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靴のまま部屋に上がると、右側の棚に鍵束を見つけた。ハイラックスの鍵らしきものと小さめの鍵がキーホルダーに付いていた。棚には南京錠もあった。
玄関の内側はスライド錠で施錠し、外出するときは引き戸の外に付いている蝶番にこの南京錠をぶら下げるのだろう。私は鍵束をズボンのポケットに忍ばせた。
室内はリフォームしただけあって、気密性が良さそうだ。向かって右側の大きな窓は二重サッシになっていた。実家よりも20キロ以上北寄りで標高も高いので、真冬はマイナス20度にはなるだろう。積雪も実家以上と察する。
椿本は目と口を開けたまま血まみれで転がっている。骸をつかんで持ち上げようとすると、まるで蛸のようにぐにゃりとしていた。方々の骨は折れ、内臓はどこも破裂している軟体動物状の死骸をソファーの上に放り出した。
天井まであるキャビネットに、ファイルがいくつも並んでいた。任意に抽出してページをめくってみる。日時や場所など克明に記した報告書らしきものに、何枚かの写真が添付されていた。市街地らしきホテルから出てきた男女が写っている。盗撮のようなスナップだからあまり鮮明ではないが、一応人物は特定できる。
県議会議長の大沢という男だった。たまにニュースで見る印象は真面目そのものといった感じだったが、プライベートではハイエナに喰らいつかれていたようだ。報告書の最後のページに、『¥2000k 入金済み』と手書きで記されている。200万円という意味だろう。
他のファイルもめくってみたが、同じようなスキャンダル案件が多かった。そんなファイルがキャビネットの3段に並んでいる。
上段右端のファイルが目についた、背表紙に『立』の文字があった。私はキャビネットから抜き出してページを開いた。思ったとおり父親の案件だった。
事細かい表記が並んでいたが、私は敢えて読まずにいた。息子の私でさえ知る必要のない、父親だけの問題だからだ。しかし後半に添付されている写真には、どうしても目がいった。
アパートの居間らしき場所に、まだ白髪もない屈強な体格の頃の父親と、痩せて色白な女性、そしてふたりの間に、丸い目をした2歳ぐらいの女の子が写っていた。季節は夏らしく父親はランニングシャツで、女性も肩を出したワンピースを着ていた。
父と女性は幸せそうな笑顔で、女の子は指をしゃぶりあどけない目をカメラに向けていた。写真は思いのほか何枚も添付されている。父親が女の子を抱き上げているバストショットや、父子で狭い浴槽に浸かっている写真、アトラクションが背景にあるテーブルで親子3人が食事をしている写真など。
椿本はどういう経緯で女性を探し出し、どんな口実で写真を入手したのか、またこの女性はなんの目的で椿本に写真を渡したのかまったくわからないが、写真を見る限りでは『ささやかで温かい家庭』を感じさせた。どろどろの不倫関係というような後ろめたさはどこにもない。
父親は私に『旅から帰ったあとも資金援助していた』と言っていたが、実際には時間を作って、母子に会いに行っていたのだろう。父親の浮気相手とその娘、息子の私から見ればそういう位置づけになるが、不思議と憤りは感じなかった。むしろ献身的に見える父親の行動が微笑ましく思えた。
最後に添付されていた写真は、腹違いの妹の高校の卒業式らしきものだった。校門の前で母と娘が並んでいる。娘は制服姿で卒業証書を入れた筒を持ってすました表情、母は着物を着てにこやかに微笑んでいる。最初の写真と比べ経年を感じさせたが、綺麗で品のある女性に見えた。
これは多分、父親には所在を知らせてない時期の写真だろう。
…私の脳裏に閃光が走った、『この娘、いやこの腹違いの妹、どこかで会ったことがあるような気がする…』ページを繰っていた手を止め、視線を宙に浮かせた。しばらく過去の記憶を辿ってみたが、結局答えは見つからなかった。
報告書の最後のページを見る、やはり椿本の手書きがそこにあった。『取引終了後 再利用可能性 保管』の文字がある。『再利用』とは『ふたたび強請りのネタにする』ことを意味するに違いない。
やはりそのつもりだったのだ、椿本は私が想像した通りの鬼畜だったということだ。
棚を物色して見つけたオイルライターに火を点けると、ファイルから外した報告書を一枚ずつ燃やす。フローリングの上で真っ黒になった紙は、風もないのに空中を漂う。
ただ1枚、卒業式の写真が添付されたものだけポケットにしまった。




