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第8話|脚だけじゃない

――狐視点


狸の脚に触るのに、理由を考えなくなった。


いつからだったかは分からない。


怪我をしたからだとか。


再発予防だとか。


張っているから揉んでやるだとか。


以前はいちいち、そんな理由を頭の中に並べていた気がする。


今はもう、ない。


「……重い」


「うるせえ」


狸の部屋。


仕事を終えて風呂も済ませたあと、狸は壁に背を預けて胡座をかいていた。


その横で狐は畳に寝転がり、狸の片脚を勝手に引き寄せて枕にしている。


脛の外側へ頬を預ける。


湯上がりだからか、今日も狸は熱い。


じわじわと頬へ移ってくる熱が気持ちいい。


「人の脚を枕にしといて、うるせえはないだろ」


「使ってねえんだからいいだろ」


「使ってる」


「何に」


「胡座」


「片方ありゃできるだろ」


「できねえよ」


狸が脚を引こうとした。


狐は反射的に足首を掴む。


「動かすな」


「俺の脚なんだけどな」


「今は俺が使ってんだよ」


言ってから、何がおかしいのか狸が小さく笑った。


「……なんだよ」


「いや」


「言えよ」


「随分偉くなったなと思って」


「は?」


狸が自分の足首へ視線を落とす。


そこには狐の手がある。


「前は触るだけで、あんなに挙動不審だったのにな」


「――っ」


狐は狸の脛から勢いよく顔を上げた。


「昔の話すんな!」


「そんな昔でもねえだろ」


「うるせえ!」


「足袋持って固まってたし」


「狸!」


くつくつ笑う狸の脛を叩く。


けれど、離しはしなかった。


腹が立つ。


本当に腹が立つ。


だが。


狸の言う通りでもあった。


少し前まで。


狸の足に触れるだけで、あれこれ考えていた。


触っていいのか。


触りすぎじゃないのか。


何で触りたいんだ。


今となっては。


そんなことを考える方がおかしい。


「……俺が手入れしてんだからな」


「ん?」


「お前の脚」


狐はもう一度、狸の脛へ頭を乗せた。


「怪我したときから俺が見てんだろ」


「まあ」


「だったら俺が触って何が悪い」


「悪いとは言ってない」


「じゃあ黙ってろ」


「はいはい」


気の抜けた返事。


それにも腹が立ったが。


今日は狸の脚を取り上げられなかったので、許すことにした。


ここはもう。


自分が触っていい。


それくらいは分かっている。


この前。


狸がカラスに脚を触らせたときは、嫌だった。


何が嫌なのかは、まだ分からない。


ただ。


狸の足首を掴むのも。


脚を揉むのも。


そこに頬を乗せるのも。


自分がいい。


それだけは。


もう分かっていた。


     *


しばらくして。


「狐」


「んー……」


「寝るなら布団行け」


「寝てねえ」


「今寝かけてただろ」


「寝てねえって」


狸の脚へさらに頬を押しつける。


本当は少し眠かった。


一日中人力車を引いたあとの身体は重い。


風呂上がりの畳は気持ちいい。


狸の脚は、もっと気持ちいい。


熱くて。


硬くて。


触れていると。


力が抜ける。


「……狐」


また呼ばれた。


「なんだよ」


「こっち来い」


「は?」


顔を上げる。


狸が自分の胸元を軽く叩いた。


「…………何」


「こっち」


「だから何でだよ」


「脚、痺れた」


「軟弱だな」


「誰かさんがずっと乗ってるからな」


仕方なく身体を起こす。


狸の脚を解放してやると、狸は膝を立て直した。


狐はその横へ座り直そうとした。


ところが。


「遠い」


「は?」


「もっとこっち」


「お前今日なんなんだよ」


「別に」


妙な奴。


狐は眉を寄せたまま、それでも近づいた。


肩と肩が触れる。


「……これでいいだろ」


「ん」


狸の返事は短かった。


さっきまで脚に乗っていた狸の熱が、今度は肩から伝わってくる。


「……暑い」


「離れるか?」


「そこまでは言ってねえ」


口から出てから。


狐は黙った。


狸も何も言わなかった。


離れるほどじゃない。


それだけだ。


     *


「……眠い」


「やっぱり寝かけてたんじゃねえか」


「うるせえな……」


瞼が重い。


脚がなくなったせいで、頭を置くところもない。


枕を取りに行くのも面倒だった。


狐は少し迷って。


狸の肩へ頭を預けた。


狸の身体が、一瞬だけ止まった。


「……何」


「いや」


「文句あんのか」


「ない」


「なら動くな」


「はいはい」


目を閉じる。


さっきまでとは違う。


脚は硬かった。


肩も硬い。


けれど。


こっちの方が近い。


狸の匂いが。


鼻先にある。


狐は無意識に、少し深く息を吸った。


やっぱり。


変な匂いだ。


汗や湯の匂いだけじゃない。


狸の匂い。


どうしてこれを嗅ぐと落ち着くのか。


分からない。


でも。


身体から力が抜けていく。


「……狐」


「なんだよ」


「もうちょい下」


「何が」


「その方が楽だろ」


狸の腕が動いた。


肩を強く抱き込むのではなく。


身体の位置を少し支えるだけ。


嫌ならすぐ離れられるくらいの力だった。


狐は一瞬迷った。


それから。


狸の胸元へ頭をずらした。


耳が、胸に触れる。


「…………」


狐は目を開けた。


とくん。


小さな音がした。


「……何だ?」


「何が」


とくん。


また。


狐は動かずに聞いた。


とくん。


とくん。


狸の身体の奥から。


規則正しく。


音が伝わってくる。


「……お前」


「ん?」


「ここ、動いてんだな」


頭の上で沈黙があった。


「……そりゃ動くだろ」


「知ってるよ」


狐は眉を寄せる。


「そういう意味じゃねえ」


狸の熱は知っている。


筋肉の硬さも。


汗の匂いも。


足袋の中に籠もった匂いまで。


嫌になるくらい知っている。


けれど。


こんな音は。


知らなかった。


とくん。


とくん。


不思議だった。


狸はいつも気怠そうで。


何を考えているのか分からなくて。


狐が怒っても、平然としている。


なのに。


身体の中では。


ずっと。


こんな音が鳴っている。


狐はもう少し耳を押しつけた。


「狐?」


「黙ってろ」


「何で」


「聞こえねえだろ」


「何を聞いてんだよ」


「これ」


狸の胸を指先で軽く叩く。


その直後。


どくん。


「…………あれ」


さっきより大きかった。


狐は目を瞬く。


どく。


どく。


「……お前」


「何」


「速くなってねえ?」


「気のせいだろ」


「いや」


さらに耳を澄ませる。


「速い」


「……いちいち聞くな」


狸の声が、ほんの少し低くなった。


狐は顔を上げかける。


その瞬間。


どくん。


また強く鳴った。


「ほら」


「狐」


「なんだよ」


「そうやって聞かれると余計速くなる」


「なんで」


狸が黙った。


狐は待った。


だが。


答えない。


「変な奴」


「お前に言われたくない」


「俺は普通だ」


「俺の脚を勝手に枕にする奴が?」


「まだ言うか!」


狸が笑う。


その振動まで。


頬から伝わってきた。


狐は再び目を閉じる。


とくん。


とくん。


まだ少し速い。


でも。


嫌じゃない。


むしろ。


「……これ、いいかも」


「何が」


「別に」


「言えよ」


「うるせえ」


狸の胸へ額を押しつける。


言うつもりはなかった。


この音が。


意外と心地いいなんて。


そんなことを言ったら。


また狸が調子に乗る。


     *


部屋が静かだった。


さっきまでと。


何も変わっていないはずなのに。


今は。


やけに静かに感じる。


すぐ近くで。


狸の鼓動が鳴っている。


とくん。


とくん。


そればかりが。


耳に入ってくる。


狐はふと、自分の手を見る。


いつの間にか。


狸の胸元の衣に触れていた。


掴んではいない。


ただ、掌を置いている。


その下からも。


微かな振動が伝わる。


足とは全然違う。


なのに。


こっちも。


悪くない。


「……狸」


「ん?」


「脚」


「脚?」


「……じゃなくてもいいかも」


言ってから。


自分でも何を言っているのか分からなくなった。


狸もすぐには返事をしなかった。


「何が?」


「分かんねえ」


「分かんねえのかよ」


「うるせえな」


狐は狸の胸元へ顔を埋める。


脚じゃなくてもいい。


それは。


分かった。


じゃあ。


何ならいいのか。


分からない。


何で。


ここから離れたくないのか。


それも。


分からない。


でも、離れたいとは思わなかった。


「狐」


「……何」


「眠いなら寝ていいぞ」


「寝ねえ」


「そうか」


「……でも動くな」


「はいはい」


狸の腕が少しだけ動く。


閉じ込めるほど強くはない。


離れようと思えば。


すぐ離れられる。


それでも。


狐は離れなかった。


むしろ。


狸の胸へ。


もう少しだけ頬を押しつけた。


とくん。


とくん。


耳のすぐそばで。


音が続く。


狸が。


ここにいる音。


俺は。


目を閉じた。


脚じゃなくてもいい。


何でなのかは。


まだ分からない。


ただ。


この音を。


もう少し聞いていたかった。



――狸視点


最近、狐は俺の脚に遠慮がない。


「……重い」


「うるせえ」


俺の部屋。


仕事を終えて風呂に入り、あとは寝るだけという時間。


壁に背を預けて胡座をかいていた俺の片脚を、狐は当然のように奪っていた。


畳に寝転がり、俺の脛を枕にしている。


少し前までなら。


触れるだけであれほど理由を並べていたくせに。


怪我をしたから。


再発すると困るから。


張っているから。


左右の釣り合いが悪くなるから。


聞くたびに、よくもまあ次から次へと思いつくものだと感心した。


今は、それすらない。


「人の脚を枕にしといて、うるせえはないだろ」


「使ってねえんだからいいだろ」


「使ってる」


「何に」


「胡座」


「片方ありゃできるだろ」


「できねえよ」


少し脚を引いてみる。


すぐに足首を掴まれた。


「動かすな」


思わず笑いそうになる。


「俺の脚なんだけどな」


「今は俺が使ってんだよ」


――今は俺が使ってる、か。


随分な言い草だ。


けれど。


不思議と嫌ではなかった。


「随分偉くなったなと思って」


「は?」


「前は触るだけで、あんなに挙動不審だったのにな」


案の定、狐が勢いよく顔を上げる。


「昔の話すんな!」


「そんな昔でもねえだろ」


「うるせえ!」


少しからかう。


それだけで狐は分かりやすく怒る。


けれど、俺の足首を掴んだ手は離れない。


この前。


俺はその手を、わざわざ確かめようとした。


カラスに脚を触らせて。


狐が嫌がっていると分かってからも、止めなかった。


俺じゃなければ嫌だと。


狐の口から聞きたかった。


あれは、やりすぎた。


そして今。


そんなことをしなくても。


狐は俺の脚を勝手に枕にしている。


「……俺が手入れしてんだからな」


狐がぼそりと言った。


「ん?」


「お前の脚」


また脛へ頭を戻す。


「怪我したときから俺が見てんだろ」


「まあ」


「だったら俺が触って何が悪い」


「悪いとは言ってない」


「じゃあ黙ってろ」


「はいはい」


返事をしながら、狐を見る。


目を閉じている。


俺の脚へ頬をつけて。


何の理由も並べずに。


そこにいる。


それを見ていたら。


今日はもう、確かめなくていいと思った。


狐はここにいる。


今夜は。


それでよかった。


     *


しばらくすると、狐の呼吸がゆっくりになった。


「狐」


「んー……」


「寝るなら布団行け」


「寝てねえ」


どう聞いても寝かけている。


「今寝かけてただろ」


「寝てねえって」


さらに頬を押しつけてくる。


重い。


だが、どかそうとは思わなかった。


むしろ。


脚に伝わってくる狐の重さを、ぼんやり感じていた。


ここにいる。


それが分かる重さだった。


「……狐」


「なんだよ」


「こっち来い」


狐が目を開ける。


「は?」


俺は自分の胸元を軽く叩いた。


「こっち」


「だから何でだよ」


何で。


言われてみれば、特に理由はなかった。


脚が痺れてきたのは本当だ。


けれど。


それだけなら狐を退かせれば済む。


ただ。


脚へあれほど当たり前に寄りかかるようになった狐が。


ここへ来たら、どうするんだろう。


少し。


見てみたくなった。


「脚、痺れた」


「軟弱だな」


「誰かさんがずっと乗ってるからな」


狐は渋々身体を起こした。


俺の脚が自由になる。


狐は少し離れたところへ座り直そうとした。


その距離が。


妙に遠く見えた。


「遠い」


「は?」


「もっとこっち」


「お前今日なんなんだよ」


「別に」


狐は怪訝そうな顔をした。


それでも来る。


肩が触れるところまで。


「……これでいいだろ」


「ん」


近い。


それだけで。


妙に落ち着いた。


狐が小さく、


「……暑い」


と呟く。


「離れるか?」


「そこまでは言ってねえ」


俺は狐を見た。


本人は気づいていないらしい。


離れたくはないのか。


少し前なら。


その言葉から、もっと何かを引き出そうとしたかもしれない。


けれど今日は。


それ以上、何かを言わせたいとは思わなかった。


狐の肩が触れている。


それでよかった。


     *


「……眠い」


「やっぱり寝かけてたんじゃねえか」


「うるせえな……」


狐が俺の肩へ頭を預けてきた。


一瞬、身体が固まった。


狐の方から来るとは思っていなかった。


「……何」


「いや」


「文句あんのか」


「ない」


本当にない。


「なら動くな」


「はいはい」


しばらくして。


狐が小さく息を吸った。


俺の匂いでも嗅いでいるのだろうか。


以前なら。


それに気づいた瞬間、からかっていただろう。


また嗅いでるのか。


そんなに俺の匂いが好きか。


言えば狐は真っ赤になって怒る。


その顔を見るのは、今も好きだ。


でも。


今日は言わなかった。


狐が何も警戒せず、俺へ体重を預けている。


それを崩したくなかった。


「……狐」


「なんだよ」


「もうちょい下」


「何が」


「その方が楽だろ」


肩へ腕を添える。


抱き込まないように。


狐が嫌なら、そのまま離れられる程度に。


少し位置を支えてやる。


狐は抵抗しなかった。


頭が下がる。


俺の胸へ。


耳が、胸元へ触れた。


その瞬間。


自分の心臓が、ひとつ強く鳴った。


――あ。


「…………」


気づいたのは、たぶん俺だけだった。


いや。


「……お前」


狐が目を開けた。


「ん?」


「ここ、動いてんだな」


思わず黙った。


「……そりゃ動くだろ」


「知ってるよ。そういう意味じゃねえ」


狐は離れない。


俺の胸へ耳をつけたまま、じっとしている。


心臓の音を聞いているらしい。


妙な気分だった。


今まで。


狐の変化を見るのは俺だった。


耳が赤くなった。


呼吸が変わった。


手が温かくなった。


触れれば身体が固くなった。


全部、見ていた。


それなのに今は。


自分の身体の中にあるものを。


狐に聞かれている。


とくん。


とくん。


自分では普段、意識もしない音。


それを狐が聞いている。


そう思った途端。


少し速くなった。


狐がさらに耳を押しつける。


「狐?」


「黙ってろ」


「何で」


「聞こえねえだろ」


「何を聞いてんだよ」


狐の指が胸に触れる。


軽く叩かれた。


どくん。


また強く鳴る。


「…………あれ」


狐が呟く。


嫌な予感がした。


「……お前」


「何」


「速くなってねえ?」


「気のせいだろ」


「いや」


狐が真剣に耳を澄ませる。


「速い」


「……いちいち聞くな」


少し困った。


こんなもの。


自分で止められるわけがない。


狐が近いから。


胸へ耳を当てているから。


俺の音を聞こうとしているから。


たぶん。


それだけだ。


狐が顔を上げかける。


また心臓が跳ねた。


「ほら」


「狐」


「なんだよ」


「そうやって聞かれると余計速くなる」


「なんで」


答えようとして。


やめた。


何と言えばいい。


お前がそこにいるから。


お前が聞いているから。


そんなことを言えば。


狐はまた考え始める。


俺も。


今は、それをしたくなかった。


「変な奴」


「お前に言われたくない」


「俺は普通だ」


「俺の脚を勝手に枕にする奴が?」


「まだ言うか!」


笑った。


その振動まで狐には伝わったらしい。


狐は俺の胸へ顔を戻す。


しばらくして。


「……これ、いいかも」


小さく聞こえた。


「何が」


「別に」


「言えよ」


「うるせえ」


胸へ額を押しつけられる。


それ以上は聞かなかった。


たぶん。


聞かなくてもいい。


     *


部屋が静かだった。


いつもと同じ部屋なのに。


今日は。


やけに静かに感じる。


胸元では。


狐が静かに息をしている。


そのすぐそばで。


自分の鼓動だけが。


やけに大きく。


身体の中に響いていた。


とくん。


とくん。


ふと。


狐の手が胸元に置かれていることに気づいた。


衣の上から。


ただ、掌を乗せている。


脚に触れるときの狐は、随分偉そうになった。


掴む。


揉む。


引き寄せる。


枕にする。


まるで自分のものみたいに。


なのに。


胸に置かれた手は、まだ少しだけ遠慮していた。


それがおかしくて。


同時に。


少し嬉しかった。


「……狸」


「ん?」


「脚」


「脚?」


「……じゃなくてもいいかも」


一瞬。


意味が分からなかった。


「何が?」


「分かんねえ」


「分かんねえのかよ」


「うるせえな」


狐が顔を埋める。


脚じゃなくてもいい。


その言葉だけが。


妙に残った。


狐自身は。


きっとまだ。


何を言ったのか分かっていない。


俺も。


教えてやるつもりはなかった。


俺の胸に。


狐がいる。


狐は。


俺の音を聞いている。


とくん。


とくん。


それだけで。


妙に満たされていた。


「狐」


「……何」


「眠いなら寝ていいぞ」


「寝ねえ」


「そうか」


「……でも動くな」


「はいはい」


腕の力を少しだけ抜く。


抱き締めてしまわないように。


狐が起きたければ起きられるように。


離れたければ離れられるように。


それでも。


狐は離れなかった。


逆に、ほんの少し。


俺の胸へ頬を押しつけてくる。


心臓がまた鳴る。


とくん。


とくん。


今度は。


隠そうとも思わなかった。


聞きたいなら。


好きなだけ聞けばいい。


そのうち。


狐の呼吸がゆっくりになっていった。


寝ていないと言い張っていたくせに。


たぶん。


もう半分眠っている。


俺はその頭を見下ろした。


この前まで。


俺は狐に。


何かを言わせようとしていた。


自分を選ばせようとしていた。


でも。


今夜は。


何も確かめなくていい。


何も言わせなくていい。


狐は。


自分からここにいる。


俺の胸に。


狐がいる。


それで。


よかった。


ゆっくり息を吐く。


胸元では。


狐が俺の音を聞いている。


とくん。


とくん。


狐は離れない。


俺も。


動かなかった。


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