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 「金は!5000万はどうした!」

 椿本は血走った眼をギラギラさせて喚いた。まだ息は荒く、肩を上下させている。

 私は椿本の目を見据えたまま、背中に手を突っ込み茶封筒をつかみだすと、間近のテーブルの上に放り出す。

 「くそう、なめやがって…」

 一連の動きを眺めた椿本は、匕首どすを一度左手に持ち替え、右手の平にペッと唾を吐きつけると握りなおした。

 お互いの距離は3メートル、私は身構えることもなく、姿勢を低くした椿本を少し見下ろす形で睨みあう。

 見上げてくる椿本の険しい眼、…不意に私の遠い記憶が脳裏を横切った。

 

 …それは私と椿本がまだ高校生の頃のことだ。不良少年ばかりの学校で大半がそんな生徒だったが、まともな生徒も一定数いた。

 だが私たちの悪行は学校中に知れ渡っていたため、真面目な連中は私たちと関わるのを恐れ、近づくことも話すこともなかった。クラスは完全に二分していた。

 そんな真面目な生徒の部類に、北島佳奈という女生徒がいた。長い黒髪に色白の顔、細いフレームのメガネをかけていたが、奥に見える目は涼やかだった。いわゆる『清楚』といった感じの女子だった。

 椿本はその佳奈という女子に、思いを寄せていたらしい。

 春か秋か忘れたが、ある日の学校帰りのことだ。

 私が川沿いの堤防道路を歩いていると、後ろから誰かが走ってくる足音がした。

 立ち止まって振り向くと、北島佳奈だった。普段関わったこともない生徒だから、意外な気がした。佳奈は肩で息をしている。そんな仕草も意外だった。しばらく息を整えたあと彼女は、

 「一緒に歩いてもいいかな」

 と思いもよらぬ言葉をかけてきた。

 普段から必要なこと以外話さない無口な私は、何も言わずに前を向いてゆっくり歩きだした。

 佳奈は小走りで私の左横に並ぶと、一緒に歩きだす。私の動作を肯定と受け取ったのだろう。

 ふたりとも何も話さぬまま堤防道路を歩く。時おり佳奈は後ろを振り向いているようだ。

 ふと、彼女の髪の毛か身体から、若い女の匂いが漂ってきた。香水や化粧品か、または体臭かわからないが、普段接することのない甘いような、柑橘のような『香り』だった。

 私の周りにいつも漂っているのは、男の汗の臭いと安物の整髪料とタバコのヤニの悪臭だ。たまに熟れ柿のような二日酔いの臭いと、栗の花のような体液の臭いも混じっていた。

 私は多感な年齢にも関わらず、考えることといえば、勇市から取り立てられる献金ノルマの工面や、街や他校の不良連中との揉め事のこと、復讐と落とし前、そして献金制度自体をぶっ潰すための構想。そんなことで頭がいっぱいだった。女と交際するというような、甘酸っぱい思考など持つ余裕もなかった。

 不意にドキッと胸が高鳴ってきたが、佳奈に気づかれまいと平静を装った。

 もうすぐ堤防道路も終点というところで佳奈が立ち止まり、

 「立花くん」

 と私を呼んだ。立ち止まり佳奈に向き合う。私は175センチだが見下ろす角度ではない。割と高身長だった。不意に先ほどの高鳴りが蘇ってきて、ちょっと視線を外した。

 「私ね、怖いの。…実はしばらく前に椿本くんから告白されたんだけど、そんな気持ちになれないからごめんって断ったの。そしたらその日から無言電話が来るようになっちゃって。…それが椿本くんという確証はないんだけどね…」

 佳奈はうつむいたまま、ため息をついた。

 「それから学校帰りにひとりで歩いている時、ふと振り向くと後ろの方に椿本くんがついてきてたり、ここしばらくは毎日…さっきもそう」

 佳奈は顔をあげて訴えるような目をした。まともに目を合わせたのは初めてだったが、真剣な眼差しに引き込まれそうになり、また視線を外した。

 「だから一緒に歩いてほしかったの」

 私はうなづきもせず、ただ佳奈の目と川の水面を交互に見ていた。

 町を南北につなげる橋の手前で佳奈と別れた。

 「ありがと、じゃあね」

 と佳奈は小さく手を振った。私は彼女の方を見ずに、片手をちょっとだけ挙げた。歩きだしたが、なぜか佳奈が立ち去る気配を感じない。

 少ししてまた佳奈の声がした。

 「立花くん、それと……ううん、なんでもない。ごめん」

 私は立ち止まりかけたが、聞こえないふりをしてそのまま歩いた。

 橋の上はいつも西から東へと強風が吹いている。野球帽を何個か犠牲にした憎い風だ。

 私は橋を渡りながら、一瞬だけ普段の厄介ごとから解放された。そして少しだけ心が弾んだ気がした。

 少しだけ。

 

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