28 遠征報告
出征式典から三か月以上が過ぎた。
この間、狙いどおりにマリウスとヨハン侯爵は競うように国政へ力を注いでいた。
まるで自分こそが有能であると証明するかのように。
いや、実際そうなのだろう。
俺に認められたい。
俺の目に留まりたい。
そして、もし王家が戻らなければ――。
そんな考えが二人の中で膨らみ続けている。
本人たちですら気付いていない欲望だ。
だが、その欲望は確かに育っている。
エリーゼには特に何もしていない。
俺の傍にいるだけで十分だった。
周囲は勝手に噂を作り上げる。
元王妃は勇者の寵愛を受けている。
ふしだらな女になった。
そう信じたい者たちが勝手に信じていく。
今はそれでいい。
エリーゼを壊すのはまだ先だ。
丁寧に仕込めば仕込むほど、後から効いてくる。
そんなある日。
ダントン連合国へ遠征した軍から、初めての正式報告が届いた。
俺は椅子にもたれながら言う。
「そうだ、ゴージマも呼べ」
「あれでも子供たちの父親だからな」
「ともに聞こうではないか」
そう命じると、マリウスの表情が僅かに曇った。
だが何も言わず、深く頭を下げる。
エリーゼは訝しげな目を向けていた。
しばらくして扉が開く。
現れたのはゴージマ四世だった。
エリーゼが息を呑む。
片目は潰れ、足を引きずり、腰は曲がっている。
かつての王の姿はどこにもなかった。
「ゴージマ、久しいな」
「地下牢は快適だったか?」
俺は笑いながら声をかける。
反応はない。
俯いたままだ。
「牢番たちに随分と可愛がってもらったようだな」
それでも反応はない。
ただ立っているだけ。
エリーゼが震える声で呼びかけた。
「あなた……」
だがゴージマは顔を上げない。
そのときマリウスが申し訳なさそうに口を開いた。
「エリーゼ奥様……」
「ゴージマ殿は喉を潰されております」
「声を出すことができません」
エリーゼの顔から血の気が引いた。
「そんな……」
思わず駆け寄ろうとする。
だが俺はその腕を掴んだ。
「お前はもうあいつの妻ではない」
「余計な情を出すな」
エリーゼは振り払おうとする。
珍しく必死だった。
俺は近くの椅子を引き寄せ、その体を拘束する。
身動きが取れなくなったエリーゼは涙を浮かべた。
ゴージマはその姿を見た。
見たが、何もできない。
何かを叫ぼうとしたのだろう。
肩が震える。
だが潰れた喉からは掠れた空気音しか漏れなかった。
片目から涙だけが流れ落ちる。
それを見て俺は思った。
終わったな。
こいつはもう父でも王でもない。
ただ国の行く末を見せられるだけの傍観者だ。
俺は報告に来た騎士へ視線を向けた。
「始めろ」
騎士は緊張した面持ちで報告を始める。
そして告げられた内容は予想以上だった。
ゴージマ王国軍は劣勢。
敗戦濃厚。
ジャックは敵軍の捕虜となり生死不明。
ニックは片腕を失い後方で療養中。
アンナは前線で奮闘しているが状況は厳しい。
報告が終わる。
部屋の空気が凍り付いた。
ゴージマの肩が再び震えた。
エリーゼは顔面蒼白になっている。
俺はゆっくりと笑った。
「そうか」
「敗戦濃厚か」
そしてエリーゼを見る。
「まだ少し早かったのかもしれんな」
エリーゼは震える唇を開いた。
何度も言葉を飲み込む。
助けを求める相手が誰なのか理解しているからだ。
子供たちをこんな状況へ追い込んだ張本人。
それでも他に頼れる者はいない。
やがてエリーゼは頭を下げた。
「お願いします……」
「助けてください……」
「どうか、あの子たちを助けてください……」
出会ってから初めてだった。
俺に頭を下げたのは。
「さて、どうするかな」
「見返りは何になる?」
そう尋ねる。
エリーゼは涙を流しながら答えた。
「なんでも致します……」
「あなた様の仰るとおりに致します……」
「だから、どうか……」
「どうかあの子たちを……」
俺はしばらく考えるふりをした。
そして口を開く。
「お前はもう俺の妻だ」
「そういえばこの国は重婚が認められていたな」
「ならば――」
俺はわざと間を置いた。
「アンナを第二夫人にもらおうか」
エリーゼの表情が固まる。
唇を強く噛み締める。
娘の未来。
娘の尊厳。
そして娘の命。
その全てを天秤に掛けているのだろう。
もちろん本気ではない。
俺にとって重要なのはアンナではない。
エリーゼを追い詰めること。
それだけだ。
「ジャックは難しいかもしれん」
「だがニックなら助けられるかもな」
「俺の魔法なら腕一本くらい簡単に戻せる」
その言葉を聞いた瞬間だった。
エリーゼは椅子から転げ落ちるように床へ額を擦り付けた。
「お願いします……!」
「ニックを助けてください!」
「アンナも助けてください!」
「私なら何でも致します!」
「子供たちにも従わせます!」
「どうか……どうかお救いください……!」
涙が床に落ちる。
かつて王妃だった女は、ただの母親になっていた。
俺はその姿を見下ろす。
ようやく膝をついたか。
だが、本当に壊れるのはここからだ。
そう思いながら、俺は静かに笑った。




