13話 平穏な学園生活 その1
ホームルーム十五分前に登校して、席に着くと、クラスメイトたちがひそひそと透の方を見て騒めいていた。
どうやら話題は昨日の騒動――校内で起きた小競り合いらしい。
透の視線に気づくと、数人の生徒が慌てて顔を逸らした。
別の席では、ひそひそ声が急に止まり、代わりにぎこちない笑顔が向けられる。
怖がられているというより、どう接していいのか分からない、といった空気だった。
敵意もない。好意もない。
ただ、距離だけが妙に正確に保たれている。
「なあ、昨日やり合ったって本当か?」
先に登校していた亮太が、スマートフォンを操作しながら近づく。
「まあぁ、な」
「どんな奴だった」
こめかみを押さえ、
「確か、森荒って名乗ってた」
「……あー、あったあった。森荒」
亮太のスマートフォンには、本来閲覧出来ないはずのプロフィールが表示されていた。
「身長一九〇センチメートル、体重八五キログラム……男のプロフィールはどうでもいいな」
「俺もそこは興味ねーよ。あと、女子の覗くなよ。それで成績は?」
「筆記は合格者の中から、下から二番目。入学ギリギリ。能力ランクはS」
透は軽く鼻を鳴らす。
「……あれでSか」
「感覚マヒしてんぞ。『土属性』で『ゴーレム生成』、しかも複数ギミック付きなら妥当だ。世界全体でSランクは約十万人。ピンキリとはいえ、十分エリートだぞ」
「そうなのか?」
昨日の光景を思い出す。
確かに、能力そのものは強かった。
「で、総合順位二十位ってのは本当か?」
「ああ。筆記が足引っ張っただけだが、能力は本物だよ」
亮太は画面を眺めながら言う。
「火力と発動速度はお前とほぼ同じだ。精密性が致命的だけどな」
「火力任せの典型だな」
透がそう言うと、亮太はため息をついた。
「なあ言っただろ。あんまり目立つなって。まあ今回はよくある生徒同士の衝突扱いで終わったからいいけどさ」
「へいへい、悪かったよ」
「何回目だ、それ」
そう言いつつも、亮太の口調は軽い。
「で、実際どうだった?」
「能力は強かった。正直、少し舐めてた。能力を使わなかったのは反省、反省」
「へぇ。お前が反省ねぇ」
亮太がニヤつく。
「とはいえ、近接はチンピラだ」
「そりゃそうだろ。お前基準で考えるな」
その時。
「おはようございます」
アリスの静かな声が教室に響いた。
「おいーす」
「うす」
短く挨拶を返すと、亮太が興味本位で聞く。
「アリスちゃん、昨日のこいつの戦い見た? どうだった?」
「……」
一瞬だけ、アリスの表情が揺れた。
だがすぐに、淡々としたいつもの顔に戻る。
「そうですね。あの戦い方は、とても合理的で、無駄がありませんでした」
「へぇ……」
亮太は透を引っ張って少し距離を取り、
「お前、何した」
「別に。適当に終わらせただけだ」
「お前が合理的だぁ? ありえねぇ? もしかしてお前、幻覚を見せる能力もあるのかよ」
騒がしい亮太を無視して、ちらりとアリスを見る。
アリスは席に着こうとして机の上に足を引っかけ、机に軽く頭をぶつけ、座ったと思ったら本を逆さに開いて読んでいた。
その光景を見て、
(……昨日、ちょっとやり過ぎたか)
表情は変わらないが、明らかに動きがちぐはぐである。
(まあ、放っとくか)
透は軽くため息をつく。
すると同時にチャイムが鳴り、藤林が教室に入って来た。
御沙希の号令で教室はいつもの空気に戻る。
*****
あれから三週間が過ぎた。その間の出来事である。
新入生たちも学園生活に慣れ、朝の教室には当たり前のように雑談が飛び交うようになっていた。
透は、窓際の席で頬杖をつきながら、その様子をぼんやりと眺めて思い出す。
――入学してすぐの頃。
自室で缶コーヒーを飲み、雑誌を読んで時間を潰していた時、一本の電話が鳴った。相手は軍直属上司の静さん。
『こんにちは。学園生活、ちゃんとやってる?』
電話越しの声は、いつも通り軽い。
「一応、やってますよ」
透は適当に相槌を打つ。
『そう? 亮太君からの報告じゃ、入学早々孤立しているって聞いたけれど』
「アイツ、余計なことを……」
静は小さく息を吐いた。
『再試験の時も言ったでしょ? 確かに、貴方のやりたいことをやるには戦場が一番でしょう。でもね、貴方はまだ十五歳なのよ。分かる?』
『日常を、自分で潰すなって言ってるの』
その一言だけが、妙に引っかかる。
《《日常》》。
それは、軍の施設でも、任務先でもない。
もっと、どうでもいいようで、どうでもよくない場所。
教室で交わされる、意味のない会話。
放課後の、取り留めのない誘い。
『じゃあ、亮太君以外のお友達の写真を見せて。できれば仲良さそうなところをね。これは上司命令よ』
そんなことを思い出しながら、透は教室の騒めきへと視線を戻した。
自分から輪に入る気は、正直ない。
だが――話しかけられたときに、拒む理由はない。
最初の頃、透は自分から距離を詰めようとはしなかった。
どう接すればいいのか分からず、下手に踏み込めば余計な摩擦を生む。そう考えていたからだ。
だからこそ、誰かに話しかけられたときは無下にしない。
短くても返事は返すし、話題が続くなら最後まで付き合う。
それが、少しずつ伝わっていった。
「おい、また寝てただろ」
背後から声をかけられ、透はゆっくり振り返る。
「……聞いてた」
「その顔で言うな」
亮太にだけは、相変わらず扱いが雑だった。
言葉も態度も遠慮がない。
だが、それは突き放しているわけではない。
透にとって亮太は、気を遣わなくていい数少ない相手だった。
授業が本格的に始まると、状況はさらに変わる。
「黒神君、起きてください」
担任の声に透はゆっくり顔を上げ、
「……すみません」
「素直なことだけは、良いですね」
授業終わりクラス委員長の御沙希が、ため息混じりに言う。
「課題は、ちゃんと出してくださいね」
「一応な」
「一応じゃ困るんです」
叱られても、言い訳はしない。反論もしない。
それだけで、クラスの空気は少しずつ和らいでいった。
だが能力訓練や体育では、相変わらず結果を出す。
「……またトップだ」
「黒神のやつ、ホントすげぇな」
向けられる視線に、透は肩をすくめるだけだ。
「別に、普通にやってるだけだ」
「その普通が異常なんだよ」
亮太の言葉に、周囲から小さな笑いが起きる。
能力も運動もできる。
だが授業態度はだらしない。
その評価が定着すると、距離は一気に縮まった。
「黒神、今日ゲーセン行かね?」
「……ああ、いいぞ」
一瞬、驚いたような顔をされる。
「断ると思ってた」
「別に、嫌いじゃない」
自分から誘うことはないが、輪に入ることを拒まない。
それが、透なりの歩み寄りだった。
「亮太も来る?」
「この前、俺が誘って断った癖に、扱い雑なくせに聞くんだな」
「一応な」
そんなやり取りをしながら、透は自然と輪の中に混じっていく。
特別な出来事があったわけではない。
派手な事件も、衝突もない。
入学早々に喧嘩を売られ、それを返り討ちにしたという噂。
能力が高く、近寄りがたい存在。
そんな印象は、今ではほとんど残っていない。
――ただ、不器用ながらも人の中に立とうとする、少しだけ平凡な学園生活を、透は送っていた。
そんなある日の放課後、透はBクラスとCクラスの、これまでほとんど話したことのない男子数名と、どこかの女子校の生徒たちと合同でカラオケに行くことになる。
――だが、正直なところ透は退屈していた。
(最近は軍の仕事も回ってこないし、体育や能力訓練程度じゃ物足りない。ストレス発散のつもりで来たのに)
室内を見渡すと、何組かの男女が距離を詰め、楽しそうに談笑している。
(……これ、いわゆる合コンってやつか。カラオケはストレス解消にいいって雑誌に書いてあったから来たんだが)
呆れたように、そして明らかに退屈そうな表情でドリンクを一口啜った、その時だった。
「ねー、君。顔、カッコいいね。モデルとかやってるの? あ、写真撮っていい?」
参加者の一人である女子生徒が、距離を詰めて話しかけてくる。
「ありがとう。でもモデルとかはやってないよ」
「そっか。じゃあ、はい、ポーズ」
ほぼ密着する形で、スマートフォンの内カメラを向けられる。透は愛想笑いを浮かべるのが精一杯だった。
「ありがとー。あとでアイツらに自慢しよ。超イケメンに会えたって」
「おいおい、そいつはやめとけよ。そいつ彼女いるから」
「えー、まじぃ? どんな子?」
――初耳だった。透に恋人はいない。
「は? 誰の話だよ。俺にはいねーぞ」
「いや、白神さんがいつもお前のこと見てるだろ。あれだろ、『精神感応能力』でイチャイチャしてるんだろ?」
誘ってきた男子が、当然のように言い放つ。
「俺にもアイツにも『精神感応能力』はねぇよ。ただアリスの奴が、なんかずっと俺を見てるだけだ」
「じゃあフったんだな。入学式のあと、二人でどこか行ったのは有名な話だぞ」
もう一人の男子は目を見開き、顔を近づけた。
「フラれた白神さんは、お前のことが忘れられなくて、ずっと見てるんだよ。あんな美少女に見つめられるなんて羨ましいな」
肩を掴まれ、がくがくと揺さぶられる。
その後も、盗撮されたアリスの写真で盛り上がったり、他校の女子から連絡先を聞かれたりと、透にとっては居心地の悪い時間が続いた。
耐えかねてドリンクバーに逃げ込み、壁にもたれながら一人で考える。
(……もう決めた。カラオケに付き合うのは、これで最後だ)




