03 プロローグ(後編)
教室は騒然としていた。
女子生徒たちは怯えた表情で後ずさりし、誰かが教師を呼びに走る。
やがて数人の教師が駆け込んできた。
だが、その顔ぶれに見覚えはなかった。
当然だ。
十年も経てば教師だって入れ替わる。
その時の俺は、まだその事実に思い至っていなかったが。
教師の一人が警戒した様子で問いかけてくる。
「あなたは誰ですか?」
「なぜ学校の中にいるのですか?」
俺は苛立ちながら答えた。
「だから、間宮浩介です」
「この学校の生徒だった間宮浩介です」
当然、信じてもらえなかった。
教師たちは困惑した顔を見合わせる。
そのうちの一人が携帯電話を取り出した。
「警察ですか? 不審者が校内に――」
その言葉を聞いた瞬間、俺は反射的に動いていた。
携帯電話を取り上げようと手を伸ばす。
ただ、それだけのつもりだった。
本当に、それだけだった。
だが。
俺の手が教師の肩に触れた瞬間、その身体が吹き飛んだ。
まるで大型トラックに跳ね飛ばされたかのように。
教師は数メートル先の壁へ叩きつけられ、そのまま動かなくなった。
教室が静まり返る。
俺自身も呆然としていた。
力加減を間違えた。
いや、違う。
異世界で当たり前になっていた力を、そのまま使ってしまったのだ。
俺にとっては軽く押した程度だった。
だが、普通の人間には違った。
その事実を思い知らされた。
ほどなくして警察が到着した。
警官たちは警棒や盾を構えながら俺を包囲する。
「落ち着いてください」
「話を聞きます」
「抵抗しないでください」
その声を聞きながら、俺は吹き飛ばした教師を見た。
あの程度でああなる。
俺とこの世界の人間との間には、絶望的な力の差があった。
「……話を聞いてくれるなら」
そう言って、俺は両手を上げた。
☆★☆★☆★☆★☆★
取り調べは長かった。
俺は何度も説明した。
俺は間宮浩介だ。
高校一年生の時に異世界へ召喚された。
十年間戦い続け、今戻ってきた。
何度説明しても信じてもらえない。
当然だった。
俺だって逆の立場なら信じない。
だが、調査が進むにつれて状況が変わり始めた。
DNA鑑定。
指紋照合。
家族への聞き取り。
その結果――。
俺が間宮浩介本人であることが証明された。
だが、そこで新たな事実が判明した。
俺が失踪したのは十年前。
つまり。
この世界でも十年が経過していた。
「そんな……」
思わず呟いた。
異世界で過ごした十年。
その時間は、この世界でも同じように流れていたのだ。
俺は元の世界へ戻ってきた。
だが。
失った時間までは戻らなかった。
☆★☆★☆★☆★☆★
数日後、俺は釈放された。
理由はよく分からない。
学校への侵入も、教師への傷害も、特殊な事情が考慮されたらしい。
迎えに来たのは両親だった。
十年ぶりの再会。
もっと感動的なものになると思っていた。
だが現実は違った。
父は老けていた。
母も老けていた。
二人とも白髪が増え、顔には深い皺が刻まれていた。
十年という歳月を嫌でも実感させられる。
母は泣いていた。
父も目を赤くしていた。
俺も嬉しかった。
本当に嬉しかった。
だが、その時間は長く続かなかった。
世間が放っておかなかったからだ。
高校で失踪した少年が十年後に突然現れた。
しかも見た目は二十代前半。
DNAは本人。
本人は異世界に行っていたと主張している。
面白がらないはずがない。
テレビ。
ネットニュース。
週刊誌。
SNS。
気が付けば、俺は全国的な話題になっていた。
家の前には記者が集まる。
知らない人間が写真を撮る。
根拠のない噂が広がる。
詐欺師。
整形。
クローン。
人体実験。
宇宙人。
好き勝手なことを書かれた。
家族も疲弊していった。
俺自身も限界だった。
そして話し合いの末。
俺は家を出た。
誰かに追い出されたわけじゃない。
だが、そこに居続けることもできなかった。
☆★☆★☆★☆★☆★
その後の人生は散々だった。
高校は卒業していない。
大学にも行っていない。
職歴もない。
履歴書に書けることが何もない。
勇者として世界を救った?
そんな話を信じる会社など存在しない。
面接を受けた。
落ちた。
また受けた。
また落ちた。
何十社受けても結果は同じだった。
ようやく見つかったのが今の清掃会社だった。
正社員ですらない。
だが、贅沢は言えない。
働けるだけマシだった。
気付けば四年が経っていた。
俺は三十二歳になっていた。
世界を救った勇者は。
今では安アパートに住む清掃員だった。
☆★☆★☆★☆★☆★
俺は天井を見つめながら呟く。
「アイツらが俺を召喚しなければ……」
静かな部屋に声が響く。
「俺は普通の高校生活を送れた」
「普通に卒業して」
「普通に就職して」
「普通に生きられた」
誰も答えない。
だから続ける。
「戦えと言われたから戦った」
「命を懸けて戦った」
「仲間が傷付いた」
「仲間と別れた」
「全部終わらせた」
「なのに……」
拳を握る。
爪が食い込む。
「俺に残ったのは、この生活かよ」
胸の奥で渦巻く黒い感情。
四年間、消えることはなかった。
むしろ大きくなり続けていた。
憎悪。
怒り。
後悔。
諦め。
それらが混ざり合い、どす黒い塊となって心の奥に沈んでいる。
そして、その感情が限界に達しかけた時だった。
突然。
部屋が眩い白い光に包まれた。
俺は反射的に立ち上がる。
忘れるはずがない。
この光を。
俺の人生を変えた光を。
「まさか……」
次の瞬間。
景色が切り替わった。
☆★☆★☆★☆★☆★
豪華な装飾。
白い大理石の床。
巨大な魔法陣。
見覚えのある大広間。
俺は息を呑んだ。
ゴージマ王国。
召喚の間。
間違いない。
その瞬間。
胸の奥に沈んでいた感情が一気に噴き出した。
前方から豪華な衣装をまとった男が歩み出る。
年齢は五十代ほどだろうか。
王冠を被っている。
男は威厳ある声で告げた。
「我はゴージマ王国国王、ゴージマ四世である」
その言葉を聞いた瞬間。
俺の頭の中で何かが切れた。
「待て」
男が眉をひそめる。
周囲の貴族や騎士たちも怪訝そうな顔をする。
だが知ったことではない。
「今、何て言った?」
俺は一歩前に出る。
「ゴージマ四世だと?」
男は困惑しながら答える。
「その通りだが……」
その言葉を聞いた瞬間、怒りが爆発した。
「何のために俺を呼んだ!」
大広間に怒号が響き渡る。
騎士たちが慌てて武器に手を掛ける。
だが俺は止まらない。
四年間。
いや。
十四年間かもしれない。
胸の奥に溜め込み続けてきた感情が噴き出していた。
「答えろ!」
「今度は何をさせるつもりだ!」
「誰と戦わせるつもりだ!」
「俺から今度は何を奪う!」
握り締めた拳が震える。
怒りで視界が赤く染まりそうだった。
もし、この場にゴージマ一世がいたなら。
俺は迷わず殴り殺していたかもしれない。
それほどまでに。
俺は怒っていた。




