↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
18/25

第18話|届かなかった手

――狸視点


あの神社へ。


一人で行ってから。


余計に。


分からなくなった。


夢で見ていた場所。


古い鳥居。


石段。


大きな木。


狸の石像。


形は。


少しずつ変わっていた。


それでも。


あそこだった。


夢の中で。


俺は。


誰かといた。


一緒に食べて。


話して。


笑っていた。


知らない相手では。


なかった。


なのに。


誰だったのか。


思い出せない。


***


「狸」


声に。


顔を上げる。


狐が立っていた。


「何」


「帰るぞ」


「もうそんな時間?」


「とっくに終わってる」


周りを見る。


いつの間にか。


人影が減っていた。


「またぼーっとしてたのかよ」


「かもね」


「最近多くねえか?」


狐が。


覗き込んでくる。


「なんかあるなら言えよ」


「……」


夢で見た場所が。


本当にあった。


そこで。


誰かと一緒にいた。


でも。


誰なのか。


分からない。


「まだ、よく分からないんだよ」


「またそれか」


狐の眉が寄る。


「分かったら言う?」


「……たぶん」


「たぶんじゃねえ」


少し。


怒っている。


それでも。


先に歩き出した狐は。


俺を置いていかなかった。


いつもより。


少しだけ。


歩くのが遅い。


俺は。


その隣へ並んだ。


***


夜。


雨が降り始めた。


窓を叩く音を聞きながら。


眠れずにいた。


目を閉じる。


蝉。


石段。


古い鳥居。


夏の光。


誰かが。


隣にいる。


声がする。


笑っている。


俺も。


笑っている。


その先へ。


行こうとすると。


胸の奥が。


苦しくなる。


指先が。


冷たくなる。


理由は。


分からない。


それでも。


目を閉じた。


***


暑い。


蝉が。


鳴いている。


石段に。


二人で座っていた。


隣から。


声がする。


『暑い』


「夏だからね」


『なんか冷てえもんねえの?』


「ない」


『即答すんなよ』


「あるなら俺が食べてる」


『お前なあ』


「水ならあるよ」


『水かあ』


「嫌なら我慢すれば」


『お前、俺に冷たくね?』


「暑いって言ったり冷たいって言ったり忙しいな」


肩を。


軽く叩かれる。


俺は笑った。


『笑うな!』


「だって」


『なんだよ』


「お前、面白いから」


『褒めてねえだろ、それ』


また。


笑った。


隣からも。


笑い声がした。


顔は。


見えない。


思い出せない。


でも。


近い。


その距離だけは。


身体が覚えていた。


***


人の声が。


少しずつ。


遠ざかっていく。


鳥居の向こうへ。


人影が消える。


境内が。


静かになった。


隣にいた誰かが。


立ち上がる。


『行った?』


「たぶん」


『見てくる』


石段を。


下りていく。


鳥居までは。


行かない。


社の前で。


足音が止まった。


『狸』


「何」


『ある』


「何が」


『饅頭』


俺も。


立ち上がる。


社の前。


供えられていた。


二つの饅頭。


もう。


冷たくなっている。


『二つある』


「よかったね」


『一個半、俺な』


「なんで」


『腹減ってる』


「俺も減ってる」


『じゃあ半分ずつ』


「二つあるだろ」


『……そうだった』


「馬鹿」


『うるせえ』


笑いながら。


一つずつ取る。


冷たい。


一口。


食べる。


甘い。


隣から。


また声がする。


『明日もあるかな』


「さあ」


『あったら半分な』


「二つあっても?」


『二つあったら一個ずつ』


「学んだね」


『馬鹿にしてんだろ』


「してないよ」


『してる』


俺は。


また笑った。


『じゃあ決まり』


「何が」


『明日も食う』


「残ってたらね」


『絶対残ってる』


「なんで分かるの」


『知らねえ』


「何それ」


『でも、あったら一緒に食う』


「はいはい」


『絶対だからな』


「分かったよ」


明日。


その言葉が。


耳に残った。


***


空が。


暗くなった。


蝉の声が。


消えていく。


風。


木々が。


大きく揺れる。


『降るな』


「だね」


ぽつ。


石段に。


雨が落ちる。


また。


ひとつ。


『あっち行くか』


声の主が。


社の軒へ向かう。


「うん」


雨が。


強くなる。


少し先を。


誰かが行く。


『早くしろよ』


「滑るよ」


『お前が遅えんだよ』


すぐそこに。


いる。


そのはずだった。


空が。


光った。


白く。


一瞬。


何も見えなくなる。


轟音。


身体が。


止まった。


少し先から。


声がした。


『……狸?』


「…………」


何かが。


おかしい。


胸の奥が。


急に冷たくなる。


手を。


伸ばそうとする。


動かない。


『狸?』


小さな音。


――ぱき。


「……」


その音を。


知っている。


そんな気がした。


「待って」


もう一度。


――ぱき。


「待って」


やっと。


手が動く。


腕を伸ばす。


指を。


伸ばす。


そこに。


誰かがいる。


もう少し。


あと少し。


「待って!」


空が。


光った。


白い光が。


全部を消した。


伸ばした手が。


何も掴まない。


届かない。


***


目を開けた。


息が。


うまくできなかった。


身体を起こす。


胸を押さえる。


部屋。


冬。


夜。


雨。


自分の手を見る。


震えている。


夢の中で。


誰かへ。


この手を伸ばした。


届かなかった。


誰に。


分からない。


そのあと。


何が起きたのかも。


見えない。


ただ。


何も掴めなかった感覚だけが。


手の中に残っている。


「…………」


俺は。


立ち上がった。


部屋を出る。


廊下を歩く。


途中から。


足が速くなった。


向かったのは。


狐の部屋だった。


***


戸の前で。


止まる。


手を上げる。


何をしているんだろう。


こんな時間に。


狐の部屋まで来て。


何を。


確かめたい。


分からない。


それでも。


帰れなかった。


そのとき。


戸が開いた。


「うわっ」


狐が。


目を丸くする。


「……狸?」


いた。


狐が。


いた。


狸は。


狐を見る。


目の前にいる。


狐を。


まっすぐ見る。


「なんだよ。こんな時間に」


「……」


「おい?」


狐が。


眉を寄せる。


目が合う。


狸は。


逸らさない。


「何」


「いや」


「またそれかよ」


狐が。


少し怒る。


「なんでもないとか言うなよ」


「……」


何でもない。


わけではない。


でも。


何なのか。


自分にも分からない。


ただ。


狐の顔を見たら。


少し。


息がしやすくなった。


「顔、見たくなった」


「は?」


狐が。


固まった。


「……お前」


「うん」


「夜中だぞ」


「うん」


「急に来て」


「うん」


「顔見たくなったって」


「うん」


狐の顔が。


赤くなっていく。


狸は。


その顔を見ていた。


目の前の。


狐を。


見ていた。


「……馬鹿じゃねえの」


「かもね」


狐が。


視線を逸らす。


「……入る?」


「いいの?」


「来たんだろ」


「うん」


「じゃあ入れよ」


狸は。


部屋へ入った。


狐が。


戸を閉める。


その音を聞いて。


肩から。


少し力が抜けた。


***


「で」


狐が座る。


「何があった」


「……夢を見た」


「夢?」


「たぶん」


狐が。


何か言いかける。


でも。


言わなかった。


狸の手を見る。


「……怖いやつ?」


夢の中。


伸ばした手。


何も。


掴めなかった。


「……うん」


狐は。


笑わなかった。


何も。


聞かなかった。


ただ。


少しだけ。


場所を移した。


狸の隣へ。


肩が。


触れる。


冷たい。


「じゃあ」


狐が言う。


「今日は俺がいるからいいだろ」


狸は。


狐を見る。


狐も。


こっちを見ている。


「……うん」


***


少しして。


狐が。


立ち上がった。


「眠れねえなら、なんか食うか」


「こんな時間に?」


「眠れねえんだろ」


「そうだけど」


「腹いっぱいになったら眠くなる」


「狐じゃないんだから」


「俺じゃなくてもなる!」


狐が。


棚を探す。


ごそごそと。


奥まで。


手を入れる。


「……あった」


「何」


「饅頭」


狸の手が。


止まった。


「…………」


冷たい饅頭。


二つ。


夢の中。


静かになった神社。


人がいなくなってから。


誰かと。


二人で食べた。


冷たい饅頭。


『明日も食う』


声が。


耳の奥で。


蘇る。


「狸」


「…………」


「狸?」


狸は。


顔を上げる。


狐は。


こっちを見ていなかった。


まだ。


棚の中を探している。


「茶、どこだっけ」


「……そっち」


「こっち?」


「もう少し右」


「あった」


狐は。


何も気づいていない。


狸は。


手の中の饅頭を見る。


「食わねえの?」


「食べるよ」


一口。


齧る。


冷たい。


甘い。


夢の中で。


食べた饅頭も。


冷たかった。


「うまい?」


狐が聞く。


「うん」


「だろ」


「狐が作ったわけじゃないだろ」


「うるせえ」


狐も。


饅頭を食べる。


狸は。


もう一口。


食べた。


同じ。


冷たい饅頭。


なのに。


夢の中で食べたものより。


少しだけ。


温かい気がした。


俺は。


もう一口。


齧った。



――狐視点


狸が。


夜中に部屋へ来た。


それだけなら。


まあ。


いい。


たまには。


そういうこともある。


問題は。


戸を開けたときの顔だった。


「……狸?」


狸が。


こっちを見ている。


返事をしない。


ただ。


まっすぐ。


狐の顔を見ていた。


「なんだよ。こんな時間に」


「……」


「おい?」


狐は。


眉を寄せた。


最近。


狸が自分を見ていると。


変な感じがすることがあった。


目は。


合っているのに。


どこか。


遠い。


でも。


今は。


違う。


狸は。


狐の顔を。


まっすぐ見ている。


「何」


「いや」


「またそれかよ」


最近。


こればっかりだ。


なんでもない。


分からない。


俺は。


少し苛ついた。


「なんでもないとか言うなよ」


狸が。


黙る。


しばらくして。


「顔、見たくなった」


「は?」


意味が。


分からなかった。


「……お前」


「うん」


「夜中だぞ」


「うん」


「急に来て」


「うん」


「顔見たくなったって」


「うん」


なんなんだ。


こいつ。


顔が。


急に熱くなる。


「……馬鹿じゃねえの」


「かもね」


いつもなら。


ここで笑う。


からかってくる。


でも。


狸は。


何も言わなかった。


ただ。


狐を見ている。


まっすぐ。


確かめるみたいに。


狐の顔を。


見ている。


「……入る?」


「いいの?」


「来たんだろ」


「うん」


「じゃあ入れよ」


***


狸を。


座らせる。


狐も。


向かいに座った。


「で」


狸を見る。


「何があった」


「……夢を見た」


「夢?」


「たぶん」


たぶん?


そう言おうとして。


やめた。


狸の手が。


膝の上で。


強く握られている。


「……怖いやつ?」


狸が。


こっちを見る。


少しして。


「……うん」


狐は。


何も言わなかった。


雷の日。


狸の手が。


震えていたことを思い出す。


今日も。


たぶん。


狸自身。


よく分かっていない。


狐は。


少し横へ動いた。


狸の隣へ。


肩が。


触れる。


狸は。


温かい。


「じゃあ」


狐は言った。


「今日は俺がいるからいいだろ」


狸が。


こっちを見る。


「……うん」


それだけ。


答えた。


***


しばらく。


二人で座っていた。


狸は。


さっきより。


少し落ち着いたように見える。


「眠れねえなら、なんか食うか」


「こんな時間に?」


「眠れねえんだろ」


「そうだけど」


「腹いっぱいになったら眠くなる」


「狐じゃないんだから」


「俺じゃなくてもなる!」


狐は。


棚を探した。


「なんかあったはずなんだけどな」


奥に。


手を伸ばす。


「……あった」


包みを出す。


「饅頭」


後ろで。


狸が黙った。


でも。


狐は。


気づかなかった。


次は。


茶。


「茶、どこだっけ」


「……そっち」


「こっち?」


「もう少し右」


「あった」


湯を沸かす。


「食わねえの?」


「食べるよ」


後ろから。


返事が来る。


それならいい。


狐も。


饅頭を一つ取った。


「うまい?」


「うん」


「だろ」


「狐が作ったわけじゃないだろ」


「うるせえ」


いつもの狸だ。


少し。


安心した。


***


茶を淹れる。


狸が。


こっちを見ている。


今度は。


狐にも分かった。


「何」


「何が?」


「見てただろ」


「見てた」


「なんで」


少し。


間があった。


「見たかったから」


「…………」


狐は。


狸に背を向けた。


「今日のお前、なんか変だぞ」


「そう?」


「変」


「そうかな」


「そうだよ」


湯気が。


顔の前まで上がる。


熱い。


たぶん。


そのせいだ。


***


二人で。


饅頭を食べた。


茶を飲んだ。


狸は。


少しずつ。


いつもの顔に戻っていった。


狐は。


夢のことを。


それ以上聞かなかった。


何が出てきたのか。


どうして。


そんなに怖かったのか。


気にはなる。


でも。


狸が。


話さないなら。


無理に聞くのは。


やめた。


それより。


別の言葉が。


頭から離れない。


顔、見たくなった。


「…………」


狐は。


饅頭を齧る。


甘い。


狸が。


怖い夢を見て。


来たのは。


自分のところだった。


それを考えると。


胸のあたりが。


妙に。


むずむずした。


「何」


狸が聞く。


「何でもねえ」


「なんでもないは禁止じゃなかった?」


「うるせえ!」


狸が。


少し笑った。


***


しばらくして。


狸は帰った。


戸を閉める。


部屋が。


静かになる。


俺は。


狸が座っていた場所を見る。


「…………」


顔、見たくなった。


また。


思い出す。


「……なんなんだよ」


布団へ倒れる。


狸は。


あのとき。


ちゃんと。


自分を見ていた。


目の前にいる。


狐を。


それは。


分かった。


でも。


目を閉じると。


別のものも浮かぶ。


少し前。


狸が。


一人で向かった神社。


それより前から。


ときどき見せていた。


遠い目。


「…………」


誰を見てるんだ。


また。


浮かんだ。


俺は。


何も言わなかった。


***


翌朝。


仕事場へ行く。


狸は。


もういた。


「おはよう」


「……おう」


「昨日はありがと」


「別に」


「助かった」


「だから別に!」


狸が。


笑う。


狐も。


少し笑った。


「なあ」


「何?」


狐は。


口を開く。


昨日の夢。


神社。


あの目。


でも。


「今日、飯どうする」


狸が。


少しだけ。


目を丸くした。


「昨日もその話してなかった?」


「いいだろ」


「海老天?」


「……天丼でもいい」


「奢ってくれる?」


「なんで俺が」


「怖い夢見た狸を慰めたお礼」


「狐が俺に請求するんだ」


「当然だろ」


狸が笑った。


「じゃあ今度ね」


「絶対だからな」


「はいはい」


「絶対だからな」


「二回言った」


「うるせえ」


狸が。


また笑った。


***


その日。


俺は。


車を磨いていた。


手を動かしながら。


ふと。


あの神社を思い出す。


祭りの日。


二人で。


最初に立ち寄った神社。


そのあと。


狸が。


一人で向かった場所。


縁結び。


一体だけ残った。


古い石像。


「…………」


狐の手が。


止まる。


今度。


行ってみるか。


口にして。


眉を寄せた。


なんで俺が。


「…………」


そういえば。


近くに。


天丼の店があった。


狸に。


奢らせればいい。


俺は。


また。


車を磨き始めた。


神社は。


そのついでだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。