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第八十二話:『原町の朝日』


「終わったわね、コウタ。もう、指一本動かす元気もないわ」


泥だらけになったカナが、アイアン・パイン製の軽トラの助手席に深く沈み込んだ。


「ああ。原風も、完全に止んだみたいだな。まさか本当に、あいつらが成仏するとは思わなかったよ」


コウタが震える手でキーを回し、エンジンをかける。

アイアン・パイン製の車体が、朝日を反射して鈍く光る。

彼は不意に思い出したように、ダッシュボードに置いていたスマホを手に取った。


「おい。さっきの『屏風』の話だけどさ。気になって今、小松のポータルサイトで検索してみたんだ。ほら、これ」


画面には、原町の仏御前伝説についての解説ページが開かれていた。

【のろい風を防ぐため、産室に屏風を巡らせ、夜のように暗くして出産する習わしがあった】


「『昼に生まれる子を狙う』って書いてある。お前が咄嗟にやったあの黒い繭、マジで正解だったんだな。歴史の授業で聞いた時は、ただの迷信だと思ってたけど」


「ハッ。にひー。私、歴史なんて一秒も興味ないけどさ。あんたがドヤ顔で喋ってた無駄知識が、たまたま役に立っただけよ。感謝しなさいよね、コウタちゃん」


カナがスマホの画面をチラリと見て、すぐに興味なさそうに視線を外す。


軽トラが、静まり返った原町の里山を離れ、小松市内へと続く道を走り出す。

窓の外に広がる田園風景。霜柱の溶けたあぜ道。遠くに見える工場の煙突。

何も変わらない、いつもの景色が戻ってくる。


カナは無意識に、自分の腹に手を当てていた。


(あの女、言ってたな。「前は子を産めなかった」って)

(でも、今は産めた。私たちが守ったから)

(私も、いつか)


彼女はすぐに手を離し、窓の外を見るふりをする。


――その時、後ろの荷台からガタンと音がした。


「ん? 何?」


カナが振り返る。コウタは何食わぬ顔でハンドルを握っている。


「いや、別に。ただ、魔石がたくさん積んであるから、重みで揺れただけかも」


「魔石?」


「ああ。戦闘中に気づかなかったのか? あのババアども、倒すときに結構な量落としてたぞ」


カナは目を瞬かせる。記憶をたどるが、そんな場面は思い出せない。


「え、マジで? 私、全然気づかなかった」


「お前、戦いに夢中だったからな。俺はなんとか、死体が消える前に拾い集めておいた」


コウタの口元が、わずかに緩む。彼にしては珍しい、満足げな表情だ。


「あのババアどものへそくり、ってやつ? あれが本当にあったわけ?」


「さあな。でも、純度は高いし、数も結構ある。換金すれば、しばらくは遊んで暮らせるレベルだ」


カナはにたりと笑う。


「にひー。つまり、私たち、怨霊を成仏させた上に、へそくりまで奪ったってわけ?」


「奪ったっていうか、落ちてたのを拾っただけだけどな」


軽トラの中で、初めて笑い声が響く。


信号待ちで停車する。


カナはまた、そっと自分の腹に手を当てていた。

今度は、さっきよりも長く。


(「あなたは、あなたのままでいい」か)

(にひー。幽霊のくせに、いいこと言うじゃん)


コウタがちらりと彼女を見るが、何も言わない。

代わりに、ダッシュボードからメモ帳を取り出し、何やら書き始める。


「何、それ」


「今回の動画の構成メモ。戦闘シーンが多いから、編集が大変そうだなって思って」


その声には、なぜか嬉しそうな響きがあった。

カナは首をかしげる。


「大変なのに、嬉しそうじゃない?」


「そりゃあ、大変な動画ほど、出来がいいってことだからな。編集のしがいがある」


コウタはそう言って、またメモに目を落とす。

確かに、その横顔はどこか楽しげだ。


カナはその様子を見て、にたりと笑う。


「にひー。あんた、そういうとこ、ちょっと変態っぽい」


「うるさい」


信号が青に変わる。軽トラが再び走り出す。


「次は、どこ行く?」


コウタが何気なく尋ねる。


カナは少しだけ間を置いて、それから――いつもの調子で答えた。


「どこでもいいわよ。あんたが隣にいて、カメラが回ってて。私が、あんたを誰にも渡さない場所なら、どこだって」


カナはストロングゼロの最後の一口を飲み干し、窓の外に広がる小松の朝焼けを見つめた。


昨夜の「原風」が嘘のように、外は穏やかな冬の朝だった。


――荷台では、村の女たちの千年の「へそくり」が、朝日を受けて静かに輝いていた。

――運転席では、コウタがまたメモに目を落とし、満足げに頷いている。


いつもの日常が、ゆっくりと戻ってくる。

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