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三章 ビショヌレノユウウツ

 その日も朝から『象徴』探し。ボクは二階でウロウロしていた。ガーネットは用事があるとか言って、昼頃には戻ると言い残してでかけていったまま帰ってこない。

 食料も買ってくるみたいだったし、今日のお昼は美味しいものが食べられるかも。

 で、そう思うとどうにもやる気が沸いてこない。お腹一杯に美味しいものを食べてから頑張ればいいかなぁとか、とてつもなく怠けた事を考えてしまうわけだった。

「……遅いなぁ」

 二階の壁に開いた穴から外を見て、ボクはため息を零していた。

 こういうぽかぽかと暖かい日は、昼寝するのが一番。外でごろごろしまくる。程よく日当たりがいい場所に適当な敷物を広げて、その上でごろーんと寝転がるって最高だから。

 そのためにはまず『程よく日当たりがいい場所』を探さなきゃ。

 ……サボってるわけじゃないよ。効率がいい作業のためには、こういう休息だって必要なんだからね。ボクだってまだまだお子様なんだから、ちょっとくらいゆっくりしたい。

 とりあえず毛布を引っ張り出す。草の上なら汚れたりしない……はず。

「えーっと、ボクの毛布は……あ」

 一階に行きかけた足が止まった。そうだ、毛布は汚れてきたからって、朝からざぶざぶと洗っておいたんだった。いくら天気がいいからって、数時間で乾いているわけがない。

 盛り上がった気分が墜落する。うげ、と声が漏れてしまった。顔はきっと、砂糖入りの甘い紅茶間違えて苦いお茶を飲んでしまったかのように、ぐにぐにと歪んでいるだろう。

 あー、最悪だ。サボろうなんて考えたバチが当たったに違いない。反省の証としてせめえガーネットが帰ってくるまでは、孤独だろうとお腹が減ろうと頑張る事にする。

 とりあえずその辺を引っ掻き回して……っと。ボクは手当たり次第にその辺にあるモノをひっくり返したり、遠くへポイっと放り投げてみたり、腹立ち紛れに蹴り飛ばしてみたりした。

 まぁ、足が痛くなっただけなんだけどさ。多少はストレス発散になったけど、痛みで別の意味でストレスたまって、ぶっちゃけ同じところをグルグル回っているような感じがする。

 それは現状についても同じ事。っていうかストレスの大半が、現状への不満やら焦りやらが原因だ。なんて言えばいいんだろうな。前に進んでいる気がしない、全然。

 探している『象徴』は見つからないし、わからない事は多い。

 今じゃ何がわからないのかさえワカラナイという感じ。

 もしも何かを質問しようと思ったら、一週間前から準備しなきゃいけないだろう。

 何だかもう、ボクにできる事なんて探す事だけって感じだった。まるで、それ以外をしてはいけないと誰かが思って、それ以外をできないようにいろいろと手を回したみたい。

 そう思うと腹が立った。もやもやしたものが、お腹の底に漂っている。ずーんと錘みたいにボクの動きを抑え込んでいるような、凄く凄くイヤな感じがするモノだった。

「あー、もー」

 がすん、と適当に壁を蹴る。

 自分じゃ理由が見つからない怒り、焦り、ついでにむかむか。……最後はもはや怒りかもしれないけど、とにかくボクは腹の底がムカムカしている。蹴らずにはいられない感じ。

 何にムカツク?

 ――さっぱり前が見えない日々に。

 何にムカツク?

 ――わけがわからない作業に。

 誰にムカツク?

 そりゃ決まっている。前も後ろも右も左も見えなくて、グルグルと回っているだけかもしれないのに、手探りで進む事しかできな弱くて非力な自分に、盛大にむかむかしている。

 そして不明不満ばっかりの自分に対して、殺意にも似た怒りを感じていた。

 こんなに苛立ったり、むかむかするのは初めて。

 だから心を静める方法がわからない。とにかく何でもいいから何かないかと視線をめぐらせた先に、柔らかそうな――たぶんクッションらしきモノを見つけ、思いっきり殴ろうとして。

「それはやめた方がいい」

 がし、と右手を掴まれて、止められた。聞き覚えが無い声。振り返ると降ろせば肩甲骨を隠せそうな程度に長い髪を、後頭部の辺りで一纏めに結った青年が立っていた。

 ちょっと眠そうな顔だなぁと思った。温厚そうだ。

 服装は全体的にシンプル。服の『丈』と呼ばれる部分が全体的に少し長いだけだ。腰に引っ掛けるみたいにつけている皮の編み紐にも、妙な飾りがついているわけじゃない。

 しかしそのシンプルさが、かえって彼に似合っていると思う。例えば彼とガーネットの服を入れ替えたら、たぶん両方ともぜんぜん似合わなくて、違和感全開だろうから。

 年齢的にはガーネットより少し下って感じかな。でも身長が高いから、見る人によっては年上と思うかもしれない。まぁ、同世代で間違いはないと思う。

「えっと……」

 なんて、彼の外見を褒め称えている場合じゃない。この人は誰? そんな当たり前の疑問を先に思いつくべきだった。だってここは遺跡の中だ。普通の人はまず立ち入らない。

 怪しい。怪しすぎる。誰なんだこの人は。くっ、こういう時に例の絵本――要するに武器が無いなんて、ジタジタしたくなるくらいに悔しすぎるミスだった。

 もしも変質者系の趣味の人だったらどうしよう。

 ボクってば、この人に変なコトされちゃうの?

「……あの」

 困り顔で声をかけられた。

「そんな怯えた目を向けられるのは心外と言うか、えっと……ガーネットは?」

「……あ」

 ぴん、ときた。そして恥ずかしくなった。混乱しすぎだ、自分。

 おたおたと頭を下げた。お詫びと挨拶を兼ねて。今度から顔に感情とかが出てこないように頑張らなきゃ。あーもー、恥ずかしくて逃げ出したい。っていうか逃げさせて。

「僕はヴァ―ミリオン。キミが『色を知る者』だね、はじめまして。ところで彼は?」

「えっと、はじめまして……それといろいろとごめんなさい。ガーネットは近くの町に買出しに行ったけど、たぶんもうそろそろ戻ってくるはず、かな」

 何事も無ければね、とボクは付け足した。田舎だからそんなに心配ないと思いたいところなんだけど、悲しい事に治安についてはいいとも悪いとも言い切れない。

 街道沿いはともかく、少し離れたらゴロツキの類がいるという話もたまに聞いたし。

 でもガーネットなら大丈夫そうだ、何となく。

 頭の中に悪人をちぎっては投げ、ひきつけては蹴り飛ばし、作り上げた負け犬の山の上に立って涼しい顔をしているガーネットの姿が浮かんできた。……似合うなぁ、何となく。

「そうか、いないのか……」

 困った顔でブツブツと呟き、何かを考えている様子のヴァーミリオン。ガーネットってば間が悪いと言うか、どうしてお客さんがくる時にいないのかな。……まさか何となく察知してワザと避けてるって事は無いか。一回くらいの偶然で決め付けるの早い。二回目から疑おう。

 本人が聞いたら嘆きそうな事を思いながら、ボクはとりあえずヴァーミリオンと共に外に出る事にした。ちょうどお昼頃だった事もあって、ご飯を食べたいと思ったからだ。

 ガーネットが作ってくれた朝ごはんのスープが残っているし、それとパンと炙ったソーセージがあれば胃袋は満足するはず。うぅ、想像するだけであの素晴らしすぎる味を思い出す。

 ひき肉の中にいくつかの香草が混ざっていて、炙った事で香ばしくなった皮を裂けばあふれ出る肉汁の中に香りや風味、絶妙な塩加減の共演。もう食べるだけで天国って感じだ。

 まぁ、普通と比べたらちょっと割高だ。でも、入っている香草や塩のおかげで結構日持ちするから、旅人にとっては『安い』食べ物なんだ……ってガーネットが言ってたし。

 旅に出て初めて口にしたけれど、今じゃ好物の一つになった。

 何だか、クセになっちゃうって感じの味なんだ。もちろん香草の風味が強いから、どうしても苦手って人もいると思うけど、ボクはあの手の味は好き。

 レモンとかさっとかけたら、もっとおいしそう。

 うぅ、ガーネット買ってきてくれるかなぁ。あんなに好き好き言ったから、見つけたら買ってきてくれるとは思うけど、よく売り切れるってお店のオジサン言ってたからなぁ。

 期待と不安を頭の中で混ぜながら、ヴァーミリオンとボクは洞窟に――。

 だけど、その入り口でボクの足と身体は、石になった。

「……ボクの、ご飯が」

 そこにはひっくり返ったナベと、残骸としか言えないパン。

 それと数匹の獣――ちっこい猪らしき連中。

 睨み合うように見つめあう獣共とボク。戸惑い気味のヴァーミリオン。

「ご飯、ボクの……ご飯が」

「……えっと」

 ヴァーミリオンが何かを言おうとした、その瞬間に何かが盛大にキレた。

「むぎゃーっ。お前ら全員ぶん殴ってやりゃーっ!」

 叫ぶと獣は逃げた。絵本を手に走り出そうとしたら、ヴァーミリオンがボクを羽交い絞めにするように抱えて止める。ボクが暴れて抵抗している間に、敵は遠ざかっていった。

 ジタジタと暴れるボク。おのれよくもスープをパンを食料をっ。お前らを食ってやらねば気が収まらないっ。今すぐに食肉にしてやる! んでもって、焚き火で焼いて食う!

「……今から走ったって追いつけない。それに絵本じゃムリだと思う」

「はーなーせーっ」

 わーわーぎゃーぎゃ騒ぐ。

 獣は逃げる。食い逃げヤロウ共は遠ざかっていく。

 そして、その姿が見えなくなって、ボクがぐったりと疲れきってしまうまで、暴れるのも叫ぶのも終わらなかった。もう必要最低限の動きしかしたくない、というかできない。

「うぅ、ご飯……」

 よろよろとボクは木陰に移動。

 そのままパタリと倒れて、フテ寝を始める。空腹のままガーネットが帰ってくるまで、ぼんやりと起きているなんてヤダ。ボクは寝る。何が何でも寝る。寝て過ごせば少しは楽だろう。

 洞窟の中ではヴァーミリオンがいて、何かをしているみたいだ。

 でも、今のボクにとってはどうでもいい事だった。

 だってボクは寝るんだから……そういうわけで、おやすみ。

「……うぅ」

 ぐー、とお腹がなった。三秒で飛び起きる。悲しくなった。あと何だか寂しい、心はもちろんだけど胃袋が。今ならナマで野菜や肉を食べられる勇気があると思う……うぅ。

「調味料の類はあるのか……なら」

「ヴァーミリオン?」

 ボクがあまりの悲しみと絶望の中で呆然としていると、荒らされた食材入れカバンの中を覗き込んでいたヴァーミリオンが呟く。その手には塩やコショウを入れた小瓶。

「簡単な料理なら、調味料さえあれば何とかなると思う。ただ、無事だった材料が少ないからスープ類になるだろう。……もし、それでいいなら僕が何か作る」

「あ、ありがと……」

 ボク、ちょっとだけ復活。そうだ、嘆いてばかりじゃダメだ、うん。幸いにもこの辺りは森なんだから、お腹がすいたなら木の実とか山菜を取ってきて食べればいいだけだ。

 まぁ、キノコとかは毒の有無が怖いから、無難に山菜にしよう。家でもよく山へ行って取らされていたから、たぶん大丈夫。スープにできるかどうかは後から考えればいいさ。

 そう思うと影も形も無くなっていた元気が復活する。

 むくりと起き上がったボクは、ぺしぱしとやや強く自分の頬を両手で叩いた。

 ――意識覚醒。軽く準備運動もしておく。思えば最近は遺跡の中ばかりうろついて、森の中とか『自然』と触れ合う事が極端すぎるくらい極端に減っていた。気分がぐんぐんと盛り上がって最高潮に急接近していく。……空腹? はっ、そんなの知った事か!

「じゃ、ボク山菜探すね。これだけ自然があったら、何種類かあるだろうし」

「あ、ちょっと」

「……?」

 早速、森の中に飛び込もうとしたボクを、ヴァーミリオンが呼び止めた。その手にはカバンが握られている。さっきまで食料の類が入っていて、獣に踏まれたりされたあのカバンだ。

「このカバン持って行くといい。他にも木の実とかあるかもしれない」

「ありがとう……あ、でもヴァーミリオンはどうするの? 一緒に探す?」

「それもいいけど、僕は川で魚を取ってみる。簡単な罠を仕掛けるだけだから、すぐに山菜探しに合流できるはず。とりあえず道沿いにいてくれると、探しやすいと思うから」

「ん、わかった。それじゃお互い頑張ろうね」

 すちゃ、と手を上げて挨拶し、ボクはカバンを手に道を走った。お腹がすいて動きたくないんだけど、正直な話……じっとしているよりは動いた方が楽なんだよね、精神的に。

 余計な事を考えなくてすむと言うか、後ろ向き思考にならずにすむ。お腹がすいているという事だって忘れられるし、そこまで行かなくても気にしないでいられるだけ楽だ。

 それにしても魚かぁ……スープに入れるのかな。

 それとも塩焼き? うぅ、想像したらどっちもおいしそうだ。

 お肉も好きだけど魚も好きだから、想像するだけでヨダレが出てくる。

 よし、そのためにも山菜を探さないとね。

 香草もあれば摘んどこう。塩やコショウだけじゃ味気ない。

 本音としてはキノコも……あぁ、でも結局見分けができないまま旅に出たし、一か八かで挑むには危険すぎる。うん、ここは安全と無事を選んで、諦めよう。

 ボクはまた頬を軽く叩いて気合を入れる。ごく普通に息を巣って吐くたびに、久しぶりに感じる森の香りが、ボクの身体中にじんわりと染みまわっていく。

 花の香り。葉っぱの香り。それから土の香り。

 心の中から温まるような幸せな心地。

「んー」

 腕を広げて、しばし深呼吸を繰り返す。旅に出るまでは当たり前だった空気が、今はとても懐かしく感じられた。たった数日離れていただけだったけど、寂しかったのかな。

 ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、ボクは考えてみた。

 いきなり『色』が無くなった世界、突然『色』を殺された人間。

 たぶんね、ボクじゃその気持ちはわからない。だってボクは確かに他の人と違って『色を知っている』けど、でもそれだけの事で『無くした』とは思っていないから。

 だからわからないんだ。喪失感とか、そういうの。でも――たとえば、色じゃなくてボクが今、この瞬間に感じている世界に置き換えてみれば、ちょっとだけわかる気がした。

 もしも今、ボクの五感からこの『匂い』が消えてしまったら。

 この瞬間にボクが感じている花の香り、葉っぱの香り、土の香り。

 これらがポンという音を立てるかのように、ある日突然消えてしまったならば。

 ボクは混乱して、泣き崩れて、子供みたいに駄々をこねるかもしれない。返してって誰かわからない犯人に対して叫んで、聞こえてないかもしれないとかいう事なんて忘れて。

 きっと思いつく限りに、罵詈雑言を吐き捨てる。

 吐き捨てる言葉で犯人を殺せればいいのに、そんな思いさえ込めて。

 そんな光景を自分で想像して……ボクはぞっとした。

 さすがにそれだけはありえない、と言い切れないから……余計に怖かった。

 だから昔の人も、同じだったのかなぁ……って思う。誰だって大切なモノが無くなったら冷静さなんて吹っ飛ぶに違いない。誰もが混乱してしまい、何を言うかわからない。

 今まで傍にあったモノが、消えてしまうという事。

 ――それって、凄く悲しいね。

 当たり前が永遠に奪われるなんて。

 それが悪い事をした結果だったとしても、悲しいよね。

 ボクは両腕をさらに広げた。身体を裂こうとしているように、広げた。ボクが感じているこの世界をもっと身体に覚えさせたい。一つでも忘れ残しが無いように感じたい。

 色が欠けている今の世界でも、ボクにとっては大切だから。

 たとえそれが歪で、異常であったとしても。

 ボクの『今』の世界は、これだから。

 この世界を余す事無く感じたい。世界の『すべて』を感じたい。

 いつか人間に『色』が戻って、この『色を感じないゆえの世界』が遠ざかっても、忘れたりはしないように。ボクは目を閉じて世界を感じていた。記憶していた。

「ふぅ……」

 目を開いたボクは、足元に投げ捨てていたカバンを拾う。

 世界を思う存分に感じた後は、お待ちかねというか大切な仕事である山菜探し。お昼ご飯だけと言わずに、晩御飯のぶんまで積みまくってやろうかな、なんて。

 ま、そうそう見つかるものじゃない。土地勘がある故郷でさえ、二桁くらい『よく生えている場所』をめぐってやっと一人分とか普通だったし。知らない場所じゃ……ねぇ。

「あー、ダメダメダメ!」

 ボクはくらくらするくらい、頭を左右に振った。

 後ろ向きは禁止。ただでさえお腹すいて元気無いんだから、これ以上落ち込んでも意味が無いっていうか絶対ダメ。ボクはそんな弱い子じゃない、弱くないんだ。さぁ、頑張るぞー。

 カバンをしっかりと抱えて、ボクは地面を睨みつけながらゆっくり動く。

 山菜も木の実も香草も、どれもこれも見逃したりしないように。

 うぅむ、でも土地勘が無いって意外と面倒。ここだ、と思った場所に何も無くて、ガッカリする事すでに十回。何ていうか、この状況って運が無いにもほどがあると思うんだ……。

 そろそろ肉体的にも精神的にも疲れてきた。

 気合だけじゃ、やっぱりどうにもならないんだなぁ……。

「ヴァーミリオンはどうかな……」

 ボクの方がこうも不調だと、気になるのは向こうの様子。川は綺麗だったし、水汲みの時に魚の影も見えたから大丈夫だと信じたい。こっちも向こうもダメ、なんて嫌過ぎる。

 魚一匹ずつでもいい、お腹に食べ物を入れたい。

 多少まずくても我慢する、できる。というか普通なら食べない魚でもいい。

 我ながら、相当に切羽詰っているなぁと感じた。

 空腹ってイロイロと大変だ。これが旅の辛さなんだろうか。

「はぁ……」

 漏れるため息に突っ込みを入れる気力も無い。……ヴァーミリオンがいる川で水でも飲んで我慢しようかな。何も無いよりは水でも入っていた方が気分的にマシになりそう。

 考えるより先に身体が動いて、気が付くとボクは川の近くまで来ていた。

 ヴァーミリオンがいるのはたぶん下流の方。あっちは浅いし流れも緩やかで、罠とかかけやすいだろうから。もしもボクなら流れが急なこの辺りじゃなく、緩やかな下流に仕掛ける。

 だから。

「うっそ……」

 ざばん、と何か大きなモノがたてたような水音が聞こえた時は、まさかヴァーミリオンが川に落っこちたんじゃないかって思って、焦った。さぁっと、血の気が引く音が聞こえてくる。

 ボクが必要以上に空腹を訴えて、そのせいでムリに罠を仕掛けようとして、とか。証拠も何も存在しない勝手な想像が、ボクの頭の中に出現しては、次々と高速で通り過ぎていく。

「ヴァーミリオン!」

 がささ、と草を掻き分けて走った。だいぶ走ったけど、川はまだ見えない。少しずつ水が流れていく音が大きくなっていって、目指している方向だけは間違っていないと確信していた。

 早く駆けつけなきゃ、そして助けなきゃ。

「大丈夫なの――」

 視界が一気に広くなった。瞬間、太陽の光を反射する水面が見える。その反射した光が思った以上に眩しくて、ボクは腕で顔を隠しつつ転びそうになりながら急いで足を止める。

 光に慣れた視界に飛び込んできたのは、想像していたのとは少し違う光景。

「……う」

 川べりに倒れているのは、知らない人だった。全身びしょ濡れで、何とか石にしがみついたところで力尽きたって感じだ。目は開いていないけど、息はちゃんとしている。

 見た感じ、旅人のようだった。その人――おそらく青年が倒れている場所から、ちょっと下流に行ったところに、彼の持ち物だと思われるカバンと外套が引っかかっていた。

 とりあえず荷物を先に拾って、近くの木陰に置いた。水を吸って重くなった荷物が少し重かったけど、次に引き上げなきゃいけないものよりはずっと軽いと言い聞かせる。

 そう、次に引き上げなきゃいけないのは、人間。

 それもボクよりずっと大きい人だ。ガーネットかヴァーミリオンか、とにかくボク以外に誰かいないと引き上げるのは無理かもしれない。どうしてこうタイミングが悪いのか。

「ちょっと、起きてよおにーさん!」

 腕を掴んで引く。だけどなかなか引っ張り上げられない。今すぐ流されるって状況じゃないけどこのままじゃ風邪を引くし、人間は体温が下がると危ないって聞いた事がある。

 とにかくゆっくりしていいはずが無い。

 せめて意識だけでも戻ってくれたら……うぅ、重いっ。

「ん、く……っ」

 踏ん張りたいけど足を置く場所が無い。ちょっとでも滑れば川の中に落ちる、という恐怖からボクは逃げようとして、その結果として気が付くと助けるべき彼からも逃げようとして。

 ヤケくそな気持ちになりながら、右腕を抱えなおしてぐっと引っ張ったら――。

「うわ……っ!」

 足は滑るわ、倒れている青年が動くわで、ボクまで川の中にダイブ。

 靴や靴下や服はもちろんの事、頭の上までびしょ濡れになってしまった。

 うぅ、代わりなんて持ってきてないよ、靴。これって靴が履ける程度に乾くまで、もう何もできないって事なのかな。皮だから乾きにくそうだし、少し縮みそうで嫌だなぁ。

「……おい、お前」

 絶望に浸っていると、ボクの下にいる青年が声をかけてきた。滑った勢いでボクは彼に馬乗りになってしまっていた。慌てて服の裾を引っ張って見せてはいけないものを隠す。

 いや、そうじゃなくて早くどかなきゃいけない。見せてはいけないものがうっかり見えたりしないよう、ちゃんと隠しながらボクは立ち上がり、どうにか川の中から脱出した。

 陸地を歩くたびにぐしゅぐしゅっていう、靴の中が凄く凄く気持ち悪かった。今すぐ裸足になりたいけど、それじゃ森の中が歩けないから……ボクはその気持ち悪さに耐えた。

 足の裏が血まみれになるのと、靴の中が水浸しで気持ち悪いのと。

 それらのどちらの方を選ぶのかと問われたなら、誰だって痛いのは嫌だからと後者の方を選ぶとボクは思う。きっとそうに違いないと、ボクは自分相手に言い聞かせていた。

 その後ろで、ざぱあと音がした。

 あの青年が川から出て、服や長い髪の水を絞る音もする。そうだこの人はボク以上に全身余すところ無く、これ以上はもう無理ってくらいびしょ濡れになっているんだった。

 もしも寒いなら少しあの洞窟で休んでいって、ついでに服を乾かしながらご飯とか一緒にどうかな、とか言おうかなって思ってくるっと振り向いたボクは――。

「ったく、お前はどうして俺の上にいた。追い剥ぎか?」

「そっちこそ、どうして川の中にいたんだよ。腹ペコで行き倒れたの?」

 向こうから売られたとしか思えないケンカを、普通に買っていた。

 睨み合うボクと謎の青年。だけどこうして見た感じ、年齢はガーネットやヴァーミリオンより少し下っぽい。よくも悪くもガキっぽい感じがする。ボクと同族のにおいだ。

 だからこの怒りにも似た敵意は、同族嫌悪が強くなっているだけだと思う。

 長い髪を首の後ろで一つに纏めていて、前髪も若干長め。ガーネットみたいに真ん中で分けているから、長い前髪のせいで視界を極端に狭めているという事は、たぶんないと思う。

 服装に関してはいかにもって感じの旅人。腰には護身用らしき剣がある。全体的にシンプルと言うか、動きやすそうというか。ガーネットと似た好みの人なのかもしれない。

 でも纏う雰囲気は別物。

 ガーネット、そしてヴァーミリオンはあったかくて優しい感じ。柔らかくて、頬すりしたくなるような感じがする。寒い時期を越えて暖かくなってきた晴れの日のような感じがする。

 だけどこの名前も知らない失礼なヤツは、ざらざらしていて、誰かに頭をわしっと捕まれて地面で摩り下ろそうとするように、頬をゾリゾリと擦りつけられている感じ。

 不愉快、かつ気に入らない。

 ここまで悪い印象しかもてないヤツ、というのも珍しいと思う。別の意味で印象に残ってしまったから、たぶん忘れる事はないだろう。というか、忘れられない気がする。

「で、あんたはなんで川流れ?」

 まだあちらこちらからパタポタと水滴を落としている彼に、ボクは話しかけた。ボクよりずっと年上だと思う彼が、なんで川に落っこちてここに流れ着いたのか気になったから。

「……少し上流になるのか、そこで足を滑らせた」

「はぁ?」

「飛び越えられると思ったから、飛んだ。そして滑った。それのどこが悪い」

 ……開き直ったよ、この人。

 腕まで組んで、かなり偉そうにふんぞり返った。

 っていうか上流っていっても、落ちた時の音の大きさからしてたぶんそんなに離れた場所じゃないはずだから、普通の人間じゃ飛び越えるなんて選択肢は出てこないと思うんだけど。

 ボクの故郷だったら丸太なり何なりで、簡単な橋を作るよ。

 十歳くらいの子供の背丈と同じくらいあるもの、この川の幅って。

 それを飛び越えようとしたって事は……。

「あんた、バカ?」

 つい心の中の声が、実際の音として出てしまった。さすがに名前も知らない相手――ボクから突然バカ呼ばわりされて、あまりの衝撃に彼はぽかんとしたままだった。

 でも本当にバカだよ、大バカだよ、この人。

 普通なら自分が飛び越えられるかどうかよく吟味するよ。

 っていうか十歳児の身長を飛び越えるって、個人によるけどかなり難しいと思うけど。

 それも足場が不安定なのに。

 ……うん、この人ってバカだよね、絶対。

「ば、バカとはなんだ!」

「自分の実力も知らないくせに、ムチャするから『バカ』なんだよ」

 そしてしばし睨みあい。名前も名乗る前からこの調子。こいつとは何があっても、絶対に仲良くなれないと思った。向こうだってそう思っているに違いない。

 そりゃそうだ。初対面から二人してケンカ腰で、こんな風に睨みあって。そんな状態でどうやって仲良くなれと。向こうもボクも、コイツにだけは負けてたまるかという感じ。

 ガキみたいだけど関係ない。

「……ふん。俺にはお前みたいなチンチクリンなガキと遊んでるヒマは無い」

「ち……」

 気にしている事を言われて、絶句するボク。濡れた髪をぶんと振り回すように背中を向けたその青年は、すたすたと何事も無かったかのように歩き去っていった。

 ボクはというと、発言内容に驚いていた。そして、次第に怒りが込み上げてきた。

「き、気にしてるのに……っ!」

 どうせペッタンコだよ出るトコ出てないよ色気なんか欠片も無いよっ。

 あんな非常識ヤロウ、その辺でぶっ倒れればいいんだっ。

 ……とか思いつつ、何だかんだと心配になる自分がちょっと嫌になる。


     *  *  *


 服を脱いでから下着だけ着替えて、脱いだ服を枝に引っ掛けて。ボクは幸運にも乾いていた毛布に包まった。たぶん、帰ってきたヴァーミリオンには芋虫に見えたと思う。

「……」

「っくしゅ、お帰り」

「あぁ」

 彼の手には二匹の魚。ちょっと小さめだけどおいしそうだった。

 スープの中にお出汁の発生源として入れてグツグツコトコトと煮込み、食べる時に味が染みた身を細かくほぐして具にするとか……想像すると空っぽのお腹がぐーと悲しげに泣いた。

 魚を平べったい石の上に置いて、小さなナイフでさばき始めるヴァーミリオン。その手つきは想像以上に慣れていて、あっという間に魚のはらわたが取り出された。そういえばガーネットも料理が上手だし、もしかすると三人の中ではボクが一番ヘタなのかもしれない。

「川に落ちたのか?」

 そんな作業をしつつ、ヴァーミリオンが話しかけてきた。洞窟の外に濡れたボクの服が干してあるのを見て、何かあったのかと心配してくれているみたいだった。

 ボクはしばらく悩んで、起こった事を言うのをやめた。

 いや、やましい事があるんじゃなくて、バカすぎて恥ずかしいから。

「落ちたって言うか、落ちてたバカを拾ってやろうとしたら落とされたって言うか」

「……?」

 二匹目のはらわたやえらを取っていた、ヴァーミリオンの手が止まる。彼にはボクの発言の意味がわからなかったに違いない。ボクだって、何も見ていなかったらわからないと思う。

 だけど、当事者のボクに言えるのは、そんなよくわからない事だけだった。

 詳しく説明する元気がまだ戻ってきていないし。

 まぁ、いろいろあったのだな、とヴァーミリオンは言って、作業を再開する。そして二匹目を綺麗に処理し終わる頃になって、ようやくガーネットが買い物から戻ってきた。

 ガーネットは毛布に包まっているボクを見て唖然としたけど、川に落ちたとかなり簡単に説明すると安心した様子を見せる。ただ安心する前に、傍らで黙々と作業をしていたヴァーミリオンを睨んでいたのは、ほぼ確実に相手に対して失礼な想像をしていたに違いない。

 後でお仕置きする事にした。もちろん絵本の角で一発。

 そして毛布に包まったまま暖かいスープをすする。魚と、ガーネットが買ってきた香辛料がうまく組み合わさって最高だ。この味に免じてお仕置きは手加減してあげよう。

 胃袋が満たされて冷静になり、元気を取り戻し始めた頭。

 考えるのは川で見つけて名前も知らないままにケンカになったあの青年の事。

 今頃、どこかで火を熾して温まっているのだろうか。

 さすがにびしょ濡れのまま、という事はない……はず。そう思いたい。

 何となくだけど、名前くらい聞けばよかったと、少しだけ後悔していた。

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