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第八十四話:『コメント欄の焦燥、あるいは美のアップデート』
アパートの六畳一間。
安物の座椅子に深く沈み込み、カナは手にしたストロングゼロのロング缶を、喉を鳴らして煽った。
部屋を照らすのは、コウタが編集作業に没頭しているデュアルモニターの青白い光だけだ。
「ねえ、コウタ。このコメント、消していい?」
「どれだよ。今、エンコード中だから触るな」
コウタは画面から目を離さず、無機質に応じる。
カナは手元のスマホを睨みつけた。
アップロードされて数時間。
例の「原町ロケハン動画」のコメント欄は、かつてない勢いで加速していた。
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【石川・小松】原町の亡霊をソロ(?)攻略してみた【不仲配信】
@User_A:
12:45 カナちゃんの平手打ち、過去イチでいい音してて草。マジでコウタのこと嫌いすぎだろwww
@User_B:
てか、今回のボス(?)の妊婦、美人すぎないか?
平安時代のアイドルって設定らしいけど、これ完全に現代の美少女じゃん。
@User_C:
@User_B
それな。コウタ、鼻の下伸びてない?
障壁作ってる時、妙に必死だったのってそういうこと?w
@User_D:
待て。歴史民俗学専攻の俺から言わせてもらうと、平安の美女って「下膨れの顔」「引き目」「お猪口みたいな口」がデフォだぞ。
「まろ眉」に「お歯黒」の能面みたいなバケモンが出てくるのが相場だろ。
@User_E:
@User_D
ダンジョン化される時に、現代人の美的価値観にアップデートされたんじゃね?
「観測者が望む姿」に補正されるのは、ダンジョンあるあるだし。
まあ、コウタがデレるのもわかる。カナちゃんより……(以下検閲により削除)
@User_F:
@User_E
草。でも確かに、あの妊婦の顔、なんか「今の基準で一番可愛い」って感じの造形だったわ。
平安の人に見せたら「何この気持ち悪い細い顔」って言われるんだろうな。
@User_G:
「美のアップデート」って概念、めっちゃ怖くね?
俺たちが見てる怨霊って、実は俺たちが望む姿に変えられてるだけかもしれないってことだろ。
仏御前本人の顔、もう誰も知らないのかもな。
@User_H:
@User_G
それな。でも、最後にあの女が笑って消えたのは、カナちゃんたちに「守られた」って実感があったからじゃね?
顔がどう変わろうと、中身は同じだったんだろ。
@User_I:
コウタがあの女を守ろうとしたのは、顔じゃなくて「妊婦」って状況に反応しただけだと思うけどな。
あいつ、困ってる人がいたら無表情で助けるタイプだし。カナちゃんもそれでキレてたしなw
@User_J:
@User_I
それな。カナちゃんの嫉妬シーン、マジでエグかった。
「私のものを盗ろうとする奴はブッ飛ばす」って、あれ本気で言ってるの怖すぎる。
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「ぶっ飛ばす。こいつら、全員特定して指の骨折ってやる」
カナが低い声で呟く。
空になった缶が、彼女の指の力でメキメキと音を立てて歪んだ。
「何に怒ってるんだよ。バズってるんだから、いいだろ」
コウタがようやく椅子を回転させ、こちらを向く。
その頬には、まだカナがつけた平手打ちの痕が、うっすらと赤く残っている。
「『鼻の下伸ばしてる』って書かれてる。あんた、あの女が美人だったから、あんなに必死に守ろうとしたわけ?」
「は? そんなわけないだろ。ただの攻略対象だ」
「嘘。あんた、あの女が消える時、ちょっと寂しそうな顔してた。私にはわかるんだから」
カナは立ち上がり、コウタの膝の上に強引に割り込んで座った。
酒の匂いと、彼女特有の、少しだけ尖った熱気がコウタを包む。
「歴史がどうとか、アップデートがどうとか、どうでもいいのよ。あの女がどんなに美人だろうが、今はもう、ただの魔石になってるんだから。ねえ、そうでしょ?」
カナはコウタの首筋に顔を埋め、彼の心音を確認するように、ぎゅっと腕に力を込める。
「重い。どけよ」
「どかない。あんたの鼻の下を伸ばしていいのは、私だけ。わかった?」
コウタはため息をつき、またモニターへと向き直った。
だが、その手はキーボードを叩きながらも、膝の上のカナを振り払おうとはしなかった。
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「でもさ、コウタ」
「なんだ」
「あのコメント、一つだけ、ちょっと気になるのがあった」
「どれだ」
「『俺たちが見てる怨霊は、俺たちが望む姿に変わってるかもしれない』ってやつ」
カナはスマホの画面をコウタに見せる。
「つまり、あの女は、私たちが思ってたよりも、もっと違う顔だったかもしれないってこと?」
コウタは画面を一瞥し、すぐに作業に戻る。
「さあな。でも、お前があの女をどう見ようと、あの女がどう見えようと、最後にあの女が言ったことは変わらないだろ」
「言ったこと?」
「『あなたはあなたのままでいい』。あれは、お前の顔に向けて言ったわけじゃない。お前の全部に向けてだ」
カナは一瞬、言葉を失う。
それから、にたりと笑った。
「にひー。あんた、たまにいいこと言うじゃん」
「たまにはな」
「でも、それとこれとは別。あんたが他の女にデレデレするのは、絶対に許さないから」
「してねえって」
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画面の中では、無数のコメントが今も流れ続けている。
「不仲な二人の、本当の距離」について、何も知らない他人たちが、勝手な解釈を書き殴りながら。
でも、その中に一つだけ、真実を突いたものがあったのかもしれない。
――美の基準なんて、時代によって変わる。
――でも、誰かを守りたいと思う気持ちは、変わらない。
カナはコウタの膝の上で、また新しいストゼロの缶を開けた。




