そうか」
「その時は、一緒に飲みに行きましょ」
ノアはわずかに目を細めた。
「その誘い、戦場より危険そうだ」
「ふふ。よく分かってるじゃない」
カリナが笑う。
その笑みには、悔しさと、敬意と、少しの親しみが混じっていた。
――
訓練場のライトが、ゆっくりと通常色に戻る。
壁際のモニターには、戦闘データが流れていた。
心拍。
反応速度。
筋出力。
移動距離。
接触時間。
ルアンは端末越しに、その数値を眺めていた。
「……おかしいな」
隣にいたネオンの声がスピーカーから響く。
『何が?』
ルアンは画面を拡大する。
ノアの出力表示。
最大値、100%。
だが、ルアンは眉をひそめた。
「これ、上限じゃない」
『え?』
「システムが測れる範囲の、100%だ」
ルアンは小さく笑った。
「本人はまだ、抑えてる」
画面の中で、ノアは静かに模擬刃を戻していた。
汗ひとつ乱れていない。
呼吸も、ほとんど変わっていない。
ルアンは端末を閉じる。
「……やっぱり、“空白”か」
その言葉の意味を、まだ誰も知らない。
――次回更新:今日17:30公開予定
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『ゼロバレット』続編、第16話「灰色の国境線」――
をお楽しみに。




