第24話|湯気の向こう
――狐視点
「温泉?」
仕事が。
終わったあと。
うさぎが。
急に。
言った。
「せや」
「なんだそれ」
「……は?」
うさぎが。
止まった。
「なんやて?」
「だから」
狐は。
もう一度。
聞いた。
「温泉ってなんだ?」
「お前」
うさぎが。
狐を見る。
それから。
狸を見る。
カラスを見る。
また。
狐を見る。
「温泉知らんの?」
「知らねえ」
「嘘やろ」
「なんで嘘つくんだよ」
「いや」
うさぎが。
頭を掻く。
「なんちゅうか」
「湯です」
カラスが。
言った。
「それくらい分かるわ!」
「分かってるんですか」
「湯は知ってる!」
「では問題ありませんね」
「あるわ!」
うさぎが。
割って入る。
「説明雑すぎるやろ!」
「では、お願いします」
「任せろ」
うさぎが。
胸を張る。
嫌な予感がした。
「温泉っちゅうんはな」
長い。
たぶん。
長くなる。
隣を見る。
狸が。
笑っていた。
「何笑ってんだよ」
「いや」
「何」
「狐、温泉知らないんだなって」
「悪いかよ」
「悪くないよ」
狸が。
少し考える。
「気持ちいいよ」
「……何が?」
「温かい湯に入るの」
「それだけ?」
「それだけ」
うさぎが。
振り返った。
「それだけちゃうわ!」
「まだ説明してたの?」
「聞けや!」
「長えんだよ」
「まだ最初の三割や!」
「じゃあもういい」
「よくない!」
うるさい。
でも。
狸が。
気持ちいいと言うなら。
少し。
気になった。
「で」
狐は。
聞いた。
「どこにあんだよ」
うさぎが。
にやりとした。
「ワイん家」
「お前ん家?」
「正確には」
カラスが。
湯呑みを置く。
「うさぎさんのご実家が営んでいる温泉宿ですね」
「月の湯や」
うさぎが。
また。
胸を張った。
「由緒正しき――」
「行く」
「最後まで聞け!」
狸が。
また。
笑った。
*
月の湯は。
思っていたより。
でかかった。
木でできた。
建物。
入口に。
大きな暖簾。
その横で。
うさぎが。
腕を組んでいる。
「どうや」
「何が」
「立派やろ」
「お前が作ったのか?」
「ちゃうけど」
「じゃあなんで偉そうなんだよ」
「実家やからや!」
カラスが。
先に。
暖簾をくぐる。
狸も。
そのあとに続く。
狐も。
入ろうとして。
止まった。
「なあ」
「なんや」
「ここで何すんだ?」
「せやから温泉入るんや!」
「どうやって」
「……」
うさぎが。
嫌そうな顔をした。
「お前まさか」
「なんだよ」
「ほんまに何も知らんの?」
「だからそう言ってんだろ」
うさぎが。
深く。
息を吐いた。
「しゃあないな」
「なんだよ」
「ワイが全部教えたる」
「いらねえ」
「なんでや!」
「狸に聞く」
「なんで狸やねん!」
狐は。
狸を見る。
狸が。
「いいよ」
と。
答えた。
「ほら」
「ほらちゃうわ!」
*
脱衣所。
狐は。
籠を見た。
狸を見る。
また。
籠を見る。
「これに入れる」
「何を」
「服」
「全部?」
「全部」
「……」
狐は。
狸を見る。
うさぎを見る。
カラスを見る。
「全員?」
「全員や!」
「なんでお前が怒ってんだよ」
「お前の質問がいちいち初歩すぎんねん!」
「初めてなんだから仕方ねえだろ!」
「それはそうです」
カラスが。
淡々と。
服を畳んでいる。
うさぎが。
振り返る。
「お前はちょっと狐側に立ちすぎちゃう?」
「事実ですので」
「くそ……」
狸は。
もう。
上着を脱いでいた。
狐は。
なんとなく。
そっちを見る。
「……」
いつも。
見ている。
仕事中も。
休んでいるときも。
手当てをしたときも。
もっと近くにいたことだってある。
だから。
別に。
珍しくない。
「狐?」
「何」
「脱がないの?」
「脱ぐ」
帯に。
手をかける。
「見んなよ」
狸が。
少し笑った。
「見てないよ」
「今見てただろ」
「狐がこっち見てたから」
「見てねえ」
「見てたよ」
「見てねえ!」
「なんやお前ら」
うさぎが。
呆れた顔で。
こっちを見る。
「まだ湯にも入ってへんのに何してんねん」
「何もしてねえ!」
「そう?」
「狸は黙れ!」
*
戸を。
開けた。
湯気が。
一気に。
顔へ来た。
「うわ」
白い。
向こうが。
少し。
見えない。
石。
湯。
湯気。
外の。
冷たい空気。
狐は。
足を止めた。
「……でけえ」
「せやろ!」
また。
うさぎが。
得意げになる。
「これが月の湯自慢の――」
「入っていいのか?」
「聞けや!」
狸が。
笑いながら。
狐の横を通った。
「先に身体流してからね」
「なんで?」
「そういうものだから」
「ふうん」
狸の。
背中を。
目で追う。
「何?」
振り返った。
「何でもねえ」
「そっか」
*
身体を。
流して。
湯の前に。
立つ。
狸が。
先に入った。
カラスも。
入る。
うさぎも。
「ほら狐」
「分かってる」
片足を。
入れる。
「――あっつ!」
すぐ。
引いた。
うさぎが。
吹き出した。
「ははっ!」
「笑うな!」
「いやお前、顔!」
「熱いんだよ!」
「そら湯やからな!」
「こんな熱いと思わねえだろ!」
狸が。
湯の中から。
手を伸ばした。
「ゆっくり入ればいいよ」
「……」
「ほら」
その手を見る。
「いらねえ」
「そう?」
「一人で入れる」
もう一度。
足を入れる。
熱い。
でも。
今度は。
引かない。
ゆっくり。
身体を沈める。
「……っ」
肩まで。
入る。
熱い。
熱いけど。
少しすると。
身体の力が。
抜けていく。
「……」
「どう?」
狸が。
聞いた。
「……まあ」
「まあ?」
「悪くねえ」
「素直ちゃうなあ」
「うるせえ」
目を閉じる。
温かい。
身体の中まで。
ゆっくり。
熱が入ってくる。
「気持ちいい?」
狸の声。
目を開ける。
すぐ隣。
「……まあな」
狸が。
笑った。
「よかった」
その顔が。
いつもより。
少し。
赤かった。
*
「この湯にはな」
うさぎが。
始めた。
「疲労回復はもちろん――」
「始まった」
狸が。
小さく言う。
「なんや狸!」
「いや」
「お前は昔から何回も来とるから知っとるやろ!」
「うん」
「ほな狐に教えたらなあかんやろ!」
「狐、聞きたい?」
狸が。
こっちを見る。
「別に」
「ほら」
「ほらちゃうわ!」
カラスが。
湯の縁へ。
頭を預けた。
「気持ちよければ、それでよいのでは」
「お前まで!」
「うさぎ」
「なんや!」
「うるせえ」
「誰の実家や思ってんねん!」
「お前の親のだろ」
「そうやけど!」
狸が。
声を出して。
笑った。
狐も。
少し。
笑った。
うさぎだけ。
怒っている。
カラスは。
目を閉じている。
「もうええ!」
うさぎが。
湯へ。
深く沈んだ。
「ワイも静かに入る!」
「最初からそうしろよ」
「お前ほんま――!」
また。
始まった。
*
しばらくすると。
本当に。
静かになった。
湯の音。
外の。
風の音。
たまに。
水が。
石へ当たる音。
狐は。
息を吐いた。
白い。
湯気が。
目の前を流れる。
その向こう。
狸がいた。
湯の縁に。
腕を置いている。
「……」
肩。
いつもより。
濡れている。
当たり前だ。
湯に。
入っているんだから。
腕も。
濡れている。
胸も。
湯の上に。
少し。
出ている。
別に。
見たことがないわけじゃない。
触ったことだって。
ある。
あの夜は。
もっと。
近かった。
胸に。
顔まで。
つけた。
匂いも。
知っている。
なのに。
「……」
なんで。
見てるんだ。
水が。
狸の肩を。
流れた。
首から。
胸へ。
落ちる。
目で。
追った。
「狐」
「!」
顔を。
上げる。
狸と。
目が合った。
「何?」
「……何が」
「見てたから」
「見てねえ」
「見てたよ」
「見てねえ!」
「またそれ?」
狸が。
少し。
笑う。
「さっきも言ってたね」
「うるせえ」
顔が。
熱い。
湯のせいだ。
絶対。
そうだ。
「なんや狐」
うさぎの声。
嫌な予感。
「狸の身体、そんな気になるん?」
「は!?」
反対側を見る。
うさぎが。
にやにやしている。
「気になってねえ!」
「めっちゃ見とったやん」
「見てねえ!」
「見てましたね」
カラス。
「お前まで!」
「狐さんを見ていましたので」
「なんで俺を見てんだよ!」
「よく動くので」
「意味分かんねえ!」
狸が。
隣で。
笑っている。
「笑うな!」
「ごめん」
「絶対思ってねえだろ!」
「うん」
「狸!」
うさぎが。
腹を抱えて。
笑う。
カラスまで。
少し。
口元が。
緩んでいる。
「もう出る!」
狐は。
立ち上がった。
「まだ早ない?」
「うるせえ!」
湯から。
出る。
後ろから。
狸の声。
「のぼせた?」
「のぼせてねえ!」
「顔赤いで」
「湯が熱いんだよ!」
「せやなあ」
「その顔やめろ!」
*
身体を。
拭いて。
服を着る。
少しして。
三人も。
上がってきた。
うさぎは。
まだ。
笑っている。
「しつけえぞ」
「いやあ」
「何だよ」
「初温泉、楽しめたみたいで何よりや」
「……まあ」
「また来るか?」
狐は。
少し考えた。
「来る」
「即答やん」
「悪いかよ」
「いや?」
うさぎが。
にやっとする。
「狸も一緒なら?」
「なんで狸が出てくんだよ!」
「別に?」
「うぜえ!」
「痛っ!」
狐が。
うさぎの肩を。
叩く。
「暴力反対や!」
「うるせえ!」
その横を。
狸が。
通る。
まだ。
髪が。
少し濡れている。
首に。
水が。
一滴。
残っていた。
「……」
また。
見た。
狸が。
こっちを見る前に。
目を逸らす。
「狐?」
「何でもねえ」
「そう?」
「そうだよ」
*
部屋は。
二つだった。
「ほな」
うさぎが。
鍵を。
二つ持つ。
「どう分ける?」
「俺、狸と一緒でいい」
言ってから。
全員が。
こっちを見た。
「……何だよ」
「いや」
狸が。
答える。
「俺もそれでいいよ」
「ほら」
「何がほらやねん!」
うさぎが。
頭を抱える。
「なんでお前らそこだけ迷いないん!?」
「いつものことでは?」
カラスが。
言った。
「それ言われるとなんも言えへん!」
「じゃあ決まりだな」
狐が。
鍵を取る。
「おい!」
「なんだよ」
「ワイの実家やぞ!」
「知ってる」
「なんでワイがカラスと同室やねん!」
「いいじゃないですか」
「よくないわ!」
狸が。
笑う。
狐も。
笑った。
*
部屋へ。
入る。
布団が。
二つ。
並んでいる。
狐は。
片方へ。
座った。
狸が。
荷物を置く。
「俺、ちょっと飲み物取ってくる」
「ん」
「狐は?」
「いらねえ」
「分かった」
狸が。
部屋を出る。
戸が。
閉まった。
「……」
静か。
隣から。
うさぎの声がする。
何か。
カラスに。
文句を言っている。
聞こえる。
けど。
気にならない。
狐は。
布団へ。
仰向けになる。
天井を見る。
「……」
目を閉じる。
浮かんだ。
湯気。
その向こう。
狸。
濡れた。
肩。
腕。
胸。
水が。
肌を。
流れる。
「……」
目を開ける。
「なんなんだよ」
顔が。
まだ。
熱い。
湯から。
上がったから。
それだけだ。
たぶん。
「……あっつ」
首元を。
引っ張った。
廊下から。
足音がした。
狸が。
戻ってくる。
狐は。
身体を起こした。




