第16話 「灰色の国境線」
――ブロロロ……ッ。
古い装甲車が、砂塵を巻き上げて進んでいた。
赤茶けた空。
崩れた高層ビル。
焼け焦げた戦車の残骸。
かつて街だった場所は、今ではただの瓦礫の群れになっている。
「……ここが、エドラン共和国の首都跡か」
ネロが窓の外を見ながら呟いた。
弾痕だらけの壁。
砕けた道路。
鉄錆色の旗。
風に混じる火薬の匂いは、まだ消えていない。
「共和国……ね」
ソフィアは膝の上でタブレットを開いた。
画面には、赤、青、灰色で塗り分けられた地図が映っている。
「実際は、政府軍、反乱軍、傭兵部隊の三つ巴。国というより、もう戦場そのものよ」
ノアは後部座席で銃の整備をしていた。
マガジンを抜く。
薬室を確認する。
ボルトを引く。
金属音が、小さく車内に響く。
「……敵と味方が、分かりにくい国」
「それがこの世界の普通よ」
ソフィアはタブレットを閉じ、ノアを見る。
「覚えておきなさい、ノア。私たちゼロバレットの仕事は、大きく二つある」
ノアの手が止まる。
ソフィアは白い指を一本立てた。
「一つは、武器を売ること。国、組織、傭兵、企業軍。相手は問わない。代金を払えるなら、取引相手になる」
続けて、もう一本指を立てる。
「もう一つは、戦場に一時的に雇われること。戦況を変えるためにね」
「……戦況を変える?」
「ええ。負けかけた軍を立て直すこともある。敵の補給線を潰すこともある。要人を逃がすこともあれば、逆に消すこともある」
ネロが煙草をくわえ、鼻で笑う。
「要するに、金を払えば戦争の流れを買えるってことだ」
ソフィアは否定しなかった。
「そして今回は――」
タブレットの画面に、一つの契約書が映る。
「武器の納入よ」
ノアは静かに視線を落とした。
「……武器を渡すだけで、戦況が変わる」
「そう」
ソフィアは微笑む。
「引き金を引く前に、勝敗は決まっていることが多いの」
装甲車が大きく揺れた。
前方に、政府軍のキャンプが見えてくる。
鉄板で組まれた簡易ゲート。
土嚢。
監視塔。
泥と砂にまみれた兵士たち。
その目は、どれも疲れ切っていた。
――
車列がキャンプの中へ入る。
エンジンが止まると、急に静かになった。
ただし、それは平和な静けさではない。
次の砲撃を待つような、乾いた沈黙だった。
ソフィアが先に降りる。
白いスーツの裾が、砂埃の中で揺れた。
ノア、ネロが続く。
迎えたのは、迷彩服の将校だった。
片腕に包帯。
目の下には濃い隈。
だが、手首には不自然なほど高級な時計が光っている。
「……ソフィア・ヴァレンタイン女史。遠路ご苦労だった」
「こちらこそ」
ソフィアは柔らかく微笑む。
「御国の自由のために」
その言葉に、将校の口元がわずかに歪んだ。
自由。
この場所でそれを口にする者ほど、自由から遠い。
ソフィアは持ち込まれた黒いケースに指を添える。
カチリ。
ロックが外れる。
蓋が開いた。
中には、黒光りする銃器が整然と並んでいた。
M3自動散弾銃。
対物ライフル。
携行ミサイル。
弾薬ケース。
そして、小さな黒いチップ。
将校の目が変わった。
疲労の奥に、欲望が灯る。
「……これが、例の装備か」
「ええ」
ソフィアは淡々と説明する。
「近距離制圧用、装甲車両対策、拠点防衛用。あなた方の現在の戦線なら、この量で十分持ち直せるわ」
将校は黒いチップを見た。
「これは?」
「戦場管制用の認証キー。あなた方の旧式ドローンと砲撃システムを、こちらの弾道補正ソフトに接続できる」
「そんなことが可能なのか?」
「可能だから、ここに来たの」
ソフィアの声は静かだった。
だが、その静けさが逆に場を支配していた。
将校は唾を飲む。
「……これで反乱軍を押し返せる」
「押し返すだけなら」
ソフィアは微笑む。
「使い方を間違えなければね」
将校の眉が動いた。
だが、すぐに表情を戻す。
「報酬は即座に支払おう」
「通貨はドルではなく、ルナ・クレジットで」
ソフィアが言った。
将校の表情が一瞬だけ固まる。
「……ドルでは不満か?」
「不満ではないわ。ただ、ドルはこの地域では足がつきやすい」
「ルナ・クレジットは追跡が難しい」
「だから指定しているの」
沈黙。
風がテントの布を揺らす。
やがて、将校は小さく頷いた。
「……分かった」
「結構」
ソフィアはケースを閉じない。
そのまま、将校の目の前に武器を置いた。
「試射は?」
「もちろん、させてもらう」
将校が部下に合図する。
若い兵士が前に出る。
頬はこけ、手はわずかに震えていた。
だが銃を持った瞬間、その目に力が戻る。
兵士はM3自動散弾銃を構え、遠くの廃車に向けた。
――ドンッ!
重い銃声。
反動で肩が揺れる。
一瞬遅れて、廃車の側面が弾け飛んだ。
鉄板が歪み、煙が上がる。
兵士たちが歓声を上げる。
「すげぇ……!」
「これなら抜けるぞ!」
「反乱軍の装甲車なんざ、一発だ!」
将校の顔にも、笑みが戻った。
「素晴らしい。これなら戦える」
ソフィアは静かに頷く。
「お気に召したようで何より」
ノアはその歓声を聞きながら、周囲を見ていた。
喜ぶ兵士。
銃に触れたがる若者。
武器ケースを見つめる将校。
土嚢の影で眠る負傷兵。
そして、キャンプの外側。
北側の崩れた壁。
風が流れる。
砂が舞う。
一瞬だけ、光が反射した。
ノアの指が止まる。
「……二人」
ネロが横目で見る。
「何がだ」
「北の壁の向こう。狙撃手と観測手」
ソフィアは驚かない。
ただ、目だけをノアに向ける。
「距離は?」
「四百八十。風は右から」
ノアは銃を構えた。
無駄な動きはない。
肩を入れる。
頬を寄せる。
呼吸を止める。
――パンッ!
一発。
すぐに銃口がわずかに動く。
――パンッ!
二発目。
音が壁に跳ね返り、遅れて戻ってくる。
数秒後。
北側の壁の上で、砂煙が二つ上がった。
影が崩れ落ちる。
兵士たちの歓声が止まった。
将校の顔から血の気が引く。
「……敵の斥候か?」
「斥候ではないわ」
ソフィアが端末を開く。
「観測手がいたということは、砲撃か襲撃の準備中だったということ」
将校が息を飲む。
「まさか……もう包囲されているのか」
「完全な包囲ではないわ」
ソフィアは画面を見ながら言う。
「でも、あなたの戦線はすでに見られている」
「なぜ分かる」
ソフィアは少しだけ笑った。
「私が武器を売る相手を、丸裸にせず来ると思う?」
将校は言葉を失った。
次の瞬間。
遠くで爆音が響いた。
――ドォンッ!
地面がわずかに震える。
続けて、二度目。
――ドンッ!
キャンプの兵士たちが一斉に振り返る。
遠くの道路で黒煙が上がっていた。
反乱軍の車列。
先頭車両が炎に包まれ、後続が止まっている。
将校は呆然と呟いた。
「……何をした」
「保険よ」
ソフィアは端末を閉じた。
「このキャンプに入る前に、進軍ルートを三つ潰しておいた。あなた方への納品を妨害されると困るもの」
「そんなことまで……」
「取引は信頼で成り立つわ」
ソフィアは優しく微笑む。
「そして信頼とは、相手に“この女を裏切るのは損だ”と思わせること」
ネロが低く笑った。
「相変わらず、商売がえげつねぇな」
「褒め言葉として受け取るわ」
ノアは銃を下ろした。
北の壁の向こうから、もう動きはない。
夕日が沈み始める。
赤い光が、砂と煙を染めていく。
政府軍の兵士たちは、新しい武器を抱えていた。
その顔には希望があった。
だがノアには、それが少しだけ別のものにも見えた。
次に誰かを殺せるという、安心。
――
夜。
取引は完了した。
報酬、12.6億ルナ・クレジット。
送金確認の文字が端末に表示される。
政府軍のキャンプでは、兵士たちが祝杯を上げていた。
勝ったわけではない。
ただ、明日も戦えるようになっただけだ。
装甲車の中。
ソフィアは書類を整理していた。
ネロは目を閉じ、腕を組んでいる。
ノアは窓の外を見ていた。
暗闇の中、遠くに炎が見える。
小さな火だ。
だが、それは確かに戦争の光だった。
「……武器を売ることで、戦争は続く」
ノアが呟いた。
ソフィアは書類から目を離さない。
「そうね」
「それでも売るのか」
「ええ」
即答だった。
ノアはソフィアを見る。
「どうして」
ソフィアはペンを置いた。
そして、ようやくノアを見た。
「戦争は、武器があるから始まるんじゃないわ」
静かな声だった。
「欲しいものがあるから始まる。奪いたいものがあるから続く。守りたいものがあるから終わらない」
ノアは何も言わない。
ソフィアは続ける。
「私たちが売らなくても、誰かが売る。粗悪な武器を、もっと高く、もっと汚くね」
「だから自分たちが売る?」
「ええ」
ソフィアは微笑んだ。
「どうせ血が流れるなら、その流れを読める場所にいた方がいい」
ノアは視線を窓に戻す。
「……戦争を終わらせたい人間もいる」
「いるわ」
ソフィアは否定しない。
「でも、そういう人ほど最初に消える」
車内に沈黙が落ちる。
エンジン音だけが低く響いた。
しばらくして、ノアが言った。
「……なら、消えないくらい強くなればいい」
ソフィアの指が止まる。
ほんの一瞬。
ネロが薄く目を開ける。
ノアは窓の外を見たままだった。
炎が、遠くで揺れている。
ソフィアは小さく笑った。
「そうね」
その声は、少しだけ優しかった。
「それができたら、世界は少し変わるかもしれない」
装甲車は夜の砂漠を進む。
空は暗く、星は砂に霞んでいた。
遠くの山脈の向こうで、また一つ火が灯る。
この世界の平和は、いつだって血の上に立っている。
そしてゼロバレットは今日も、その血の流れを見下ろしていた。
――次回更新:明日6:30公開予定
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『ゼロバレット』続編、第17話「刻まれし秤 ― 魂の色」――
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