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第八十三話:『換金待ち、あるいは原文の壁』
「長くない? あの受付の女、わざとゆっくり数えてんじゃないの。色目使ってる暇あったら手を動かしなさいよ」
カウンターの向こうで、事務的な手つきで魔石を鑑定する受付嬢を睨みつけ、カナが毒づいた。
パイプ椅子にだらりと座り、組んだ足を貧乏ゆすりさせる。
アイアン・パイン社の無機質なロビーには、換金待ちのハンターたちの体臭と、安っぽいコーヒーの匂いが充満していた。
「まあ、あれだけの量だしな。不純物がないか一個ずつチェックしてるんだろ。大人しくしてろ」
コウタはカウンターに肘をつき、手持ち無沙汰にスマホをいじっている。
カナは鼻を鳴らし、自分のスマホを取り出した。
SNSを覗くが、流れてくるのは「ストゼロ新作」の広告か、他人の豪華な食事の画像ばかりだ。
ふと、検索履歴が目に入る。
『仏御前 伝説』『原風 屏風』『平家物語 原文』
(コウタのやつ、まだ調べてたんだ。あの屏風の話、確かに正解だったけどさ)
なんとなく、彼女はその一番下の履歴をタップした。
画面に表示されたのは、見たこともない漢字とカタカナの羅列。
それが、千年前の「真実」を記したとされる文字列だった。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす……」
「は? 何これ。呪文?」
カナは思わず声を漏らす。受付嬢がチラリとこちらを見たが、カナの鋭い視線に気づくと、すぐに作業に戻った。
画面をスクロールする。知らない言葉、知らない人名が延々と続く。
「『奢れる人も久しからず』? おごれる人って、私のこと? 違うよね、私、ストゼロもあんたの金で奢らせてるし。『風の前の塵に同じ』……あ、これはちょっとわかる。あの原風、最後はあんなに静かになったし」
さらに指を滑らせるが、目眩がしそうなほど文字が詰まっている。
「趙高」「王莽」「朱伊」「禄山」——。
誰一人として読み方がわからない。
「長い。人名多すぎ。『内大臣兼左大将妙音院太政大臣藤原師長』って、何なのこれ。一人の名前に役職全部詰め込んでるわけ? 履歴書じゃないんだから」
スマホを膝の上に置き、深く息を吸う。
現代の小松で、泥にまみれて魔石を拾っている自分たちと、この雅で小難しい文字の世界。
その間に横たわる、千年の断絶。
「にひー。わかんね」
「何見てたんだ?」
いつの間にか、コウタが隣に立っていた。
換金の手続きが終わったらしい。その手には、ずっしりとした重みの封筒が握られている。
「別に。ちょっと気になっただけよ。あの女の話、原文で読んだらどんな感じかなって」
コウタは少しだけ意外そうに目を見開いたが、すぐにいつもの、感情の読み取れない無表情に戻った。
「で、どうだった」
「さっぱり。『まろ』とか出てくるし、漢字ばっかりで目が痛い。でも、あの女がいたってことはわかったわ。私たちが昨日ブッ飛ばした連中も、こういう難しい話の中の一部だったんだなって」
カナは立ち上がり、当然のようにコウタの腕に絡みつく。
泥と血の匂いが染み付いた、実体のある温もり。
原文の文字よりも、ずっと確かな感覚。
「ところでさ、コウタ」
「ん?」
「あの女、結局、どんな話だったわけ? あんた、なんかネットで調べてたでしょ」
カナが何気なく尋ねる。
コウタは少しだけ間を置き、それから——得意げでもなく、でも完全に無関心でもない、中途半端な口調で語り始めた。
「えっとね。昔、都に『白拍子』ってのがいたんだって」
「はくびょうし? 白い拍子木?」
「違うと思う。舞う女の人、だっけか。よくわかんないけど、芸能人みたいなもんらしい」
「ふーん。で?」
「その中で一番人気だったのが『祇王』って人で、平清盛って当時の超偉い人に気に入られてたんだと。で、そこに地方から新人が出てくる。それが仏御前」
カナの眉がピクリと動く。
「で、その新人が清盛に気に入られて、祇王はクビになる。よくある話じゃん」
「そう。でも、ここからがよくわかんなくてさ。仏御前は、自分が寵愛されたせいで祇王が追い出されたのを見て、なんか罪悪感みたいなのを覚えたらしいんだよ」
「罪悪感?」
「で、自分も清盛のところ辞めて、祇王の後を追ったんだと。二人で一緒に何か念仏みたいの唱えて、最後は仲良く死んだって話。『ゆるし合い』とか『れんたい』とか、そんな感じの話だった気がする」
「は? それで終わり?」
「俺もネットでチラッと見ただけだから、細かいとこは覚えてない」
カナは首をかしげる。
「ちょっと待って」
「なんだ」
「それ、さっき私たちが戦ったあの女たちと、話が合わなくない?」
コウタも一瞬、言葉を止める。
「ああ。確かに」
「だって、私たちが戦ったのは、『仏御前に男を取られた女たち』だよ。嫉妬して、杼で刺し殺したって。でも、あんたが今言った話だと、仏御前は清盛のもとを辞めて、祇王と仲良く念仏唱えたんだよね?」
「そうなるな」
「じゃあ、なんであのババアどもは、あんなに恨んでたの? 仏御前が清盛のもとを辞めてるなら、もう関係ないじゃん」
コウタはスマホを取り出し、何か調べ始める。
「あー、これ、伝承が二つあるっぽい。ネットに書いてあった。一つは平家物語のメジャーな方。もう一つは、地元に伝わる裏伝説ってやつで……こっちだと、仏御前は清盛の子を宿したまま地元に帰ってきて、村の女たちに殺されたって話になってる」
カナは呆れたようにコウタを見る。
「は? どっちが本当なのよ」
「さあ。どっちも『本当』かもしれないし、どっちも『作られた話』かもしれない。ネットにもいろいろ書いてあるだけで、俺には判断つかん」
「にひー。あんた、にわかにも程があるわ」
「うるさい」
カナはしばらく考え込む表情を浮かべ、それからにたりと笑った。
「つまり、あの女は、本によって全然違う女になってるってこと?」
「そういうことになるな」
「なにそれ、ずるくない? 本人の意思とか関係なく、書いた人の都合で生き方変えられちゃうんだ」
コウタは何も言わない。
カナは窓の外を見る。冬の日差しが、ギルドのロビーに差し込んでいる。
「でも、私たちが会った仏御前は、『ありがとう』って言って消えた。それでいいや。本に何て書いてあっても、私たちが会ったあの女が、本当の仏御前だ」
「そうだな」
カナは立ち上がり、コウタの腕に絡みつく。
「さ、帰ろう。酒買って、惣菜買って、アパートでダラダラしよう。あの女のことは、もう忘れてもいいけど、でも——」
彼女は少しだけ間を置く。
「——でも、あの女が『あなたはあなたのままでいい』って言ってくれたことは、覚えておく」
コウタは何も言わず、ただ一緒に歩き出す。
冬の日差しの中、二人の影が長く伸びている。




