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レンタカーを発車させて、慶城湖をあとにする。
外灯もカーブミラーも少ない山道を降りていくと、暗闇に白く光る小さな点が4つ見えた。ハイビームに切り替えたライトは、野生の鹿を捉えた。大きな角を生やした雄鹿が二頭、道路の真ん中に立ってこっちを見ている。
ほとんど車が通らない夜の道路は、獣どもの社交場のようだ。やがて訪れる冬に備えて、夜通し餌を探し歩いているのだろう。クラクションを3度鳴らしてやっと山の斜面を駆け上がっていった。
私は先ほどの椿本とのやり取りを考えていた。つまらないハイエナは野放しにする前に、この手で潰しておくべきだった。あの男の狡猾さを甘く考えていた。
気まぐれにカーラジオのスイッチを入れた。自動で選局された放送が聞こえてくる。
『…次のリクエストでーす、須坂市のミキさん。宇崎竜童のハッシャバイ・シーガルお願いします。…これはシブ懐かしい曲来ましたねー。この放送聞いてるリスナーで知ってる人いるのかなー。
私は60過ぎてるから、もちろん知ってますよ。これはねー[TATOOあり]って映画のエンディングテーマですね。
約40年前に実際に起きた銀行強盗事件をテーマにした映画でね、猟奇的殺人犯人の生い立ちから、事件発生までの軌跡を描いてるんですねー。で、その犯人役が、この曲を歌っている宇崎竜童さん。
いやー、実際の立てこもり事件の時は、ニュースでリアルで流れてきてましたから、よく憶えてますけど、映画を観た時はまた違ったショックを受けましたねー。ではどうぞ。
淋しさを癒すのに 俺は何をすればいい 潮風の町に来て 飛び立つかもめ見つめている
そんなに何を 生き急ぐのか ハッシャバイ ハッシャバイ シーガル
同じさ俺と 阿保鳥さ ハッシャバイ ハッシャバイ シーガル
眠りたいぐっすりと 蒼い海の底深く みじめさを通り越し 安らぎの場所探す俺さ
堕ちてく夢は もう見たくない ハッシャバイ ハッシャバイ シーガル
放浪だけの 阿保鳥さ ハッシャバイ ハッシャバイ シーガル… 』
私が生まれた頃の曲だった。どういうわけだか知っていたが、聴いたのは久しぶりだ。…しわがれた歌声に、なぜか心がささくれだってきて、胸の奥に鉛がつかえたようになった。
音楽に心を動かされる。そんな人間的な感情が、こんな私にも残っていたようだ。
実家にたどり着いたのは20時過ぎだった。レンタカーを庭に停めると、障子越しに居間の灯りが見える。
玄関を開けると、そこまでいい匂いが漂ってきていた。居間のふすまが開いて、母親が顔を見せる。
「おかえり、遅かったねえ。さあさあ」
居間のこたつの上のカセットコンロに、母親が火を点ける。父親はいつも通り、焼酎のお湯割りを飲んでいて、いくらかほろ酔いな顔をしていた。
コンロの上の土鍋には、肉と野菜のほかに、今日私が採ってきた雑キノコも入っているようだ。
「ごみ取って湯がいて、下ごしらえするのに2時間もかかったけど、義彦はいいの採ってきたよ」
母親は満足そうに言うと、私の小鉢によそってくれた。何年かぶりに食べたキノコ鍋は、沁みるほど美味かった。
テレビで地方ニュースが流れていた。今年の害獣被害について、識者が意見を交わしている。それを見ながら父親は嘆いている。
うちに限らずどこの田畑も、鹿・猪・熊・たぬきなどに荒らされて、以前のような収穫を得られない。収穫寸前に食い荒らされる失望は、農家にとって悲劇だ。
「獣にやられねえために全部の畑に電気柵をやるじゃ、銭がかかってしょうねえ。それぐれえなら畑なんやめてスーパーで買った方が全然安えわ。…猟友会も若え衆なん入りゃあしねえ。山なん歩けねえような年寄りっきりになっちまったで、獣なんどんどん増えるっきりだわ」
父親はグラスを片手にブツブツと愚痴っている。
たしかに私が小さい頃は、鹿や猪などを目撃することなどほとんどなかった。今では先ほどの鹿のように、人間など恐れず堂々と姿を現している。生態系はここ何十年で大きく変わってきているようだ。




