22
「ただ、どうも解せねえことがある。勇市さん失踪後に、お前は東京に出て行った。俺は勇市さんから奪った銭で羽振り良く暮らしているのかと思ったら、全然そうじゃねえ。…サンライズ商事とかいう、言っちゃ悪いが零細企業の社員で、賃貸の小せえマンションに家族4人で慎ましく暮らしてる」
私は椿本がそこまで調べていたのかと、内心驚いた。
「藤松興産は勇市さんがいなくなってから、かつての勢いや元気はなくなって、ずいぶんと規模を縮小した。親父が精神を病んじまってな。あんなろくでもねえバカ息子でも、親父はかわいがっていたからな。…お前が東京に出ていった理由は知らねえが、お前ほどの頭脳と度胸と腕っぷしがありゃ、勢いなくした藤松の向こうを張れる事業だってできたはずだ。そんなお前がちんけな商社の係長に収まってることが、どうも腑に落ちねえ」
椿本は訝しげな眼を向けてくる、そして仕切り直すように言った。
「とにかく俺は、立花義彦による藤松勇市氏拉致・殺人・死体遺棄、そして巨額の金品強奪疑惑の報告書を、数々の証拠品や目撃証言とともに作った。…警察に提出すれば、お前は間違いなく逮捕されるだろう」
椿本は自信満々の表情で腕組みをした。
「だが、取引はできるぜ、…5000万だ。勇市さんの推定所持金額の半分てとこさ。正直な話、ここに辿りつくまでに相当な経費が掛かっているんだわ。だから全額払ってくれりゃ、俺はお前の目の前で報告書や資料はすべて焼却する。…どうだ?」
同い年だが、かつて椿本は私の子分のような存在だった。虚勢を張るわりに腕力も知恵も度胸も乏しいので、年上の不良たちの恰好の餌食になっていた。私はその都度助けたり庇ったりしたが、しばらく会わない間に、したたかで狡猾な策士に変わっていた。
《20年前の慶城湖に戻る》
ボートを漕いで岸に着く頃には、東の空が白みがかってきた。
顔にぶっかかった血が乾いて、肌が強張る。薄い革手袋は、勇市の血をたっぷり吸って、オールを握る手がヌメヌメと滑る。鉄サビのような血臭が全身にまとわりついていた。
私はボートを岸に寄せると、ロープを陸に投げ、草むらに飛び移る。
ロープを立ち木に縛りつけている時、不意に人の気配がした。私は手を止め、背後の気配がたしかなものだと感じると、尻ポケットに入れたままのワルサーPPKに手を添えながらゆっくり振り返った。
そこには見知らぬ男が立っていて、右手にリボルバーらしき拳銃が握られ、銃口は私に向いていた。PPKのようなチャチなものではない。私は硬直したように動けなくなった。
グレーのハンティング帽、薄茶色のサングラス、口元にはマスクだったので、表情はわからないが、スマートで背の高い男だ。175センチの私より10センチは高そうだった。
薄いブルーのワイシャツに紺色のスラックス、足元は黒い革靴。一見、田舎に観光に来た裕福な都会人のような洗練さと違和感を感じた。男はスラックスのポケットに左手を突っ込んだまま、自然体で立っている。
「君は地元の人かね」
男の声はしわがれ気味のバリトンだった。イントネーションの違いから、ひと言だけでこの地方の人間ではないことと、50歳は過ぎているだろうということはわかった。




