3話 黒神透の正体
帰りのバスに揺られながら、宿舎に着くまでは一眠りしようか――そう考えていた、その時。
着信音が鳴った。
車内は相変わらず無人である。
気兼ねする必要もなく、透はすぐに通話に出た。
「もしもし」
『随分と早く出たな』
電話の向こうから聞こえてきたのは、透と同い年くらいの若い少年の声。
「ちょうど暇してた。それで、何の用だよ、亮太」
『今日の用事も仕事だ。また獣が出た』
「えー……また獣狩りかよ。そろそろ味気なくなってきたな」
透は不満気に口角を下げる。
その態度を通話越しで感じたのか、呆れたように、亮太はため息をついた。
『味気ないって……ったく。幸い死者は出ていないが、建物の損傷、負傷者が複数名。被害はそれなりに出てる』
「へぇ」
『しかも何匹か、やけに素早くて取り逃がした。悪いが今日は、その後始末を頼む』
「取り逃がした? 何やってんだよ、テメェら」
透は呆れたように言い返す。
「で、逃げたヤツの特徴は? 虫類型か? それとも鳥類型?」
『いや……どうも、猟犬型らしい』
その言葉を聞いた瞬間、透の表情がわずかに歪んだ。
それまで気怠げだった顔から、ほんの少しだけ警戒の色が覗く。
「はぁ? ……猟犬型? サイズは小型か?」
透は片眉を上げ、スマートフォンを耳に押し当てたまま首を傾げる。
『いや。よく現れる中型クラスだ』
「っていうかさ、まさかだと思うけど、素人集団が霊獣の対処してんのか?」
『いいや、違う。いくら国民の七割が能力者の時代でも軍事訓練してない能力者が霊獣討伐に出たって餌食になるだけだ』
「分かっているよ、冗談だ」
背もたれに深くもたれかかり、あっけらかんと笑った。
『対処に当たってるのは、軍のいつもの部隊だ』
「……は?」
『どうやら、部隊編成をミスったらしい』
対処しているのは、仮にも対霊獣専門の軍部隊である。
そんな連中が、いくら編成ミスをしたとはいえよく知られた猟犬型を、しかも中型クラスを、取り逃がすなどあり得ない。
「つーか、最近、霊獣討伐の依頼が増えてねぇか?」
『ああ。前提として、霊獣は二十年前に九〇パーセントが討伐された』
「残り十パーセントは、いつの間にか消えたって話だろ?」
『ああ。だが五年前に再び確認されてから、目撃情報がぽつぽつと増えている。そして今では、二十年前より数が多い可能性すらある』
「まさか……増えてるってことか? 繁殖方法も分からねぇ連中が?」
増殖の原理は不明。
つまり、対策も分からないということだ。
透はスマートフォンを耳に当てたまま、天井を見上げる。
頭の中で亮太の話を整理しながら、しばらく何も言わずに考え込んだ。
『そこが問題だ。どうやって増えているのか、誰も把握できていない』
「……また戦争が始まるってのか。能力者と霊獣の」
夕日がビルの隙間に沈んでいく。
あの光景が、明日も同じとは限らない。
そんな不穏さを感じさせた。
『上はその前提で動いてる。日本も例外じゃない』
透は黙って退屈そうに、亮太の話に耳を傾ける。
亮太はそんな態度をとっていることなど、分かるわけもなく、確認するかのように説明を続けた。
『だから霊獣が発見次第、能力者による軍事部隊を即時投入して、討伐を最優先でやっているんだよ。……そこのとこ本当に分かっているのか?』
「へいへい」
『たく……。今、追い込み漁の要領で無人エリアに誘導してる。だがな……速さと火力、両方満たせる人員が足りねぇ』
亮太の声が、いつになく切羽詰まっていた。
いつもの軽口とは明らかに違うその声音に、透もわずかに表情を引き締める。
『動かせる中で条件を満たしてるのは、お前だけだ。頼む』
「いいけど。……そういえば俺らって、だいぶブラック部署だよな」
夕焼けに染まる街を眺めながら、引き締めた表情を緩め透は笑う。
『いきなり何だ』
「霊獣討伐、能力者処理、危険案件全部まとめて押し付けられてる気がするなー」
『押し付けられてるんじゃない。任されているんだ』
「……言い方変えただけだろ」
『はぁあ、通常の霊獣討伐は専門部隊が担当する。だが対処不能個体、あるいは大量殺人やテロなどの人為的脅威が絡んだ場合――』
「分かっているよ。いちいち言うなよ」
透は座席の背にもたれ、天井を見上げた。
何度も聞かされてきた話なのだろう。亮太が続きを口にする前に、透は先回りするように言葉を重ねる。
「人為的脅威が絡んだ場合ねー。それの対処法が捕縛。状況次第で殺害。学生に持たせる権限じゃねぇよなぁ」
『法的には特別軍事従属学生だ。軍人じゃねーよ』
亮太の訂正に、透は鬱陶しそうに視線を天井から窓の外へ移した。
「本来は学歴が高卒以上で、年齢が十八歳以上、だろ?」
『例外中の例外の一人が偉そうに言うな』
「十三で戦場デビューした俺に、今さら常識求めるなよ」
一瞬、通話の向こうが静かになる。
先ほどまで軽口を交わしていた亮太が、何かを思い出したように言葉を止めたのが伝わってきた。
『……自分で志願したんだろ』
その言葉に、透は肩を竦めた。
自分でも否定できない事実を突きつけられ、さすがに反論する気にはなれなかった。
「はいはい、分かってますよー。文句はありません」
あの日、軍に保護されたとき。
戦わない選択肢もあった。
だが透は選んだのだ、戦場を。
窓の外では夕焼けがゆっくりと沈みかけている。
戦場に向かう人間の会話とは思えない、あまりにも平和な時間。
亮太が小さく息を吐く気配がした。
そのため息には、透の過去を知る者だからこその複雑な感情が滲んでいるようだった。
『そう言えば前回の件、まだ内部で揉めてる』
「……アイツらまだ言ってんのか」
『本来の任務は捕縛優先だったからな』
透は呆れて目を細める。うるさい顔を思い出して、顔を露骨に歪めながら、投げやりに言い放った。
「抵抗したのは向こうだ。その結果がアレだ」
『分かっている。だが最近は能力者絡みの犯罪が増えてる。特に日本は高位能力者が生まれやすい』
「だから誘拐も暗殺も横行するっていう訳か」
『そうだ、組織強化の目的で子供を攫う連中もいる。または将来有望株を事前に消すケースもある。だから前回の作戦は、それを未然に防ぐ為に情報として捕縛命令だったのだが』
亮太の声は冷静だ。
だが、その裏に焦りが滲んでいる。
世界は確実にきな臭くなっているのだ。
「だからしょうがねーだろ……。ああしないと犠牲者が多く出てた」
透の声は、あくまで平坦である。あの場で迷えば、死んでいたのは別の誰かでしかない。
『それは分かっている。ただの愚痴だ』
「……ホントに物騒な世界だよな」
夕暮れの光が、透の横顔を赤く染める。
その言葉とは裏腹に、透はどこか遠くを見るような目をしていた。
『そんな物騒な世界の為に、状況次第で確実に止める部隊が必要になる』
少しだけ沈黙。
電話越しに互いの息遣いだけがわずかに聞こえる中、透はやがて小さく息を吐いた。
「はいはい、そこで我らが【蠍】の出番、ってな」
透は夕焼けの空を見上げる。
「……とりあえず任務に関しては了解。あっ! ……明日、用事あるからよろしく」
『それはお前次第だ! それでなんの用事だ』
「……試験」
『試験ダァ?』
透は今日あった事を説明した。
説明を聞き終えた亮太は、頭を抱える仕草が想像出来そうなほど、怒った声で叫んだ。
『自分でなんとかしろ馬鹿!!』
「冷たいなー」
『あぁもう、集合ポイントと逃した個体の資料は端末に送る。ちゃんと確認しろよな』
そう言い残し、通話は一方的に切れる。
直後、バスのブザーが鳴った。
どうやら宿舎近くのバス停に着いたらしい。
バスを降りたところで、スマートフォンが振動する。
送られてきた資料に目を通しながら、透は歩き出した。
――その口元は、最初とは違い、わずかに吊り上がっている。




