1話 入学式前だと言うのに その1
ガタンッ。
突然の音と振動に、少年――黒神透は目を覚ました。
(ん……? ああ、寝てしまったか。それにしても、久々にあの最悪な夢を見たな……)
燃える屋敷。血に染まった妹。
そして――立っていた、あの男。
どうやら、無理な体勢で眠っていたらしい。
凝り固まった体をほぐすように、大きく伸びをする。
寝起きの悪さと、夢の後味のせいで気分は最悪だった。
透は不機嫌そうに、バスに身を揺られている。
黒髪でナイフのように鋭い目つき。
身長は平均よりやや高く、鍛えられているのか体つきもしっかりしている、そんな少年だった。
車内を見回す。
乗客はいない。運転席にも誰の姿もなかった。
今の時代、AI技術が進み自動運転のバスなんて珍しくもなんともない。
もう一度、透は身体を伸ばし、外を見る。
三月十五日。春の陽気な空模様だった。
高く澄んだ空に、柔らかな日差し。
(……昔は、世界中が氷河期だったんだっけ)
技術の進歩だったか。
あるいは能力による半ば強引な解決だったか。
授業で習った気はするが、細かいところは思い出せない。どちらにせよ、もう昔の話だ。
そんな取り留めのないことを考えながら、しばらく空を眺めてながら思い出す。
試験に合格し、入学できるはずの学園から、一通の手紙が来た。
内容は要約すると『三月十五日に、一度学園に来るように』、と。
ビーっとブザーが鳴りバスが停車する。バスの扉が開き、透はふらりと外へ降りた。
ここは私立明星学園高等部。
世界に五人しか存在しないEXランク能力者の一人、第三位〔常闇の魔女〕朔夜千歳が経営する学園である。
毎年、二千人以上の入学希望者が集まるが、実際に入学出来るのはわずか百人。
超能力の育成に特化した、超名門学園。
そんなエリート揃いの学園に、
筆記試験はすべて白紙。
実技試験は最高得点の満点。
入学試験総合順位――五十位。
そんな彼は欠伸を噛み殺しながら、学園の正門をくぐる。
*****
昇降口に足を踏み入れた瞬間、透は違和感を覚えた。
ゴシックロリータと呼ばれる服装に身を包んだ少女が、下駄箱の奥――通路の中央に、まるで待ち構えていたかのように立っていたのだ。
年の頃は十三、四歳ほどに見える。
夜としか形容できない、暗く深い色をした髪が印象的な少女だった。
「あなたが、黒神透さんですね」
「はい。そうですけど、あなたは?」
「私はこの学園の教師ですわ。それでは案内いたしますわ。着いて来てくださいまし」
そう言って、少女――教師は、くるりと踵を返した。
言われるがまま、透はその後を追う。
(……この人が教師? どう見ても中学生くらいにしか見えないんだけど。まあいいか)
「では、こちらにお入りください。少しの間、お待ちいただきますわ」
案内された部屋は、決して広いとは言えなかった。
手前と奥に黒いソファが一つずつ置かれ、その間に長机があるだけ。
圧迫感こそないが、落ち着かない空間だ。
壁にかかったプレートを見て、透は小さくため息をつく。
――『指導室』。
「……気が滅入る」
とりあえず、透は奥側のソファに腰を下ろし、待つことにした。
しばらくして、扉が開く。
「お待たせしました。では、少し面談をさせてくださいな」
「……面談ですか?」
「ええ、そうです。あなたは一応、総合順位五十位で入学を認められた新入生ですけれど……実は――」
そこまで言ったところで、
バンッ!
室内に響き渡る音とともに、扉が勢いよく開いた。
透が反射的にそちらへ顔を向ける。
少女教師も驚いた様子を見せることなく、ただ静かに扉の方へ視線を移した。
「キサマか!! 筆記試験を白紙で出した、ふざけたヤツは!!」
入ってきたのは、四十代に差しかかった小太りの男だった。
頭頂部の髪は、心なしか寂しくなってきている。
肩で息をしながら室内へ踏み込むその姿からは、明らかに怒気が滲んでいる。
「ふざけたヤツって……来月から入学する新入生なんですけど」
いきなり怒鳴り込まれたというのに、透はさほど動じなかった。
むしろ面倒な相手に絡まれた、とでも言いたげに肩を竦める。
「何が新入生だ!! 筆記試験を白紙で出すようなヤツなど、認めん!!」
男はさらに一歩踏み込み、こめかみに青筋を浮かべて怒鳴り声を上げた。
その剣幕に、普通なら気圧されてもおかしくない。
しかし透はソファに座ったまま、男を見上げている。
「えー、別にいいじゃないですか」
気怠げな声だった。
透は背もたれに身体を預け、まるで他人事のように続ける。
「実技試験の方は真面目にやって、過去最高得点を出しましたし。それに、この学園は能力至上主義の学校ですよね?」
男の顔を見て、さらに言葉を重ねた。
「自分の能力なら筆記試験をやんなくても大丈夫かなと思って、現に総合順位五十位で合格ラインですよ」
言いたいことを一通り言い終えると、透は視線を横へ逃がした。
そして、わずかに声を落とす。
「それに……単純に、面倒くさかったので」
「それを、ふざけていると言うんだ!!」
男――教師と思われる人物は、肩を震わせるほど怒りを募らせた。
透は露骨に嫌そうな顔をする。
反論する気も失せたのか、これ以上は相手にしても仕方がないと判断したようだった。
その時。
「須藤先生。お静かに」
少女教師の声が、室内に落ちた。
怒鳴り声の直後だというのに、その声音は穏やかだった。
だからこそ、余計に異質に響く。
空気が変わった。
室温が一度下がったような錯覚を覚える。
先ほどまで勢いよく怒鳴っていた須藤の動きが、ぴたりと止まった。
喉が鳴る。恐怖だ。
「そして、ご退出ください」
「し、しかし――」
「本来、この学園の入学試験に面談はありません。ですが今回は、特別に私が担当いたします」
少女教師は淡々と告げる。
その表情に怒りはない。
彼女は須藤をまっすぐに見据える。
「ですから、ご退出ください」
須藤は何か言おうとして口を開きかける。
しかし、結局は何も言えずに口を閉じた。
その威圧感に、透でさえ背筋に寒気を覚えた。
「……まったく」
須藤は小さく吐き捨てるように呟くと、少女教師から視線を逸らした。
ぶつぶつと文句をこぼしながら、扉へ向かって歩いていく。
「実技試験の成績が一位だったから良かったものの……理事長はいったい、何を考えているんだか」
扉へ手を掛けた須藤が、最後にそう言い残す。
その言葉を聞いた少女教師は、ほんの少しだけ目を細めた。
だが、怒ることはない。
むしろ――微笑んだ。
「強い方は歓迎いたしますわ。そもそも本学園の入試は、実技が八割で筆記が二割。――せいぜい一般常識があるかを見る程度。第一にこの学園は優秀な能力者を集めるために設けられておりますの」
静かな口調だった。
それなのに、須藤の背中が一瞬だけ強張る。
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ、背筋が震える。
「……っ」
何か言い返そうとしたのか、須藤の口元がわずかに動いた。
しかし、言葉にはならなかった。
そのまま無言で扉を開き、部屋の外へ出ていく。
扉が閉まる。
少女教師は、しばらく閉じた扉を見つめていた。やがて、透へ視線を戻す。
「まあ、こんな感じで……入学合格ラインに達している以上、本来であれば入学を認めるべきなのです。実際、合格証書もお渡ししましたし」
そう前置きしてから、少女教師は小さく息を吐いた。
先ほどまでの張り詰めた空気が、わずかに和らぐ。
「ですが――あなたの入学を、どうしても認めない先生方がいらっしゃいまして」
困ったように眉を下げる。
その表情は先ほど須藤を黙らせた人物とは思えないほど柔らかかった。
「私がいくら説明しても、意固地になって聞き入れない方々でして」
少女教師は手元の書類へ視線を落とした。
「ですので――他の先生方を納得させる方法を、こちらで用意いたしましたわ」
少女教師は書類の束を透の前へ差し出す。
透は何気なく視線を落とした。
そこに挟まれていたのは――試験用紙。
「黒神透さん。あなたには、試験を受けていただきます」
一瞬の沈黙。
透の視線が、試験用紙から少女教師へ戻る。
「……はい? 試験、ですか?」
「ええ。あなたが白紙で提出なさった筆記試験を――明日、もう一度やって貰いますわ」
少女教師は穏やかな笑みを浮かべたままだった。
その笑顔を見ながら、透は試験用紙へ視線を戻す。
(えー……面倒だな。とはいえ、二度目の白紙は流石にアレだろうし、今度は最低限でいいか)
透なりに折り合いをつけ、そう結論づけた。
だが、その直後だった。
少女教師が、にっこりと微笑む。
「もし、適当にやろうなどとお考えでしたら――どうぞご自由に」
透の動きが止まった。
まるで、今まさに考えていたことを見透かされたような言葉だ。
「ですが、その結果――規定点数に達しなかった場合は、入学取消しですわ」
笑みは崩れていない。
それでも、その目だけは冷ややかだった。
「当たり前でしょうそんなの。一番最初に白紙で提出したあなたが悪いのですから、知りませんわ」
淡々と告げる。
そこに情けを挟む余地はない。
「保護者の方にご相談なさい。私が、ここまで他の先生方に譲歩して差し上げたのですから」
何事もなかったかのように表情を戻した。
「試験時間は受験時と同じ。国語五十分、社会四十五分、数学五十分、理科四十五分、英語五十分」
指を折りながら、淡々と告げていく。
透は黙って聞くしかない。
「ただし――内容は入学試験と同一ではありません」
そこで、少女教師の口元に再び笑みが浮かんだ。
ふわりと咲くような、柔らかな笑顔。
しかし、その目は笑っていない。
透は嫌な予感を覚えた。
「難易度は、受験時よりも十倍ほど上げてありますわ」
さらりと告げられた言葉に、透の眉がわずかに動く。
ただ事実を伝えているだけ。
だからこそ、余計に逃げ道がない。
「この試験で規定点数を取ってくだされば、他の先生方もお黙りになります。それに――クラス分けの正式な判断材料にもなりますの」
「クラス分けですか?」
先ほどまで面倒そうにしていた目に、ほんの少しだけ関心が浮かんだ。
「ええ。この学園は実技だけでなく、学力も含めた総合評価で配置を決めます。実技試験で最高得点をお取りになったとはいえ、筆記が白紙では適切なクラスに置けませんでしょう?」
少女教師の口調は柔らかい。
だが、説明には一切の無駄がなかった。
「上位クラスには、それ相応の実力者が集まりますわ。環境というものは、大切ですから」
透はしばらく黙っていた。
クラス分け。
その言葉を頭の中で、転がすように考える。
(環境ね……)
透は内心で鼻を鳴らした。
「それでは――どうぞ、頑張ってくださいまし……では」
少女教師は透の態度に気付かないフリをしながら、朗らかな笑顔で締めくくった。




