27 出征後
ジャック、ニック、アンナが出征した。
一年後にダントン連合国を落としていようが、落としていまいが、そこはどうでもいい。
大事なのは、その一年の間にあの三人がどれだけ俺を楽しませてくれるかだ。
俺は大広間の窓から遠ざかっていく軍勢を眺めながら、ゆっくりと振り返った。
「そういえば、式典を台無しにしたゴージマは大人しくしているのか?」
マリウスに尋ねる。
マリウスは一瞬だけ表情を曇らせた。
「現在も牢内で騒いでおります」
「何度もエリーゼ様との面会を求めておりますが、許可はしておりません」
俺は思わず笑った。
「あいつのエリーゼに対する執着は大したものだな」
「エリーゼも怖がっていたぞ」
「そのうち何か仕出かすかもしれんな」
少し考えるふりをする。
そして、何気ない口調で言った。
「ゴージマを去勢しろ」
その瞬間だった。
大広間の空気が凍り付いた。
マリウスが目を見開く。
近くに控えていた文官たちも顔色を変えた。
誰も声を出さない。
何を言われたのか理解できなかったのだ。
数秒遅れて、ようやくマリウスが掠れた声を漏らした。
「そ、それは……」
言葉が続かない。
処刑ではない。
追放でもない。
男としての誇りと尊厳を奪う命令だった。
しかも反乱の罪ではなく、執着しているように見えるからという理由で。
文官の一人が小さく息を呑む。
別の者は青ざめた顔で俯いた。
この場にいる誰もが理解した。
命令の内容だけではない。
それを当然のように口にできる存在の異常さを。
俺はそんな空気を楽しむように微笑んだ。
「あの執着をお前も見ただろう」
「犯罪を未然に防ぐためだ」
「事前策というやつだよ」
そう言って笑う。
マリウスは何も言えなかった。
反論すれば何が起こるのか知っている。
だから俯くしかない。
俺は興味を失ったように話題を変えた。
「それとマリウスよ」
「これから先、しばらく王家不在の時間が長くなる」
「お前とヨハン侯爵で国政を代行しろ」
「分かったな?」
「はっ」
マリウスは深く頭を下げた。
俺はその耳元へ顔を寄せる。
「お前には期待しているのだ」
マリウスの肩がわずかに震えた。
「ジャックたち三人が戻らなかった場合――」
「お前がそのまま王に座るのだよ」
そう囁いて笑う。
マリウスは頭を下げたままだった。
だが、その胸の内では激しい動揺が渦巻いていた。
あり得ない話だ。
そんなことが起きるはずがない。
そう思う。
思うはずだった。
しかし一度聞いてしまった言葉は消えない。
王。
ゴージマ四世の後継。
王家が途絶えた後の王。
そんな考えを持つこと自体が不敬だ。
それなのに。
ほんの一瞬だけ。
ほんの一瞬だけだ。
もし本当にそうなったら――。
そんな考えが頭をよぎってしまった。
その瞬間、自分自身に恐怖した。
慌てて打ち消そうとする。
だが、一度芽吹いた種は消えない。
コウスケはそれを知っているのだろう。
だからこそ、こんな言葉を残した。
俺はそんなマリウスを見て満足そうに笑った。
これから一年。
王家だけではない。
臣下たちも楽しませてくれそうだ。
ヨハン侯爵はどう動くのか。
マリウスはどこまで抗えるのか。
それを見るのも悪くない。
もっとも。
王族潰しは続けるがな。
そろそろゴージマ四世にも飽きてきた。
壊れた玩具をいつまでも眺めていても仕方がない。
次の標的を考える頃合いだろう。
俺は自室へ戻った。
侍女たちが慌てて頭を下げる。
「エリーゼはまだ寝ているのか?」
わざと聞く。
俺が魔法を解かない限り、目を覚ますはずがない。
それでも聞く。
侍女たちは怯えたように答えた。
「は、はい……」
「そうか」
俺は困ったように肩を竦める。
「子供たちの出征も見届けないとはな」
「母親としてどうなんだろうな」
聞こえるように独り言を呟く。
侍女たちの顔色が変わる。
噂はまた広がるだろう。
勇者の寵愛に溺れた元王妃。
子供の晴れ舞台すら忘れた女。
それでいい。
むしろ、そのためにやっている。
俺は寝室へ入った。
ベッドの上でエリーゼが眠っている。
俺は魔法を解除した。
しばらくして。
エリーゼの瞼がゆっくりと開く。
そして目の前にいる俺を見て、反射的に身構えた。
「おはよう、エリーゼ」
「よく眠れたか?」
そう言いながら髪に触れようとする。
エリーゼはすぐにその手を振り払った。
俺は笑う。
「おいおい」
「俺の寵愛を受けすぎて子供たちの出征式典を休んだ女が、今さら拒否するのか?」
エリーゼの表情が凍り付いた。
目が大きく見開かれる。
「……何を言っているのですか」
震える声だった。
俺は楽しそうに続ける。
「もう子供たちは出征したぞ」
「次に会えるのは一年後か」
「いや――」
「もう会えないかもしれんな」
その言葉を聞いた瞬間。
エリーゼの顔から血の気が引いた。
勢いよくベッドから降りる。
そして扉へ向かおうとした。
俺はその前に立つ。
「今さら行っても間に合わん」
「式典は終わった」
「子供たちはもう出発した」
エリーゼは立ち尽くした。
何か言おうとしている。
だが言葉にならない。
「それに安心しろ」
「欠席理由はちゃんと説明しておいた」
俺は笑った。
「俺に尽くしすぎて疲れて眠っているとな」
エリーゼはその場で崩れ落ちた。
「なんで……」
掠れた声が漏れる。
「なんで、そんなことを……」
その声には怒りもあった。
悲しみもあった。
だが何より。
母としての絶望が滲んでいた。
子供たちの旅立ち。
母として一度しかない瞬間。
見送りたかった。
言葉を掛けたかった。
抱き締めたかった。
無事を祈りたかった。
それなのに。
何一つできなかった。
最後に見た顔はいつだっただろう。
アンナは泣いていなかったか。
ニックは何か言いたそうにしていなかったか。
ジャックは一人で抱え込んでいなかったか。
何も分からない。
何も伝えられない。
そして今頃。
子供たちはどう思っているのだろう。
母は来なかった。
母は勇者の側にいた。
母は自分たちより勇者を選んだ。
そんな風に思われているのではないか。
その考えに至った瞬間。
エリーゼの肩が大きく震えた。
涙が止まらない。
「ジャック……」
「ニック……」
「アンナ……」
名前を呼ぶ。
だが返事はない。
もう届かない。
三人は遠くへ行ってしまった。
俺はそんな姿を見下ろしながら言った。
「なんで、と聞いたな?」
エリーゼは涙で濡れた顔を上げた。
俺は笑う。
「お前たちと、大事な者たちの絆を少しずつ壊していくためだよ」
「今のお前は寵愛に溺れ、子供のことを忘れたふしだらな元王妃だ」
「世間はそう見ている」
「子供たちもどうかな?」
そう言って笑う。
エリーゼは何も言い返さなかった。
ただ床に伏したまま泣いている。
その涙は自分のためではない。
遠く離れていった子供たちのためだった。
だが、その想いすら今は届かない。
俺はその姿を眺めながら満足そうに微笑んだ。
絆は壊れ始めている。
そして一度入った亀裂は、そう簡単には元に戻らないのだから。




