表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
78/92

78

第七十八話:『供養塔への道、あるいは境界の向こう側』


アイアン・パイン製の軽トラ「ダンジョンキャリーMK-II」が、小松バイパスをそれて細い農道へと入っていく。


助手席でカナは、足元に転がるストロングゼロの空き缶をサンダルで蹴りながら、コウタが握るハンドルの横顔をじっと見つめていた。一月の陽射しは弱く、田んぼのあぜ道には霜柱が溶けかけて泥濘んでいる。遠くから、小松基地を離陸したF-15の爆音が、低く腹に響くように聞こえてくる。


「で、今日の依頼は何よ。那谷寺じゃないって言うなら、まさかただの散歩に付き合わされるんじゃないでしょうね」


「違う。仏御前つう史跡の、ロケハン兼ねた素材集めだ。ネットで見つけたんだよ、穴場スポットってやつ」


コウタは無骨なハンドルを切りながら答える。荷台にはドローンと保冷コンテナ、それに緊急用の簡易バリケードが積んである。


「へいけものがたり? 何それ、新種の魔物?」


「ちげえよ。平安時代の話だ。平清盛つうデカい男に寵愛された女が、最後に逃げ帰ってきた場所がここなんだと」


「はあ? 愛人ってこと? で、その女、今もここにいるの?」


「いや、死んでるから墓なんだよ。つか、ちゃんと話聞け」


軽トラがさらに細い道へと入る。両側は冬枯れの雑木林に変わり、舗装は所々ひび割れ、路面には昨夜の雨でできた水たまりが点在していた。


――その時だった。


「っ」


カナが無意識に身を固くした。


理由はわからない。ただ、空気が変わった。


コウタも気づいたらしい。彼は軽トラのスピードを落とし、窓の外に目を凝らす。


「ここからか」


「ああ。境界、越えたな」


ダンジョン化エリア――物理的なゲートはない。ただ、ある地点を越えた瞬間、世界が「切り替わる」。那谷寺の参道でも、手取川の橋を渡った先でも、同じ現象が起きる。


スマホの電波が消えた。GPSのマップアプリは、現在地を捉えているのに「ルート検索不可」のエラーを吐き出す。


エンジン音の響き方が変わった。空気の密度が違うのか、音が吸い込まれるようにこもる。


そして何より、色が違う。


同じ雑木林なのに、木々の幹が一層黒く見え、枯れ草の黄色が毒々しく発光しているようにすら感じる。


「にひ。なんか、気持ち悪いね、コウタ」


カナはそう言いながらも、その声には微かな高ぶりが混じっていた。彼女の能力【飢餓の獣】が、この不安定な空間を「コウタを失うかもしれない危険」と感知し、無意識に筋繊維を活性化させ始めている。


「落ち着け。まだ浅い層だ。深く入らなきゃD級程度しか出ねえよ」


コウタはそう言い聞かせるように呟き、軽トラを進める。周囲の景色は、完全に元の世界と同じなのに「違う」。それがかえって不気味さを倍増させていた。


――その時だった。


「っ、左!」


カナの鋭い声と同時に、雑木林の影から何かが飛び出してきた。


灰色の肉塊。かつて猪だったであろうシルエットが、無数の目玉のような突起に覆われ、四足ではなく六本の節足で地面を掻いている。口元からは粘液を垂らしながら、軽トラの左側面に突っ込もうとしている。


「這い寄る残滓。ランクD、単体なら問題なし」


カナは即座にドアを開け、走行中の軽トラから飛び降りた。


「おい、バカ、まだ走って……」


コウタの声を背に、カナの身体が地面に着地と同時に加速する。


【飢餓のハンガー・ドライブ


今朝、アパートを出る前にコウタが一瞬見せた「実家からの着信を見て迷う顔」。その記憶が、この境界の向こう側で増幅され、彼女の筋繊維を焼くように活性化させる。


「お前みたいな雑魚が、私たちの稼ぎの邪魔をしようってか!」


カナの蹴りが魔物の横腹に突き刺さる。肉塊がぐしゃりと潰れ、粘液が飛び散った。魔物が怯んだ隙に、彼女は右手をかざす。


【絡め取る残火エモーショナル・バインド


彼女の影が不自然に伸び、無数の黒い糸となって魔物の六本の足を絡め取った。糸はただ絡むだけでなく、触れた場所から魔物の表皮が腐食するように萎んでいく。この境界の中で、彼女の感情の奔流はより純度高く魔法へと変換されていた。


「にひ。コウタ、見てる? 私が、こんな雑魚を、どうやって始末するか」


彼女は振り返り、まだ軽トラから降りてこないコウタに向かって笑いかける。配信カメラは回っていない。これは完全に、プライベートな「見せつけ」だ。


コウタは溜息をつき、エンジンを切って降りた。彼の足元は少しふらついている――境界の不安定さが、魔力を使わない彼にも何らかの影響を与えているのかもしれない。


「はいはい。すごいすごい。で、終わったらさっさと剥いで積めよ。これ、ランクDでも素材になるのは眼球だけだからな。境界の中だと腐敗も早い。急げ」


「ちぇ、ケチ」


カナは糸を操り、魔物の動きを完全に封じたまま、ノーマルソードで急所を一突きにする。肉塊が崩れ落ち、辺りに腐臭が漂った。その臭いも、外の世界よりも濃く、長く留まる気がする。


コウタは荷台からゴム手袋とナイフを取り出し、魔物の死体に近づく。目玉の突起を丁寧に切り取っていく。この作業が一番面倒だ。


「なあ、カナ。さっきの反応、ちょっと過剰じゃねえか? ランクD一匹に飢餓の獣使うことないだろ。それに、境界の中で無駄に魔力使うな」


「別に。ウォームアップよ、ウォームアップ。本番までに身体温めておかないと。それに、ここ、なんか落ち着かないじゃん。早く終わらせたかっただけ」


カナはそう言いながら、コウタが作業する背中を見つめている。本当の理由は別だ。


(朝、スマホ見てた。実家からの連絡。また帰りたいって思ったんでしょ。だから、私が強さを見せつけて、それを忘れさせてやんないと。この気持ち悪い境界の中で、あんたがどこかに行っちゃいそうで、怖いんだ)


コウタが眼球の採取を終え、保冷コンテナに収納する。その間、カナはずっと彼の背中を凝視し続けていた。


「よし、終わった。行くぞ。これ以上奥に入ると、戻るのに体力使う」


「にひー。ねえ、コウタ。今の私、かっこよかった?」


「うるせえ。早く乗れ」


軽トラに戻り、再びエンジンをかける。


バックミラーに映る魔物の死骸が、ゆっくりと小さくなっていく。この境界の中では、死骸は早く腐敗し、やがて空間そのものに吸収されるように消えるらしい。


数分後、再び空気が変わった。


エンジン音の響きが元に戻り、スマホが一斉に通知を鳴らし始める。外の世界だ。


カナは深く息を吐き、シートに深くもたれかかった。


「はー。なんか、疲れた」


「境界の中は、魔力持ってる奴ほど消耗するって聞いたことあるぞ。お前、知らず知らずのうちに飢餓の獣発動させてたんじゃねえのか」


「さあ? 別に意識はしてなかったけど」


意識していなかった。ただ、コウタを失う不安が、あの空間で勝手に増幅されただけだ。


軽トラが、忽然と現れた石碑の前で停まった。


「仏御前屋敷跡」と刻まれたその先に、湿った空気に包まれた小高い森と、小さな祠が見える。ここは境界の外だ。普通の、ただの史跡。


カナはドアを開け、サンダルのまま飛び降りた。地面はぬかるんでいて、泥が跳ねる。


「着いたぞ。ここが仏御前の墓か。しっかし、本当に何もないとこだな」


「ああ。だから穴場なんだよ。明日はここで、お前が適当に歴史語って、俺がドローン回す。それで終わりだ」


「楽な仕事ね。でも、さっきの魔物、もしかしたら明日も出るかもよ。境界の入口、近いし」


「その時は、またお前の出番だ。ただし、今度は配信カメラ回しながらな」


コウタは軽トラのエンジンを切り、静まり返った境内を見渡す。


カナは三基の墓石の前に立ち、ストロングゼロの缶を傾けた。


「ねえ、コウタ。この墓、三つあるじゃん。この女一人なのに、なんで三つもあるわけ?」


「知らね。まあいいじゃねえか、数が多いほど映えるだろ」


「にひー。それもそうだね」


彼女は墓石を睨みつけるように見つめ、呟いた。


「でもね、私は絶対に離さないから。手に入れたものは、死ぬまで離さない。それが私の生き方。この女みたいに、逃げたりしない」


コウタはその言葉に何も答えず、ただ煙草に火をつけた。


紫煙が、湿った冷気の中に溶けていく。遠くで、またF-15の爆音が響いた。


明日、この静寂が、二人の「ビジネス不仲」によって、また新たな金に変わる。


それが、この現代ダンジョン小松市における、二人の日常だった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ