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「風太、ログアウトしなさい」
そんなバレリーナの女装しているやつに――なんて軽口は、いまの俺には叩けなかった。
無計画なリュックに怒鳴ってしまいそうで。
無責任なゲームの開発者に殴りかかってしまいそうで。
無力な自分が憎くて憎くてしかたなかったんだ。
考える気力もなく、指でメニューを開いた。
それを止めようと、リュックは大声を出す。
「待ってください!」
俺はリュックの顔を見ることはできなかった。だが、母親の目がリュックを捉えていることはわかってしまった……。
「私は、ここに――」
掻き消える母親のアバター。
泣きそうになっているリュックを尻目に、俺もログアウトをタップした。
『セカンドライフ』を外し、溢れる涙を拭う。
嗚咽がこぼれた。
みっともない。いつからこんな泣き虫になったというんだ……。
母親は立ち上がって、台所でなにかをし始める。
そのうち、コーヒーの香りが漂ってきた。
「風太、こっちに来なさい」
テーブルのほうへ呼ばれ、席に着く。
俺の分のコーヒーは用意されていなかった。
いや、もういいんだ。ちょっとそんなところ指摘する余裕がなかった。
コーヒーを飲む母親との沈黙に耐え切れず、丁寧に、リュックがどのような存在かを、母親に説明したつもりだ。
あれがNPCであること。
出会った状況と、言葉の機能を復元させたこと。リュックという名前をつけたこと。ポーションが出せること。火山に一緒に行ったこと。自我があると認識したこと。家族と運営に相談することを辞めたこと。
そして、涙を流せること。
コーヒーを飲み終えても、母は無言で俺の話を聞いてくれている。
「風太は、あれを見てどう思った?」
「俺は……人間だと思っているよ」
だからこそ、誰にも言えなかったのだ。
「自我があるって、確証はあるの? 涙って、錯覚じゃなくて?」
「確証はない。涙は錯覚じゃない。しかも、嬉し泣きだったんだぞ。笑っちまうよ」
母には「なんて顔してんのあんた」と言われたが、いまの自分がどんな顔しているかなんてわからない。それと、こんな顔に産んだのはアンタだ。
「ってか普通に凄いわよ彼女……。ちょっと学会で発表してくるわ」
「んな機会ねぇでしょ。でも、もしかしなくても、協力してくれるの?」
期待を込めてそう呼びかけるが、母はやんわりと否定した。
「個人としては、彼女を保護するべきだと思う。会社のほうにも呼びかけはしてみるよ。でもね、たぶん無理。バグ一つの存在で、会社の経営は傾けられない」
「バグってことねぇでしょー」
「バグだよ」
言い切って、母は続ける。
「風太にとってリュックはバグじゃないかもしれない。でも、リュックって存在が公言されたら、世間にどんな認識されるかわかるでしょ? だから、彼女はバグなの」
「でもさ!」
「生きているんだよ、って? 裁判所が彼女の人権認めると思うの? 日本政府が彼女の戸籍を発行してくれる?」
笑うことなく、母は続ける。
「あんただって、こういう話になるのわかってて、相談もしなかったんでしょ。昨日だって回りくどい聞き方してさ」
「その結果、ウイルスって言われちゃったけどね……」
「まぁ、調べてみないとわかんないけどね」
ここまできたら、聞いてしまおう。
一抹どころか計量スプーンを使わなければならないほどの不安はあるのだが……。
「調べるって、どうするの? リュックをどっかに移動させてデータの解析とかするの?」
「移動って、どうやって?」
「――えっ!?」
専門職に質問されるとは思わなかった。
「あんたが言ったんでしょ、リュックは人間だって。現実的に考えてごらん? フツーの人間が、どうやってPCに入るっていうの」
ここで初めて、母の質問の意味がわかった。
なんてことはない。リュックをどこに移動させるか、そんな愚問、意味がない。
データとして彼女をどこかに移動させるってことは、彼女をコピーしなければならない。それは、リュックなのか?
――そして気づく。
「もしかして、運営側ってリュック消そうと思えばいつでも消せるの!?」
「ううん。それはない」
断言とは、なんとありがたい……。
「リュックが逃げたあとすぐ、リュックがいた場所にNPCを再配置したの、知ってるでしょ? 電話した日」
「榎田益男さんだっけ?」
「そ。そのあと緊急メンテで再配置したんだけど、そのあと、逃げたNPCに関しての情報なんか入ってきてない。無論、データとしても追いかけたらしいわよ? 風太が見たっていう草原のデータも徹夜で。あたしも、そこから手伝ったくらいだしね」
母はソファーを指差して、メンテ中にログインするのも乙なのだぜと笑っていた。
しかし、その言葉を鵜呑みにするならば、リュックはプレイヤーにしか認識できないだろうか――。
いや、彼女の認識うんぬんには、実はもう一つ気になることがある。
火山でリュックが言っていた発言だ。
『あの子たち、私のこと見向きもしないので、大丈夫だったんですよー』
イグアナだかトカゲに襲われた俺たちだったのに、ただ一人リュックは攻撃を受けていない。それは「彼女はプレイヤーとして認識されていない」、あるいは「そもそも認識されていない」、ということになる。
これは、ちょっとした希望に繋がる。
山奥に隠してしまえば、彼女を見つけるプレイヤーは極端に少なくなって、しかも安全ってことになるんじゃないだろうか。
「母さん、運営の通報はやめてもらえるか? ちょっと考えがあるんだけど」
そう言ってみたが、母は小さく首を振った。
理由はわかる。
このゲームを作るのに、おそらく億や兆に届く金が掛かっているはずだ。そして、それをご破産にするネタがリュックだ。
なおかつリュックがウイルス感染しているというのであれば、ウイルスを撒いた犯人も、リュックの存在を明らかにしたがるはず――
だが俺の浅知恵は、簡単な事実に否定された。
「通報はしないけど、お母さんの視覚データは、もう運営側にチェックされてるはずなの。正確にリュックがNPCとして運営のチェックに引っかかるのは、たぶん明日の夜くらい?」
なんで――! と声を荒らげそうになる。
だが、そうだ、そういう可能性もある。
なにせこの母親は、
「お母さんは先行のときに配られたけど、お父さんは一般からだったから見事に外れてねー。しかたないから、お母さんとお父さんのプレイデータ送るって約束でお父さんのぶんを会社からもらってきたの」
こんなクソッタレゲーマーなんだから。
「マジかよ……。会話とかも? ひでぇな」
「会話聞かれてるって言っても、データを解析するのはPCだからね、恥ずかしがることないでしょ」
「あー、そうかい……」
時計を見る。まだ14時前。
24時後にバレたとしよう。そのあとどうなる?
「そのあと――どうなる」
「バグ認定されるわねー。NPCとして認識されたら、人間のスタッフが確認する。運が悪ければ映像として再現される」
「なんで運が悪ければ?」
「あの子、とんでもないことしたでしょ」
あぁ、はい。その通りです。
「プレイヤーの部屋に入れるなんて反則すぎる。あそこは、言うなればDOLO専用のログイン画面みたいなもんよ。部屋主が、部屋を開放している状態で、フレンドを招待しなければ入れない部屋に、彼女は無遠慮に入ってきた。しかも――あんたの部屋に」
「やばい……ことなんだよね?」
はぁー……と大きなため息を、俺は直視できなかった。
母のコーヒーカップを手に取り、おかわりを入れる。ついでに自分のぶんも。
「『セカンドライフ』でログインするとき、ログイン画面は存在しない。なんてったって、脳波検出受けてるからね、誤魔化しようがない。だからこそ、部屋なんてシステム取り入れられたわけだからね。面白いでしょ?」
「ああ。相川さんも面白がってたよ」
「でも、リュックがやった行為は、その設定を全部ぶち壊した。いえいえそれどころか、『セカンドライフ』ってハードにすら関与したってことなんじゃないかな。それは調べてみないとわからないけどね。データだと彼女どう動いてんのかなー? あ、ありがとー」
コーヒーを渡して、俺なりに考えようとした。
――ソーランソーラン
母のケータイに着信音がなければ。
「えっ」
母の顔が凍りつく。
こんな話をしていたときにその顔だ。会社の人だろう。
『大塚聡一』
どこかで見たことがある字面を向けられ、母と一緒に首を傾げる。なぜ〈Dragon Obey Licence Online〉のシステムデザイナーが、掛けてく理由とはなんぞや?
気にはなるが仕事の話を盗み聞きするわけにもいかず、電話に出る母を尻目に、俺も自分のケータイをチェックする。
いつもどおりのボッチかと思いきや、メールが1件。ヒイラギくんからだった。
『すみませんクロカゼさん
リュックがクロカゼさんのところにどうしても行きたいと……
すみません』
なるほど……バッキャロォ!
俺も気づくのおっせぇよ!
ながながと返信を考えていると、母は通話を終わらせてケータイをテーブルに転がした。
「なんでだー!!」
「なに? 呼び出し?」
「違う!!」
その顔からは怒気が溢れている。
その理由はすぐに、母親の口から怒鳴り声とともに伝わってきた。
「リュックが運営にバレてる!」
なんでだよ!!
あんなに文章書いたのに、まともに上げられるのこれだけって
他の書き手さんすごいですねー……




