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30/39

30

 ありふれたメロディーが数秒間流れる。かすかな記憶では、引き戸の向こうは広い土間になっていたはずで、土間の左手が居間になっていたと思う。…暗闇に反応はない。

 30秒ほど間を置いてもう一度チャイムを押した。腕時計を光らすと、デジタルは3:55を示している。

 しばらくの間待っていると、ようやく奥の方で物音がした。

 部屋の戸を開ける様子がして、磨りガラス入りの引き戸の向こうが明るくなった。私は灯りが届かない影に身を移した。

 玄関は2枚の大きな引き戸で構成されていて、両開きになっている。実家と同じだとすれば、鍵は引き戸の内側の中央に付いているスライド錠だ。

 土間をもったり歩く足音が近づいてくると、灯りの下に人影が現れた。スライド錠をガタガタと動かしているような様子が伝わる。

 「早朝って言ったからって、早すぎんだよ…」

 あくび混じりのため息とともに、ブツブツとぼやく椿本の声が聞こえた。

 錠が外れた感じがして、引き戸は動きの悪い戸車のガラガラ音とともに、ゆっくり開いた。

 私は影の中から動き、素早く戸口の前に立つ。ちょうど椿本の真正面で顔を合わせた。

 途端に目を見開いた椿本は、さっと後ずさりした。

 「なんでてめえが!…親父め、気づかれやがったな」

 私は聞いた瞬間、そのひと言に激しい怒りの炎が上がった。全身の筋肉が隆起し、戦闘態勢に入る。

 「馬鹿野郎!」

 肚の底から発した咆哮のような怒声は土間の中に響く。私の一喝に、椿本は硬直したように立ちすくんだ。まるで獅子と鼠だ。

 「親父の様子の変化など、とうに気づいていたわ。俺の前に貴様が現れたタイミングの良さもな」

 私は無表情に戻り、声のトーンを落とす。半端に開いている引き戸を勢いよく開け放った。滑りの悪かった戸は端にぶつかり大きな音を立てた。

 脅されていた父親は、私が山の上に行くと言ったことを椿本に伝えたに違いない。父親はこのウジ虫のような男にマインドコントロールされていたのだ。

 玄関の敷居をまたいで土間へ入りこむと、我に返った椿本は踵を返して、土間の向こうの部屋へ逃げようとしている。

 5坪ほどの土間の向こうの木目の引き戸は、真新しい感じがした。LED蛍光灯に白く照らされている奥の部屋は、古屋敷の外観とまるでちぐはぐな現代風リビングのように見える。リフォームしたのだろう。

 私は300年は経過している土間の土の上を進む。椿本は部屋に逃げ込むと、引き戸を閉めようとした。だがすぐに開けると、部屋にあるものを手当たり次第に投げてきた。殺虫スプレーの缶やガラスの灰皿、雑誌やコミック本など、半狂乱の顔で喚きながら投げつけてくる。

 私はそれらを躱したり手で叩き落して進み、部屋の入り口の三和土たたきに靴のままの足を掛けた。投げるものが乏しくなった椿本は、叫びながら部屋の奥へ向かう。

 リフォームした部屋は奥行があり、20畳はありそうなフローリング張りだ。手前に大きなテレビやテーブルがあり、革張りの応接セットもあった。一番奥に仕事用らしき大きなデスクを構えていて、2台のパソコンが並んでいた。

 椿本は天井まであるガラスのキャビネットから、白鞘の匕首どすを持ち出してきた。青ざめた顔には脂汗が滲んでいる。凶暴で陰惨な眼をこちらに向け、唇から涎を垂らしている。

 涎を寝巻きのスエットの袖で拭うと、笑うように唇をゆがめる。匕首どすの鞘を抜くと傍らに放った。蛍光灯の光を受けた刃物は、青白く光る。

 私はこの男を倒すのに、武器になるものは一切使わない覚悟でここに来た。『プロのプライド』として。


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