16話 不穏な学園生活 その1
次の日の昼。
明星学園は、いつも以上に騒がしかった。
昼休みの開始と同時に、生徒たちが一斉に校舎から溢れ出し、購買前には人の波ができている。弁当を持参しなかった者、限定メニューを狙う者、ただの冷やかし。理由は違えど、昼の購買はちょっとした戦場だ。
「いやー、今日の購買、戦争だね」
茜は紙袋を両腕に抱え、列の後方でそう笑う。二人とも普段は弁当だが、今日の限定商品が気になり、早くから並んでいたのだ。
「茜ちゃん、後ろ。こぼれるよ」
ゆかが心配そうに声をかける。
「大丈夫大丈夫。ボク、意外と器用なんだよ——?」
軽い調子で返した、その直後。
金属同士が触れ合うような、乾いた音が響いた。
「……?」
耳慣れない音に茜の足が止まる。
同時に、背筋をなぞるような嫌な予感が走った。
そして次の瞬間――頭上から影が落ちてきた。
「っ!」
ゆかが悲鳴を上げるより早く、茜は反射的に身体を横へ投げ出した。
刹那、鈍い衝撃音が響く。
鉄製の支柱が、購買前のベンチの背もたれに深く突き刺さっていた。
まるで上から偶然落ちたというより、狙って落とされたかのように。
「……え?」
一拍遅れて、周囲が静まり返る。
「な、何、今の……?」
「支柱……? 外れたのか?」
「危なっ……」
他の生徒のパニックになる声が、轟いた。
「茜ちゃん……!」
ゆかが青ざめた顔で駆け寄り、茜の腕を掴む。
「大丈夫? 怪我はない!?」
「あ、ああ……大丈夫」
答えながらも、茜の視線は支柱に釘付けになっていた。
(……おかしくないか?)
支柱は、本来そう簡単に外れる構造ではない。
それに――。
(落ちた、って言うより……)
『刺さっている』その言葉の方が、どうしても頭から離れなかった。
「先生を呼ばなきゃ!」
ゆかがそう言った、その時だった。
甲高い音が響き、すぐ近くの校舎二階で窓ガラスが外側に向かって割れた。
「きゃっ!?」
遅れて、ガラス片が雨のように降り注ぐ。
「ゆか!!」
茜は反射的にゆかを引き寄せ、細かな破片が二人の足元へ散らばった。
「な、何で……?」
完全に異常だった。
一つなら、まだ偶然で済む。
だが、二つ、三つと続くのは、さすがに偶然では済まない。
(……狙われてる?)
そんな考えが脳裏をよぎった、その時――鈍く重たい音が頭上から響いた。
屋上に固定されていたはずの『新入生大歓迎』と書かれた看板が、大きく傾いでいる。
金具が悲鳴を上げながら外れていく。
そして次いで、看板が完全に外れ、重力に引かれて落下を始めた。
「……ッ!」
二人の視界を、巨大な影が覆う。
(押しつぶされる――)
茜の本能がそう告げた、直後。
雷鳴にも似た轟音が空気を引き裂く。
看板の中央に大きな穴が穿たれ、金属片が四散する。
衝撃で吹き飛ばされた看板は軌道を逸らし、そのまま地面へと激しく転がった。
「「……?」」
(——衝撃が来ない)
茜が恐る恐る目を開けると、そこには原形を失った看板の残骸だけがあった。
「大丈夫か? お前ら」
気の抜けた声が、場違いなほど軽く響く。
二人が振り向くと、校舎の陰から透が歩いてきた。
片手をポケットに突っ込み、いつも通りの気だるげな表情を浮かべている。
――だが、そのもう一方の手には銃が握られていた。
「あ、透くん……!」
その姿を認めた途端、ゆかは露骨に肩の力を抜いた。
安堵が、隠しようもなく表情に浮かんでいる。
「何か騒がしいと思ったら……」
透は視線を巡らせる。
刺さった支柱。
割れた窓。
そして――自分で吹き飛ばした看板の残骸。
それを見て、皮肉そうに、
「……派手にやってるな」
「ボクらがやったわけじゃないよ!?」
茜が思わず声を荒げる。
「それより今のは絶対おかしかったぞ! 物が落ちてきたり、割れたり……!」
「ふーん」
透は相槌を打つだけで、表情を変えない。
「怪我は?」
「ない、けど……」
その一言を聞くと、透の視線がほんの一瞬だけ上へ向いた。
屋上。
校舎の影。
当然ながら、何もない。
だが――。
(……なるほど)
透の口元が、わずかに歪む。
(今一瞬、能力が見えた。しかし、直接は出てこないか。遠距離で飛ばす能力か?)
だが、それを口にすることはない。
「ま、運が悪かっただけだろ」
「「……え?」」
茜とゆかが、同時に声を上げる。
「いやいや、どう考えても――」
「こんな学園だしな。変な能力者も多いし」
透は軽く肩をすくめる。
「制御ミスとか、老朽化とか。そういうことで処理されるよ。だから、助けたお礼にその看板、俺がやったこと黙ってくれるかなー?」
「「……」」
二人は言葉を失った。
反論したい気持ちはあったが、この学園では、その理屈が通ってしまうのだろう。
「ほら、昼休み終わるぞ」
透は踵を返し、そのまま二人を促す。
「教室戻ろうぜ」
「……うん」
ゆかは小さく頷き、茜もそれに続いた。
だが、歩き出しながらも茜は何度も背後を振り返る。
当然、誰もいない。
それなのに、視線を向けられているような気がしてならなかった。
その様子を横目で見ながら、透は静かに確信していた。
(随分と分かりやすく来るな。今までも窓ガラスを割ったり、物が軽く落ちたりとさりげなかったが、随分と大胆だな。……焦っているのか?)
透はそう考えながら、歩調を緩めることなく前へ進んだ。
背後では、既に数人の生徒が集まり始めている。
支柱を指差して騒ぐ者。
割れた窓を見上げて眉をひそめる者。
「また設備トラブルか?」
「最近多いよなー」
そんな軽口が飛び交い、空気は少しずつ日常へと引き戻されていく。
だが、誰も襲撃という言葉を口にはしない。
何故なら明星学園では、それが当たり前だった。
(……便利な場所だよ)
透は内心で、皮肉に笑う。
異常が起きても、誰かが怪我をしなければ事故で終わる。
高位の能力者が多いというだけで、説明がついてしまう。
だからこそ――。
(やりやすいってか)
襲う側にとっても、だ。
「……ねえ、透くん」
ゆかが小さな声で呼びかける。
「さっきの……本当に、ただの事故だと思う?」
「思わねぇな」
透は即答する。
だが、ゆかの表情が一瞬強張ったのを見て、少しだけ言葉を選び直した。
「ただ、今は証拠がない。騒いでも、逆に目立つだけだ」
「……」
ゆかは唇を噛みしめ、小さく頷く。
一方、茜はまだ納得していない様子で、刺さった支柱の方をちらりと見やる。
透はもう一度だけ上を見た。
風に揺れる校舎の影。
人の気配は、ない。
(……確実に見ているな)
それも、かなり近い場所から。
昼休み終了のチャイムが鳴り響くと、生徒たちは散り散りになり、購買前の騒ぎもあっさりと収束していった。
割れた窓には、ほどなく立入禁止のテープが張られるだろう。
支柱は原因不明の落下物として処理される。
だが、茜は教室へ向かう途中でふと立ち止まり、背後を振り返った。
誰もいない。
それでも。
(……見られてる)
理由のない確信が、胸に残っていた。
その少し前を歩きながら、透は心の中で静かに告げる。
(俺が近くにいる時には、決して手は出してこないな)
それが意味するところを、透は嫌というほど理解していた。
「全く、めんどくさいなー。とっとと襲撃してこないかな。そうしたらラクなのに」
二人には聞こえないほど小さな声で呟くのであった。




