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床の上の散乱した物を蹴り払い、部屋の中央付近にコンロ付きのボンベと、ふたつの充填済みのボンベを並べる。コンロの上に『時限発火装置』を置く。
発火装置は特殊な樹脂で作られていて、デジタルタイマーのスイッチが入らない限り、ガスや気化したガソリン、シンナーなど、揮発性の高い液体に引火する原因となる火花が出ない構造になっている。そして発火後は自らを燃やし尽くし、現場には何の痕跡も残さないという特殊な道具だ。
室内を物色して出てきた粘着テープで、引き戸の隙間を目張りする。窓は二重サッシなので問題ない。
父親から受け取った私の『藤松勇市案件報告書』は封も切らずに、テーブルの上に放り出したままだ。どうせバラバラに吹き飛ぶ。
ソファー上の椿本を一瞥する。この死骸も、膨大なデータを有しているはずのパソコンも、銭のために保管したファイルも、1時間後には吹っ飛んで木端微塵だ。
父親は不慮の病死だが、椿本を抹殺したことにより、私の過去を知る人間はすべて消えたことになる。…特別な例を除いては、だが。
コンロの内火外火、両方のコックを全開にしてから、3個のボンベのコックを3割程度に開ける。シューという音とともに独特の臭いがあたりに立ち込めてきた。発火装置のデジタルタイマーを『60min.』に合わせる。1時間後に点火予約完了だ。
土間に降りると壁にあるメインブレーカーを落とした、途端に屋敷中が真っ暗になった。床から拾ったマグライトを口にくわえて、入り口の引き戸の隙間を粘着テープで目張りをすると玄関を出る。
坂道の途中で古屋敷を振り返った、とうに亡くなった祖父母との思い出が頭をよぎった。
道路まで降りるとポケットから鍵束を出して、ハイラックスのドアロックを解除する。年式はわからないがガソリン車のオートマチック仕様だった。
フロントを山側へ向けているハイラックスに乗り込みエンジンを掛ける。そのままバックして方向転換し、崖へと車首を向けた。
一度バックして助走距離を確保してから、サブミッションを『4WD LOW』に入れ、オートマチックを『1』レンジに入れる。
運転席ドアを開けたまま少しアクセルを踏み込み、崖へ向かって発進する。車高を上げたタイヤの大きいハイラックスは、路面の凸凹に合わせて左右にロールしながら動き出した。
横断勾配はほぼ水平なので、ローレンジでも加速がついてきた。私は崖下に乗り出す寸前に車外へ飛び出した。野球の滑り込みのような姿勢で地面に倒れる。直後、ハイラックスは前傾姿勢に変わると速度を上げた。私は立ち上がって成り行きを見る。
土砂崩れで遮蔽物のないゲレンデのようになった急斜面を、加速度を上げて暴走していくハイラックスは、浮石や岩に乗り上げバウンドし、さらにスピードを上げる。そして宙を飛んでから下に溜まっている大きな落石の山に、派手な音を立てて激突し停止した。
ここまで聞こえているエンジン音が次第に大きくなった、衝突のはずみでアクセルワイヤーが引っ張られているのかもしれない。
ボンネットあたりが明るくなる、火のように見える明かりは、漏れたガソリンに引火したのだろう。車体が前のめりになっているので、火はボディーの方へとどんどん上がってきた。
やがて轟音とともにエンジン付近が爆発して、車体は火だるまになった。薄闇の中でも黒い煙が上がっているのがわかった。




