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第22話|残したもの

――狐視点


「でかい方がうまいだろ!」


「同じ味だって」


「違う!」


狸は分かってない。


海老天は。


でかい方がうまい。


少なくとも。


でかい方が嬉しい。


「じゃあ自分のが小さかったら?」


「お前のと交換する」


「嫌だよ」


「なんでだよ!」


狸が笑う。


「何笑ってんだよ」


「いや。海老のことしか考えてないなと思って」


「天丼食いに行くんだから普通だろ」


「そうかな」


「そうだよ」


前を向いて。


歩く。


少しして。


隣にいた狸の気配が。


遠くなった。


振り返る。


狸が。


少し後ろを歩いている。


「狸」


「ん?」


「遅え」


狸が。


こっちを見る。


「置いてくぞ」


「待ってるじゃん」


「うるせえ」


狸が追いついてくる。


また。


隣に並ぶ。


何を考えていたのか。


少し。


気にはなった。


でも。


聞かなかった。


「早く行くぞ」


「ああ」


今度は。


俺が少し前を歩いた。


     *


店の前まで来て。


狸が足を止めた。


「ここ?」


「ああ」


「……お前、知ってんのか?」


「前に来たことある」


「は?」


思わず。


狸を見る。


「じゃあなんで教えなかったんだよ」


「そのうち連れてこようと思ってた」


「遅えよ!」


「来たんだからいいでしょ」


「俺が言わなかったら来てねえだろ!」


「そうかも」


「お前な!」


腹が減っている。


これ以上。


店の前で喧嘩している方がもったいない。


「……もういい。入るぞ」


「はいはい」


中へ入る。


しばらくして。


運ばれてきた丼を見た瞬間。


怒っていたことは。


どうでもよくなった。


「……でか」


海老天が。


丼からはみ出している。


しかも。


二本。


「狸」


「ん?」


「お前の見せろ」


「何を」


「海老」


狸が。


丼を少し遠ざけた。


「嫌だよ」


「なんでだよ」


「取る気でしょ」


「取らねえよ。比べるだけだ」


自分の丼を見る。


狸の丼を見る。


もう一度。


自分のを見る。


「……同じくらいか」


「よかったね」


「ちょっと俺の方がでかい気がする」


「そうだね」


「適当だな!」


でも。


でかい。


それでいい。


海老天を持ち上げる。


一口。


衣が鳴る。


中は熱い。


「……うま」


思わず。


声が出た。


狸が。


こっちを見ている。


「そんなに?」


「食ってみろよ」


「俺も同じのあるんだけど」


「いいから」


齧った海老天を。


狸へ差し出す。


狸が。


一口食べる。


「どうだ」


「うまい」


「だろ」


やっぱり。


でかい海老天はうまい。


狸も分かったなら。


それでいい。


もう一口。


食べようとして。


気づいた。


狸が。


止まっている。


箸も持たず。


何かを見ているようで。


何も見ていない。


「狸?」


返事がない。


「狸」


もう一度。


呼ぶ。


狸の目が。


こっちへ戻ってきた。


「……ん」


「冷めるぞ」


「ああ」


まだ。


少し変な顔をしている。


「どうした?」


狸は。


しばらく黙っていた。


それから。


「……思い出した」


と言った。


何を。


そう聞きかけて。


やめた。


「なんか?」


「うん」


「……そっか」


海老天を。


もう一口。


食べる。


それから。


狸を見る。


「話したくなったら話せよ」


「……うん」


「でも食え。もったいねえ」


狸が。


笑った。


「何笑ってんだよ」


「いや」


「変なやつ」


せっかく。


こんなでかい海老天があるのに。


考え事ばっかりして。


狸が。


ようやく箸を持つ。


その丼を見る。


「……」


やっぱり。


狸の海老天。


ちょっと衣がでかい気がする。


「狸」


「ん?」


「それ食わねえなら――」


箸を伸ばす。


手首を掴まれた。


「駄目」


「なんでだよ!」


「自分のあるでしょ」


「そっちの方が衣でかい!」


「同じだって」


「違う!」


狸が。


また笑う。


腹が立つ。


俺は。


残っていた海老天を。


口に入れる。


熱い。


うまい。


「次は俺が店決めるからな」


「今日も狐が決めたようなもんだけど」


「じゃあ次も俺だ」


「はいはい」


「でかい海老あるとこな」


「また?」


「当たり前だろ」


狸が。


呆れたみたいに笑った。


俺は。


最後の一口まで。


きれいに食べた。


――狸視点


「でかい方がうまいだろ!」


「同じ味だって」


「違う!」


前を歩く狐が。


振り返りながら言う。


「絶対でかい方がうまい」


「じゃあ自分のが小さかったら?」


「お前のと交換する」


「嫌だよ」


「なんでだよ!」


さっきから。


ずっと。


この話だ。


天丼屋までの道を歩きながら。


狐は。


まだ見てもいない海老の大きさを。


ずっと気にしている。


「お前、海老のことしか考えてないの?」


「天丼食いに行くんだから普通だろ」


「そうかな」


「そうだよ」


迷いがない。


狐は。


楽しいものが。


目の前にあれば。


そっちへ行く。


「狸」


「ん?」


「遅え」


気づけば。


少しだけ。


距離が開いていた。


狐が。


足を止めている。


「置いてくぞ」


「待ってるじゃん」


「うるせえ」


追いつく。


狐の隣へ。


並ぶ。


昨日から。


指先に。


妙な感覚が残っている。


――がり。


木を削る。


乾いた音。


何かを。


残そうとしていた。


消えないように。


忘れないように。


でも。


何を。


「狸」


「ん」


「またぼーっとしてた」


「……そう?」


「そう」


「海老のこと考えてた」


「嘘つけ」


すぐに。


ばれた。


狐は。


少しだけ。


こちらを見る。


でも。


それ以上は。


聞かなかった。


「まあいいや。早く行くぞ」


「ああ」


狐が。


また前を向く。


俺も。


その隣を歩いた。


     *


店に入って。


天丼が運ばれてきた瞬間。


狐の目が。


海老だけを追った。


「……でか」


丼からはみ出すように。


二本。


大きな海老天が乗っている。


「狸」


「ん?」


「お前の見せろ」


「何を」


「海老」


「嫌だよ」


「なんでだよ」


「取る気でしょ」


「取らねえよ。比べるだけだ」


狐が。


自分の丼と。


俺の丼を。


交互に見る。


「……同じくらいか」


「よかったね」


「ちょっと俺の方がでかい気がする」


「そうだね」


「適当だな!」


笑う。


狐が。


海老天を一本持ち上げる。


一口。


「……うま」


それだけで。


ずいぶん。


満足そうな顔をする。


「そんなに?」


「食ってみろよ」


「俺も同じのあるんだけど」


「いいから」


狐が。


自分の海老天を。


こっちへ差し出してくる。


一口。


齧る。


「どうだ」


「うまい」


「だろ」


なぜか。


狐が得意そうに笑った。


その顔を。


見ていた。


ふと。


指先が。


疼く。


――がり。


「……」


木。


小さな板。


自分の手。


線を。


一本ずつ。


刻んでいる。


     *


誰もいない。


古い神社。


冷たい風が。


境内を抜けていく。


手の中に。


小さな木の板がある。


――がり。


一本。


線を刻む。


丸い輪郭。


身体。


腕。


一人。


その隣に。


もう一人。


二人。


並んでいる。


肩を並べて。


同じ方向を向いている。


「……」


何度も。


線を深くする。


雨に濡れても。


色が消えても。


残るように。


忘れないように。


手が。


止まる。


隣にいる。


その姿を見る。


知っている。


はずなのに。


顔が。


うまく見えない。


名前も。


出てこない。


ただ。


胸の奥に。


残っている。


好きだった。


一緒に。


いたかった。


もう隣にはいない。


「……馬鹿だな」


昔の俺が。


小さく言った。


誰に言ったのかは。


分からない。


手の中には。


二人がいる。


言えなかったものを。


そこへ。


残そうとしている。


――がり。


もう一本。


深く。


線を刻んだ。


     *


「狸」


声がした。


「狸」


目の前に。


狐がいた。


「……ん」


「冷めるぞ」


「ああ」


天丼。


湯気。


店の声。


箸の音。


狐が。


こっちを見ている。


「どうした?」


「……思い出した」


狐の手が。


止まった。


「なんか?」


「うん」


「……そっか」


それだけ。


何を。


とは。


聞かなかった。


狐は。


海老天をもう一口食べる。


それから。


「話したくなったら話せよ」


と言った。


「……うん」


「でも食え。もったいねえ」


「そっち?」


「冷めるだろ」


思わず。


笑った。


「何笑ってんだよ」


「いや」


箸を持つ。


一口。


まだ。


温かい。


手の中に。


木の感触が残っている。


二人。


並んでいた。


一人は。


俺だった。


その隣に。


誰かがいた。


俺は。


あの板を。


どこに残したんだろう。


「狸」


「ん?」


「それ食わねえなら――」


狐の箸が。


俺の丼へ伸びてくる。


手首を掴む。


「駄目」


「なんでだよ!」


「自分のあるでしょ」


「そっちの方が衣でかい!」


「同じだって」


「違う!」


また。


同じ話をしている。


手を離す。


狐は。


ぶつぶつ言いながら。


自分の海老へ戻っていく。


「早く食えよ」


「食べてるよ」


「遅え」


「狐が早いんでしょ」


「次は俺が店決めるからな」


「今日も狐が決めたようなもんだけど」


「じゃあ次も俺だ」


「はいはい」


「でかい海老あるとこな」


「また?」


「当たり前だろ」


笑う。


狐が。


海老天を食べる。


俺も。


箸を動かす。


それでも。


指先には。


まだ。


あの木の感触が。


微かに残っていた。

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