4話 霊獣
「とりあえず、ポイントには着いたぞ」
一度宿舎に戻った透は軍服に着替え、無線機を手に取って連絡を入れた。
相手は先ほどと同じ、亮太である。
「つーか、なんでお前はいねぇんだよ」
返ってきた声は、どこか余裕だった。
『今日は俺はバックアップだ。それに――』
一拍置いて亮太は続けて、
『お前一人のほうが、のびのび戦えるだろ。部隊の連中にも人を近づけさせるなって言ってある。好きにやれ』
「……へいへい」
透の口元だけがわずかに緩んだ。
「じゃあ、行ってくる」
無線を切ると同時に、彼の意識はすでに戦場へと向かっている。
この一帯は、かつてショッピングモールとして使われていた。
だが経営破綻したのか、今では完全に放置されている。
外壁と窓ガラスだけが残り、内部は骨組みがむき出し。
無人で、静まり返った建物だ。
透はその中を、足音を殺して進む。
能力を使えば、建物ごと消し飛ばすことも出来る。だが、それでは逃げられる可能性があった。
「……それに、それじゃあ、つまんなぇよなぁ」
そんな事を考えながら低く呟き、周囲に意識を巡らせる。
逃走中の霊獣は猟犬型が二体。
部隊の報告では、この建物内に追い込んだ――いや、逃げ込まれたらしい。
透が通路に出た瞬間――
数メートル先に、一匹の霊獣が姿を現す。
次の瞬間、その猟犬型は走り出し、
床だけでなく、壁、柱を蹴り――
三次元的な軌道で跳躍を繰り返す。
透を撹乱するためだろう。
報告通り、動きは異様なほど速い。
どの方向から、いつ攻撃してくるのか分からなかった。
――刹那。
背後からもう一匹が最高速度で出現し、一直線に透の左足へと迫る。
噛みつく、その直前。
同時に三次元的に動いていた個体が、透の死角から跳びかかった。
狙いは、うなじ。
二方向からの挟撃。
だが――
瞬間、二つの閃光が走った。
右前足を撃ち抜かれ、二匹の霊獣が空中で体勢を崩す。
閃光の発生源は、透。
その両手には、形状の異なる二丁の黒い拳銃が握られていた。
(チッ……ズレたか。いや、躱されたか。報告以上に俊敏だな)
迎撃されるとは思っていなかったのか、二匹の霊獣は着地と同時に後方へ跳び退った。
一定の距離を保ち、透を睨みつけながら低く唸り声を上げて威嚇する。
霊獣の体表は、雪のように真っ白で、赤い瞳。
そこに、脈打つように赤く発光する幾筋もの線が走っている。
それが、これまでに確認されている霊獣の共通点だった。
そして先ほどまで右前足に穿たれていた弾痕は、すでに塞がりつつある。
肉が盛り上がり、傷は見る見るうちに消えていった。
霊獣の回復速度は地球上のどの生物をも、はるかに凌駕している。
(この俊敏さと回復力……さっきの一撃じゃ、ほとんど意味がないか)
ちょこまかと動き回られれば、大きなダメージを与えるのは難しい。
(さて……これはどうする)
透は二匹へ向け、先ほどよりも太い閃光を放つ。
直撃すれば、建物ごと焼き切る威力。
だが、霊獣たちは危なげなくそれを回避。
(へぇ……)
数秒の間。
次の瞬間、二匹は同時に身を翻した。
窓へ向かって走り出し、そのままガラスを突き破って外へと飛び出す。
数メートルの高さがあったはずだが、着地に一切の淀みはない。
(撤退か? ……いや、それはない。しかし、ここで逃がしたら亮太に何言われるか分からねぇな)
透は小さく息を吐く。
(しゃあねぇ。追うか)
人の手が長年加えられなかったのか、ショッピングモール跡地の一帯は雑草に覆い尽くされていた。
透はその草むらの上へ、こちらも何事もなかったかのように着地する。
そして――
その先で、二匹の霊獣が待ち構えていた。
(広い場所なら勝てる、ってか? 所詮はワン公だな……甘いんだよ)
その時、二匹の肉体が、突如として不安定に揺らいだ。
骨格が軋むような音とともに、体躯が歪んで膨張していき、二メートル、三メートル――そのサイズは、見る間に常識を超えていった。
やがて、一匹は五メートルほどで成長を止める。
もう一匹は、さらに巨大化し、七メートル付近で静止した。
だが、変化はそれだけではない。
五メートル級の個体には、首が二つ。
七メートル級の個体には、首が三つ。
それは――神話や伝承の中で語られる存在。
日本では、それぞれオルトロス、そしてケルベロスと呼ばれる怪物だった。
(外に出たのは……デカくなって、本性を現すためか)
透は、ゆっくりと視線を上げる。
(だが――問題は、そこじゃない)
「おい、亮太。これはどういうことだ?」
透は右耳の無線機に手を当て、声を張り上げた。
「霊獣が体格変化するなんて、前例はなかったはずだろ。それなのに、猟犬型が幻想種に変異したぞ。……どうせ見てるんだろ?」
一拍遅れて、無線から亮太の声が返ってくる。
『ああ、見てた』
いつもの軽さはなく、どこか焦りを含んだ声色だった。
その向こう側で、慌ただしく人が動き回る音が聞こえる。
『今、急いで調査してる。だが……正直、あんまり芳しくない』
亮太は一度言葉を切り、続けた。
『とりあえず――死ぬなよ』
「ハッ、誰に言ってんだ」
透は鼻で笑う。
「俺が簡単に死ぬわけねぇだろ。久々に、いい経験値に当たったんだ」
そう言って、視線を巨大化した霊獣たちへ向け、
「だからさ。今回は――好きにやらせてもらう」
無線の向こうで、亮太が呆れたような返事を返してくる。
だが透は、それ以上聞く気もなく、通信を一方的に切った。
ケルベロスが、透へ向かって突進して来る。
巨体になっても、その速さは失われていない。
あの質量に正面から衝突されれば、ひとたまりもないだろう。
前足の鉤爪が、透を切り裂こうと振り下ろされた。
透は、跳ぶ。
二メートルを優に超える高さまで、軽々と跳躍した。
だが――
空中で無防備になった透へ、中央と左側の頭が同時に噛みつこうと迫る。
その時、透の両手には、いつの間にか二振りの刀が握られていた。
鍔の形状がわずかに異なり、その刀身は青白く発光し、バチバチと雷鳴のような音を立てている。
透は、落下の勢いを殺さぬまま、刀を――眉間と鼻梁へ突き立て、そのまま振り下ろした。
その一撃に、ケルベロスの動きが一瞬止まる。
透は空中で体を捻り、二つの首の間へと滑り込み、そして二振りの刀を同時に振り下した。
刀身は首に届いていないはずだった。
しかし刀身から伸びた光が、刃となって空間を断ち切る。
その直後、二つの首が宙を舞い、地面へと落ちた。
断面には、ビリビリと雷光のようなものが走っている。
まだ、透は落下中だ。
透は刀を手放し、体を捻る。
残った右側の頭へ向け、いつの間にか取り出していた二丁の拳銃を構えた。
引き金が引かれる。
放たれたのは、弾丸ではない。
二つの雷鳴の閃光。
ほぼ同時に、ケルベロスの残る頭が破壊される。
巨体は、力を失い、その場に崩れ落ちた。
透は何事もなかったかのように、地面へと着地した。
「ワリィな。ただデカくなって、幻想種になった程度じゃ、相手になんねぇんだよ」
着地した透は、どこか退屈そうな表情でそう吐き捨てる。
言葉が通じるはずもないオルトロスに向けた、完全な挑発だった。
「これで終わりか? これじゃあ経験値にもなんねぇ。畜生の行動パターンなんざ、ほとんど変わらねぇからな」
肩をすくめ鼻で笑い、
「まだ何かあるなら、さっさと見せろよ。じゃねぇと――その二つ首、地面に転がすことになるぜ」
挑発の意図は伝わったのだろう。
オルトロスは唸り声を上げ、なりふり構わず突進してきた。
透は逃げない。
むしろ自ら距離を詰め、身体を低く屈めると、双頭の間へと滑り込む。
振るわれた一振りの刀が、青白く輝いた。
刀身から迸る雷光は刃となり、数メートル先まで伸びている。
「真然流 刀剣術 厄鳥 雷刀一閃」
その一太刀で、オルトロスの身体は縦に断たれる――はずだった。
だが、刃が裂いたのは空気だけ。
「……ッ? へぇ」
想定外の事態に、透は思わず口元を歪める。
そこにいたのは二匹の猟犬。
どちらも五メートル級の巨体のまま、四肢を備え、透を挟む形で陣取っている。
「分裂か。面白ぇじゃねぇか」
だが、すぐに興味を失ったように吐き捨てた。
「けどな、これ以上付き合う義理はねぇ。時間もそろそろないしな。それに亮太のおかげで周りに人はいねぇし……久々に、これをやるか」
透の全身から、バチバチと音が鳴り始める。
身体から溢れ出した高電圧が、透自身だけでなく、周囲の雑草や地面へと無差別に放電していく。
彼の持つ能力の《《一つ》》は『雷』。
それも、微弱な電流を操るような生易しいものではない。
周囲一帯に、高電圧を解き放つ、破壊そのものの力。
「――放電」
半径五十メートル。
透を中心に、超高電圧の雷の柱が無数に立ち上った。
轟音と閃光が空間を支配し、次の瞬間には――すべてが静まり返る。
能力を解除すると、そこには黒焦げになった霊獣の死骸が、数匹分、地面に転がっているだけだった。
「分裂しまくって、一匹でも逃げ延びれば問題ねぇ……って考えてたみてぇだな」
肩をすくめ、透はつまらなそうに呟く。
「だったら、もうちょい長く戦えてたかもな」
勿体ないことをした――と漏らす。
そのとき。バキッ、バキッ、と乾いた音が周囲に響く。
霊獣の死体から、植物が芽吹き始めたのだ。
異様な速度で成長し、枝を伸ばし、葉を広げる。
わずか一分ほどで、それは一本の立派な木へと変わっていた。
――これこそが、霊獣研究が進まない最大の理由。
霊獣は、死滅すると必ず植物へと変わる。
生きたまま捕縛できたとしても、彼らが口にするのは人間だけ。
他の動植物を一切食べず、やがて餓死して緑化するか、ある日突然、虚空へと消え去るか――そのどちらかだった。
「終わったぞ。いつも通り、緑化を確認」
透は無線に向かって淡々と報告する。
「動きが異常に速かったのと、急に幻想種に変異した点以外は、今まで通りだ」
『了解』
無線の向こうで、亮太の声が返ってきた。
『それでその報告だと、いかにも簡単そうだな。その動きについていけて、幻想種相手にも戦える能力者が軍に何人いるやら……』
やれやれと言う言葉が聞こえる。
『とりあえず、今回の件はこっちで映像確認と報告を回す。これにて任務終了だ』
「了解」
通信を切り、透は大きく息を吐いた。
「さて、と……」
ふと、何かを思い出したように声を漏らす。
「あ……どうしよう……まあ、いっか」
まだ日は落ちたばかりだ。
なんとかなるだろう――そう考えながら、透は帰路につく準備を始める。




