30 帰還
王城へ戻ると、俺はニックとアンナを連れて大広間へ向かった。
知らせを受けたのだろう。
大広間にはエリーゼの姿があった。
俺たちの姿を見つけた瞬間、エリーゼは目を見開く。
そして次の瞬間には駆け出していた。
「アンナ!」
「ニック!」
叫ぶような声だった。
アンナが立ち止まる。
ニックも足を止めた。
エリーゼは二人の前まで来ると、そのまま抱きしめた。
まるで本当に失うところだった宝物を抱き締めるように。
「よかった……」
「本当によかった……」
涙が止まらない。
肩を震わせながら何度も呟いている。
ニックはそんな母を見ていた。
アンナも黙っている。
二人とも生きて帰ってきた。
母も泣いて喜んでいる。
本来なら喜ぶべき場面なのだろう。
だが、二人の胸には別の感情も残っていた。
アンナは母の温もりを感じながら、戦場で見た光景を思い出していた。
空から降り注いだ無数の光。
押し潰される兵士たち。
肉片。
血の海。
焼き尽くされる城。
そして――吐き続けた自分。
あの時、自分を抱えていたのはコウスケだった。
母ではない。
助けを求めても届かない場所だった。
アンナの胃がひっくり返るような感覚に襲われた。
「うっ……」
小さく呻く。
エリーゼが慌てて顔を上げた。
「アンナ?」
心配そうな声。
優しい声だった。
昔と変わらない母の声。
それなのに。
アンナの身体は無意識に一歩だけ後ろへ下がった。
エリーゼの手が空を切る。
その動きに、アンナ自身が一番驚いていた。
違う。
嫌いになったわけではない。
会いたかった。
無事でいてほしかった。
抱きしめられて安心もした。
それなのに、身体が勝手に拒絶してしまった。
戦場で見たものがまだ頭から離れない。
エリーゼも、その反応に気付いたらしい。
一瞬だけ表情が固まる。
だが何も言わなかった。
言えなかった。
しばらくしてエリーゼが顔を上げる。
「怪我は?」
「痛いところはありませんか?」
そう言ってニックの顔に触れた。
ニックは僅かに視線を逸らす。
「大丈夫です」
どこか他人行儀な返事だった。
エリーゼの表情が僅かに曇る。
アンナも母を見つめている。
以前なら泣きながら母へ縋り付いていただろう。
だが今は違った。
エリーゼもその違和感に気付いたらしい。
「アンナ……?」
優しく呼びかける。
アンナは少し迷ったあと、小さく答えた。
「お母様……」
それだけだった。
言葉が続かない。
エリーゼの胸が痛んだ。
生きていてくれた。
無事に戻ってきてくれた。
それなのに何かが変わってしまっている。
そんな感覚があった。
俺はその様子を少し離れた場所から眺めていた。
実に面白い。
親子は再会した。
だが以前の親子ではない。
ニックが口を開く。
「お母様」
「なんですか?」
エリーゼが嬉しそうに答える。
その顔を見て、ニックは一瞬だけ言葉に詰まった。
「出征式典の日……」
そこまで言って口を閉ざす。
大広間の空気が少し重くなった。
エリーゼの顔から血の気が引く。
「ニック……」
「いえ」
ニックは首を振った。
聞きたいことはあった。
だが聞けなかった。
聞けば答えを聞くことになる。
その勇気がなかった。
アンナも俯いている。
式典の日。
母が来なかった日。
コウスケが皆の前で言った言葉。
貴族たちの笑い声。
あの日の記憶が頭から離れない。
信じたくない。
だが忘れることもできない。
エリーゼは二人の表情を見て全てを悟った。
子供たちは自分を信じたいと思っている。
それでも心のどこかで疑っている。
そして、その疑いを口にすることすら怖がっている。
エリーゼの胸に強い痛みが走った。
戦場で傷付いたのは子供たちだけではなかった。
自分たち家族もまた傷付いていたのだ。
しかも、その傷は目には見えない。
だからこそ厄介だった。
俺はそんな三人を見ながら小さく笑う。
誰も気付いていない。
いや、気付いていても認めたくないのか。
家族の間に生まれた小さな亀裂は、もう確かに存在している。
そして一度入った亀裂は、そう簡単には元へ戻らない。
エリーゼはニックとアンナを抱き締めたまま泣いていた。
ニックは何も言わない。
アンナも何も言わない。
ただ二人とも、以前のように母へ抱き付くことはなかった。




