第25話|理由なんか
――狸視点
湯から上がって。
少し。
飲みたくなった。
月の湯へ来ると。
いつもそうだ。
身体に残った熱を。
酒で。
もう少しだけ。
引き延ばしたくなる。
「……」
徳利と。
杯を持って。
部屋へ戻る。
戸を開ける。
「狐?」
狐が。
布団の上に。
座っていた。
「……何」
顔が。
赤い。
湯上がりだから。
それだけなら。
別に。
おかしくない。
でも。
なんとなく。
落ち着かない顔をしている。
「どうしたの?」
「何が」
「顔、赤いよ」
「風呂上がりだからだろ」
「そう?」
「そうだよ」
それ以上は。
聞かなかった。
向かいへ。
座る。
杯に。
酒を注ぐ。
視線を感じる。
「それ、うまい?」
「これ?」
「酒」
「狐、飲まないよね」
「飲んだことねえ」
「そうなの?」
「たぶん」
たぶん。
なのか。
狐らしい。
「飲んでみる?」
そう言ったけど。
いきなり。
杯を渡すつもりはなかった。
狐が。
どれくらい酒に強いか。
分からない。
少しだけ。
舐めるくらいなら。
そう思っていたら。
「貸せ」
「え?」
手から。
杯を取られた。
「狐、それ俺の――」
飲んだ。
「……っ」
分かりやすく。
顔をしかめる。
「まず!」
思わず。
吹き出した。
「だから待ってって言ったのに」
「喉、熱い!」
「酒だからね」
「お前、こんなの飲んでんのかよ」
「慣れると美味しいよ」
「嘘だろ」
「嘘じゃないよ」
狐が。
杯を睨む。
もう。
やめるだろう。
そう思った。
「もう一回」
「まずいんじゃなかったの?」
「確かめる」
「何を?」
「知らねえ」
また。
飲む。
「……まずい」
「じゃあ飲まなきゃいいじゃん」
「うるせえ」
笑ってしまう。
すると。
狐が。
こっちを見る。
そのまま。
また。
飲んだ。
「……」
もしかして。
こいつ。
酒が飲みたいんじゃなくて。
俺と。
同じことを。
したいだけなんじゃないか。
そう思ったけど。
言わなかった。
言えば。
怒るに決まっている。
*
そんなに。
飲ませたつもりはない。
途中からは。
徳利も。
狐の手から遠ざけた。
それでも。
初めてだからか。
効くのが早い。
頬も。
耳も。
いつもより赤い。
「……狸」
「何?」
気づけば。
狐が。
近くにいた。
いや。
近づいてきた。
「お前」
「うん」
「熱い」
「狐も今日は熱いよ」
額に。
手を当てる。
いつもなら。
少し。
冷たい。
触れると。
俺の熱が。
移っていくような。
そんな温度。
でも。
今日は。
違う。
「酒のせいかな」
「知らねえ」
手首を。
掴まれた。
「狐?」
そのまま。
俺の手を。
自分の頬へ持っていく。
「……」
熱い。
やっぱり。
いつもより。
ずっと。
「どうしたの」
「別に」
「今日、それ多いね」
「うるせえ」
離そうとしたわけじゃない。
でも。
狐の指が。
俺の手を。
離さない。
「……」
酔ってる。
たぶん。
それだけじゃない。
何か。
言いたそうな顔をしている。
「狸」
「うん」
「触っていい?」
一瞬。
何を聞かれたのか。
分からなかった。
今まで。
何度も。
触ってきたくせに。
「……今さら聞くんだ」
「じゃあ触る」
返事も。
待たない。
狐の額が。
胸に。
触れる。
「……」
思わず。
息を止めた。
知っている。
重さ。
知っている。
距離。
前にも。
こうして。
俺の胸に。
顔をつけていた。
あのときは。
悪い夢を見た俺のそばに。
残った。
理由が。
あった。
今日は。
ない。
背中に。
腕を回す。
強くは。
しない。
狐が。
離れたければ。
いつでも。
離れられるくらい。
「狐」
「何」
「眠い?」
「違う」
「酔ってる?」
「知らねえ」
「じゃあ何?」
狐が。
胸へ。
さらに。
顔を押しつける。
「……触りたかった」
腕が。
止まった。
「俺に?」
「他に誰がいるんだよ」
「……そっか」
「なんだよ」
「嬉しいだけ」
「変な狸」
嬉しい。
狐が。
自分から。
ここへ来た。
触りたいから。
触った。
狐が。
顔を上げる。
近い。
「……」
息が。
触れそうな距離。
狐の身体が。
少し。
強張った。
俺だって。
同じだった。
いつもより。
熱い狐が。
こんなに近くにいる。
胸に。
手を置かれて。
身体を。
寄せられて。
何も。
感じないわけがない。
狐が。
少し。
眉を寄せる。
俺も。
気づかれたらしい。
何も。
言わない。
背中を。
ゆっくり。
撫でる。
「……狸」
「うん」
「お前も?」
「……まあね」
「ふうん」
それだけ。
狐は。
逃げなかった。
むしろ。
少しだけ。
身体の力が。
抜けた。
「狐」
「何」
「嫌だったら――」
「嫌じゃねえ」
最後まで。
言わせてもらえなかった。
「……そっか」
「おう」
「じゃあ、このままでいい?」
狐が。
また。
胸に。
顔をつける。
「聞くなよ」
「だって」
「いいから」
それなら。
もう。
少しだけ。
強く。
抱く。
狐も。
俺の服を。
掴む。
熱い。
自分の熱なのか。
狐の熱なのか。
もう。
分からない。
*
「狸」
「何?」
「前さ」
「うん」
「俺、お前に触るのに」
狐が。
少し。
考える。
「なんか理由、探してた気がする」
「……そうだね」
「やっぱり?」
「足がどうとか。眠れないとか」
「……」
最初は。
いつも。
そうだった。
触れたいくせに。
理由をつける。
世話をするため。
仕方なく。
そういう顔をして。
触ってくる。
俺は。
とっくに。
気づいていた。
でも。
言わなかった。
狐自身が。
分かっていなかったから。
「でも」
狐が。
胸に。
頬をつける。
「もう、いらねえよな」
「何が?」
「理由」
「……」
「触りたいから、触ってる」
胸の奥が。
強く。
鳴った。
「理由、それでいいだろ」
「……」
ずるい。
そんなこと。
何でもないみたいに。
言う。
「狸?」
「……それ、ずるいなあ」
「何が」
「何でもない」
「変な狸」
狐が。
顔を上げる。
近い。
俺を見る。
俺も。
狐を見る。
どちらから。
近づいたのか。
分からない。
額が。
触れる。
鼻先が。
触れそうになる。
吐く息が。
混ざる。
背中へ。
置いた手。
胸に。
置かれた。
狐の手。
「……狸」
「うん」
「もっと」
「何を?」
狐が。
睨む。
「……分かれよ」
笑ってしまった。
「分かってるよ」
「じゃあ聞くな」
「狐が言うの、聞きたいから」
「……うるせえ」
胸を。
軽く。
叩かれる。
でも。
逃げない。
むしろ。
また。
近づいてくる。
そのとき。
隣から。
ごとん。
音がした。
「……」
「……」
二人で。
止まった。
「今なんか音した?」
「したね」
「うさぎ?」
「たぶん」
少し。
待つ。
静か。
「……まあいいか」
狐が。
また。
くっついてくる。
思わず。
笑った。
「何笑ってんだよ」
「何でもない」
「変な狸」
もう。
いいか。
狐が。
気にしてないなら。
俺も。
気にしないことにした。
*
そのあと。
狐は。
何度も。
俺の名前を呼んだ。
「狸」
「いるよ」
「狸」
「何?」
「……別に」
それでも。
また。
呼ぶ。
途中から。
返事をするだけで。
狐が。
少し笑うようになった。
酒のせいか。
眠気のせいか。
いつもより。
ずっと。
素直だった。
俺の胸に。
顔をつけたまま。
離れない。
だから。
俺も。
離さなかった。
ただ。
それ以上は。
何もしなかった。
今の狐には。
酒が入っている。
明日。
覚えているかも。
分からない。
狐が。
自分から。
触りたいと。
言った。
理由なんか。
いらないと。
言った。
今夜は。
それを。
覚えていたかった。
*
朝。
目を覚ますと。
狐が。
隣にいる。
いつもより。
少し。
乱れた髪。
寝息。
「……」
しばらくして。
狐が。
目を開ける。
「……なんだこれ」
「おはよう」
「……狸」
「うん」
「なんでお前ここにいんの」
「同じ部屋だからね」
「……ああ」
狐は。
頭を押さえる。
「酒……」
「飲んだね」
「まずかった」
「そこは覚えてるんだ」
「……?」
「昨日のこと、どこまで覚えてる?」
「昨日?」
狐が。
考える。
「……酒飲んだ」
「うん」
「まずかった」
「うん」
「お前が笑った」
「うん」
「……」
「そのあと?」
「知らねえ」
「そっか」
「なんだよ」
「別に」
少し。
残念じゃないと言えば。
嘘になる。
でも。
それ以上に。
おかしかった。
狐らしい。
そう思っていたら。
狐が。
肩に。
頭を乗せてきた。
「……」
身体が。
固まる。
「狐」
「何」
「それは?」
「何が」
「今、くっついてる理由」
「頭いてえから」
「そっか」
やっぱり。
理由は。
あるのか。
少しだけ。
狐が。
黙る。
「……狸」
「何?」
「やっぱ今のなし」
「え?」
「理由」
「……」
「別にいらねえ」
「……そっか」
笑ってしまう。
「笑うな」
「笑ってないよ」
「笑ってるだろ」
「嬉しいだけ」
「変な狸」
昨夜のことは。
覚えていない。
それでも。
同じところへ。
自分で。
もう一度。
来た。
*
朝飯の席。
狐は。
いつも通りだった。
飯を食って。
うさぎへ。
話しかける。
「今日、静かだな」
「……なんや」
「具合悪いのか?」
「……」
「温泉入りすぎた?」
うさぎの。
顔が。
引きつる。
「おま……」
嫌な予感がした。
「誰のせいやと――」
カラスが。
卵焼きを。
うさぎの口へ。
突っ込んだ。
「むぐっ!?」
「朝食中ですよ、うさぎさん」
「むぐむぐ……!」
「よく噛んでください」
「何なんだ?」
狐だけが。
何も。
分かっていない。
「何でもありません」
カラスが。
平然と。
味噌汁を飲む。
「変なの」
「……」
俺は。
カラスを見る。
カラスも。
俺を見る。
目が。
合う。
「……」
分かった。
聞かれてた。
どこまで。
聞かれた。
いや。
考えたくない。
カラスが。
静かに。
箸を置く。
やめろ。
その顔。
何も。
言うな。
頼むから。
何も――。
「昨日はお楽しみでしたね、狸さん」
「……っ」
むせた。
「狸?」
「だ、大丈夫」
「大丈夫ちゃうわ!」
「うさぎさん」
「やめろ! もう入らん!」
「まだありますよ」
「そういう問題ちゃう!」
狐が。
こっちを見る。
「何がお楽しみだったんだ?」
「……」
答えられない。
「狸?」
「……温泉かな」
「俺も楽しかったぞ」
「……うん」
「ほんま……」
「何だよ」
「なんでもないわ!」
「朝から変なやつ」
「お前が言うな!」
「なんでだよ!」
狐が。
怒る。
うさぎが。
怒る。
カラスは。
何事もなかったみたいに。
お茶を飲む。
俺は。
隣を見る。
狐は。
何も知らない顔で。
卵焼きを。
食べている。
一つ。
取る。
俺の皿へ。
置く。
「ほら」
「……俺に?」
「食え」
「ありがとう」
「おう」
理由は。
聞かなかった。
――狐視点
湯から上がっても。
身体が。
まだ。
熱かった。
「……あっつ」
首元を。
引っ張る。
夜。
月の湯。
うさぎの実家がやっている。
温泉宿。
今日は。
四人で。
泊まりに来ていた。
さっきまで。
うさぎと。
カラスと。
狸と。
四人で湯に入っていた。
うさぎが。
自分の実家だからと。
やたら偉そうに。
湯の効能を語って。
カラスが。
半分くらい。
聞き流していた。
狸は。
いつも通り。
のんびり。
湯に浸かっていた。
俺も。
その隣にいた。
ただ。
それだけ。
だった。
はずなのに。
「……」
客間へ戻ってから。
なんか。
落ち着かない。
*
部屋は。
二つ。
狸と俺。
その隣が。
うさぎとカラス。
部屋を決めたとき。
うさぎが。
騒いでいた。
「なんでワイとカラスやねん!」
「いいじゃないですか」
「よくないわ! 狸と狐ばっか自然に一緒にすな!」
「いつものことでは?」
「それ言われるとなんも言えへん!」
今は。
隣も。
静かだった。
俺は。
布団の上に。
座る。
狸は。
まだ。
いない。
飲み物でも。
取りに行ったらしい。
「……」
静かになる。
また。
さっきのことを。
思い出した。
湯の中。
隣にいた狸。
濡れた肩。
腕。
湯気の向こうの。
胸。
近づけば。
いつもの匂いがした。
湯の匂いに。
混じっていても。
分かった。
それから。
前に。
狸と。
くっついていた夜。
胸に。
顔をつけて。
息をした。
熱。
匂い。
腕の重さ。
「……」
なんで。
今。
思い出すんだ。
身体の奥が。
妙に。
落ち着かない。
熱い。
温泉のせいだけじゃない。
身体が。
勝手に。
反応している。
「……なんだよ」
別に。
おかしいことじゃない。
身体なんだから。
そういうことも。
ある。
ただ。
狸のことを。
考えているときに。
こうなるのが。
なんか。
腹立つ。
「……」
でも。
本当に。
気になっているのは。
そっちじゃない。
触りたい。
また。
狸に。
くっつきたい。
あの胸に。
顔をつけたい。
匂いを。
嗅ぎたい。
前は。
理由があった。
足が。
どうとか。
眠れないとか。
悪い夢を。
見たとか。
そういうの。
でも。
最近。
狸は。
悪い夢を見ない。
なら。
今日は。
理由がない。
「……」
自分の手を見る。
前だって。
最初は。
理由があって。
狸の足に触った。
でも。
そのあとは。
普通に。
触っていた。
なら。
「……別に」
一回。
触っていいなら。
そのあとも。
いいだろ。
そもそも。
理由って。
いるのか?
「……いらねえだろ」
誰もいない部屋で。
一人で言った。
なんか。
余計に。
落ち着かなくなった。
*
「狐?」
戸が。
開いた。
「……何」
狸だった。
片手に。
徳利。
もう片方に。
杯。
「どうしたの?」
「何が」
「顔、赤いよ」
「風呂上がりだからだろ」
「そう?」
「そうだよ」
狸が。
向かいに座る。
杯に。
酒を注ぐ。
それを見る。
「それ、うまい?」
「これ?」
「酒」
「狐、飲まないよね」
「飲んだことねえ」
「そうなの?」
「たぶん」
狸が。
少し考える。
「飲んでみる?」
杯を見る。
それから。
狸を見る。
なんか。
むかついた。
理由は。
分からない。
「貸せ」
「え?」
狸の手から。
杯を取る。
「狐、それ俺の――」
飲む。
「……っ」
喉が。
熱い。
顔をしかめる。
「まず!」
狸が。
吹き出した。
「だから待ってって言ったのに」
「喉、熱い!」
「酒だからね」
「お前、こんなの飲んでんのかよ」
「慣れると美味しいよ」
「嘘だろ」
「嘘じゃないよ」
杯を見る。
「もう一回」
「まずいんじゃなかったの?」
「確かめる」
「何を?」
「知らねえ」
もう一口。
やっぱり。
熱い。
「……まずい」
「じゃあ飲まなきゃいいじゃん」
「うるせえ」
狸が。
笑う。
その顔を見て。
また。
飲んだ。
*
どれくらい。
飲んだのか。
分からない。
そんなに。
多くはない。
はず。
ただ。
身体が。
さっきより。
熱い。
「……狸」
「何?」
近い。
いつの間にか。
狸が。
近くにいる。
いや。
自分が。
近づいたのかもしれない。
「お前」
「うん」
「熱い」
「狐も今日は熱いよ」
狸の手が。
額に触れる。
「……」
気持ちいい。
いつもなら。
自分の方が。
少し冷たい。
今日は。
違う。
「酒のせいかな」
「知らねえ」
狸の手を。
掴む。
「狐?」
そのまま。
自分の頬に。
当てる。
「……」
「どうしたの」
「別に」
「今日、それ多いね」
「うるせえ」
手を。
離したくない。
狸を見る。
「狸」
「うん」
「触っていい?」
狸が。
少し。
目を見開いた。
「……今さら聞くんだ」
「じゃあ触る」
返事を。
待たずに。
近づく。
狸の胸に。
額をつける。
熱い。
やっぱり。
これだ。
息をする。
匂い。
知っている。
落ち着く。
狸の腕が。
背中に回る。
強くはない。
離れようと思えば。
離れられる。
でも。
離れない。
「狐」
「何」
「眠い?」
「違う」
「酔ってる?」
「知らねえ」
「じゃあ何?」
狸の胸に。
もう少し。
顔を押しつける。
「……触りたかった」
狸の腕が。
一瞬。
止まった。
「俺に?」
「他に誰がいるんだよ」
「……そっか」
「なんだよ」
「嬉しいだけ」
「変な狸」
顔を上げる。
近い。
いつもより。
ずっと。
狸の顔が。
近い。
「……」
また。
身体が。
落ち着かなくなる。
酒のせいなのか。
狸のせいなのか。
分からない。
身体は。
素直だった。
近い体温に。
勝手に反応する。
少し。
眉を寄せる。
狸も。
気づいたらしい。
でも。
何も言わない。
ただ。
背中に置いた手が。
ゆっくり。
動いた。
「……狸」
「うん」
「お前も?」
少し。
間があった。
「……まあね」
「ふうん」
それだけ。
別に。
嫌じゃない。
むしろ。
狸も同じなのが。
少し。
嬉しい。
なんで嬉しいのかは、まだ分からない。
「狐」
「何」
「嫌だったら――」
「嫌じゃねえ」
言い終わる前に。
返す。
狸が。
黙った。
「……そっか」
「おう」
「じゃあ、このままでいい?」
狸の胸に。
もう一度。
顔をつける。
「聞くなよ」
「だって」
「いいから」
狸の腕が。
今度は。
少しだけ。
強くなる。
身体が。
くっつく。
熱い。
息が。
近い。
俺は。
狸の服を。
掴んだ。
理由は。
ない。
眠れないわけでも。
狸が。
悪い夢を見たわけでも。
怪我をしているわけでも。
ない。
ただ。
触りたい。
「狸」
「何?」
「前さ」
「うん」
「俺、お前に触るのに」
少し。
考える。
「なんか理由、探してた気がする」
「……そうだね」
「やっぱり?」
「足がどうとか。眠れないとか」
「……」
覚えてる。
「でも」
狸の胸に。
頬をつける。
「もう、いらねえよな」
「何が?」
「理由」
狸が。
黙る。
「触りたいから、触ってる」
「……」
「理由、それでいいだろ」
狸の。
胸の音が。
少し。
速くなった。
「狸?」
「……それ、ずるいなあ」
「何が」
「何でもない」
「変な狸」
顔を上げる。
近い。
狸が。
俺を見る。
俺も。
見る。
どちらから。
近づいたのか。
分からなかった。
ただ。
額が。
触れて。
鼻先が。
触れそうになって。
互いの息が。
混ざる。
狸の手が。
背中にある。
俺の手は。
狸の胸にある。
それで。
十分なはずなのに。
もう少し。
近づきたかった。
「……狸」
「うん」
「もっと」
「何を?」
「……分かれよ」
狸が。
少し。
笑った。
「分かってるよ」
「じゃあ聞くな」
「狐が言うの、聞きたいから」
「……うるせえ」
狸の胸を。
軽く叩く。
逃げる代わりに。
もっと。
近づいた。
隣の部屋から。
何か。
ごとん。
と。
音がした。
「……」
「……」
二人で。
止まる。
「今なんか音した?」
「したね」
「うさぎ?」
「たぶん」
少し。
待つ。
静か。
「……まあいいか」
また。
狸にくっつく。
狸が。
小さく笑った。
「何笑ってんだよ」
「何でもない」
「変な狸」
夜は。
まだ。
長かった。
*
朝。
「……」
頭が。
痛い。
布団の中で。
目を開ける。
「……なんだこれ」
喉も。
乾いている。
隣を見る。
狸が。
起きていた。
「おはよう」
「……狸」
「うん」
「なんでお前ここにいんの」
「同じ部屋だからね」
「……ああ」
そうだった。
起き上がる。
頭が。
重い。
「酒……」
「飲んだね」
「まずかった」
「そこは覚えてるんだ」
「……?」
狸が。
なんか。
変な顔をしている。
「何」
「昨日のこと、どこまで覚えてる?」
「昨日?」
風呂。
部屋。
狸。
酒。
「……酒飲んだ」
「うん」
「まずかった」
「うん」
「お前が笑った」
「うん」
そのあと。
「……」
なんか。
熱かった。
ような。
「知らねえ」
「そっか」
「なんだよ」
「別に」
狸が。
笑う。
むかつく。
狸の肩に。
頭を乗せる。
「……頭いてえ」
狸が。
一瞬。
固まる。
「狐」
「何」
「それは?」
「何が」
「今、くっついてる理由」
「頭いてえから」
「そっか」
「……」
少し。
考える。
別に。
頭が痛くなくても。
こうしていたい気もする。
「……狸」
「何?」
「やっぱ今のなし」
「え?」
「理由」
「……」
「別にいらねえ」
狸が。
笑った。
「そっか」
「笑うな」
「笑ってないよ」
「笑ってるだろ」
「嬉しいだけ」
「変な狸」
*
朝飯。
四人で。
卓を囲む。
焼き魚。
味噌汁。
白い飯。
卵焼き。
向かいを見る。
うさぎが。
静かだった。
珍しい。
食ってる。
でも。
喋らない。
「うさぎ」
「……なんや」
「今日、静かだな」
「……」
「具合悪いのか?」
「……」
少し笑う。
「温泉入りすぎた?」
うさぎの。
眉が。
ぴくっと動いた。
「おま……」
「ん?」
「誰のせいやと――」
横から。
箸が伸びた。
カラスが。
卵焼きを。
うさぎの口へ。
突っ込んだ。
「むぐっ!?」
「朝食中ですよ、うさぎさん」
「むぐむぐ……!」
「よく噛んでください」
首を傾げる。
「何なんだ?」
「何でもありません」
カラスが。
いつもの顔で。
味噌汁を飲む。
「変なの」
隣で。
狸が。
止まっていた。
狸が。
カラスを見る。
カラスも。
狸を見る。
一瞬。
目が合う。
狸の顔が。
少し。
引きつった。
カラスは。
静かに。
箸を置いた。
「昨日はお楽しみでしたね、狸さん」
「……っ」
狸が。
むせた。
「狸?」
「だ、大丈夫」
うさぎが。
卵焼きを飲み込む。
「大丈夫ちゃうわ!」
「うさぎさん」
カラスが。
次の卵焼きを。
箸で持ち上げる。
「やめろ! もう入らん!」
「まだありますよ」
「そういう問題ちゃう!」
狸を見る。
「何がお楽しみだったんだ?」
「……」
狸が。
目を逸らす。
「狸?」
「……温泉かな」
「俺も楽しかったぞ」
「……うん」
カラスが。
静かに。
お茶を飲む。
うさぎが。
頭を抱える。
「ほんま……」
「何だよ」
「なんでもないわ!」
「朝から変なやつ」
「お前が言うな!」
「なんでだよ!」
隣で。
狸が。
まだ。
少し赤い。
理由は。
分からない。
でも。
まあ。
いい。
飯は。
うまい。
卵焼きを。
一つ取る。
狸の皿へ。
置く。
「ほら」
「……俺に?」
「食え」
「ありがとう」
「おう」
理由は。
別に。
いらなかった。




