6話 夕刻の鐘
校舎は三階建て。
黒神透が再試験を受けていたのは、三階の空き教室だった。
朔夜千歳は、確かに教室を出て別の場所へ向かったはず、しかし彼女はいつの間にか三階へ戻り、廊下の窓辺に立っている。
その視線の先――
校舎を出ていく透の背中を、じっと追った。
その表情は、新しい玩具を見つけた子供のようである。
楽しげで、期待に満ちていて、そして少しだけ危うい。
彼女の手には、まだ採点途中の再試験の答案用紙があった。
*****
それから三時間後の日が傾き始めた頃。
学園敷地内にそびえる時計塔。その最上階にある理事長室で、朔夜千歳はテストの答案用紙と、黒神透のプロフィールに目を通していた。
「……理事長。これは本当に、入学試験より難易度を上げた問題なのですよね?」
そう問いかけたのは、須藤と呼ばれていた教師である。
昨日まで、透の入学を強く拒んでいた派閥の中心人物であった。
彼は千歳の後ろに立って、答案用紙を覗いている。
「ええ。十倍以上にしたつもりですけれど、それでも――これは、実に面白いですわ」
子供が新しいおもちゃを貰ってはしゃぐように千歳はテンションを高くする。
須藤は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔になった。
「面白い、ではありません! これは……この学園が始まって以来の超天才児でしょう!」
「これに似た成績を出したのは、七瀬涼菜生徒会長でしたわね」
答案用紙を握りしめ、声を荒らげる須藤。
そして千歳の前に出て、問い詰めた。
「彼は一体、何者なのですか!」
千歳は少し首を傾げ、不思議そうな顔をした。
だが、その口元には笑みが浮かんでいる。
「さあ? 黒神という財閥は、今は存在しませんし……先の戦争にも、その名を持つ英雄はいませんでしたから」
分からない、と肩をすくめる千歳。
その仕草に、須藤は戸惑う。
「少なくとも中学生時代に、これほど高位な能力者であれば、世に出ていないはずがありません。となると――相当な努力をしたか、あるいは……」
「あるいは、ですか?」
「ここまでの力を、意図的に隠してきた……という可能性ですわね。まあ、それでも。これで彼の入学は認めてくださいますわよね、須藤先生?」
千歳は楽しそうに微笑んだ。
須藤は腕を組んで、苦しげに顔を歪ませながら渋々了承するしかなかった。
「……この点数を見せられれば、認めざるを得ません」
「ふふっ。彼には、これから色々と期待できそうですわ」
須藤は気付かない。
千歳がいくつかの事実をはぐらかし、そして嘘を混ぜたことに。
(黒神透――あなたは、一体何者なのでしょう)
千歳は心の中で呟き、
(黒神……そういえば、あの人も同じ苗字)
一瞬だけ、思考が止まる。
だがすぐに、千歳は納得したように目を細た。
(ああ……そういうことでしたの。嗚呼。なんて、愉快なのでしょう)
くすり、と喉の奥で笑う。そして視線を上げ、ふっと、笑みが深まる。
(……素晴らしいですわ!! なるほど……彼が入学できて、本当に良かった)
千歳のすぐそば。
須藤からは見えない角度に、いくつかの書類が置かれていた。
その一枚には、こう記されている。
――《サーバーエラー発生報告書》。
千歳はそれを一瞥し、静かに紙を伏せた。
「……ふふ」
小さな笑みが、誰にも気づかれないまま零れる。
その直後、時計塔の鐘が鳴った。
*****
一方、その頃。
当の本人は、宿舎の自室で、コンビニで買ったコーヒーを片手に、引っ越しの準備をしていた。
だが、どうにも集中できない。
(……バレて、ないよな)
透は近くにあった、小さなUSBメモリを握り潰す。
(静さんがこの学園を受けてみろって言うから受けたけど……まさか、こんな面倒になるとは思わなかった)
手のひらのゴミを捨てながら段ボールを見つめ、ため息をついた。
(はぁああ、白紙で出すんじゃなかったな……。入学前だってのに、前途多難すぎだろ)
ようやく、後悔が押し寄せてくる。
透はその後悔を噛み締め、コーヒーを一気に飲み干した。




