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椿本は跳躍するように躍りかかってきた。白く光る匕首を振り下ろす、私は身体をひねって躱す。すぐさま左から右へと真横に薙いだ刃は、シュッと鋭く空気を裂く。
後ろにのけ反りざま、私は右の拳を突き出す。椿本は頭を下げる、拳は空を切る。
低い姿勢のまま、匕首は胸をめがけて飛んできた。躱しながら左の手刀を振り下ろす。指先が掠めただけだ。
椿本は2歩退って体勢を立て直すと、匕首を腰だめにして、肩から突っ込んでくる。かろうじて躱したが、ベストの胸ポケットに刃先が触れた。スパッと裂けたポケットからマグライトが落ちた。匕首の切れ味はシャープなようだ。椿本の唇が不敵にゆがんだ。
私は左足を飛ばす、ハイカットシューズの爪先が匕首を持つ両手にヒットする。叫びをあげたが刃物は手を離れていない。
椿本はまた後退すると、パソコンデスクの缶の灰皿をつかむ、左手で投げつけてきた。私は手を真横に薙ぐ。衝撃で缶は空中で逆さまになったが、吸い殻と灰が飛び散る。宙を舞った灰が煙幕のように、顔に降りかかる。
酸っぱいような悪臭とともに、灰が目に入り痛みで開けていられなくなった。左腕で顔を拭っている隙に、斜め下から襲ってきた刃が、右腕を裂いた。黒いデニムシャツがパックリと割れ、鋭い痛みが走った。
椿本は勝機を得たと1歩踏み出す。私は後退して壁を背にした。ほんの一瞬、同時に静止する。呼吸ひとつ、…間を破るように椿本が突っ込んできた。目を見開いている。
私はその瞬間を待っていた、壁に反動をつけて真横にステップを踏むように、身体を反転させて椿本の背後に跳んだ。一瞬遅れた椿本が振り向くと同時に、腰のひねりを効かせた右足が匕首を持った右手に衝突する。したたかな衝撃とともに、刃物は椿本の手を離れた。
があああ、と喚きながら右手首を押さえた椿本が、背を丸めてよろめく。手首は確実に骨折しているだろう。フローリングに転がった匕首を、部屋の隅に蹴飛ばす。
右腕は流血しているだろうが、気にしなかった。痛みなんてものは生きてる限りいつもある。
私は椿本の頭髪をつかみ、拳を叩きこんだ。折れた歯が何本か口から吐き出される。襟をつかんで、もう一度叩き込む。
「椿本。俺は今まで貴様を数え切れないほど助けたが、貴様は恩を感じるどころか、俺を僻み嫉妬に狂い、強請ろうとした」
椿本は呻いているが、私が言っていることは理解しているようだ。
「俺だけならまだいい。…親父は探られたくない、探られる必要のない過去を貴様に暴かれて、苦しんで死んだ。…誰だって触れてほしくない古い傷はある。貴様はそれを脅しのネタにした。…貴様になんの権利がある」
「…殺し屋のてめえがなにを言ってやがる。…へっ、女に惚れられる色男だと勘違いしてんじゃねえのか、てめえも親父も」
椿本は負け惜しみか、歯の欠けた口で嘲笑った。
…完全に情状酌量の余地もなくなった瞬間だった。私の心に一点の迷いもなくなった。




