第4話|夜更けの手当て
――狐視点
その日の狸は、朝から少しおかしかった。
客を乗せた人力車を引く姿は、いつもと変わらない。
大きな背中も、石畳を踏みしめる脚も、遠目には普段どおりだった。
けれど、狐は気づいていた。
客を降ろしたあと、狸が右脚へ体重をかけるのを一瞬ためらったこと。
休憩中、人目を避けるように太腿を押さえていたこと。
そして仕事を終えた今、歩幅が、いつもより少し狭い。
見ていなければ、たぶん気づかない。
でも。
狐は見ていた。
「おい」
狸は振り返らない。
「おい、狸」
「聞こえてる」
「だったら止まれ」
狸は面倒そうに息を吐いて、人力車の梶棒へ身体を預けた。
「このくらい、寝れば治る」
「脚引きずってる奴が言っても説得力ねえんだよ」
狐はしゃがみ込み、狸の脚へ手を伸ばした。
狸が少し脚を引く。
「触るぞ」
「もう触ろうとしてただろ」
「うるせえ」
「狸、大丈夫なん? 手ぇ貸そか」
近くにいたうさぎが声をかけてきた。
狐は考えるより先に答えた。
「俺が連れて帰る」
「あ、そ。ほんなら任せるわ」
うさぎはそれ以上何も言わなかった。
狐は狸の太い腕を自分の肩へ回した。
「まったく。妙なところで世話焼きだな」
「黙って歩け」
狸の体温が、肩越しに伝わる。
重い。
熱い。
仕事を終えたばかりの身体から、日差しと埃、それから乾ききらない汗の匂いがする。
知っている。
狸の匂いだ。
狐は一瞬。
あの日のことを思い出した。
黒い足袋。
蝉の声。
狸に全部見られていたこと。
「……」
思い出すんじゃなかった。
「どうした?」
「何でもねえ!」
「そう」
「笑うな!」
「笑ってないけど」
絶対に笑っている。
狐は狸の腕を担ぎ直した。
それでも。
離す気はなかった。
*
宿へ戻るころには、日はすっかり傾いていた。
行灯を灯した部屋へ狸を座らせ、狐は薬箱と湯を運んできた。
狸は壁にもたれ、痛む脚を投げ出している。
「足袋脱げ」
「お前が診るのか?」
「ほかに誰がいる」
「うさぎでも呼ぶ?」
「駄目だ」
即答した。
狸の眉が、わずかに上がる。
「……何が駄目なんだ」
「……」
狐は黙った。
なんでだ。
うさぎでも。
別に。
手当てくらいできる。
たぶん。
でも。
嫌だった。
「俺がやる」
「だから、なんで」
「俺が見つけたからだ」
言ってから。
狐は自分でも、よく分からない理由だと思った。
狸もそう思ったらしい。
少しだけ口元が動く。
「何だよ」
「いや」
「言いたいことあるなら言え」
「ないよ」
「じゃあ黙ってろ」
狐は狸の足元へ膝をついた。
黒い足袋の紐へ指をかける。
汗を吸った布は肌へ張りついていた。
片手で踵を支え。
もう一方の手で、ゆっくり引き下ろす。
熱が。
掌へ直接伝わった。
「熱いな」
「一日中走ってたからな」
「そういう意味じゃねえ。腫れてるかもしれない」
足袋が脱げる。
閉じ込められていた熱気が、ふわりとほどけた。
汗。
埃。
それから。
狸の匂い。
狐の手が止まった。
「……」
知っている。
あの日。
近くで。
何度も嗅いだ。
「どうした」
「!」
狐は狸の足を畳へ下ろした。
「別に」
「ずいぶん丁寧に脱がせるんだな」
「痛めてるかもしれねえからだ」
「足を?」
「脚だ!」
狸が目を細める。
笑っている。
あの日のことを思い出している。
絶対そうだ。
「……あの日のこと言ったら殴るからな」
「何のこと?」
「分かってんだろ!」
「さあ」
「この狸……!」
いつも通りだ。
腹が立つ。
でも、少し安心した。
狐は薬油を掌へ垂らした。
両手を擦り合わせる。
「痛かったら言え」
「お前にしては優しいな」
「今すぐやめてもいいんだぞ」
「それは困る」
狐の手が止まった。
狸は普通の顔をしている。
「……なら黙ってろ」
狐は狸の足首を支えた。
薬油を馴染ませながら、ふくらはぎをゆっくり押していく。
太い。
重い。
仕事で鍛えられた脚は、狐の手だけでは収まりきらない。
「ここは?」
「平気」
「じゃあ、ここ」
膝の裏へ指が触れた。
狸の脚が、わずかに動く。
狐はすぐ手を止めた。
「痛むのか」
「いや。くすぐったいだけ」
「紛らわしい反応すんな」
「お前の触り方が慎重すぎるんだよ」
「怪我してる奴が偉そうに言うな」
膝から上へ。
ゆっくり手を進める。
太腿へ触れる。
さっきより。
もっと熱い。
張った筋肉を、掌で確かめる。
外側。
何もない。
内側へ指を移す。
狸が小さく息を吐いた。
「そこ」
狐は手を止めた。
「……ここか」
「もう少し上」
言われた通りに手を進める。
着衣の裾へ指先が触れた。
その向こう。
短い腰布。
「……」
あのときも。
似たようなところを見た。
あのときは。
手を伸ばしかけた。
「そんなに近づかないと分からないのか」
狐の耳が跳ねる。
顔を上げる。
狸が見下ろしている。
眠そうな目。
口元だけが。
少し笑っている。
「ち、近づいてねえ」
「俺の脚へ鼻先がつきそうだけど」
「暗いから見えねえんだよ!」
「行灯ついてるよ」
「黙れ!」
顔を背ける。
頬が熱い。
狸が笑っている。
「面白がりやがって……」
「悪い。お前があまりに分かりやすいから」
「何がだ」
「さあ」
また。
それだ。
狸は何か分かっている。
俺には。
分からない。
それが腹立たしい。
「嫌なら、もういいぞ」
狸の声から笑いが消えた。
「無理に触ることはない。薬を塗るだけなら自分でもできる」
脚を引こうとする。
狐は。
反射的に足首を掴んだ。
「駄目だ」
狸が止まる。
「俺がやる」
「どうして?」
「……」
分からない。
別に。
狸が自分でやってもいい。
うさぎを呼んでもいい。
他の誰かでも。
手当てはできる。
でも。
嫌だ。
狐は足首を離さなかった。
「俺がやるって言ってんだろ」
「理由になってないけど」
「うるせえ」
「……そう」
狸は少しだけ狐を見た。
それから。
脚の力を抜いた。
「じゃあ、任せる」
「おう」
狐はすぐに薬油を取った。
さっきより。
少しだけ。
気分がよかった。
なんでかは。
知らない。
硬くなったところを、掌の付け根でゆっくり押す。
狸の呼吸が少しずつ深くなる。
「力加減は」
「ちょうどいい」
「本当か?」
「ああ。気持ちいいくらい」
「……」
「何?」
「何でもねえ」
狐は手を動かし続けた。
狸の脚は。
やっぱり熱い。
でも。
さっきより力が抜けている。
痛くないように。
少しずつ。
押す。
狸の顔を見る。
苦しそうではない。
なら。
このままでいい。
「終わったぞ」
狐は息を吐き。
狸の脚から手を離した。
掌に。
狸の熱が残っている。
「今夜は動かすな。明日も痛むなら休め」
「お前が代わりに二台引くの?」
「引いてやる」
狸が目を瞬いた。
狐も。
一瞬遅れて。
自分が何を言ったのか考えた。
「……何だよ」
「いや」
「できるからな」
「分かったよ」
「絶対無理すんなよ」
「はいはい」
狸が足元へ手を伸ばす。
脱いだ黒い足袋を拾った。
狐へ差し出す。
「ついでに、これも頼む」
「自分で洗え!」
「あのときはあんなに――」
「言うな!!」
狐は足袋を奪った。
狸が笑う。
「明日の朝には返せよ」
「当たり前だ!」
「なくすなよ」
「なくすわけねえだろ!」
狐は薬箱と足袋を抱えて立ち上がった。
「明日、朝一で脚見るからな」
言ってから。
戸口へ向かう。
「狐」
「何だよ」
振り返る。
狸が。
こちらを見ている。
「ありがとな」
「……」
狐は黙った。
胸の辺りが。
少しだけ。
変になった。
嫌な感じではない。
「……別に」
それだけ返す。
「じゃあな」
部屋を出た。
廊下を歩く。
数歩進んで。
狐は止まった。
薬箱の下。
黒い足袋が見えている。
「……」
手に取る。
さっきまで。
狸が履いていたもの。
まだ。
少し温かい。
鼻へ近づけようとして。
止めた。
あの日。
バレた。
「……やめとくか」
足袋を下ろす。
少し考える。
「……」
もう一度見る。
それから。
狐は足袋を薬箱の下へ戻した。
明日の朝。
返す。
その前に。
狸の脚を見る。
まだ痛そうなら。
また手当てする。
治っていたら。
それでいい。
狐は歩き出した。
なんで。
自分がここまで気にしているのか。
分からない。
でも。
狸が痛そうなのは。
嫌だ。
だから。
明日も見る。
それだけは。
決めた。
*
――狸視点
朝から、狐の視線が多かった。
客を乗せて走っているとき。 客を降ろしたあと。 休憩しているとき。
何度か、白い耳がこちらを向いているのが見えた。
声をかけてくるわけでもない。
ただ。
見ている。
理由は、だいたい分かっていた。
右脚だ。
朝、人力車を引き出したときに少し痛めた。
大したものではない。 寝れば治る。
そう思っていたから、狐にも言わなかった。
仕事を終え。
人力車を戻そうと歩いていると。
後ろから声がした。
「おい」
聞こえないふりをする。
「おい、狸」
「聞こえてる」
「だったら止まれ」
仕方なく足を止める。
梶棒へ身体を預けた。
狐が近づいてくる。
視線は。
やっぱり。
俺の脚だ。
「このくらい、寝れば治る」
「脚引きずってる奴が言っても説得力ねえんだよ」
よく見てる。
自分では。
ほとんど分からない程度にしていたつもりだった。
狐がしゃがむ。
脚へ手を伸ばしてくる。
反射的に少し引いた。
「触るぞ」
「もう触ろうとしてただろ」
「うるせえ」
そのとき。
「狸、大丈夫なん? 手ぇ貸そか」
うさぎの声がした。
別に、頼んでもよかった。
そう思った。
けれど。
俺が答えるより先に。
「俺が連れて帰る」
狐が言った。
俺は狐を見る。
狐は。
もうこちらしか見ていない。
「あ、そ。ほんなら任せるわ」
うさぎはそれだけ言って離れていった。
「……」
「何だよ」
「いや」
狐が俺の腕を自分の肩へ回す。
迷いがない。
「まったく。妙なところで世話焼きだな」
「黙って歩け」
小さい身体で。
俺の重さを受け止めようとしている。
少し。
無理がある。
それでも。
代わろうとはしない。
肩越しに触れる狐の身体は。
仕事終わりの俺より。
少しだけ冷たかった。
暑い日だからか。
それが妙に気持ちいい。
俺は。
そのまま狐に任せた。
*
宿へ戻ると。
狐は薬箱と湯を持ってきた。
頼んでいない。
それでも。
来るだろうとは思っていた。
「足袋脱げ」
「お前が診るのか?」
「ほかに誰がいる」
少し。
試してみたくなった。
「うさぎでも呼ぶ?」
「駄目だ」
早い。
考える間もなかった。
「……何が駄目なんだ」
狐が黙る。
目を逸らす。
「俺がやる」
「だから、なんで」
少し考えて。
狐が言った。
「俺が見つけたからだ」
思わず。
笑いそうになった。
理由になっているような。
なっていないような。
どうやら狐は、本気でそう思っている。
「何だよ」
「いや」
「言いたいことあるなら言え」
「ないよ」
「じゃあ黙ってろ」
俺の足元へ膝をつく。
黒い足袋へ手をかける。
その指が。
妙に慎重だった。
踵を支えて。
ゆっくり。
布を下ろしていく。
足袋が脱げる。
狐の手が。
止まった。
鼻が。
わずかに動く。
なるほど。
あのときの続きらしい。
「どうした」
狐の肩が跳ねた。
「別に」
「ずいぶん丁寧に脱がせるんだな」
「痛めてるかもしれねえからだ」
「足を?」
「脚だ!」
睨まれた。
分かりやすい。
あの日。
俺の足元へしゃがみ込んでいた狐を思い出す。
あのときは。
本人が何をしているのか。
よく分かっていないようだった。
今日も。
たぶん。
大して変わらない。
「……あの日のこと言ったら殴るからな」
「何のこと?」
「分かってんだろ!」
「さあ」
「この狸……!」
面白い。
やっぱり。
面白い。
狐が薬油を掌へ垂らした。
「痛かったら言え」
「お前にしては優しいな」
「今すぐやめてもいいんだぞ」
「それは困る」
狐の手が。
一瞬止まった。
それから。
何も言わずに俺の足首を持つ。
その瞬間。
少しだけ。
意外に思った。
冷たい。
いや。
冷えきっているわけじゃない。
俺の身体が熱を持っているせいもある。
それでも。
狐の掌は。
思っていたより。
ひんやりしていた。
薬油を馴染ませながら。
ふくらはぎを。
ゆっくり押していく。
熱を持った脚へ。
冷たい指先が触れる。
押して。
離れる。
また。
触れる。
それが。
思ったより心地いい。
「ここは?」
「平気」
「じゃあ、ここ」
膝の裏へ指が触れる。
少しくすぐったい。
脚が動いた。
狐は。
すぐに手を止めた。
「痛むのか」
「いや。くすぐったいだけ」
「紛らわしい反応すんな」
「お前の触り方が慎重すぎるんだよ」
狐が眉を寄せる。
それでも。
手つきは変わらない。
俺の顔を見て。
脚を見る。
また。
俺の顔を見る。
痛ませないようにしているらしい。
普段は。
何かあればすぐ怒鳴る。
思ったことをそのまま口にする。
それなのに。
こういうときだけ。
妙に丁寧だ。
太腿へ。
狐の手が上がってくる。
熱を持った肌の上を。
ひんやりとした掌が。
ゆっくり。
撫でるように進む。
張っている場所へ触れた。
「そこ」
「……ここか」
「ああ。もう少し上」
手が動く。
狐の視線も。
一緒に上がる。
そして。
腰元で止まった。
またか。
「そんなに近づかないと分からないのか」
耳が跳ねた。
「ち、近づいてねえ」
「俺の脚へ鼻先がつきそうだけど」
「暗いから見えねえんだよ!」
「行灯ついてるよ」
「黙れ!」
狐が顔を背ける。
耳が。
赤い。
笑いを堪えきれなかった。
「面白がりやがって……」
「悪い。お前があまりに分かりやすいから」
「何がだ」
「さあ」
狐が睨む。
でも。
手は離れない。
あれから。
ずっとそうだ。
俺の近くへ来る。
見ている。
匂いを嗅ぐ。
触れる。
そのくせ。
理由を聞くと。
本人が一番困る。
俺には。
それが少し。
面白かった。
「嫌なら、もういいぞ」
狐が顔を上げる。
「無理に触ることはない。薬を塗るだけなら自分でもできる」
脚を引こうとした。
すぐに。
足首を掴まれた。
「駄目だ」
強い。
「俺がやる」
「どうして?」
狐が黙った。
考えている。
でも。
答えは出ないらしい。
「俺がやるって言ってんだろ」
「理由になってないけど」
「うるせえ」
思わず。
少し笑った。
そうか。
理由は分からない。
でも。
やる。
狐にとっては。
それでいいらしい。
「……そう」
脚の力を抜く。
「じゃあ、任せる」
狐の顔から。
少しだけ力が抜けた。
すぐに。
手当てを再開する。
薬油をつけた掌が。
太腿をゆっくり押す。
狐の手は。
やっぱり。
少し冷たい。
熱を持ったところへ触れるたび。
ひんやりとした感触が。
じわりと広がる。
「……」
気持ちいい。
薬が効いているのか。
狐の手が冷たいからなのか。
分からない。
たぶん。
両方だ。
「力加減は」
「ちょうどいい」
「本当か?」
「ああ。気持ちいいくらい」
狐の指が。
一瞬止まった。
「何?」
「何でもねえ」
また。
動き始める。
押して。
離れて。
別の場所へ。
また触れる。
狐の手が動くたび。
熱が。
少しずつ引いていくような気がした。
「終わったぞ」
手が離れた。
一瞬。
熱を持った空気だけが。
脚へ戻ってきた。
「今夜は動かすな。明日も痛むなら休め」
「お前が代わりに二台引くの?」
「引いてやる」
即答だった。
今度は。
俺が少し驚いた。
狐がこちらを見る。
「……何だよ」
「いや」
「できるからな」
「分かったよ」
「絶対無理すんなよ」
「はいはい」
狐が眉を寄せる。
俺は足元へ手を伸ばした。
黒い足袋を拾う。
そして。
狐へ差し出した。
「ついでに、これも頼む」
「自分で洗え!」
「あのときはあんなに――」
「言うな!!」
奪うように。
足袋を持っていった。
耳が真っ赤だ。
「明日の朝には返せよ」
「当たり前だ!」
「なくすなよ」
「なくすわけねえだろ!」
薬箱を抱える。
戸口へ向かう。
そこで。
狐が振り返った。
「明日、朝一で脚見るからな」
「分かった」
「ちゃんと休めよ」
「はいはい」
狐が出ていこうとする。
「狐」
足が止まった。
「何だよ」
「ありがとな」
狐が。
黙った。
一瞬。
困ったような顔をする。
それから。
「……別に」
小さく返した。
「じゃあな」
戸が閉まる。
静かになった。
俺は。
壁へ背中を預けた。
脚を。
軽く動かしてみる。
さっきより。
ずっと楽だ。
狐は。
手当てが上手いらしい。
知らなかった。
太腿へ。
自分の手を置く。
「……」
温かい。
当たり前だ。
自分の手だから。
さっきまで。
ここには。
狐の手があった。
少し冷たい。
ひんやりした手。
それが。
熱を持った脚には。
ちょうどよかった。
今は。
もうない。
「……」
部屋が。
少し静かすぎる気がした。
いつもなら。
一人になれば。
落ち着く。
今日は。
狐がいた時間が。
妙に長かったからだろう。
朝から。
ずっと見られていた。
帰りは肩を貸され。
部屋まで来て。
脚を触られ。
明日の朝も来ると言われた。
騒がしい。
本当に。
騒がしい奴だ。
俺は。
戸口を見る。
明日の朝。
たぶん。
本当に来る。
俺が起きるより先に。
来るかもしれない。
そう考えると。
少し。
笑えた。
太腿へ。
もう一度手を置く。
狐の手とは。
やっぱり違う。
でも。
それ以上は考えなかった。
痛みは。
だいぶ引いている。
明日には。
もっと楽になっているだろう。
それでも。
狐は。
たぶん来る。
「……まあ」
小さく呟く。
「来ればいいか」
行灯の火が。
静かに揺れた。




