第15話|月より団子
――狐視点
「今日は満月やで!」
仕事を終えた狐たちの前で、うさぎはやけに上機嫌だった。
空を指差し、胸を張っている。
「月にはうさぎがおる言うやろ?」
「知らねえ」
「有名な話や!」
うさぎは狐の返事など気にも留めず、さらに胸を張った。
「つまり今日は、月の光に照らされたワイが、最も美しゅう見える日っちゅうことや」
「帰る」
「待て待て待て!」
背を向けた狐の袖を、うさぎが掴む。
「なんやその反応! せっかく月見しよう言うてんのに!」
「お前が月見ながら自分に酔ってんの眺めて何が楽しいんだよ」
「団子もあるで」
狐は振り返った。
「行く」
狸が吹き出した。
「早えな」
「うるせえ。月見には団子だろ」
「さっきまで帰るって言ってたけど」
「気が変わった」
「団子で?」
「月で」
「嘘つけ」
*
うさぎが選んだのは、仕事場から少し離れた小高い場所だった。
視界を遮るものが少なく、頭上には丸い月が浮かんでいる。
草の上に敷物を広げ、四人で腰を下ろした。
「見てみい」
うさぎが月明かりを浴びながら、髪をかき上げる。
「今日のワイ、いつもの三割増しで綺麗やろ」
「暗くてよく見えねえ」
「月明かりや!」
「だから暗いんだろ」
隣で狸が肩を揺らしている。
カラスはいつもの顔で月を見上げていた。
「綺麗ですね」
「せやろ?」
「月が」
「お前らほんま嫌いや!」
狐は笑った。
悪くない。
夜は少し冷えていたが、風は弱い。
虫の声が遠くから聞こえている。
何より。
「で、団子は?」
「お前は風情っちゅうもんを知らんのか」
「団子あるって言っただろ」
「あるわ。向こうに置いてきた」
「取ってこいよ」
「なんで主催者のワイが働かなあかんねん」
「お前が誘ったんだろ」
言い合っていると、カラスが静かに立ち上がった。
「私が取ってきます」
「あ、俺も行く」
狐も立った。
「場所分かんのか?」
「聞いてきます」
「こいつに任せたら変なもんまで持ってきそうだ」
「私はそんなに信用がありませんか」
「そういう意味じゃねえよ」
二人で歩き出す。
背後から、
「ワイの美しさについても語りながら行ってえな!」
と聞こえた。
狐は振り返らなかった。
「聞こえなかったことにしようぜ」
「はい」
少し間を置いて、カラスが続けた。
「私も、その方がいいと思います」
狐は横を見る。
「……お前、意外と酷えな」
「そうでしょうか」
真顔だった。
狐は、また少し笑った。
*
月明かりの下を、二人で歩く。
狸やうさぎと一緒にいるときとは違って、カラスはあまり喋らない。
けれど、不思議と居心地は悪くなかった。
「お前さ」
「はい」
「狸とは長いのか?」
カラスが狐を見る。
「うさぎさんほどではありません」
「……あいつら、そんな長えの?」
「以前は、二人で組んでいたと話していましたが」
狐の足が、ほんの少しだけ遅くなった。
「二人で?」
「はい。狸さんとうさぎさんで」
「……ふうん」
知らなかった。
別に。
知る必要もないことだ。
狸にだって、自分と会う前の時間くらいある。
当たり前だ。
「仲良かったのか?」
口に出してから、狐は眉を寄せた。
なんでそんなことを聞いた。
カラスは気にした様子もなく答える。
「今も仲はいいと思います」
「……そうかよ」
それだけ言って、狐は前を向いた。
少し歩いたところに、包みが置いてあった。
開くと、丸い団子が綺麗に並んでいる。
「おお」
狐はしゃがみ込んだ。
「ちゃんとあるじゃねえか」
「うさぎさんは、そこまで嘘はつきません」
「そこまでって何だよ」
狐は団子の皿を持ち上げる。
もう一つ、別の皿もあった。
「これ、狸の分な」
「分けるんですか?」
「あいつ結構食うから」
「よく知っていますね」
「一緒にいりゃ分かるだろ」
答えてから。
カラスがこちらを見ていることに気づいた。
「……なんだよ」
「いえ」
「言えよ。気持ち悪いな」
「狐さんは、狸さんのことをよく見ていますね」
「は?」
思わず声が出た。
「見てねえよ」
「そうですか」
「普通だろ。相棒なんだから」
「はい」
妙に素直に頷かれると、それはそれで落ち着かない。
狐は団子を持って立ち上がった。
「……変なこと言うなよ」
「悪い意味ではありません」
「じゃあどういう意味だよ」
カラスは少し考えてから言った。
「狸さんも、狐さんのことをよく見ていますから」
狐は黙った。
胸のあたりが、妙にむず痒い。
「……そうか?」
「はい」
即答だった。
「ふうん」
それだけ返す。
どうでもいい。
どうでもいいはずなのに。
少しだけ。
気分が良かった。
「帰るぞ」
「はい」
狐は団子を抱えて歩き出した。
さっきより、ほんの少しだけ足取りが軽かった。
*
月見の場所が見えてきた。
狸とうさぎが並んで座っている。
何かを話していた。
うさぎが笑う。
狸も。
笑っている。
狐の足が止まった。
「……」
さっき聞いた言葉が頭に浮かぶ。
以前は、二人で組んでいた。
狸とうさぎ。
昔の相棒。
二人で。
「狐さん?」
「……なんであいつ、そこ座ってんだよ」
「うさぎさんですか?」
「他に誰がいるんだよ」
カラスは二人を見る。
「最初から、あの辺りに座っていたと思いますが」
「そういうことじゃねえ」
手元を見る。
楽しみにしていた団子。
狐はそれをカラスへ押しつけた。
「持ってろ」
「食べないんですか?」
「あと」
「団子を取りに行ったのでは」
「あとで食う!」
狐はさっさと二人の方へ向かった。
*
「お、帰ってきたで」
うさぎが手を上げる。
「団子あったか?」
狐は答えなかった。
狸の隣。
そこに、うさぎがいる。
「おい」
「なんや?」
「詰めろ」
「は?」
「そこ。詰めろ」
うさぎが周囲を見渡す。
敷物には、まだいくらでも空いている場所があった。
「なんでや。そこら中空いとるやろ」
「いいから」
「お前、団子食いに行ったんちゃうんか」
「それはあとでいい」
「お前が?」
狸が言った。
狐は狸を見る。
「なんだよ」
「いや。団子より優先するものがあるんだなと思って」
「あるわ!」
言い返して。
狐自身が一瞬止まった。
うさぎの口元が、にやりと上がる。
「なんや狐。ワイが狸の隣におるんが気に入らんの?」
「……違えよ」
「ほな、向こう座ったらええやん」
「嫌だ」
「なんでや」
なんで。
そんなもの。
決まっている。
さっきカラスから聞いた。
昔は、こいつらが二人で組んでいた。
それは昔だ。
今は。
「……今は俺が相棒だろ」
言ってから。
一瞬、静かになった。
狸が狐を見ている。
うさぎも。
後ろでは、カラスが団子を抱えたまま立っている。
「……なんだよ」
うさぎが、ぷっと吹き出した。
「はいはい。分かった分かった」
「笑うな!」
「詰めたるから押すなや!」
狐はうさぎを横へ追いやり、その隙間へ腰を下ろした。
狸の隣。
肩が少し触れる。
それでようやく。
胸の奥に引っかかっていたものが消えた。
「……」
狸がこちらを見ている。
「なんだよ」
「いや」
狸の口元が緩んだ。
「楽しそうだなと思って」
「どこがだよ」
「顔」
「笑ってねえだろ」
「俺の話」
「……は?」
狸が笑った。
狐は眉を寄せる。
意味が分からない。
でも。
さっきうさぎの隣で笑っていたときより、今の方が――。
いや。
何を比べている。
「狐さん」
後ろからカラスの声。
振り返る。
「なんだよ」
「団子」
「あ」
完全に忘れていた。
うさぎが腹を抱えた。
「お前ほんまに団子忘れとったんか!」
「うるせえ!」
カラスから皿を奪い返す。
一本取って口に入れた。
甘い。
「……うま」
「結局それかよ」
狸が笑う。
狐はもう一本取った。
それから。
少し考えて。
一本を狸へ差し出した。
「ほら」
「くれるの?」
「お前の分だっつっただろ」
狸が受け取る。
「ありがと」
「ん」
頭上には、大きな満月。
向こうではうさぎが、また自分と月の美しさについてカラスへ語り始めている。
「カラス! よう見てみい。月とワイ、どっちが――」
「月ですね」
「最後まで聞けや!」
狸が笑った。
狐も。
団子を食べながら笑った。
肩は。
まだ触れている。
狐は。
離れなかった。
狸も。
離れない。
「……もう一本」
「食いすぎじゃない?」
「まだあるだろ」
「俺の分は?」
「さっきやった」
「一本だけじゃん」
「十分だろ」
「少ない」
「子供かよ」
狐は。
また団子へ手を伸ばした。
――狸視点
「今日は満月やで!」
仕事終わり。
うさぎがそう言って空を指した時点で、狸は嫌な予感がした。
「月にはうさぎがおる言うやろ?」
「まあ、言うね」
「つまりや」
うさぎは胸を張る。
「今日は、月の光に照らされたワイが最も美しゅう見える日っちゅうことや」
予感は当たった。
「帰る」
狐が即答した。
「待て待て待て!」
うさぎが慌てて狐の袖を掴む。
「なんやその反応! 月見しよう言うてんねん!」
「お前が月見ながら自分に酔ってんの眺めて、何が楽しいんだよ」
「団子もあるで」
狐が振り返った。
「行く」
狸は吹き出した。
「早えな」
「うるせえ。月見には団子だろ」
「さっきまで帰るって言ってたけど」
「気が変わった」
「団子で?」
「月で」
「嘘つけ」
分かりやすい。
本当に。
*
うさぎが選んだ場所は、悪くなかった。
少し高台になっていて、空が広い。
雲もほとんどなく、丸い月がよく見える。
夜風は冷たくなってきていた。
夏の終わりにはあれだけ暑かったのに。
季節が変わるのは早い。
「見てみい」
うさぎが月明かりの下で髪をかき上げる。
「今日のワイ、いつもの三割増しで綺麗やろ」
「暗くてよく見えねえ」
狐が言った。
「月明かりや!」
「だから暗いんだろ」
狸は笑った。
昔から、うさぎはこういう奴だった。
自分で場を騒がしくして。
自分で笑って。
気づけば周りまで巻き込んでいる。
「綺麗ですね」
カラスが月を見上げた。
うさぎが得意げに笑う。
「せやろ?」
「月が」
「お前らほんま嫌いや!」
また狸は笑った。
狐も笑っている。
その横顔を。
狸はなんとなく見た。
楽しそうだった。
「で、団子は?」
狐が言った。
やっぱりそっちか。
うさぎと言い合ったあと、カラスが立ち上がる。
「私が取ってきます」
「あ、俺も行く」
狐も続いた。
二人が離れていく。
背中へ向かって、うさぎが叫んだ。
「ワイの美しさについても語りながら行ってえな!」
返事はなかった。
「無視されたで」
「当然だろ」
「冷たいやっちゃなあ」
そう言いながら。
うさぎは楽しそうだった。
*
「なあ」
二人の姿が少し遠くなったころ。
うさぎが言った。
「ん?」
「お前、最近楽しそうやんな」
狸は月から視線を外した。
「俺が?」
「お前以外に誰がおんねん」
「そうかな」
「そうやって」
うさぎが狸の顔を指差す。
「よう笑うようになったやろ」
狸は自分の口元に触れた。
笑っていたらしい。
「昔から笑うくらいするけど」
「そらするわ。人をなんやと思っとんねん」
「お前が言ったんだろ」
「程度の話や、程度の」
うさぎは酒を一口飲んだ。
それから月を見上げる。
「昔、ワイがお前と組んどった頃なんか、ほんま仏頂面で敵わんかったわ」
「そんなだった?」
「そらもう」
うさぎが大袈裟に肩を落とす。
「大人しゅうて大人しゅうて。背中に火ぃでもつけたら、ちったぁ慌てるんちゃうか思うくらいやった」
狸は横目で見る。
「……お前が言うと洒落にならないんだけど」
「なんでや」
「なんでも」
「変な狸やなあ」
カチカチと。
背中で何かが燃える音を想像して。
狸は小さく笑った。
「ほら」
「何」
「また笑った」
「お前がくだらないこと言うからだろ」
口にして。
俺は。
少しだけ止まった。
どこかで。
似たようなことを。
言った気がした。
夏。
石段。
蝉の声。
隣に。
誰かがいた。
「……」
それ以上は。
出てこなかった。
「……まあ」
うさぎの声で。
狸は顔を上げた。
「ええことやけどな」
いつもの調子より。
少しだけ静かな声だった。
「何が?」
「お前が楽しそうなん」
うさぎは狸を見ない。
月を見たまま。
口元だけで笑っている。
「昔のお前も別に不幸そうやったわけやないけど」
一拍。
「最近のお前見とると、なんや」
そこで狸を見る。
「ワイも嬉しいわ」
「……気持ち悪いな」
「なんでや!」
「急に素直になるから」
「人がええ話しとるときくらい黙って聞け!」
狸は笑った。
うさぎも。
けたけた笑った。
しばらくして。
狸はもう一度。
月を見る。
少し前。
狐に言われた。
もっと笑えばいいのに。
笑いたいときくらい。
我慢するなと。
自分では。
そんなに変わったつもりはなかった。
狐が来る前も。
仕事をして。
うさぎやカラスと話して。
飯を食って。
眠る。
やっていることは。
そう変わらない。
「……」
遠くを見る。
狐とカラスが戻ってきている。
狐は団子の皿を抱えていた。
こちらを見て。
足を止めた。
狸は首を傾げる。
どうしたんだろう。
狐が何かカラスに言った。
そして。
あれだけ楽しみにしていた団子を。
カラスへ押しつけた。
こっちへ来る。
真っ直ぐ。
「おい」
「お、帰ってきたで」
うさぎが手を上げる。
「団子あったか?」
狐は答えなかった。
うさぎを見る。
「詰めろ」
「は?」
「そこ。詰めろ」
うさぎが周囲を見る。
「なんでや。そこら中空いとるやろ」
「いいから」
「お前、団子食いに行ったんちゃうんか」
「それはあとでいい」
狸は思わず狐を見る。
「お前が?」
「なんだよ」
「いや」
狸は笑った。
「団子より優先するものがあるんだなと思って」
「あるわ!」
狐が即答する。
そして。
自分で言ったことに気づいたのか。
固まった。
うさぎがにやりと笑う。
「なんや狐。ワイが狸の隣におるんが気に入らんの?」
「……違えよ」
「ほな、向こう座ったらええやん」
「嫌だ」
「なんでや」
狐の眉間に皺が寄る。
しばらく黙って。
狐は言った。
「……今は俺が相棒だろ」
狸は。
狐を見た。
相棒。
その言葉が。
妙に胸に残った。
昔。
自分の隣には。
うさぎがいた。
もっと前にも。
誰かが。
いたような気がする。
けれど。
それが誰だったのか。
まだ。
うまく掴めない。
「はいはい。分かった分かった」
うさぎが笑いながら横へずれる。
「笑うな!」
「詰めたるから押すなや!」
狐は強引に。
その隙間へ座った。
肩が触れる。
少し。
冷たい。
狐は。
満足したように息を吐いた。
「……」
狸は。
その横顔を見る。
「なんだよ」
「いや」
「何笑ってんだ」
「楽しそうだなと思って」
「どこがだよ」
「顔」
「笑ってねえだろ」
「俺の話」
「……は?」
また。
笑った。
「狐さん」
後ろからカラスが呼ぶ。
狐が振り返った。
「なんだよ」
「団子」
「あ」
狸は。
また吹き出した。
本当に。
忘れていたらしい。
うさぎが腹を抱える。
「お前ほんまに団子忘れとったんか!」
「うるせえ!」
狐はカラスから皿を奪い返した。
すぐに一本食べる。
「……うま」
「結局それかよ」
狸が言うと。
狐はもう一本取った。
けれど。
それは。
自分の口には入れなかった。
狸へ差し出す。
「ほら」
「くれるの?」
「お前の分だっつっただろ」
受け取る。
「ありがと」
「ん」
団子を一口食べる。
甘い。
隣では狐が。
もう次を食べている。
「食うの早いな」
「まだある」
「俺の分まで食うなよ」
「今やっただろ」
「一本だけじゃん」
「十分だろ」
「少ない」
「子供かよ」
狸は笑った。
そのとき。
向こうから。
うさぎの声がした。
「ほら」
見ると。
うさぎがこちらを見ていた。
「また笑っとる」
狸は何も言わなかった。
狐は。
意味が分からないという顔で。
狸とうさぎを交互に見ている。
「何の話だよ」
「こっちの話や」
「気になるだろ」
「狐にはまだ早いわ」
「はあ!?」
うさぎがけたけた笑う。
カラスも。
ほんの少しだけ笑っていた。
狐だけが怒っている。
狸は。
そんな三人を眺める。
それから。
隣を見る。
狐はまだ。
何かうさぎに文句を言っている。
その手には。
食べかけの団子。
肩は。
狸の肩に触れたまま。
「……そうだな」
小さく呟く。
「何が?」
狐が振り向く。
「なんでもない」
「なんだよ。今日のお前ら気持ち悪いぞ」
「団子食べてなよ」
「言われなくても食う」
また一本。
狐が取る。
狸は。
それを見て。
また。
少し笑った。




