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四章 ソンザイヲミトメマショウ

 森の奥に明かりが灯る。ポッカリと開いた空間に残された古い切り株に、一人の若い旅人が疲れきった様子で腰掛けていた。彼の前には小さな焚き火があり、枝に刺した魚がある。

 ただ焼いただけの魚を手にする青年。

「……」

 それを無言で食べ始める彼は、かなり不機嫌な様子だった。

 骨ごとバリボリと魚を噛み砕いている。

 長い髪は結わないままで、何故か上半身は裸だった。

『なんか凄いカッコだね』

『なんだか凄い状態だね』

 そこに二つの声が響く。姿は見えない。彼はあえて自分から姿が見えない場所にいるのだろうと思い、ただでさえ変なガキのせいで煮えたぎっていた感情の温度が上がった。

「……何の用だ。いや、どこにいる」

 その声が、何か現代の人間には使いこなせない道具を使って、この場所に届けられている事を彼は知っている。きっと、声の主はこの場所よりずっと遠くにいるのだろう。

 それが彼の逆鱗を嘗め回すように撫で上げ、怒りがむくりと込み上げる。せめてこの場にいてくれたなら、怒鳴り散らすなどして発散できるものを……彼は小さく舌打ちした。

『ちょっとお散歩中なんだよ』

『少しお出かけしてるだけさ』

「……半年とは、ずいぶんと長い『お散歩』と『お出かけ』だな」

 食べ終わった魚の残骸を、枝ごと火の中に放り込む。

『ねぇねぇ、エストはどうしてそんな格好になっちゃったの?』

『そうだよー、上の服を着てなくて、そこに干してる理由は?』

「……煩い」

 くすくすと笑う声が鬱陶しかった。エストは昼間の事を思い出す。足を滑らせて川に落ちたところまでは、まぁ、己の不注意が原因と笑って流す事もできただろう。

 気が付くとチンチクリンなガキが馬乗りになっていて、さらには初対面の相手にバカとまで言われてしまった。これで怒らないなら、いつ怒るのだとエストは思った。

 その姿をエストは思い出す。曇り空のような灰髪や瞳。頬を染め恥じらいながら服の裾を引っ張る姿。……その努力もややむなしく、ちらりとだけ見えてしまったのだが。何故か思い出さなくてもいい事まで思い出し、エストはそれを追い払うべく頭を横に激しく振った。

 それを見た声の主は、少し驚きながらも楽しそうに笑い出す。

『あれ、エストってば顔が変だよ』

『あれあれ、エストってばなんで照れてるの?』

「て、照れてなどいない!」

『『エストの怒りんぼー』』

「黙れ……っ」

 姿無き声に怒鳴りつけ、辺りはようやく静かになった。おそらくもう話しかけてくるつもりはないのだろう。エストは重く息を吐き出し、もう一匹の魚を手にする。

 それを齧っているとまた頭に浮かぶ。

 闇の服を着て、曇り空の髪を持つ……あの、名も知らぬ子供の姿。

 何故か、見ていると心の中がざわめいてしまう。今までに感じた事もなかった、何とも居心地が悪く奇妙な感覚。しかし……居心地が悪いのに『嫌だ』と思わない感覚だった。

「……何なんだ、あのガキは」

 エストはわずかな怒気がこもったため息を零し、静かに目を閉じた。


     *  *  *


 服と靴が乾いてホっとしたボクに、朝っぱらからガーネットは言った。

「あ、今日は『象徴』探しは無しだからね」

「は?」

 唐突に何言っちゃってるの、この人。ガーネットが『象徴』を探すって言って、ボクは頑張って遺跡の中を歩き回ってるんじゃないか。そりゃ、昨日は何もできなかったけど。

 ガーネットはその辺で見つけた食べられるキノコを煮込んだスープに、丸いパンを千切って浸しながら食べている。いつも通りの彼だ。どこにも故障した痕跡なんてなかった。

 いや、もしかしたら外傷ではなくて、中から壊れてしまったのかも。とか心配らしきことを考えていると、ガーネットは申し訳無さそうに『理由』を教えてくれた。

「それがね……食材、無いんだよ。コレが最後。私が買ってきたのは『比較的』安かった香辛料とか調味料の類でね。知り合いが資金を届けてくれるまで、自給自足になるよ」

「……本当に?」

「こんな冗談は、できれば言いたくないかな」

「……」

 無意識に手にしているお皿、というか中身のスープを見る。唐辛子が入って、少しピリっと辛いスープ。淡白なキノコとよく合う、インパクトの強い味だ。さすがに飲みすぎると喉が痛くなりそうだけど、ボクはこの味は嫌いじゃない。身体が温まって幸せだ。

 ……とはいえ『ピリ辛キノコスープ』ばかりって言うのはなぁ。二日に一回朝か昼にっていうなら、旅の最中だから仕方が無いって事で、何とか我慢できると思いたいけど。

 作業を中断して自給自足、か。つまり昨日ボクがやろうとした事を、今度は全員でやるって事なのかな。でもこの辺りって山菜の類はあまり無いから、魚狙いの方が効率よさそう。

 少しばかり蘇る昨日の悪夢。

「じゃあ、今日は魚を探すわけ?」

「そういう事になるね。私は野鳥や野うさぎも探すけど、二人は川で魚を」

「ぼ……ボクはガーネットと一緒がいいな!」

 決められる前に割り込む。本気でしばらくは川に近寄りたくない。こう、野生的な勘がボクに川から逃げろと言ってくる。そしてボクは、その『お告げ』に全力で従った。

「いや、さすがに体力が必要な仕事だから――」

「大丈夫! ボクはこれでも、家の雑用を押し付けられてたし、平気!」

 ずずい、とガーネットに接近して力説する。ボクが川でドジをしなければ、何の問題も無い事なのかもしれない。でもその『ドジをしない』自信が、今のボクには無かった。

 元々、運動神経だって人並みか、それより低い。目も当てられないほどドジではないのは幸いだったけど、基本的に飛んだり撥ねたり動き回ったりするのは苦手だった。

 というか、普通に恥ずかしい。昨日も落ちて、今日まで落ちたらって。

 想像するだけでも顔が赤くなりそうだ。

「まぁ、そこまで言うなら……」

 ガーネットがちらっと、隣にいるヴァーミリオンを見た。

「僕は別に構わない」

 パンをかじりながらヴァーミリオンが呟く。まぁ、魚ってちょっとした物音ですぐに逃げちゃうからね。一人の方がやりやすいかもしれないし……と、心の中で言い訳する。

 でも本当は思っていた。どっちに行っても、どうせ役にはたたないだろうと。体力も無いし知力だって乏しいボクに、できる事なんてほとんど無い。いつも通りに『象徴』を探して遺跡に行った方が、川に行くより森を歩き回るよりずっとマシなんじゃないかって。

 ずず、とスープをすすりながら考える。

 そもそもボクにできる事って、ボクだからこそできる事ってなんだろう。そもそもガーネットが言う『色を知る者』の意味さえも、今のボクは手がかりとなるモノさえ見つけられない。

 言われるままに旅に出た。家出という理由で。

 親がいないから旅に出られた。それなら、もしも二人ともが家にいたなら、ボクはこうしてここにいただろうか。家出でも旅でもいい。あの町を遠く離れた場所に来る事ができたかな。

 ……もしも家にいたなら止めてくれただろうか。ガーネットと旅に出るって言ったら、知らない人と行ってはいけないと。あの二人は『親』として、ボクを止めてくれたかな。

 心配して、くれたかな。

 世間体とかじゃなくて……ちゃんと心配してくれたのかな。

 考えていると虚しくなる。確認する方法なんてないのに、バカみたいだ。そんな事ありえないと思いながらも、心の中の甘い部分が『そうだったらいいな』とのんきに笑う。

「よし、お腹もいっぱいになったし、さっさと探そう!」

「張り切ってるね」

「だって美味しいもの食べたいから。それに遺跡の中って薄暗いし、無機質な感じで苦手なんだよね。あと、なんかヤな感じがするんだよ。全身がチクチクって、痛いくらい」

 あとゾワゾワもする。あれは……そうだ、友達と集って怖い話をした時の感覚に、とても似ていると思った。というかあの時の感覚と同じものかもしれない。居心地が悪い感じがする。

 まぁ、何か出てきそうな場所だけど。何といっても大昔から存在する遺跡だ。

 あの中で何人か死んでいても、少しもおかしく無い。

「嫌な感じ、か……」

「……」

 ガーネットとヴァーミリオンは、何か心当たりがあるらしい。が、それを訪ねて遺跡に行きたくなくなったら二人もボクも困るので、あえて尋ねたりはしない事にする。そうは見えていないのかもしれないけれど、これでも怖いモノ――幽霊とかは苦手な部類だった。

 こう、存在そのものは否定していない。幽霊という存在がいてもいなくても、ボクには関係ないと思っているから。いきなり目の前に現れたりしなきゃ、まぁいても別にいいかなと。

 それに――時々、思う事があった。死んだ人に会いたいって。

 優しかったおじいちゃんやおばあちゃんとか、思い出すだけで心が暖かくなる。

 実際にもう一度会えたなら、その姿だけでも見る事ができたなら……。

 甘いと言うか子供っぽい気がする。でも、あの『夫婦』との生活に耐えられたのは、おじいちゃんとおばあちゃんが小さい頃のボクを、何度も励ましてくれたからだ。

 何年も前に、相次いで亡くなったけど……会えるなら会いたい。

 時間が何とかしてくれると言った二人に、ボクはどうしても聞きたい事があった。ボクはボクなりに頑張った。だけど『あの人達』との間はちっとも埋まらない。

 それは『どっちが悪いのか』を、ボクは聞きたかった。

 聞く前に、それを聞いてみようと思える前に、二人とも死んでしまったから。

「さて、そろそろ出発しようか。っと、その前に食器を洗わないとね」

 ボクがからになった食器の底を見つめてぼんやりしていると、ガーネットとヴァーミリオンが立ち上がった。慌ててボクも立ち上がって、使った食器を手に二人の後を追う。

 と、その前に荷物からフカフカのタオルも引っ張り出した。ついでに顔を洗ってさっぱりしたくなったから。どうも、頭の中に渦巻く何かがあるような感じがする。それも直視できないし視界に入れたく無いような、気持ち悪い塊がずっしりと圧し掛かっている。

 身体の中心に重りをぶら下げた、という言葉があう感覚だった。それは、こうして食器を洗ったり顔を洗ったりしている間も続く。気持ち悪くない、でも気持ちが悪い。

 吐きそうな嫌な感じのする気持ち悪さじゃないけど、どうしてこんな思いを抱いたのかがわからなくて気持ち悪い感じだった。原因がハッキリしないから、よけいムカつく。

 もしかして――憑いたのかな、何かヤバいものが。

 嫌な想像をしてしまったボクをよそに、ガーネットとヴァーミリオンは洗い終わった食器を手に洞窟に向かい始めている。またボクは慌てて荷物をまとめ、二人を追いかけた。

 ちょっとはボクに意識を向けてくれてもいいのに、なんて思ってみる。

「それじゃ、私は先に行こう」

 あわあわと準備をしていたボクを置いて、さっさと歩き出すガーネット。ちなみにヴァーミリオンは荷物をすでに纏めていたらしくって、すでに川に向かってしまっている。

「ちょっと待ってよ。ボクは置いてけぼりなの?」

「あー、そういうわけじゃ……そうだ、山菜や木の実を探してくれるといいな。獣はさすがに危険だからね。そういうのは私やヴァーミリオンが何とかするから」

「……うん」

 まぁ、わかってたからね。というか『狩り』をしろと言われても、どうすればいいのかさえわからない。イメージならあるけど……それは所詮、イメージでしかないから。

 ちなみにボクの『狩り』に対するイメージは、弓矢とか罠を仕掛ける事。猟師さんなどの専門の人が、何日も山に篭って獲物を探しては仕留めてくる……そんな感じだ。

 あの町にはいなかったけど、少し山奥になる村にはいた、というか、村の大人の男の人はみんな猟師だったといっても過言じゃない。学校の先生やお医者様など別の専門職の人以外はみんな猟師――あるいは漁師に等しかったと思う。それらで生計を立てている人達だ。

 本で読んだり話に聞いたりしただけの知識しか無いけど、同じ事をやれといわれたらと思うとさすがに『やってやろうじゃないか』とは、ボクには言えなかった。非常に困る。

「やっぱり、向き不向きがあるよね」

 などと呟き自分を慰めつつ、ボクはガーネットを見送ってから、彼とは違う方向に向かって歩き出した。せめてこれをパンパンにしたいな、と手にした小さめのカバンを見る。

 せいぜいボクの頭がぎりぎり入るような、小物しか入らなさそうなカバン。確かガーネットが香辛料を入れていたヤツで、彼から『コレに入れるといいよ』と渡されたモノだ。

 何でも曇り空を見て、途中で雨に降られて紙袋がダメになるかもしれないから、雑貨屋でちょうどよさそうな大きさのカバンが無いか探して、一つ売れ残ってたのを買ったらしい。

 その時は単に曇っていただけだったけど、もしもガーネットが思ったように雨が降ったら大変だっただろうな。ヘタすると朝のような食事さえ、取れなかった可能性がある。

「とりあえず、遺跡の方に行くか……」

 昨日探し回ったのは、遺跡とは違う方向だった。だから今日は遺跡の周辺を歩き回る事にした。ある可能性はわからないけど、同じ場所を探し回るより賢い選択だと思う。

 遺跡の周辺にも森は広がっていたはずだし、何か見つかるといいけど。

 しばらく慣れた木々の合間を進むと、遺跡の姿が歯の向こう側に見える。ガーネットは遺跡の外観は『白』だと言っていた。やっぱりだけど、ボクにそれは見えなかった。

 本当に『色』ってあるのかな。もう全部無くなってるんじゃないかな。自分に見えないものが、ちゃんと本当に存在するっていう確信は、なかなか持てるものじゃないと思う。

 だってボクは『知っているだけ』だ。

 色が存在するという事を証言するのは、今のところガーネット達だけ。

 それ以上の証拠は無く、そして同時に証言も無い。

 すべてウソでもおかしくない。

 だけどボクは『色』の存在を信じている。

 知っているから、信じる。

 だから見えていなくても信じた。……信じたかった。

「……」

 ぴた、と足が止まる。信じなければいけない事ばかりが、真っ先にボクの中でグラグラと揺らぎ始めていた。ねぇ、もし『色』が無いなんてウソだったら、とか考えてしまった。

 自分に尋ねても答えなんて無い。だって、答えるべきボクが迷っている。どんなに分厚くても我慢するよ。もしも本を読んで答えがわかるなら、ボクはそれを読みたい。何年も時間がかかってもかまわない。この苦しさや重みから開放されるなら。

「……って、何考えてるんだろ、ボク」

 こんな後ろ向きのボクはボクじゃない。ばしばしと頬を叩き、へしゃげた根性を叩きなおしてやった。視界が歪む程度に涙が出たけど、性根を叩きなおせたなら問題なし。

「よーっし。木の実でも山菜でもいい、何でも見つけてやるーっ!」

 カバンをぶんぶんと振り回す。昨日は何も見つけられなかったぶん、今日を頑張らなきゃいけない。確かに旅に出た目的の意味は気になる。世界がどうなっているのかも。

 だけど『今』やら無きゃいけないのは、この胃袋を満たす食料の確保。大切な目的を達成する前に飢え死になんて、寒すぎるシャレにもならない――まさに『悪夢』。

 足を前へ進める。季節や気候的に『何も無い』という事はないはず。この辺りはボクの故郷とそんなに離れた場所じゃないし、同じ感覚でもさほどズレる事は無いだろう。

 この時期、ボクの故郷ではいろんな果物が取れる。雪の着雪が終わり、あちこちに実りが生まれ始めている。だから念入りに探せば、きっと何かは見つかるはずだ。

 というか、この『ちょっと肌寒いけど基本的に暖かい』気候で、何も見つからないなんて普通に考えればありえない。今は『プチ実りの季節』って感じなんだから。

 見つからないのなら、それはボクが怠けた証に違いない。探し方が悪いせいだ。自らに脅迫めいた事を言い聞かせながら、ボクははるか先に大きく見える遺跡の方角へ歩いていった。

「――」

 そこへ何かの話し声。いや、物音? 小さかった上にタイミング悪く風が吹き、その声とも音ともわからない何かはかき消されてしまった。……でも、そんなに遠くじゃなさそう。

 ざばざば、と昨日聞いた記憶がある水の音が聞こえてきたのは、その直後。

 考えないようにしても、嫌な予感がしてしまう音だった。今すぐにでも忘れるべき記憶が高速で蘇ってくる。止めようとしても無駄な抵抗で、ボクの気分は激しく盛り下がった。一度あれば二度目もある、二度ある事は三度目も、とか……またあの変な旅人の青年なんだろうか。

 なんて嫌な想像だと思いながらも、あの光景が頭の中から離れようとしない。

 別に変な光景でもなかった。

 ちょっとだけ、あの人なんだかかっこいいなー、とか思っただけだし。ガーネットともヴァーミリオンとも違った雰囲気の。普通に出逢っていたなら、少し見惚れたかも。

 そう、あんな初対面にもかかわらずケンカを売り買いするような、普通じゃない出逢いじゃなかったら。たぶん、性格的に相性が悪いんだろう。でなきゃあんな事には、ね。

 って、どれはどうでもいい事で。問題は物音の主が誰なのかって事で。

「……誰、なんだろう」

 少し大きめの草むらに隠れるボク。勢いに任せて飛び出す勇気は、さすがに無かった。この辺りは流れも緩やかで浅いけど、今日は寒くないから誰かが水浴びしているかもしれない。

 だったら覗かなければいいのに、と思いながらも、ボクはそっと川を覗き見た。

「……」

 そこには長い髪の青年が一人。この位置からは後ろ姿しか見えないけど、昨日のあの旅人じゃないのはわかった。ボクの少し前には荷物が置かれていて、服と靴が纏めて置かれている。

 っていうか、ゆっくりと横を向いた『彼』は。

「ヴァーミリオン……?」

 そこには、何故か川の中に立っている――半裸のヴァーミリオン。長い髪の毛を下ろして靴とか脱いで、ズボンを膝まで手繰り上げた状態で、じっと川を見つめていた。

 なんていうか色気があった。

 ぞくっとする。息が止まりそうだった。

 ――視線を離せない。

 故郷のオジサンみたいに余計な肉が付いていない、お姉さん達が歯軋りして羨みそうなすらっとした身体。だけどひょろひょろじゃなく、それなりに筋肉も付いている感じ。

 美術品。そんな単語が頭の中に浮かぶ。

 薄く細められた目が、陽の光を受けて煌めく水面を見つめていた。

 魚を取っていると気がついたのは、その手が水の中に素早く突っ込まれて、一匹の魚をつかみ出した瞬間だった。それを竹でできた少し大きめの篭の中に入れて、倒れたりしないように石を置いたりどかしたりして川の中につけた。たぶん、新鮮さを保つためだ。

 ボクは唖然としていた。素手で魚を取るなんて、凄いなヴァーミリオン。もしかして昨日の魚もそうやって取ってきてくれたのかな。もっと感謝して食べればよかった……。

 となると、ボクって邪魔だよね。魚が逃げるかもしれないし、ここはさっさと離れて自分も負けないように木の実とか集めないと。ボクはゆっくりと後ろに下がっていった。

 ぺき、と音がする。ベタな展開。枝を踏んでしまったボク。

 さーっと血の気が引いていく音とやらを、また聞いてしまった。

「……?」

 ヴァーミリオンがこっちを向きそうで、ボクは慌てて草むらに隠れた。

 別にやましい事はない。ただじっと見ていた事が知られると恥ずかしいだけ。あ、でも今度顔を合わせる時に恥ずかしいから、どっちにしたって同じ事なのかもしれなかった。

 幸い、ウサギか何かが音を立てたと思ってくれたのか、ヴァーミリオンはまた魚とりに集中し始めている。ボクはそれを確認して、今度は音を立てないよう慎重に下がる。

 できるだけ川に近づかないように……よし、遺跡の近くをうろつこう。

「はい、ストップ」

 川に背を向けて歩き出そうとしたボクを、ひょいと抱える――ヴァーミリオン。そのまま川原まで運ばれてしまった。抵抗、とか考えるヒマも無い。恥ずかしくて、焦った。

「なな、ななななな」

「さっきガーネットに会って、君宛の言伝を預かった」

「……え?」

「この辺りは凶暴な獣が多いから、一人で歩き回るのは危ない。木の実探しは自分がついでにやっておくから、キミはどこか安全な場所で待っていてほしい……以上」

 そう言いながら歩いていたヴァーミリオン。ボクは川原に置かれた彼の荷物のそばにそっと下ろされる。それからしばらく見詰め合うも、何を言えばいいのかわからなかった。

 ボクが見ていた事に、いつ気がついたの?

 最初からわかってたの?

 あぁ、もう。どこから訊けばいいんだ。お礼を言えばいいのか。

 教えてくれてありがとう、邪魔するかもしれないけどゴメンネ……とか?

 少しの時間迷って。少しの時間だったけど、かなり迷って。

「ここで、見ててもいい?」

 無難すぎる言葉を発していた。

「構わないよ。暇になったら僕の荷物を枕にして、眠るといい」

「……いや、さすがにそれは。でもありがとう」

 確かにお昼寝したいお天気だけど、さすがに彼の服を枕にするのには迷いがある。絶対無いと思いたいけど、よだれとかでちゃったら大変だし、覗き見以上に恥ずかしいし。

 ボクは荷物のそばにあった石の上に座った。ヴァーミリオンは川に戻って、また静かに水面を見つめている。呼吸さえできないほどの緊張感。心臓の音だけが聞こえる静寂。

 気配を殺す。そして魚を油断させる。掴み取るその瞬間まで、ヴァーミリオンはこの世界から『消失』しなきゃいけない。水の中の魚は、他の何よりも素早く動けるから。

 呼吸は小さく、動きは無く。ボクが今見ているヴァーミリオンは、水の中に建てられている石像――ううん、石に引っかかった枯れ木。あるいはそれよりも気配が希薄だった。

 改めて思う。

 ガーネットもヴァーミリオンも……『人間』じゃない。

 人間とよく似ているけど、きっと細かいところがいろいろ違うんだろう。専門家じゃないとわからないような部分が、わずかなズレが、彼らを人間と違う存在にしている。

 なんて、空想としか思えないような事を考えた。でもそれが一番『真実』というヤツに近い気がする。だって――と考えたボクの耳に、ばしゃりという水音が届いた。

 ヴァーミリオンがさっきより大きな魚を、その手に掴んでいる姿が目の前にあった。

「ふぅ……」

 さすがに気配を殺す事に集中するのは疲れるみたいで、ヴァーミリオンはそのままボクの隣にきた。額に滲んだ汗を拭い、緊張をほぐすように大きく息を吐き出す。

 そのまま二人して、ぼんやりと川の流れを見ていた。

 さっきと同じだけど違う、静かな世界。ボクの記憶の中には川は『青』とか『緑』という色を持っていると刻まれている。だからたぶん、この川も『青』か『緑』なんだろう。

 ヴァーミリオンにも、そう見えているのだろうか。

 訊こうかと思ったけどヤメた。それじゃ意味が無いと思うから。ボクのこの目で確認しなきゃ、きっと何百回尋ねたってボクは納得しないと思う。納得する事なんてできない。

 だから。

「……ねぇ、ヴァーミリオンは神様の事どう思ってるの?」

「神様……あぁ、『あの人』の事か」

 ボクは違う事を訊く事にした。まぁ、神様――色を奪った人の事を訊いても、どうにかなるってワケじゃないけど、気になる事を少しでも減らしておきたいとか思っただけ。

 それに……ガーネットは何となく、教えてくれない気がした。ボクを思いやってくれているのはわかるんだけど、嬉しいんだけど。まるで、便利な道具扱いって感じもする。

 優しいのも全部ボクが『色を知る者』という、神様の筋書きに手出しできる便利な存在だから……そう思う、そう思い始めてしまった自分が嫌いになりそうだった。

 逃げるボク。だからヴァーミリオンに訊く。もしもここにいるのがガーネットなら、ボクは疲れた彼を労うだけで、あとは遺跡が暗いとか愚痴を零して、それで終わり。

 最低だな、ボクは。

 ガーネットを信じられないで、ヴァーミリオンの優しさに逃げた。今も彼は、ボクの質問に少しだけ戸惑った様子を見せて、でもちゃんとボクに答えようとしてくれている。

「……『あの人』の悲しみ、絶望は理解できた。それに関しては痛いほどわかった。実際に見ていたわけじゃない。だけど、その身に余る出来事は、見ているだけで伝わった」

 他の仲間――ガーネット達がどうなのかはわからない。でもヴァーミリオンは『すべてが終わってから』生まれたらしい。すべて、つまり世界が戦争で滅んでしまってから。

 彼らの仕事は基本的に『神様のお手伝い』だった。呼ばれたら参じて、それ以外は勝手気ままに日々を送っていた。読書をする者、遊ぶ者……時間の潰し方は様々あった。その間も小規模な戦争はまだ続いていて、人間はただでさえ減った数を愚かにもさらにさらに減らした。

 そして神様はある日、ヴァーミリオン達を集めて言った。

 ――もうこの世界は終わった。

 直後に神様が瀕死の世界と人間に呪いをかけた。そして、死んだ。

 神様が最後に遺した呪い。

 それは……この世界から『色』を消す事。

「世界から『色』を消す事は、理解できなかった。人間はひどい事をしたと思う。それについては僕だって嫌というほど見た。それでもこの呪いだけは理解できない。あの頃の人間を憎む気持ちはわかる。僕だって嫌いだ。だけど『今』の人間さえも弄ぶ事は……やはり許せない」

 そして、ヴァーミリオン達はシナリオの上に『傍観者』として残された。神は去り、世界は無視してはいけない大きな歪みを抱えたまま、いくつかの似た演劇を壊れるように繰り返す。

 滅んでは蘇り、そしてまた消えていく。

 終わりと始まりは常に同じ。

 違う道を歩くだけ。すべてが滅びから始まり、終わりにまた滅びへ帰る。

 見ているだけの『傍観者』は、それを終わらせるために旅をする。

 そして彼らは、ボクが持っていたあの『絵本』を生み出して、世界に放った。

「歪んだ世界を元に戻すために、僕達は『傍観者』を名乗る『出演者』になった。そのための道具があの『絵本』。かつての人間が当たり前のように持っていた力を、ほんのわずかでも有する人を探し出すための道具。……そして、君は『色を知る』力を持っていた」

「だから『色を知る者』?」

「そういう事。僕達はあの絵本を追跡して、持ち主の力の有無を調べる。そして何かしら力を持っている、秘めている事がわかったら事情を説明して……後は君と同じような感じかな」

「なるほどね……」

 この場に絵本が無い事を、ボクは悔やんだ。どうせならもっと絵本について詳しく尋ねたかったから。絵本を読める人と読めない人がいるらしいし、ボクとしてはその辺りも気になる。

 読める人が『色を知る者』だったりする、ありがちだけど選ばれた人ならば。

 選ばれなかった場合は、どうなってしまうのかなって。ただ『ワケわかんない』で捨てられるのかとか、ヴァーミリオンが知っているとは限らないのに、訊いてみたくなって。

 でも取りに帰ろうとは思わなかった。

 もう少し、ヴァーミリオンとまったりしていたい。

 だけど彼は、まるでボクにイジワルでもするかのように立ち上がった。充分に休憩も取ったから、また魚とりを始めるのだろう。……見てるだけって、すっごくヒマだ。

「……よし」

 そして、ボクは靴下と靴を脱いだ。

 唖然とするヴァーミリオンを置いて、石の上を歩く。

「ボクも魚取るね!」

「……えっと」

「無理って言ったら怒るからね」

 そしてボクは浅い川の中に、ざばざばと音を立てながら入っていった。

 その瞬間、驚いた魚が一斉に逃げていく。こいつらが敵。ふふ、絶対に捕まえて美味しく食べてあげなきゃ……一人笑い出したボクの闘志は、いつになく燃え上がっていた。

 水は冷たいし、魚はちょっとぬるっとしている。どんな『色』かは見えない。ガーネット達のような『他人』を介さなければ、ボクにはその存在さえ確認する事ができない。

 だけどボクは信じる。

 この世界に『色』が存るって。

 だからもうちょっとだけ、もう少しだけ一人で頑張ってみよう。

 できる事も、できない事も考えないままに、ボクなりに前に進もう。

 沈みかけた太陽に向かって、そっと手のひらを向ける。ボクには沈んでいく太陽の『色』は見えないけど、この光をちゃんと温かいと感じられるなら、それでいいと思った。


     *  *  *


 翌日。ヴァーミリオンを見送りに近くの街道沿いまで来ていた。

 彼はこのまま、別の場所へ行くらしい。

 どうもガーネットの仲間とやらは、世界中を旅しているらしかった。目的は聞かされていないけど、ボク――つまり『色を知る者』を探している、というわけじゃないようだった。

 探す対象の中にボクは入っていたと思うけど、たぶんそれだけじゃない気がする。

「それじゃ」

「気をつけてね」

 荷物を抱えて歩き出すヴァーミリオン。ガーネットは別れには慣れているのか、普段通りといった様子で軽く手を振って見送る。まるでちょっと買い物に行く人を、見送るようだった。

 ヴァーミリオンは別の仲間を訪ねつつ、かなり遠くまで行くつもりらしい。

「大丈夫だよ。私達は基本的に旅に慣れているし」

「だけど……」

「それに『普通じゃない方法』で旅をするから、危険な事はないからね」

「……」

 普通じゃない方法って何だ、とつっこむ気力も無かった。まぁ、たぶんあの懐中電灯と同じように大昔の技術を使っているのだと思う。でもそれを説明されたら、きっと混乱する。

 まぁ、安全ならそれでいい。危険な事がないなら、ボク的にはそれで問題なし。でもしばらく会えないって言うのは寂しいかな。ガーネットに不満があるわけじゃないけど、三人でそこそこ賑やかだったのにいきなり二人って言うのは……寂しいというか、静かだから。

 だんだんと遠ざかって、見えなくなっていくヴァーミリオン。

 ……また会えるといいな。できれば近いうちに。

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