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第七十八話:『供養塔への道、あるいは境界の向こう側』
アイアン・パイン製の軽トラ「ダンジョンキャリーMK-II」が、小松バイパスをそれて細い農道へと入っていく。
助手席でカナは、足元に転がるストロングゼロの空き缶をサンダルで蹴りながら、コウタが握るハンドルの横顔をじっと見つめていた。一月の陽射しは弱く、田んぼのあぜ道には霜柱が溶けかけて泥濘んでいる。遠くから、小松基地を離陸したF-15の爆音が、低く腹に響くように聞こえてくる。
「で、今日の依頼は何よ。那谷寺じゃないって言うなら、まさかただの散歩に付き合わされるんじゃないでしょうね」
「違う。仏御前つう史跡の、ロケハン兼ねた素材集めだ。ネットで見つけたんだよ、穴場スポットってやつ」
コウタは無骨なハンドルを切りながら答える。荷台にはドローンと保冷コンテナ、それに緊急用の簡易バリケードが積んである。
「へいけものがたり? 何それ、新種の魔物?」
「ちげえよ。平安時代の話だ。平清盛つうデカい男に寵愛された女が、最後に逃げ帰ってきた場所がここなんだと」
「はあ? 愛人ってこと? で、その女、今もここにいるの?」
「いや、死んでるから墓なんだよ。つか、ちゃんと話聞け」
軽トラがさらに細い道へと入る。両側は冬枯れの雑木林に変わり、舗装は所々ひび割れ、路面には昨夜の雨でできた水たまりが点在していた。
――その時だった。
「っ」
カナが無意識に身を固くした。
理由はわからない。ただ、空気が変わった。
コウタも気づいたらしい。彼は軽トラのスピードを落とし、窓の外に目を凝らす。
「ここからか」
「ああ。境界、越えたな」
ダンジョン化エリア――物理的なゲートはない。ただ、ある地点を越えた瞬間、世界が「切り替わる」。那谷寺の参道でも、手取川の橋を渡った先でも、同じ現象が起きる。
スマホの電波が消えた。GPSのマップアプリは、現在地を捉えているのに「ルート検索不可」のエラーを吐き出す。
エンジン音の響き方が変わった。空気の密度が違うのか、音が吸い込まれるようにこもる。
そして何より、色が違う。
同じ雑木林なのに、木々の幹が一層黒く見え、枯れ草の黄色が毒々しく発光しているようにすら感じる。
「にひ。なんか、気持ち悪いね、コウタ」
カナはそう言いながらも、その声には微かな高ぶりが混じっていた。彼女の能力【飢餓の獣】が、この不安定な空間を「コウタを失うかもしれない危険」と感知し、無意識に筋繊維を活性化させ始めている。
「落ち着け。まだ浅い層だ。深く入らなきゃD級程度しか出ねえよ」
コウタはそう言い聞かせるように呟き、軽トラを進める。周囲の景色は、完全に元の世界と同じなのに「違う」。それがかえって不気味さを倍増させていた。
――その時だった。
「っ、左!」
カナの鋭い声と同時に、雑木林の影から何かが飛び出してきた。
灰色の肉塊。かつて猪だったであろうシルエットが、無数の目玉のような突起に覆われ、四足ではなく六本の節足で地面を掻いている。口元からは粘液を垂らしながら、軽トラの左側面に突っ込もうとしている。
「這い寄る残滓。ランクD、単体なら問題なし」
カナは即座にドアを開け、走行中の軽トラから飛び降りた。
「おい、バカ、まだ走って……」
コウタの声を背に、カナの身体が地面に着地と同時に加速する。
【飢餓の獣】
今朝、アパートを出る前にコウタが一瞬見せた「実家からの着信を見て迷う顔」。その記憶が、この境界の向こう側で増幅され、彼女の筋繊維を焼くように活性化させる。
「お前みたいな雑魚が、私たちの稼ぎの邪魔をしようってか!」
カナの蹴りが魔物の横腹に突き刺さる。肉塊がぐしゃりと潰れ、粘液が飛び散った。魔物が怯んだ隙に、彼女は右手をかざす。
【絡め取る残火】
彼女の影が不自然に伸び、無数の黒い糸となって魔物の六本の足を絡め取った。糸はただ絡むだけでなく、触れた場所から魔物の表皮が腐食するように萎んでいく。この境界の中で、彼女の感情の奔流はより純度高く魔法へと変換されていた。
「にひ。コウタ、見てる? 私が、こんな雑魚を、どうやって始末するか」
彼女は振り返り、まだ軽トラから降りてこないコウタに向かって笑いかける。配信カメラは回っていない。これは完全に、プライベートな「見せつけ」だ。
コウタは溜息をつき、エンジンを切って降りた。彼の足元は少しふらついている――境界の不安定さが、魔力を使わない彼にも何らかの影響を与えているのかもしれない。
「はいはい。すごいすごい。で、終わったらさっさと剥いで積めよ。これ、ランクDでも素材になるのは眼球だけだからな。境界の中だと腐敗も早い。急げ」
「ちぇ、ケチ」
カナは糸を操り、魔物の動きを完全に封じたまま、ノーマルソードで急所を一突きにする。肉塊が崩れ落ち、辺りに腐臭が漂った。その臭いも、外の世界よりも濃く、長く留まる気がする。
コウタは荷台からゴム手袋とナイフを取り出し、魔物の死体に近づく。目玉の突起を丁寧に切り取っていく。この作業が一番面倒だ。
「なあ、カナ。さっきの反応、ちょっと過剰じゃねえか? ランクD一匹に飢餓の獣使うことないだろ。それに、境界の中で無駄に魔力使うな」
「別に。ウォームアップよ、ウォームアップ。本番までに身体温めておかないと。それに、ここ、なんか落ち着かないじゃん。早く終わらせたかっただけ」
カナはそう言いながら、コウタが作業する背中を見つめている。本当の理由は別だ。
(朝、スマホ見てた。実家からの連絡。また帰りたいって思ったんでしょ。だから、私が強さを見せつけて、それを忘れさせてやんないと。この気持ち悪い境界の中で、あんたがどこかに行っちゃいそうで、怖いんだ)
コウタが眼球の採取を終え、保冷コンテナに収納する。その間、カナはずっと彼の背中を凝視し続けていた。
「よし、終わった。行くぞ。これ以上奥に入ると、戻るのに体力使う」
「にひー。ねえ、コウタ。今の私、かっこよかった?」
「うるせえ。早く乗れ」
軽トラに戻り、再びエンジンをかける。
バックミラーに映る魔物の死骸が、ゆっくりと小さくなっていく。この境界の中では、死骸は早く腐敗し、やがて空間そのものに吸収されるように消えるらしい。
数分後、再び空気が変わった。
エンジン音の響きが元に戻り、スマホが一斉に通知を鳴らし始める。外の世界だ。
カナは深く息を吐き、シートに深くもたれかかった。
「はー。なんか、疲れた」
「境界の中は、魔力持ってる奴ほど消耗するって聞いたことあるぞ。お前、知らず知らずのうちに飢餓の獣発動させてたんじゃねえのか」
「さあ? 別に意識はしてなかったけど」
意識していなかった。ただ、コウタを失う不安が、あの空間で勝手に増幅されただけだ。
軽トラが、忽然と現れた石碑の前で停まった。
「仏御前屋敷跡」と刻まれたその先に、湿った空気に包まれた小高い森と、小さな祠が見える。ここは境界の外だ。普通の、ただの史跡。
カナはドアを開け、サンダルのまま飛び降りた。地面はぬかるんでいて、泥が跳ねる。
「着いたぞ。ここが仏御前の墓か。しっかし、本当に何もないとこだな」
「ああ。だから穴場なんだよ。明日はここで、お前が適当に歴史語って、俺がドローン回す。それで終わりだ」
「楽な仕事ね。でも、さっきの魔物、もしかしたら明日も出るかもよ。境界の入口、近いし」
「その時は、またお前の出番だ。ただし、今度は配信カメラ回しながらな」
コウタは軽トラのエンジンを切り、静まり返った境内を見渡す。
カナは三基の墓石の前に立ち、ストロングゼロの缶を傾けた。
「ねえ、コウタ。この墓、三つあるじゃん。この女一人なのに、なんで三つもあるわけ?」
「知らね。まあいいじゃねえか、数が多いほど映えるだろ」
「にひー。それもそうだね」
彼女は墓石を睨みつけるように見つめ、呟いた。
「でもね、私は絶対に離さないから。手に入れたものは、死ぬまで離さない。それが私の生き方。この女みたいに、逃げたりしない」
コウタはその言葉に何も答えず、ただ煙草に火をつけた。
紫煙が、湿った冷気の中に溶けていく。遠くで、またF-15の爆音が響いた。
明日、この静寂が、二人の「ビジネス不仲」によって、また新たな金に変わる。
それが、この現代ダンジョン小松市における、二人の日常だった。




