9話 一日目 その3
観客席にて。
「初日から、ずいぶんと盛況ですな」
四十代半ばほどの、がっしりとした体格の男性がそう言った。
着崩しのない軍服に身を包み、その声音には余裕が滲んでいる。
隣には、凛とした佇まいの若い女性士官、井戸川静。
彼女は競技フィールドを見下ろし、選手の情報が載っているタブレットを操作しながら、静かに頷いた。
「ええ。それもこれも、透君のおかげでしょう。初戦から満点、しかも最速記録ですから」
「黒神二等兵には、まったく困ったものですな」
男性は肩を竦め、苦笑混じりに続ける。
「彼の神業で、弦月の選手が萎縮してしまっている。あれでは、先が思いやられる」
「……あの程度で萎縮するようでは、来年以降は出場も難しいでしょうね」
淡々とした口調で、井戸川は切り捨てた。
「もっとも、弦月は元々、女子能力者の育成を目的とした学園です。男子選手に高位能力者が少ないのは、ある意味では想定通りですが」
そう言いながら、彼女はタブレットを操作し、別の選手の映像を映し出す。
「ですが、北辰の選手――朝霧風夏さんは違います。透君の記録にも屈せず、最後まで諦めずに戦っていました」
「ふむ……」
男性は顎に手をやり、少し考え込んだ。
「となると、やはり困りものだな。有力選手が、彼一人のせいで埋もれてしまうとは……やはり——」
「やはり……彼は軍の子飼いでしたのね」
鈴が転がるように澄んでいる声が、重ねる形で遮った。
二人が視線を向けると、そこには日傘を差し、ゴシックロリータ風の装いで観戦席に立つ女性の姿、朔夜千歳。
「お久しぶりです、ちーちゃん」
「久しぶりですわ、しーちゃん」
軽やかに交わされる挨拶。
「それに……お久しぶりですわ、大坪さん。いえ、今は――大坪邦栄大佐、でしたかしら?」
「ええ、お久しぶりです、朔夜さん」
先ほどまでの豪放な態度は影を潜め、大坪は一瞬で、規律正しい軍人の顔へと切り替えた。
「それで……彼を私の学園に送り込んだ理由は、何ですの?」
「……送り込んだも何も」
井戸川は苦笑し、言葉を選ぶ。
「彼の目的と、軍として与えられるそれなりの日常。その二つが合致したのが、貴女の学園だっただけです。だから、そう勧めただけです」
「それで試験を白紙で出して、再試験はサーバーを乗っ取ってカンニングですか。随分な子を寄越しましたわね」
二人は気まずい顔をする。
その時、合図が鳴った。
どうやら第二回戦が始まったようだ。
先ほどの試合を見て焦る者。
冷静に、これまでの練習通りに動く者。
緊張に飲まれ、思うように力を出せない者。
様々な思惑が交錯するフィールドを眺めながら、千歳は小さく息を吐いた。
「目的……ですか。やはり、彼のことですのね」
「はい。彼のことです」
「……お父様は、なんと?」
「――『たった三年で、ずいぶんと飛んだじゃじゃ馬になったな。いや、眠れる獅子を起こしたの間違いか。なら、我が娘のところに放り込めば、何か化学反応を起こすだろう。それが良い方向に向かえばいいのだがな』と」
「……部下にはそんなことを言っておいて、私には何も仰らないのですわね」
そう言って、千歳は一瞬だけ目を伏せた。
「では、お父様に言伝がありますの。よろしくて?」
立ち上がり、立ち去ろうとする。
「どちらへ?」
「アレをくださったのはお父様です。
アレがどうなろうと、私がどうなろうと――責任は、お父様ではありませんの」
手を振りながら、振り返らずに続けた。
「この大会は学生主導。ですから、次に私の生徒が出てくるまでは……日陰で休ませていただきますわ」
そう言いながら日陰に、消えていく。
その背中を見送りながら、大坪が呆れたように呟いた。
「あの人は……吸血鬼か何かか?」
「ある意味では、そちらの方が分かりやすいですね。正体が分かっている、という意味では」
大物相手にも臆さない井戸川の言葉に、大坪は小さく笑う。
「まったく……君たち、十三年もの付き合いだろう。そこまで続く関係も、なかなかないぞ」
試合終了のブザーが鳴った。
会場に広がったのは、淡々とした拍手だけだ。
誰一人、満点には届かない。
初戦のあの異常な光景が、いかに特別だったかを示す結果だった。
北辰の男子選手が、決勝進出を決める。
*****
第三回戦も、結果は同じだった。
試合終了のブザーとともに響いたのは、大きなどよめきではなく、淡々とした拍手だけ。
その中で、天津の女子選手が決勝進出を決めた。
静かな拍手に包まれる中、第四回戦に出場する御沙希は、深く息を整え、落ち着いて集中していた。
射撃場に立つ。深く息を吸い、吐く。
指先は、もう震えていなかった。
合図と同時に、クレーが射出される。
御沙希は『霊視』による未来予知で、その軌道を捉えていた。
次にどこへ飛び、どの角度で来るのか、すでに見えている。
速さではない。確実に、外さない。
引き金を引くたび、クレーは正確に撃ち落とされていく。
会場がじわりと沸き始めた。
(いけます。このまま、確実に)
――その瞬間。
最後の射出と同時に、ドカン、と会場が沸いた。
(……え?)
一瞬、意識がそちらへ引かれそうになる。
だが、視線を向けたい衝動を必死に抑え、御沙希は競技に集中し続けた。
そして、最後のクレーを撃ち落とす。
競技を終え、御沙希は小さく息を吐いた。
そして、ゆっくりと電子表示板へ視線を向ける。
(……二位、ですか……)
御沙希の順位は二位だった。
一位は国能附の男子選手。
記録は、透とまったく同じ成績。
(やっぱり……いるんですね、ああいう人が)
胸の奥に、悔しさが渦巻く。
落ち込んだまま、御沙希は控え室へ戻ってきた。
「お疲れ様、神無月さん」
涼菜が、いつもの柔らかな笑顔で迎える。
「……すみません。負けてしまいました」
俯いたままそう言うと、声がわずかに震えた。
「……すみません。私……」
言葉が続かず、御沙希は唇を噛んだ。
目元が潤んでいるのを、御沙希自身が一番よく分かっていた。
「いいのよ」
涼菜は即座に首を振る。
「まさか、透君と同じ成績を出せる選手がいるなんて、こっちも驚きだったわ。これはもう、組み合わせが悪かっただけ」
彼女は優しく続け、
「だから、そんな顔しないで。貴女は、ちゃんとやるべきことをやったのよ」
その言葉に、御沙希はわずかに顔を上げる。
「そうそう」
今度は円香が、少し砕けた調子で口を挟んだ。
「得点だって二位までは入るし、団体的には十分すぎる結果よ。むしろ上出来じゃない?」
御沙希は、小さく息を吐いた。
胸の奥に重くのしかかっていたものが、少しだけ軽くなる。
「……ありがとうございます」
「みんな、気を取り直して。午後は一般戦の『シューティング・ソニック』よ。後輩二人が頑張ったんだから、梶君と乾さん。あなたたちも、しっかり頼むわ」
涼菜の声は明るく、はっきりしていた。
控え室には、さっきまでの張りつめた空気はもうない。
それぞれが次の競技へ向け、静かに気持ちを切り替えていく。
その輪の中で、御沙希もまた、前を向こうとしていた。




