幸せ
結婚が決まった。
アリーシャはぼうっと窓の外を眺めている。
やることはたくさんあるのに、なかなか手がつけられないのだ。
今の状況が、あまりにも信じられなくて。
「アリーシャ? 怪我の様子はどう?」
「お母様……。もうかなりよくなりました。これなら結婚式にも間に合いそうです」
包帯ぐるぐるの状態で結婚式をするわけにもいかず、アリーシャは義母からもらった薬を飲んだ。
すると本当にあっという間に骨が元通りになり、日常生活には支障のないくらいまで治った。
「すごい薬ですね! こんなの初めてです……」
「当たり前よー! この私自ら煎じ――ごほんっ! 手に入れたんだもの! 魔法薬でも最高級品よ!」
そんなすごいものを手に入れてくれたのかと、アリーシャは己の手を見る。
もう包帯も巻いていないし、指も普通に動く。
折れていたはずなのに、こんな早く治るなんてやはり魔法というのはすごいのだなとアリーシャは義母に向かって頭を下げた。
「お母様、ありがとうございます。おかげで結婚式を無事迎えられそうです」
「――アリーシャ……」
神妙な面持ちで頭を下げるアリーシャを見て、義母は隣に座ると肩を抱き引き寄せた。
「いいのよ。可愛い娘のためだもの。――改めて結婚おめでとう。……きっと天国のお母様も喜んでるわね」
「――……」
驚いた。
義母がアリーシャの母について言及するのは初めてだったからだ。
アリーシャがどれほど懐き、義母がどれほど愛してくれようとも、二人に血のつながりはない。
それをこの義母が気にしていることは、なんとなくわかっていたけれど、まさかここでそんなことを言われるとは思わなかった。
アリーシャは義母から伝わるぬくもりに、天国にいる実母を思う。
アリーシャが産まれてすぐに亡くなってしまったらしい実母のことはほとんど知らないけれど、でも愛されていたことだけは間違いないのだ。
産まれてくる我が子を思い刺繍されたベビーボンネットを、アリーシャは今でも持っているから。
思えばあれがあったから、アリーシャは刺繍をはじめたのかもしれない。
だから実母を忘れるなんてことは、ありえないのだ。
「……はい。天国のお母様にもぜひ見守ってほしいと思います」
そう、忘れる必要なんてない。
だってアリーシャには、母が二人いるだけなのだから。
ただ幸せなだけなのだから、それでいいじゃないか。
アリーシャは義母に思い切り抱きつくと、その背中に腕を回した。
「そして、会場ではお母様に見守ってほしいと思います。――愛してくれて、ありがとうございます」
義母の息を呑む音を聞いて、アリーシャは少しだけ離れた。
驚きのあまり目を見開く義母に、アリーシャは満面の笑みを浮かべた。
「お母様の娘になれて、とっても幸せです! 結婚してからも……たまには帰ってきてもいいですか……?」
義母はなにも言わない。
けれどアリーシャがそれに慌てることはなかった。
いつもは美しく皺一つない義母の顔が、今にも泣き出しそうなほどくしゃくしゃになっていたからだ。
義母はバッ! っと勢いよく顔を背けたと思えば、今度は天を仰ぎ、最終的にボタボタと涙を流しながらアリーシャを力強く抱きしめた。
「あ、っ、当たり前じゃないのーっ! あなたはっ、自慢の……っ! 私の娘だもの――!」
ズビズビと鼻を鳴らしながら言う義母の言葉は、少し聞き取りづらかったけれど、それがまた嬉しかった。
アリーシャは応えるように、また義母の背中に手を回す。
「絶対幸せになるのよ? もしブランに泣かされるようなことがあったらすぐに帰ってきなさい! お母さんが必ず守ってあげるから」
「……えへへ。はい、必ず帰ってきます」
もらい泣きというやつだろうか?
気づいたらアリーシャもほろりと涙をこぼしていた。
悲しくて流す涙のように激しくない。
ただほろほろとこぼれ落ちるのだ。
そしてこれを止めるつもりはないと、アリーシャは体の望むがまま泣き続けた。
そして数分後、義母とともに腫れ上がった目元を見て大笑いした。
「はーあ、もう! お腹痛いわ。あと泣きすぎて頭も痛い」
「同じくです。目を冷やさないとですね」
こんな状態で外に出たらなにかあったのかと騒ぎになってしまう。
ひとまず冷たいタオルを用意してもらおうと立ち上がったアリーシャに、義母は目元を手首で覆いつつ声をかけてきた。
「アリーシャ」
「はい?」
「……私もね、結婚するってとき不安だったの。いろいろあったものあるけれど……義理の娘と仲良くできるのかな? とか、嫌われたらどうしよう、とか……」
もしアリーシャが義母の立場だったら、不安になるだろうなと思う。
普通に結婚するだけの今ですら、不安がないわけではないのだから。
そこに血の繋がらない娘までいるのだから、いろいろ考えてしまってもおかしくはない。
「でもね、はじめてあなたを見たときそんな不安すぐに吹き飛んだの。あなたは人の目をまっすぐ見つめてくれるから、受け入れてくれたんだって思わせてくれたの」
義母は目元から手を離すと、赤く腫れた目尻を下げた。
「少し不安そうにしながらも、よろしくお願いしますって礼儀正しく……。その時この子を守り抜こうって決めたのよ」
ああ、まただ。
また涙がこぼれそうになり、アリーシャは唇を噛み締めた。
それは義母も同じなのか、彼女はまたしても涙をこぼす。
「その役割はブランに渡すことになるけれど……。改めて、結婚おめでとう。幸せになりなさい! 私のように……」
ああ、本当に。
「――はい!」
こんなに優しい家族を持てて、アリーシャは幸せ者だ。




