第13話|夢の向こう
――狸視点
その夜。
妙に眠りが深かった。
祭りから戻って。
狐と別れて。
壁一枚向こうに、あいつがいる。
それをぼんやり意識しながら、目を閉じたところまでは覚えている。
なのに。
気づけば。
俺は知らない場所に立っていた。
*
蝉が鳴いていた。
うるさいくらいに。
夏だった。
目の前には、古びた石段。
その先に、小さな社。
赤い鳥居は日に焼けて、ところどころ色が薄くなっている。
石段の脇には。
古びた狸の石像があった。
「おーい」
声がした。
振り向く。
誰かが。
石段の途中に座っていた。
こちらを見ながら、楽しそうに笑っている。
「何ぼーっとしてんだよ」
「別に」
「暑さでやられた?」
「お前じゃあるまいし」
「は?」
そいつが笑う。
俺は。
その隣に腰を下ろした。
「暑い」
「夏なんだから当たり前だろ」
「お前、暑くないの」
「お前よりはな」
「ずるいな」
「何がだよ」
また。
笑い声。
俺も。
笑った。
*
昼を過ぎたころ。
人が一人。
石段を上ってきた。
俺たちは。
並んでそれを見ていた。
男は社の前で手を合わせる。
何かを願って。
頭を下げる。
それから。
持ってきた包みを置いた。
男が。
石段を下りていく。
鳥居をくぐる。
そのまま。
通りの向こうへ消えていった。
隣のそいつは。
しばらくそちらを見ていた。
「行ったな」
「ああ」
「今日の、何だと思う?」
「さあ」
「饅頭だったらいいな」
「また?」
「いいだろ、別に」
「この前も食っただろ」
「この前は三日前だ」
「覚えてんのかよ」
「当たり前だろ」
しばらく待つ。
すぐには手をつけない。
蝉が鳴いて。
風が吹いて。
木々の影が少しずつ動く。
誰も来なくなってから。
そいつが立ち上がった。
「見るぞ」
「はいはい」
「お前も気になってんだろ」
「別に」
「嘘つけ」
包みを開く。
饅頭だった。
「お」
声が弾む。
「よかったな」
「二つある」
「ほんとだ」
一つ取って。
俺へ差し出してくる。
「ほら」
受け取る。
もう。
少し冷えていた。
「冷てえな」
「いつものことだろ」
そいつが先にかじる。
俺も食べる。
「……そっちの方がでかくね?」
「同じだろ」
「いや、絶対でかい」
「じゃあ半分やるよ」
「いらねえ」
「欲しいんじゃないの」
「確認しただけだ」
「何だそれ」
笑う。
隣でも。
笑っている。
二人で。
冷えた饅頭を食べる。
鳥居の向こうを。
人が歩いている。
知らない顔。
知らない声。
どこかへ行って。
どこかから帰ってくる。
隣のそいつは。
ときどき。
そちらを見る。
でも。
鳥居へは近づかない。
俺も。
行かない。
社と。
石段と。
木々と。
鳥居。
ここに。
こいつがいる。
俺もいる。
それが。
当たり前だった。
*
「お前さ」
「ん?」
「最近、笑いすぎじゃね?」
「お前がくだらないこと言うからだろ」
「俺のせいかよ」
「お前以外に誰がいるんだよ」
「ひでえな」
言いながら。
そいつも笑う。
俺も。
また笑った。
*
場面が。
ふっと変わった。
夕方だった。
社の前。
橙色の光が。
石段を長く染めている。
鳥居の向こうでは。
何人かの人が。
家へ帰っていく。
どこかで。
鈴が鳴った。
ちりん。
ちりん。
風に揺れて。
そいつが。
俺の隣に立っている。
「なあ」
「んー?」
「結婚って、知ってるか?」
「急に何」
「今日来てた奴らが話してた」
「ふうん」
「ずっと一緒にいるってことだろ?」
「だいたいはね」
「じゃあさ」
「何」
口元が。
悪戯を思いついたみたいに上がる。
「俺たち、結婚しようか?」
俺は。
一瞬。
そいつを見た。
それから。
笑った。
「嫌だよ、お前とは」
「はぁ!?」
大袈裟に声を上げる。
「なんでだよ!」
「うるさいし」
「は?」
「すぐ怒るし」
「お前が怒らせんだろ!」
「あと食い意地張ってる」
「それ関係ねえだろ!」
「あるだろ」
「ねえよ!」
また。
笑った。
腹を抱えるくらい。
そいつは本気で怒ったふりをして。
俺の肩を。
どん、と押した。
「もういい!」
「はいはい」
「絶対お前とは結婚してやんねえからな!」
「こっちの台詞だよ」
「後悔しても知らねえぞ!」
「しないしない」
「……ほんとかよ」
急に。
声が小さくなった。
俺は。
そいつを見る。
少しだけ。
こちらから顔を逸らしていた。
「……何」
「別に」
「変な奴」
「うるせえ」
風が吹いた。
木々が揺れる。
夕日の光が。
隣の横顔に落ちる。
「…………」
*
――ぱき。
音がした。
顔を上げる。
「……今、何か鳴ったか?」
「ん?」
二人で。
空を見る。
さっきまで。
夕焼けだったはずなのに。
鳥居の向こう。
遠くに。
黒い雲があった。
「雨でも降るんじゃね?」
気にしていない声。
俺も。
そのはずだった。
なのに。
胸の奥が。
急にざわついた。
嫌な感じがする。
理由なんて。
何もない。
それでも。
隣にいるそいつの腕を。
掴みたくなった。
「おい」
「なんだよ」
「…………」
手は。
動かなかった。
「……いや」
「なんだよ、それ」
「何でもない」
「変な狸」
「お前に言われたくない」
「はぁ?」
また。
怒る。
俺は。
笑う。
そいつも。
最後には笑った。
その向こうで。
空が。
一瞬だけ。
白く光った。
*
目が覚めた。
暗い。
天井。
自分の部屋だった。
「…………」
しばらく。
動けなかった。
胸が。
妙に速い。
夢。
ただの夢だ。
そう思う。
それなのに。
身体だけが。
まだ。
どこかに置いてきたみたいだった。
寝返りを打つ。
壁を見る。
壁一枚。
その向こうに。
狐がいる。
「…………」
少しして。
目を閉じる。
けれど。
なかなか。
眠れなかった。
*
翌朝。
仕事へ出る。
いつもの道。
いつもの時間。
狐が。
少し前を歩いていた。
「狸」
振り返る。
「おはよ」
「おう」
狐は。
そのまま歩く。
俺も。
歩く。
少しだけ。
いつもより。
足が重かった。
狐が。
前を歩いている。
俺は。
その少し後ろを。
歩いた。




