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 深夜、私は布団の中で、天井を見つめている。実家の和室の畳の上だ。

 昨夜、床に入ってから、一度も眠ってはいない。

 田舎の村の夜は、いつの季節でも静かで、壁に掛けられた時計の、秒を刻む音だけが耳につく。

 …板張りの廊下を、息をひそめて忍び歩くわずかな音がした。私は呼吸を止めて、耳に神経を集中させる。

居間の前で足は止まり、数秒してから、ふすまを滑らす音に変わる。

 私は布団から身を起こし立ち上がる。畳の部屋から廊下へと通じるふすまを開けて、音を立てぬよう気を配りながら居間へと歩く。ふすまは顔の半分ほど開いていた。私は隙間からそっと中を眺めた。

 オレンジ色の常夜灯の下、仏壇の下の引き出しに手を掛けている父親の後ろ姿が見えた。深夜なのに作業服姿だ。

 やがて引き出しから大きめの茶封筒を取り出すと、逡巡したように動きが止まり、意を決したように脇に抱えた。

うなだれて憔悴しきった表情の父親は、ゆっくりとこちらを振り向く、そして廊下にいる私と目が合った。

 「義彦…」

 父親は驚くというより、苦痛に顔をゆがめ、深いため息とともに呟いた。

 「父さん、やはりあんただったか…でも、なぜだ」

 オレンジの灯りの中で、頭髪は真っ白に見えた。肩を落とした父親は、昼間見るよりも小さく見える。私の声は深く沈んでいた。

 「義彦、申し訳ねえ。…椿本に脅されちまってな。実は母さんにも誰にも言ってないことなんだが…」

 母親には昨夜、肩こりによく効く薬だと言って、強力な眠剤を飲ませてあるので、起きる心配はない。

 「驚くだろうが、実はお前には腹違いの妹がいる。お前がまだ小さい頃、俺は旅の職人をしててな。…そん時に浮気した女が俺の子供を産んだ。俺は妊娠がわかった時、堕ろしてくれと頼んだが、女は俺にも誰にも迷惑かけずに、子供を育てるから心配しないでと言って、約束通り女の子を産んだ。…俺は旅の仕事が終わってからも、毎月養育費のつもりで金を送っていたんだが、何年かして金を受け取らなくなり、どこかへ引っ越して消息もわからなくなっちまった」

 父親はそこまで言うと、左胸を押さえてしゃがみ込んだ。私は、ううっと呻いている父親の肩を支えた。父親は心臓に持病を持っているのだ。

 「…椿本はどういういきさつで、どこで調べたのか、女と娘の居所を突き止めた。そして俺と3人で写っている写真を何枚か持ってきて、俺の過去をばらされたくなかったら自分に協力しろと言ってきた。…ばれても母さんやお前にはまだいい。恐ろしいのは集落の噂だ。ここは昔から閉鎖的な村で、悪い話はすぐに広がる。村の衆に妙なかたちで知れ渡ったら、ここには住んでいられなくな…」

 そこまで言うと、父親は胸を押さえたままうつ伏せに倒れた。苦しそうに身体をくねらせながら、足掻くように宙に手を伸ばす。

 「父さん!父さん!」

 私はなすすべもなく、ただ見守ることしかできなかった。

 …やがて父親は動きを止めた。呆気ない人生の終わりだった。私はしばらく呆然としていたが、一度手を合わせてから、目と口を閉じてやる。

投げ出された茶封筒に目をやると、憎悪の炎が上がってきたが、私は気持ちを抑え込んだ。

父親を抱えて夫婦の寝室へと運んでいく。

 軽くて小さい身体だ、鉄筋職人をやっていた若い頃の父親の身体は、まるで鋼のような筋肉を持っていた。らくだのコブのような上腕二頭筋にぶらさがり振り回された視界、深い笹薮を進んでいく肩車からの視界、堰に落としてしまった自転車を片手でかつぎ、もう片方の肩に乗った時につかまれた太い腕、小さい頃の記憶がつぎつぎ蘇ってきた。

 ふすまを開けると、父親の布団は半分めくれていた。静かに身体を横たえてやると、深い眠りの中にいるような顔に見えた。掛け布団を掛けてやる。

 母親は姿勢よく真上を向いたまま、熟睡の寝息を立てている。

 私は父親のもとに正座すると、手を合わせる。しばらくそうしていた。

 ゆっくり立ち上がると、部屋をあとにした。阿修羅と呼ばれた頃があった。今の私はまさしくそんな表情をしているだろう。

 

 

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