8話 入学という名の開幕 その2
透はすっと席を立ち上がり、荷物をまとめて帰宅の準備をする。
「おい、もう帰るのかよ。せっかく初日なんだし、他の奴らとも話そうぜ」
背後から、いつもの調子の声。
「はぁ……相変わらずだな。協調性って言葉、知ってるか?」
「知ってるけど使う気はない」
「そういうとこだぞ」
亮太は辟易しながらも、どこか楽しそうだった。肩を組み小声で周りに聞こえないように話す。
「安心しろ。今日は軍の仕事は入らないって、静さんから言われてる」
「そういう意味じゃねーよ、単純に眠い」
亮太の耳打ちを一蹴して、組まれた肩を振り払った。
「入学式でも自己紹介でも寝てた奴が、まだ寝る気かよ。起きろバカ!」
「……痛ぇ」
呆れた顔をする亮太に、透は軽く叩かれる。
全く、痛くなさそうな態度をとって帰ろうとした——その時。
「黒神透さん」
落ち着いた、抑揚の少ない声が背後からかかった。
振り返るまでもなく、誰かは分かる。
白神アリスだった。
透が反応を考えている間に、亮太が一歩横にずれ、進路を塞ぐ。
口元に、いかにも面白そうな笑みを浮かべて、
「ほら、呼ばれてるぞ」
「……後で覚えてろ」
逃げ場はなかった。
忌々しそうに亮太に睨んだ後。
「はぁあ、……何でしょう」
透が諦めて向き直ると、アリスは一歩だけ距離を詰め、淡々と告げる。
「少し、話がしたいです」
それだけだった。
感情の起伏はない。
声も、表情も、ほとんど変わらない。
ただ、その蒼い瞳は、まっすぐに透だけを見ていた。
亮太はその様子を眺めながら、満足そうに腕を組む。
透はアリスに見えないように、小さくため息を吐いた。
*****
「それで、話って?」
教室では何やらざわめきが起き、話しづらいのでふたりは校内や部活動を見て回ることになった。
「貴方が実技試験一位で通ったと聞きました。そしてこの学園が始まって史上初の実技試験全て満点を出した生徒だと。それは本当ですか?」
「ああ本当だよ、それで調子に乗って筆記試験を白紙出したらふざけんじゃねーって言われて俺だけ再試験」
「なるほど、そうなんですね」
事実とはいえ、ボケたのだから少しはリアクションは欲しいと思う。
「では、もう一つのその力はどうやって手に入れたのですか? 黒神さん」
「これからは三年間一緒なんだ。苗字で呼ばれるのは好きじゃないし、さん付けもいらないから、できれば名前のほうで呼んでくれるかな。それでそう言う君は、ハーフなのかな?」
どう見ても日本人には見えず、でも日本姓を名乗っているので、気になったので聞いてみた。
「はい、了解しました透。それで質問の答えなんですけど父が日本人で、母がイギリス人です。そういう貴方も日本人のほかに、異国の血を感じられますが、貴方もハーフですか?」
そう透は、純日本人ではない。よーく、見るとどこか日本人らしくない顔つきや体格をしている。
「まあ、俺は母親が北欧系の方で、よく近づいて見ないとわからないとよく言われるよ。まあ、他の人曰く、俺は父親似で妹が母親似らしいね」
「妹さんがいらっしゃるのですね。……ではもう一度聞きます。貴方の能力、どうやってそこまで伸ばせたのですか?」
透は何か思い出したかのように、
「それともう一つ。君は白神と名乗っているけど、もしかして――あの白神家の人?」
「あの、とはどういうことですか? 父が白神と名乗っていたので、自分もそう名乗っているだけです」
アリスは首を傾げ、きっぱりとした返答だった。そこに誤魔化しや逡巡は見えない。
(白神家を知らないのか。それとも、たまたま同じ苗字なだけか)
「いやー昔、その苗字で有名な一族がいてさ。その関係者かな、って思っただけだよ」
透は深追いする様子もなく、話題を軽く流す。
「……私は、これまでイギリスで暮らしていました。この国に来て、まだ一ヶ月ほどで……正直、よく分かりません。父も……もう亡くなっていますから」
淡々と告げられた言葉に、場の空気がわずかに静まった。
「……そうかい」
それ以上踏み込むことはせず、透は視線を前へと移す。
「そういえば、受験や再試験の時も思ったけどさ。この学園、真ん中の時計塔がやたら目につくよな」
透が何気なく視線を向けると、五つの校舎に囲まれるようにして時計塔が立っていた。高さに加え、威圧感がある学園の象徴といった佇まいだ。
「学園の象徴なんですかね」
「まあ、そんな感じだよな。あそこに理事長室があるらしいし」
二人はそのまま何気ない会話を続けながら、昇降口へ向かう。
昇降口付近は人の出入りが多く、生徒の流れが絶えない。
「能力中心の学園のクセに、普通の学園っぽいな」
「そうですね、普通の学園生活っぽいですね」
なので外の部活を見学するのを一旦辞めて、室内の部活動がやっている第二校舎へ向かう。
音楽室からは楽器の音が微かに漏れ、美術室の前には作品を抱えた生徒がいた。
階を上がると理科系の実験室が並び、薬品の匂いが漂う。
「こういうのも、最新設備を使っているんだな」
「授業の時には、ありがたく使わせてもらいましょう」
第三校舎に入ると雰囲気は一変する。
一階は運動部の部室が多くあり、シャワールームまである贅沢仕様だった。
上の階へ行くにつれ、変わった部活の部室へと移り変わっていく。
「……部活動、多いですね」
「そうだなー」
アリスは感情を表に出さず、淡々と設備や生徒の動きを観察している。その視線は特に鍛錬している者へ向いていた。
第四校舎の周辺は、空気が引き締まる。
狙撃場や戦闘シミュレーション施設など、能力関連の設備が集まっている。
「普通に興味があるな」
「そうですね、でも先生の許可が必要な場所ですので」
「いつか、入れるだろ」
最後に見えてきたのが第五校舎、能力訓練場だった。
広い敷地と頑丈な構造から、実戦に近い訓練が行われていることが一目で分かる。
床や壁には、修復された痕跡がいくつも残っていた。
だが、その下には――消えきらない歪みがある。
透は一瞬だけ、それに目を留め、そして何も言わず、視線を外した。
「……なるほど」
アリスは短くそう呟く。
その声は小さく、誰に向けたものでもない。
ほんの一瞬。
彼女は息を吸い、蒼い瞳を細める。
「……やはりこの学園なら」
「ん?」
透が聞き返すと、アリスはすぐに首を振った。
「いえ、独り言です」
だが、その蒼い瞳は、もう第五校舎ではなく――
学園全体を見渡すように、静かに上がっていた。
結局、一度第一校舎に戻り。
「あら? もしかしてデートかしら?」
すると、後ろから声がかけられる。
二人が振り向くと、そこには生徒会長の七瀬涼菜が立っていた。
「ごめんなさいね、お邪魔だったかしら?」
「いえ、デートではないので。何となく二人で校舎内や部活動を見て回っていました」
反論する透に、涼菜は「そうなの?」と問いかけるように、アリスへ視線を向ける。
「はい。そうです。一緒に学園内を見て回っていました」
――それをデートって言うじゃないか。
そう口に出しそうになるが、何とか飲み込んだ。
「……じゃあ優秀な新入生二人に、お姉さんが何か奢ってあげようかしら?」
「いえ、大丈夫です。ざっと見て周っただけなので、これから本格的に部活動体験をしてこようかなと、二人で話していたところです」
「そうなの? じゃあ、また今度ね!」
そう言って、涼菜は二人を見送る。
「……なるほど」
第二校舎へ入る廊下で、アリスは短く呟いた。
「さっきから、話を逸らしていますね」
「チッ、バレた。……そうだよ、言いたくないだけだよ」
そうですか、と呟き真剣な眼差しで、
「分かりました。日本には《技を見て盗む》という言葉があるそうなので、これから貴方の近くで学ばせてもらいます」
そうアリスは宣言した。
透はめちゃくちゃイヤな顔をするが、アリスの真剣な眼差しを向けてくる。数秒の沈黙。
「……好きにしろ」
透は折れて、そう言うしかなかった。
理由は分からないが、いずれ分かるだろう。そう判断する。
二人は再び校舎や部活動を見て回りながら、他愛のない会話を続けていた。
「いえ、大丈夫です。ざっと見て周っただけなので、これから本格的に部活動体験をしてこようかなと、二人で話していたところです」
「そうなの? じゃあ、また今度ね!」
そう言って、涼菜は二人を見送る。
「……なるほど」
第二校舎へ入る廊下で、アリスは短く呟いた。
「さっきから、話を逸らしていますね」
「チッ、バレた。……そうだよ、言いたくないだけだよ」
そうですか、と呟き真剣な眼差しで、
「分かりました。日本には《技を見て盗む》という言葉があるそうなので、これから貴方の近くで学ばせてもらいます」
そうアリスは宣言した。
透はめちゃくちゃイヤな顔をするが、アリスの真剣な眼差しを向けてくる。
「……好きにしろ」
そう言うしかなかった。
理由は分からないが、いずれ分かるだろう。そう判断する。
二人は再び校舎や部活動を見て回りながら、他愛のない会話を続けていた。




