第1話 2026年のアイドル、1785年の踊り子
2026年秋、地下アイドルプロデューサーの俺が育てたアイドルグループ「カノン」は俺の手を離れて大手事務所への移籍が決まった。
彼女らがいなくなった虚無感を抱えて新宿の街で泥酔して公園で眠ってしまった俺は、朝目覚めると何故か1785年のウィーンにいた。
訳がわからないまま迷い込んだ酒場で類まれな才能を持った旅芸人一座の娘を見つけ、俺は思わず声をかける…
東京・西新宿の大型ライブハウス「Beny」が熱く揺れている。
人気女性地下アイドルグループ「カノン」のワンマンライブは今まさに佳境を迎えていた。
ムービングライトやレーザー光線が飛び交うステージ。重低音が響くサウンドシステムが体中を刺激する。
ロックギターとシンセサイザーがエッジを効かせたアイドルポップの楽曲に乗せてメンバーカラーの衣装を身に纏った4人のメンバーが歌い踊る。
オールスタンディングのフロアは400人近くのファンの声援と打ち振られるペンライトで熱狂の渦の中にあった。
俺は華村譲司・34歳。
このグループ「カノン」のプロデューサー兼作曲家だ。
結成から3年にして、最大のワンマンライブ。
だけどこのライブが"俺の"「カノン」としては最後のステージになるんだ。
盛り上がった曲が終わり、センターの赤色担当・アリサが汗まみれのまま話し始める。
「ありがとうー!みんなちょっと聞いてね」
推しメンバーの名前をそれぞれ叫んでいたファン達がその言葉に静まった。
「みんな知ってる通り、私達カノンはもうすぐメジャーデビューすることになりました!」
大きな拍手と歓声。
「みんなの応援のおかげです!事務所は変わっちゃうけど、カノンはこれまでと変わらず力いっぱい歌って踊って、日本一のアイドルになるから!みんなお願い!ついてきて!」
この日最大の歓声がホールに響く。
「ありがとう!みんな大好き!それじゃ最後の曲聴いてください!」
俺は客席最後部のPA席からその光景を見つめる。
明日からはもうこの娘たちは俺の手を離れてメジャープロダクションに移籍してしまう。
彼女たちが追い求める夢の後押しをするのも俺の仕事だ。
結成当初の売れない時期から一度もメンバーチェンジせずに3年間ついてきてくれた事に本当に感謝しかない。
最後の曲を聴きながら、俺は何とも言えない感慨に包まれていた。
ライブが終わり、楽屋に戻ると「カノン」のメンバーが汗を拭きながら駆け寄ってきた。
「譲司さん!今までほんとにありがとうございました!譲司さんの曲を歌えなくなるのは寂しいけど、今まで教えてもらったことは忘れません!」
「お世話になりました!」
「私達これから、もっと大きなステージに行って、きっと恩返しします!」
メンバーが次々に涙を浮かべて言ってくる。
俺は胸がいっぱいになりながら、しかしどこか空虚な気分にも気付きながら
「辛いこともあると思うけど、俺のことは気にしないで日本中にお前達の歌を聴かせてやれ!負けるなよ」
と言ってメンバーの頭を1人ずつ撫でた。
メジャープロダクションの担当者が近づいてくる。
「華村さん、お疲れ様でした。
でも本当にいいんですか?あなたも一緒に来て欲しかったのに」
「いやいや、俺みたいな地下しか知らないヤツがメジャー事務所にお世話になってもあまり役に立てませんよ。この子たちのためにも、全く新しい環境の方がいいんですよ」
と、明らかに俺より若い担当者に作り笑いで返すと、彼は恐縮しながら、
「華村さんみたいな人、ウチにはいないから必要だと思うんですけどね」
そしてメンバーの方を向いて明るく言った。
「ウチならもっといい曲を歌わせてあげられるから!」
その言葉を俺はまるで他人事のように流した。
それを俺の前で言うか?まだ若いな…
そして努めて軽くメンバーに告げる。
「それじゃ俺は色々まだ忙しいからこれで!頑張れよ!」
「カノン」のメンバーが泣きながらありがとうございました!と言っているのを背中で聞いて、俺は楽屋のドアを閉めた。
夜の西新宿、高層ビルの谷間を歩きながら、秋の始まりを感じる風の中、徒歩数分の距離にある事務所に向かう。
事務所に帰ると、誰もいない散らかった部屋があった。
ホワイトボードには先月終わった「カノン東名阪ツアー」の予定が書かれたままだ。
その横の壁にはデビューから今までのチラシが何枚も貼ってある。
一つ一つ眺めながら、さっき楽屋で言った「捨て台詞」を思い出した。
色々忙しい…か。タレントなんてあの子達しかいないのにな…
さて、これからどうするか。
とりあえず1人で打ち上げでもするか…
事務所に置きっぱなしだったアコースティックギターに気付く。一人暮らしの部屋に戻れず事務所に泊まり込みで曲を作っていた時のものだ。
ギルドのジャンボボディ・カッタウェイモデル。今の時代には流行らない太い音が鳴る、お気に入りのギターをギグケースに入れ、事務所に鍵をかける。
ギグケースを背負って思い出横丁まで歩き、行きつけの小さな焼き鳥屋に入る。
顔馴染みの大将がいつものように迎えてくれる。
余計な事を喋らないで済む居心地がいい店だ。
「…終わったな…」と独り言を呟いても、大将はあえて何も言わない。ただ炭火に俺の串を乗せている。
それにしても、何だか今夜はやけに酔う。
この3年間を少しずつたどるように、その年月分だけグラスが進む。
いつの間にか終電もなくなり、なんとなく都庁の方まで千鳥足で歩き、誰もいない新宿中央公園の芝生に座り込む。
耳にまだ先程のライブの爆音の名残を感じつつ、ギターケースを枕にして芝生に横になると、そのまま眠ってしまった。
何か夢を見ていた気がする。
耳に残った爆音が何かガラガラした音に変わったのに気づいて目が覚めた。
かすかに鐘の音が聞こえる。
体が痛いと感じて上体を起こして、初めて強烈な違和感に気付いた。
まず、寝ていたのは石畳の上だ。
周りにはレンガというか石造りの建物が並び、朝日が建物の間から洩れている。
何だ?何処だ?
寝ながら聞いていたガラガラという音がまた聞こえ、目の前を馬車が通り過ぎてた。
馬車?何事だ?
立ち上がって辺りを見回すと、完全な古いヨーロッパの街並みのようだ。
いや、行ったことはないが、写真や映画で見るような風景。
新宿中央公園で寝ていたはずだ。酔ってはいたが、覚えてる。
早朝なのか、人はまばらだがその姿がまた奇妙だ。
男性は膝までくらいのズボンに白いソックス?タイツ?上には古風なジャケット。
女性は長いスカートに頭にスカーフ?白いブラウスにコルセット?
頭が少し冴えてきて何となくわかった。
中央公園に映画のセットを一夜にして作ったのか。
それにしても大規模だな…エキストラもちゃんと外人だな…
そう思いながら何かを確認するように目線を上げて辺りを見回す。
そこで更にあり得ない事に気付いた。
都庁がない。すぐそばに聳え立つはずの東京を代表する高層ビルがひとつもない。
そして匂いが違う。
薪が焼ける匂い。パンを焼く匂い。
西新宿でするはずがない匂い…
まだ夢を見てるのか?
そう思いながら上着の内ポケットからスマホを取り出してみる。
9月30日午前6時52分。だが、圏外だ。
おかしい。ここはどこだ?
とりあえずギターケースを背負って歩いてみる。たまにすれ違う人が俺を二度見して行く。
俺は黒い革のジャケットに白いシャツ、ブラックデニムのジーンズという格好だが、頭から爪先まで凝視される。
角を曲がると野外市場があって、野菜を並べている。
映画のセットにしては規模がデカすぎる。
10歳くらいの子供が声をかけてきた。
「どうして変な格好なの?それは何?」
明らかにヨーロッパ人といった金髪の少年だったが、話している言葉は何故かわかる。
「あぁ…俺は旅をしているんだけど」思わずそんなことを口走る。「それ」とは背負っているギターケースの事みたいなので「楽器だよ」と答えると、子供はふーん、と言った。
俺は確認してみたくなった。
「えぇと…この街は何ていう街なんだ?」
彼は変な事を聞くな、といった顔をして
「ウィーンに決まってるじゃないか」と言って走り去った。
ウィーン?…ちょっと待て。
オーストリア?
何故そんなところに?
そして、あからさまに古風な人々の姿は何だ?
まるで何百年も前みたいに見える…
映画のセットとかではなく、まさか…本物…?
何としても確かめなければならない。
とりあえず誰かに教えてもらうしかないが、どうやって?
どうやら言葉は通じるらしいが、突然聞いて変な奴と思われないか?
ちょっと作戦を考えることにして、なるべく目立たないように街の片隅のベンチに座ってみた。
行き交う馬車がやはりリアルだ。
どう見ても現実だ…
教会の鐘がまた聞こえた。
そうだ、教会に行ってみよう。教会ならある程度親身になって教えてくれるかもしれない。
鐘の音のする方向にしばらく歩くと、小さな教会があった。
神父らしき男性を見つけると、俺はなるべく丁重に声をかけてみた。
「あの…すみません」
神父は振り向いて俺を一瞥すると、優しそうな微笑みを浮かべた。
「何でしょう?旅の方」
「えぇと…実は道に迷ってしまいまして…色々と聞きたいことがありまして」
「それはそれは。さぁどうぞ、中に入ってください」
神父の温厚そうな態度にかなりの安堵を感じ、俺は彼に続いて礼拝堂に入って行った。
椅子に座ると神父は優しく語りかけてきた。
「見たところ、遠いところからいらしたようですね。そしてどこか不安そうです」彼の話し方はとても安心する。「よろしい。こちらからは何も聞かないので、あなたが聞きたいことだけを教えてください」
さすが本場の神父だ。まるで懺悔を聞くように接してくれる。まぁ懺悔することなんてないのだが。
俺は恐る恐る聞いてみた。
「まず…ここはウィーンですよね?」
「左様です。神聖ローマ帝国オーストリア領ウィーン。音楽の都と呼ぶ人もいますね」
彼は俺のギターケースをちらっと見ながら話した。
俺は更に尋ねた。
「あの…大変妙な事を訊ねますが、今は何年の何月何日でしょうか」
さすがにこの問いには神父も一瞬意外そうな顔をしたが、すべてを悟ったかのような温厚さは変わらず答えた。
「…1785年9月30日ですよ。もうすぐ葡萄が実りますね。この辺りの葡萄は名物ですよ」
1785年…?
241年前…!
この神父も含めて、街ぐるみの大改装をもって俺に仕掛けられた壮大なドッキリなのか、それともいわゆるタイムスリップをして来たのか…
まず、一介の地下アイドルプロデューサーに仕掛けるドッキリにしては費用対効果がリスキー過ぎる。
あり得ない。
だが、タイムスリップはそれ以上にあり得るのか?
頭の中がパニックになりながらしばらく俺は黙ってしまっていたが、神父の言葉でふと我に返った。
「大丈夫ですか?」
「あ…いや…大丈夫です。これで失礼します。ありがとうございました」
神父は黙って頷き、礼拝堂を出る俺に優しく声をかけてくれた。
「あなたに神のご加護がありますように」
俺は深く礼をして教会を後にした。
すでに太陽はかなり高くなっている。もう昼頃か?
自分の居場所と現在の年月日が判明した事に一応ある程度落ち着きを感じると、急に空腹感を覚えた。
とりあえずどこか店に入ろう。
今朝目覚めた街角の方に歩く。人が多くなった街では相変わらず珍しいモノを見る視線が向けられるが、少しだけ慣れてきた気がする。
市場の脇を抜け、細い路地の中に一軒の店を見つけた。
石造りの壁と木製のドアの上に看板が出ている。
「金の竪琴亭(Zum Goldenen Harfe)」
名前からして飲食店だろう。
楽器の名前というのもどことなく親近感を覚える。
少し緊張するが、意を決してドアを開けてみた。
床は石畳。壁は古そうな漆喰。
8人掛けくらいの長テーブルが4つほどあり、樽を流用したテーブルらしきものがいくつか。
そして奥には小さいピアノのような楽器が置いてある。
いわゆる古いヨーロッパの酒場…というイメージ。
まだ開店前なのか誰もいない。
「すみません、こんにちは」と言ってみた。
少ししてピアノの奥の厨房らしいところから初老の男性が現れた。
彼は街の他の人々同様俺の頭から靴まで見てから
「まだやってねぇよ」
とぶっきらぼうに言った。
俺は恐縮しながら、
「ごめんなさい、旅の者なのですが、この街は初めてでよくわからなくて…もしできれば何か食べさせていただけませんか?」
男は口髭を弄りながらしばらく俺を見ていたが、ふと口を開くと、
「金はあるのかい」
そこで俺は気付いた。お金…
急いでジーンズの尻ポケットから長財布を取り出して中を確認すると、日本円しか入っていない。
「あ…すみません、他の国のお金しかなくて…」
「金がなきゃ話にならねぇ。帰んな」主人はそう言って手で追いやるような仕草をした。
「そう…ですよね…」
俺は諦めかけてドアを出ようとしたが、主人が言葉を被せてきた。
「…待ちな」主人は厨房の中を確認しながら、「異国の金で3クロイツァー分あったら、簡単なもんなら食わしてやるよ」
「本当ですか!ありがとうございます!…でも、3クロイツァーがどのくらいなのかわからないです…」
「まぁ…適当でいいさ。座んな」
そう言って主人は厨房に消えた。
口は悪いが、いい人だ…
店の雰囲気といい、どこかしら落ち着く。
樽のテーブルに運ばれてきたのは
・スープ
・ライ麦パン
・ビール
の3点だった。
スープは透明なブイヨンに牛肉、人参、パセリ、カブなどが入ったもの。
パンは日本人からするとまるで鈍器のような硬くて黒いもの。
ビールは少し濁った感じで木のジョッキに並々と入っている。そして常温。
「うまい!このスープは何という料理ですか?」
「知らねぇのか。リンツッペだよ。この辺じゃ普通の家庭料理さ」
煮込まれた野菜がとても腹に優しい。
パンは凄まじく硬いが、スープに浸すと食べやすく、やや酸味を感じる。
ビールは見た目はアレだが、度数は現代のものとそれほど変わらない感じだった。
思いがけず満足した食事の代金を払おうとしたが、金銭の相場がわからない。
悩んでいると、主人が聞いてきた。
「お前さん、野菜切ったり皿洗ったりできるかい?」
「え?」俺はこう見えて学生時代はずっと飲食店でバイトしていた上に自炊は得意だ。「できますが」
「実は店を手伝ってもらってたおばちゃんが昨日辞めちまってな。何でも故郷でおふくろさんの面倒をみなきゃならねぇらしくてな」主人はパイプに火をつけて煙を味わいながら「俺一人でやっていくのもしんどくてな」
「是非!やらせてください!」
「それじゃ明日から11時頃来てくれや」
何とありがたい事か。ただ…
「あの…実は帰るあてもなくて…」
俺は恐縮しながら言ってみた。主人は笑いながら、
「何だよお前さんおもしれぇな。そんならここの2階を使いな。古くて狭いが、一応ベッドもある。3食付き、給金なしだがどうだい」
今の俺にとっては最高にありがたい話だ。勿論受け入れるしかない。
「それと…」主人はまた俺の首から下を見て、「ずっとその格好も目立っていけねぇな。古着いくつか用意してやるから」
感謝してもしきれない。給金はなくても住む場所と食事に加え着るものまで。
「ありがとうございます!よろしくお願いします!」
「おぅ。俺はヨーゼフ・バウアーだ」
「華村譲司です」
俺たちは握手を交わした。
何はともあれ、俺は1785年のウィーンに来てしまった。これからどうなるか、どうするのか…とりあえずこの店で働きながら少しずつ考えてみるしかない。
「それとな」ヨーゼフは思い出したように、「ここ数日の間くらいに古い知り合いの旅芸人一座が久しぶりに戻ってくるんだ。忙しくなるからよろしくな」
「はい。頑張ります」
話のついでに聞き流した「旅芸人一座」がこの後俺の運命を左右するとは、この時はまだ夢にも思わなかった。
その日の午後から、「金の竪琴亭」で働き始めた俺は、店の流れをすぐに把握した。
昼過ぎから夕方にかけては主に食事処として近所の職人たちが集まり、夜は酒場として(下級の)貴族も来るようだ。
昼から飲み物はビールかワイン。水は井戸水だが衛生的に飲料には向かないらしい。
食事は初日に俺が食べたリンツッペというスープの他、グーラッシュという牛肉と生ネギ、根菜を煮込んだシチューのようなもの、ザワークラウト、ソーセージ(この辺りはドイツ圏っぽいと俺もわかる)、チーズなどが中心のようだ。
俺にとってはすべて口に合う。常温ビールも慣れたらいい感じになってきた。
店の客入りは正直そんなに多くはない。ヨーゼフにとってはギリギリくらいの印象がある。
4日ほど働いてみて、客層も大体把握してきて、東洋人が珍しいのかたまに話しかけられることもある。
毎日ライブだ作曲だと忙しかった東京での日々に比べたら、なんとも穏やかな生活だ。
ただ…本音を言えば多少物足りなさも感じている。
偶然とは言え240年前の異国にタイムスリップしてしまった以上、ここで何をすればいいのかもわからないが、今はこの店で頑張っていくしかないのも事実だ。
そんな事を考えていると、店の外に馬車が何台が停まる音が聞こえた。
客がちらほらとしかいない夕方。
「来たか」ヨーゼフが言うと、店のドアが開いて少し派手な上着を着たヨーゼフと同い年くらいの男が入ってきた。
「ヨーゼフ!久しいな!」
「ようやくお帰りか、ルーカス」
二人は抱擁し合い、続いて10人ほどの男女が入って来た。
なるほど、これが先日言っていた旅芸人一座か。
俺は厨房で洗い物をしながらにわかに賑やかになった店内を何気なく観察していた。
ルーカスと呼ばれた初老の男性がどうやら座長で、他に男性が7人、女性が3人。
男性たちは見たところ20代から40代ほどで、女性は30代の2人に、一際若く見える華やかな少女(?)がいた。
「ジョージ、みんなにビールを持って来てくれ」
ヨーゼフが俺を呼んだ。
俺はジョッキに注いだビールを運ぶとルーカス座長が、
「新人かい?東洋人?」
「はい、譲司と申します。よろしくお願いします」と俺は愛想良く答えた。
「ジョージか」ルーカスはビールを飲みながら「イングランドの王様かな」と笑った。
夜の客を捌きながら、俺はヨーゼフとルーカスの話を何気なく聞いていた。
大まかな内容はこうだ。
旅芸人として10年以上ヨーロッパ中を回って来たが、最近オーストリア王家(ハプスブルク家)の方針により旅芸人を追放する事になった。
疫病などのキャリアとして危険だとの一面と、公序良俗的な問題があるらしく、王家の決定であれば仕方ないのだが、真っ当な芸を売り物にしているルーカス一座としては納得がいかない部分もあり、王家に何とか存続を許可してもらえる交渉をするのが今回の帰省の目的らしい。
許可される見込みはほぼないようだが、ルーカスとしては一座の面々の生活の心配が一番のようだ。
明日シェンブルン宮殿に謁見に行くようだが、旅芸人を続けられなくなったらどうなるんだろう。
「よし、ジョージ」ヨーゼフは話が一区切りしたあたりで俺に声をかけてきた。「テーブルを壁際に寄せてくれ」
「わかりました」俺は何が始まるのかと思った。
言われるままに客に断って長テーブルを壁に寄せ、店の奥のピアノの周りにはスペースが出来た。
「準備しよう」ルーカスが一座の面々に声を掛けると、男性陣は店の外に出て、馬車から各々楽器を持って来た。
バイオリン、ヴィオラ、コントラバス、トランペット、ティンパニ。
ここで演奏が始まるのか!
音楽家の端くれとして俺はにわかに胸が躍った。旅芸人の演奏が観れる!
気づくと女性陣3人の姿が見えない。
そしておもむろに演奏が始まった。
ヨーロッパの古い民謡のような、陽気な音楽。
いつもの「金の竪琴亭」が突然ライブハウスのような空気感に変わった。
蝋燭の灯りが揺れる店内に、何とも心地よい音楽が鳴る。
ピアノを弾くのは座長のルーカスだ。
失礼ながら、考えていた何倍もみんなの演奏がしっかりしている。
もちろん音響機材などこの時代にはないのだが、各楽器の一体感がしっかりした音圧になって響いてくる。
聴き惚れていると、店の奥から一座の女性陣の最年長と思しき女性が歌いながら現れた。
素晴らしい声だ。音程感もしっかりしている。
そして…残りの女性2人が登場して、軽やかなステップで踊り始めたのだ。
ロングスカートの裾をつまんで翻しながら舞うその姿は演奏と歌にさらに華やかさを加える。
そして曲のクライマックスになると、若い方の女性…先程店に入って来た時そのオーラに目を奪われた彼女がソロダンスを始めた。
バレエのような、宮廷舞踏のような…俺には見覚えのない踊りだった。
俺は釘付けになった。
店の客も手拍子をしながら歓声を上げ始める。
店内の全員が彼女のその踊りを見つめている。
その時、酔った老客がビールのジョッキを落とした。
大きな音が演奏に被って店内に響く。
俺は慌てて老客のもとに近寄るが、それよりも早く彼の元に現れたのはその踊り子だった。
彼女はターンしながら客に近づき、ステップを踏みながら軽やかに落としたジョッキを拾い上げると、まるで振付の一環のように老客に渡し、そのまま「大丈夫ですよ」と言わんばかりに彼に目配せと笑顔を残して同じようにターンでステージに戻ったのだ。
この一連の流れは美しかった。
明らかに不可抗力でありハプニングであるはずの老客の失態を、まるで仕込まれた演出のように鮮やかにやり過ごす。
彼女のアドリブ能力とあの笑顔…
何事もなかったのような繋ぎ。
これは相当場数を踏んでいる。
さらに踊りは続く。
年長の方の踊り子はサポートに徹しながら若い彼女をひき立てているようだ。
あの子は…何だろう。正直抜群にダンスのテクニックがあるとか、キレがあるとか、そういう類いの踊りとは違う。
でも、どこか観ている者を笑顔にする力を感じる。
やがて踊りながら若い彼女は歌い手の歌に合わせて曲のサビを歌い始めた。
ユニゾンからハモリまで、明るい声が店に鳴り響く。
メインの歌い手ほど上手いわけではない。
でもその声で客の笑顔がさらに深くなる。
ダンスと歌の絶妙なバランス。
客を笑顔にする絶対的な才能。
俺はここ数日忘れていた感覚が蘇るのを感じていた。
この世界に来た意味。
3年育てた「カノン」をなくした今、この"異世界"でこの子に出会うために仕組まれたタイムスリップだとしたら…
「…やっと、見つけた」
俺は演奏が終わり、店がいつもの酒場に戻る空気の中、1人立ち上がって拍手をしていた。
客も演者たちも不思議そうにそんな俺を見た。
俺は構わず拍手をしたままステージに歩み寄り、その若い踊り子に声をかけた。
「俺はジョージ。この店で働かせてもらってる」
彼女は息が上がった顔で俺を見る。
「君、名前は?」
俺はこういう時に遠慮はない。職業病だ。
彼女は不思議そうに答えた。
「…リーナ」
「リーナ。君、アイドルにならない?」
「…あいど…る…?」
【続く】
【次回予告】
この子をアイドルにしたいと思った俺は、この時代の音楽の都ウィーンでアイドルを育てようと決意。
酒場「金の竪琴亭」を根城に再びプロデューサー業に勤しむ中、その店で天才音楽家と出会い、意気投合した俺たちは二人でアイドルグループのメンバー探しに奔走する…
次回、「神童と新しい星たち」




