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―――20年前の8月5日、深夜1時。私は仕事用の白い軽バンに乗り、藤松の館へ向かった。
藤松邸は町の中心地にある『藤松興産』とは離れた場所にある。町全体を見下ろせる高台にあり、豪勢な母屋と2棟の土蔵、数台の車を格納する巨大なガレージ、勇市が住む離れ部屋、高価な樹木を方々に配置した純日本庭園が広がっているが、白壁の高い瓦塀が周りを囲っているので、外から内部を見ることはできない。
私は瓦塀沿いにバンを走らせ、裏手に回った。ちょうど真裏あたりに勝手口の扉がある。扉を少し過ぎた路肩にバンを停めると、あたりの様子を窺う。遠くに外灯が寂しく灯っているが、人の気配はなかった。
車内で薄い黒革の手袋をはめ、黒い目出し帽を頭からすっぽりと被る。深夜とはいえ真夏なので、途端に汗が噴き出た。
そっとドアを開けて車外へ出た。頭から足元まで黒ずくめの恰好だ。静かにドアを閉めると、足音を忍ばせて勝手口に近づく。白い塀のその部分だけが、漆黒の木製扉だった。
アルミ製の黒いハンドルを回すと、鍵は掛かっておらず手前に開いた。勇市に日替わりで呼ばれる小娘たちが出入りするからであろう。私は目出し帽の下で、勇市の間抜けさを嘲笑った。
塀の中に潜入すると、目の前に生垣代わりの細竹の藪が続いていた。生垣の向こうは勇市の離れ部屋だが、密集した竹のせいで建物は見えづらかった。
10メートルほど進むと、竹藪が途切れた場所がある。離れ部屋の裏口部分だ。黒っぽい引き戸が見えた。建物の左右を窺うが、窓からは明かりは見えない。ただエアコンの室外機の唸りが聞こえるだけだ。私は室内に勇市がいることを確信して、思わず頬が緩む。
以前、椿本とふたりで勇市に呼び出された時のことを思い出す。私と椿本は離れ部屋の床の上に正座させられていた。献金ノルマの達成が見込めない状況の時だった。
『鍵は裏口の足元にあるブロックの穴の中にあるからよ』正座の私と椿本の前で、革張りのソファーに胡坐をかき、くわえタバコのまま面倒くさそうに誰かと電話をしていた勇市の姿だ。
足元にはたしかに軽量ブロックが横向きに2段重ねてあった。しゃがみ込んで穴の中に指を突っ込んでみる。上段の真ん中の穴に手応えがあった。引き出してみると、プラスチック製のキーホルダーが付いた鍵だった。
引き戸の鍵穴にキーを挿すと根本まで入った、そのまま180度回す。軽い手応えとともに解錠した。
私は静かに引き戸を滑らす。自分の幅だけ開け中に入ると、そっと後ろ手で戸を閉めた。しばらく息を潜め、様子に変化がないことを確認してから、ポケットから小型のマグライトを取り出して点灯させた。
裏口だが中は小型の玄関ホールのような造りで、足元は半畳ほどのコンクリートの土間だった。そこには勇市のものらしきサンダルが一足あるだけだ。今夜の来訪者はないらしい。
私は軽めの黒いスニーカーを脱ぐと、2畳ほどの板張りのホールを横切り、木製の引き戸の前に立つ。顔の高さにガラスの小窓が付いていたので、ゆっくりと中を覗き込んでみた。
常夜灯のオレンジ色が、室内をぼんやり照らしているが、はっきりした様子はわからない。引き戸に耳を当ててみたが、エアコンの静かな唸り音しか聞こえなかった。
引き戸の取っ手に指をかけ、じわりと滑らすと、強いタバコ臭とともに、エアコンの冷気が流れ出してきた。
私は身体を斜めによじり中に入ろうとしたが、その瞬間、目の前に赤い発光体のようなものが現れ、私の横を通過した。思わずのけぞると発光体は裏口の方へ移動する。その形は小柄な人間のようだった。
そしてもうひとつ同じような赤いものが部屋から現れ、さっきと同様に裏口の方へ移動するとフッと消滅した。
焼き鳥屋にぶらさっている提灯のような色をした発光体は消える瞬間、こちらを振り向く仕草をしたように見えたが、気のせいかもしれない。
不可解な現象だったが、私にとってはどうでもいいことだった。




