第005話
一年の前期が始まって間もなく、学園でオリエンテーションが行われることになった。
ちなみに、先日の汚職役人騒動以降、なぜか俺とアッシャーの仲は以前より良くなっている。
普通に考えれば、友人へ汚職役人の濡れ衣を着せようとしたら、少しくらい関係が悪くなってもおかしくないと思う。
俺だったら怒る。
たぶん。
いや、相手が時々飯を奢ってくれる人間なら、今後の食費を考えて少しくらいは許すかもしれないが。
そんな俺の疑問に対して、アッシャーは何でもないことのように答えた。
「お前みたいに、考えてることがだいたい顔と口から出る奴のほうが付き合いやすいんだよ」
「失礼だな」
「褒めてる」
「どこが?」
「裏で何考えてるか分からない奴よりマシだろ」
「俺だって多少は考えて喋ってるぞ」
「多少なんだな」
「多少は」
そこは否定しない。
俺だって何も考えずに生きているわけではないし、言っていいことと悪いことくらい一応考えている。
その判断が時々間違っているだけだ。
アッシャーは呆れたように笑ったあと、少しだけ真面目な顔になった。
「それに、お前ってこ狡いけどさ」
「悪口か?」
「半分は」
「残り半分は?」
アッシャーは俺の顔を眺めながら、少し考える。
「最後の最後では、たぶん裏切らないだろ」
予想していなかった言葉に、今度は俺のほうが黙った。
「自分だけ逃げられる状況でも、結局最後は残りそうなんだよな」
「なんでそんな評価になってるんだ」
「なんとなく」
「雑だな」
「割と頼りになる時もあるし」
「例えば?」
「この前、飯代が足りなかった時に銀貨を貸してくれた」
「翌日までに倍で返せって言ったけどな」
「そこなんだよ、お前は」
ひどい。
ちゃんと返済期限まで待ったのに。
そもそも借金というのは、返す側に少しくらい緊張感があったほうがいい。
もっとも、冗談で倍と言っただけで、本当に倍取るつもりはなかった。
たぶん。
まあ、そんなわけで、妙なところで俺たちは気が合ったらしい。
ただ、こいつは少し人を信用しすぎな気もする。
将来、悪い商人や詐欺師に騙されないか心配になってきた。友人としてしっかり見守ってやる必要があるだろう。
俺が金を借りる時だけは、今のまま素直でいてほしいけど。
さて、話をオリエンテーションへ戻そう。
今回行われるのは、簡単な野外探索だった。
学園から少し離れた森へ入り、指定された地点まで向かって、そこに置かれている目印を回収し、そのまま学園へ戻ってくる。
それだけである。
学園側の説明によれば、目的は戦闘訓練ではなく、地図の読み方や仲間との協力、野外での判断、体調管理など、今後の実習で必要になる基本的なことを確認するための行事らしい。
森といっても、魔物が大量に出るような危険地帯ではない。
事前に騎士や教師が中へ入り、安全確認も済ませている。危険な魔物は排除され、野生動物も小型のものが出る程度で、さらに森の周囲には教師たちが配置され、何かあればすぐ助けに入れるようになっているという。
要するに、学園公認の遠足みたいなものだ。
これなら、将来は下級官吏として机に向かい、帳簿をめくる予定の俺でも問題なく終えられる。
少し歩いて、目印を拾って、帰ってくる。
簡単である。
少なくとも、二人一組の相手がチェルシー・イーストンさんでなければ。
班分けの紙が教室の前へ張り出された瞬間、俺は自分の名前を探した。
ゲール・アークライト。
すぐに見つかった。
そして、その横にはチェルシー・イーストンと書かれている。
俺は一度紙から目を離し、もう一度確認した。
やっぱりゲール・アークライトの横にはチェルシー・イーストン。
念のため三回目も見たが、当然ながら変わらない。
紙に書かれた文字が、俺の願いを察して勝手に入れ替わってくれるはずもない。
「神様……」
思わず小さく呟く。
俺、そんなに悪いことしました?
……いや、したな。
主にアッシャーへ。
そう考えたところで、隣から妙な気配を感じた。
見ると、アッシャーが口元を押さえ、肩を小刻みに震わせている。
「なんだよ」
「いや……」
「笑ってるだろ」
「笑ってない」
「顔を見れば分かる」
「ぶっ……」
ついに耐えきれなくなったらしく、アッシャーが吹き出した。
「天罰だな」
「は?」
「神様はちゃんと見てらっしゃる」
「何をだよ」
「この前、俺に汚職役人の罪をなすりつけようとした報いだ」
「終わった話を蒸し返すな」
「俺の中では終わってない」
「いつ終わる?」
「一生覚えてる」
執念深い奴だ。
アッシャーは班分け表と俺の顔を交互に見ながら、ものすごく楽しそうに笑っている。
「たっぷり絞られてこい」
「友達が困ってるんだぞ」
「頑張れ」
「助けろよ」
「嫌だ」
「即答かよ」
「だって面白いし」
「友情って何だろうな」
「少なくとも、友達に汚職の罪を押しつけないことじゃね?」
「耳が痛い」
しかし、紙に名前が書かれているだけなら、まだ諦める必要はない。
こういう時こそ交渉である。
担当教師が教卓へ立ち、オリエンテーションの注意事項と班分けについて説明を始めたところで、俺はすぐに手を挙げた。
「先生!」
「なんだ、アークライト」
「班分けについて相談があります!」
「却下だ」
「まだ何も言ってません!」
早い。
俺より判断が早い。
教師は面倒そうにこちらを見る。
「どうせ班を変えてほしいという話だろう」
「なぜ分かったんです?」
「さっき班分け表を見て、人生が終わったみたいな顔をしていたからだ」
「そんな顔してました?」
「していた」
「先生」
「何だ」
「人の顔をよく見てますね」
「教師だからな」
「素晴らしい職業です」
「媚びても変えんぞ」
「くっ」
鋭い。
さすが教師である。
だが、俺にも理由はある。
それも非常に合理的で、友情に満ちた理由が。
「実はですね」
「聞くだけ聞いてやる」
「ありがとうございます」
俺は隣にいたアッシャーを指差した。
「アッシャーが、どうしてもチェルシーさんと組みたいと言っていまして」
「は?」
アッシャーの表情が固まる。
いい反応だ。
俺は構わず話を続けた。
「しかも、アッシャーが日頃からチェルシーさんに好意を抱いていることを、俺は確認しております」
「おい!?」
教室が一瞬でざわついた。
周囲の男子生徒たちがアッシャーを見て、女子生徒たちまで一斉にこちらへ顔を向ける。
少し離れた場所にいたチェルシーさんも反応した。
最初にアッシャーを見たものの、それはほんの一瞬で、すぐに視線が俺へ移る。
なぜだ。
今の話で注目されるべきなのはアッシャーではないだろうか。
アッシャーは顔を引きつらせていたが、俺は胸へ手を当て、いかにも友人思いの男らしい表情を作った。
「俺は友達思いなので、そんなアッシャーの淡い恋心を応援してやりたいと思っているんです」
「今すぐ訂正しろ」
「そこでですね」
「聞け!」
「俺とアッシャーの班を交換するというのはいかがでしょうか?」
「殺すぞ」
「落ち着け。先生の前だぞ」
「お前が原因だろ!」
担当教師は最初から最後まで無表情だった。
ただし、チェルシーさんは違う。
明らかに怒っている。
そこで俺もようやく、少し考えた。
本人たちが何も言っていないのに、教室中の生徒がいる前で「アッシャーがチェルシーさんに好意を抱いている」などという話を勝手に作った。
しかも理由は、俺が班を変えてもらいたいから。
チェルシーさんは伯爵令嬢である。
貴族の娘にとって異性との噂は、俺が思っている以上に面倒なものなのかもしれない。冗談のつもりで言った一言でも、誰かが面白半分に広めれば、「スターリング家の息子がイーストン伯爵令嬢へ想いを寄せている」などと、本人たちの知らないところで話が膨らむ可能性だってある。
アッシャーにとっても同じだ。
好意なんて抱いていないのに、勝手に恋心があることにされてはたまったものではないだろう。
もちろん、そこまで考えて言ったわけではない。
つまり、またやらかした。
「駄目だ」
教師の声で我に返る。
「班分けは変えない」
「そこを何とか」
「変えない」
「アッシャーの恋心は?」
「本人が全力で否定しているだろう」
「照れているだけかもしれません」
そこで、今まで黙っていたチェルシーさんが口を開いた。
「アークライトさん」
「はい?」
ものすごく冷たい声だった。
「スターリングさんにも失礼ですし、私の名前を勝手に使って、そのような話を作るのもやめていただけますか?」
完全な正論だった。
反論できるところが一つもない。
「いや、これはその……班をですね」
「ご自分が私と組みたくないからでしょう?」
返事に詰まった。
どうして分かった、と一瞬思ったが、誰が見ても分かるか。
チェルシーさんの目がさらに細くなる。
「前にも、ご自分の発言をスターリングさんのせいにしていましたよね?」
「よく覚えてますね」
「忘れられると思いますか?」
「……ですよね」
駄目だ。
積み重なっている。
しかも、悪い方向へ。
教師も深く息を吐いた。
「アークライト」
「はい」
「これ以上続けるなら、お前だけ荷物を二倍にする」
「すみませんでした」
即座に引いた。
大人は引き際も大事である。
「最低だなお前」
背後からアッシャーの声が聞こえる。
今回ばかりは否定しづらかった。
いや、かなり否定しづらい。
俺は何事もなかったように席へ戻ろうとしたが、左右から痛いほどの視線を感じた。
片方はアッシャーで、もう片方はチェルシーさん。
二人とも怖い顔をしている。
これはまずい。
アッシャーについては、あとで飯でも奢れば多少は機嫌が直るかもしれない。
……俺が奢るの?
それはかなり痛い。
最後の手段にしておこう。
問題はチェルシーさんだった。
前回は汚職の冗談を聞かれ、その場を逃れるためにアッシャーへ責任を押しつけた。
今回は彼女本人を巻き込み、大勢の前で勝手な恋愛話まで作った。
改めて並べて考えてみると、俺はかなり印象が悪い。
このまま森へ入ったら、「アークライトさん、先に行って罠がないか確認してください」とか、「崖がありますね。あなたから降りてください」とか、最悪の場合は「野生動物がいますので囮になってください」くらい言われてもおかしくない気がする。
森そのものの安全は学園が確認してくれている。
しかし、相方の機嫌までは保証されていない。
せめて少しくらいご機嫌を取っておこう。
俺はできるだけ害のなさそうな愛想笑いを浮かべながら、チェルシーさんへ近づいた。
「へへへ……チェルシーさん」
「なんですか」
声が冷たい。
冬の朝の井戸水くらい冷たい。
「いやぁ、奇遇ですね」
「何がですか」
「同じ班」
「班分けですから」
「運命を感じますね」
「先ほどまで必死に変更しようとしていた方が言うことですか?」
「……ですよね」
駄目だ。
さっきより会話が厳しい。
しかも、全部覚えている。
俺は何とか挽回できそうな材料を探し、チェルシーさんの手元へ目を向けた。
野外探索用の鞄に水筒、簡単な救急道具、それに地図が入っているらしく、少し重そうに見える。
ここだ。荷物を持つ。男らしい。紳士的。
少しくらい好感度も戻るかもしれない。
「荷物、持ちましょうか?」
「結構です」
「遠慮しなくても」
「遠慮していません」
「女性に重い物を持たせるのもですね」
「自分で持てます」
「でも――」
俺が鞄へ手を伸ばした瞬間、チェルシーさんの声が鋭くなった。
「触らないでください!」
「ごめんなさい」
反射的に謝り、即座に手を引っ込めた。
人生でもかなり上位に入る速度だったと思う。
教室が一瞬静かになり、何人かがこちらを見る。
恥ずかしい。
非常に恥ずかしい。
「いや、その……荷物を持とうと思って」
「分かっています」
「じゃあ」
「ですが、さっきまで私を避けるために嘘をついて、スターリングさんと私の恋愛話まで勝手に作ろうとした人に、急に親切そうにされても信用できません」
痛い。非常に痛い。
しかも全部事実なので、言い返せない。
「それに、ご自分の都合で勝手なことをしておいて、今度は何もなかったように私の荷物へ触ろうとしないでください」
「はい」
「自分の荷物は自分で持ちます」
「はい」
「これ以上、勝手なこともしないでください」
「はい」
チェルシーさんはそこで一度言葉を切ったものの、まだ終わりではなかった。
「それから、先生に嘘をついて班を変えようとするのも、友人に責任を押しつけるのもやめてください」
「……はい」
全部正論である。
こうして一つずつ並べられると、自分でも思っていたより酷い。
チェルシーさんは小さく息を吐くと、それ以上俺を責めることなく、少し離れた場所へ戻っていった。
怒鳴り続けるわけでもなく、ただ俺から距離を取る。
それが逆に怖い。
俺が何も言えず背中を見送っていると、後ろから肩を叩かれた。
振り向けば、アッシャーが楽しそうに笑っている。
「良かったな」
「何が」
「出発前から完璧に嫌われてる」
「完璧って言うな」
「いや、今回は完全にお前が悪いぞ」
「今回は?」
「前回もだけど」
「友達なら少しくらい庇えよ」
「俺、お前に二回連続で罪をなすりつけられてるんだけど?」
「細かいこと覚えてるな」
「数日前だよ!」
記憶力の良い奴だ。
「森で捨てられるんじゃね?」
「不吉なこと言うなよ」
「遺書書いとく?」
「友人にかける言葉じゃないぞ」
「遺産は俺がもらってやる」
「ない」
「だろうな」
「悲しくなるから即答するな」
俺はため息をつきながら、もう一度班分け表を見る。
ゲール・アークライトの横には、やっぱりチェルシー・イーストンと書かれている。
「……三時間くらいだよな?」
「往復で?」
「そう」
「順調ならな」
「順調なら、か」
「まあ森は安全なんだろ?」
「森はな」
俺はゆっくりチェルシーさんのほうを見る。
ちょうど向こうもこちらを見たところだった。
一瞬だけ目が合い、その直後、チェルシーさんは何も言わずに視線を逸らした。
そこで俺は、ようやく一つのことに気づいた。
これまで俺は、チェルシーさんが真面目な聖騎士だから、自分のような人間とは相性が悪いのだと思っていた。
だが改めて考えてみれば、汚職の話を聞かれたうえに友人へ責任を押しつけ、今度は本人を巻き込んで勝手な恋愛の噂まで作っている。
聖騎士だから嫌われているのではない。
単純に、俺が嫌われるようなことをしているだけではないだろうか。
今さら気づいた。
少し遅かった気もする。
どうやら今回のオリエンテーションでは、森や魔物、迷子になる危険を心配するより先に、相方との関係をどうにかしたほうがよさそうだった。
もっとも、その時の俺が心配していたのは、せいぜい三時間ほど気まずい空気の中を歩くことくらいだった。
まさか本当に森の中で、学園側ですら想定していなかったものと出会うことになるなんて、この時の俺が知るはずもなかった。




